戦え!朝ごはん

作:167

やたらと冷え込む、冬の朝。低血圧の俺には地獄の苦しみだ。
以前の俺なら、ベッドの中から手だけ出して目覚ましを止め、
うっかり二度寝した後であわてて飛び起きる、というのがパターンだった。
だが今は違う。

俺のプロデュースでAランクにまで登りつめたあずさが
突然で引退を発表し、
「三浦あずさ、プロデューサーと電撃結婚!」
のニュースがワイドショーを賑わせてから、もう一ヶ月。
二人で新婚旅行先のローマから帰ってきたのがつい先日のこと。
そして、我が家で、ゆっくりと二人きりの朝を迎えるのはこれが初めてなのだ。

「んん…おはよう、あずさ…」
目も開けずに傍らのあずさに触れようとしたが、
その手がむなしく空を切る。
「…あれ?」
妙だなと思いながらもしばらくボーっとしていたが、
事態を把握したとたん急激に意識が覚醒した。
「あずさ…!?」
ベッドの中にあずさの姿がない。どこへ行ったのだろう。
あずさもそれほど朝は強いわけじゃないから、
先に起きた方が相手を起こす、という約束だったはずなのに。
物凄く不安な衝動に駆られ、転げ落ちるようにベッドから降りて
寝室のドアを開いた。 


「あら〜、もう起きちゃいました?」
台所に立つ、エプロン姿のあずさ。
俺はほっと胸をなで下ろした。
「おはよう、あずさ」
「おはようございます〜、あなた♪」
何も聞かず、まずは挨拶して軽くキスを交わす。
刻んだ野菜がまな板の上に乗っているところを見ると、
どうやらサラダを作っていたらしい。
「あー、焦った。目が覚めたら居ないんだもんな」
「ごめんなさい。朝ごはんの用意しておいて、
 あなたをびっくりさせようと思って…」
そう言って、あずさはちょっと困ったような顔をして笑った。
発想がなんともかわいらしい。
「ははは、確かにびっくりしたよ。それはサラダかな?」
「はい。あなた、旅行中に言ってたでしょう?
 ”おはよう!朝ごはん”みたいな朝食がいいなって」
そういえば、そんなことを言ったかもしれない
”おはよう!朝ごはん”はあずさの2ndシングルに選んだ曲だ。
トースト、サラダにオムレツ、ミルク…というフレーズが
頭の中で流れ始めた。
旅行中にあずさが、「朝ごはんなら、和食と洋食どっちが好き?」
なんて聞いてきたのはこのためだったのか。

「もうすぐ出来ますから、会社に行く準備して待っててくださいね〜。
 急がないと遅れちゃいますよ」
そう言って、あずさは再び調理にとりかかった。
確かに、この時間だとそうのんびりはしていられない。
俺は急いで洗面所で顔を洗い、ヒゲを剃り、スーツに着替えて…
その最中にも、自然と顔がニヤけてくる。
何せ新妻が作る初めての朝ごはんが待っているのだ。
(いやー、幸せだなあ。俺、こんな幸せでいいのかなあ)
まさに新婚冥利につきるというものだ。

一通り支度を終えてリビングへ向かうと、
既にそこには皿が並べられ、朝食の準備が整っていた。
だが、その内容に俺は一瞬目を疑った。
きれいに盛り付けられたレタス、トマト、キュウリのサラダ。
こんがりときつね色に焼けたトースト。
どちらも、単体ならば何も問題ない。実にうまそうだ。
問題なのは、そのトーストがサラダの上に乗っており、
ご丁寧にドレッシングまでかかっていることだった。 


俺はおそるおそる質問した。
「…えーと、あずさ。これは?」
「トーストサラダです〜♪」
一瞬思考回路がフリーズしかかったが、あずさとは長い付き合いだ。
脳をフル回転させて、俺は常人ならありえない速度で事態を把握した。
つまり、あずさはずっと、”おはよう!”朝ごはん”の歌詞の
「トースト、サラダに…」の部分を「トーストサラダに…」と
勘違いしたまま歌っていたということらしい。
普通ならありえない間違いだが、あずさならやりかねない。
「そうか…トーストサラダか。うん、そうか」
「もう一品作りますから、先に食べていてくださいね」
そう言って、あずさは台所へ引き返していった。
(どうしよう。どーする、俺)
俺は腕組みしてしばし考え込んだ。
あずさがせっかく早起きして作ってくれた朝ごはんを、
いきなり「間違ってる」と作り直させるのはあまりに忍びない。
(食おう。ここは、心を殺してとりあえず食うべきだ)
間違いについて訂正するのは後でもいい。
意を決して席に着き、俺はトーストサラダにとりかかった。
(…しょっぱい)
別に、涙の味ではない。
ドレッシングがほとんどトーストに吸収されているし、
そのせいで野菜には何の味も付いていないのだ。
何とかトーストと野菜を交互に食べなくてはならない。
なおかつ、食べづらい。
ブレッドを使ったサラダというのはさほど珍しくないと思うが、
これはトーストである。食べやすいサイズに切られていないのだ。
フォークを使えばトーストが、手づかみで食べれば野菜が食べづらい。
未知なる食べ物に悪戦苦闘し、
(ああ、目を白黒させるっていうのはこういうことなんだなあ)
とか思っていると、あずさが大きなコップを慎重に運んできた。 


(ちょっと待て、まさか…)
トースト、サラダに、オムレツ、ミルク。
案の定、にこにこ笑うあずさが目の前に出したミルクのコップには、
ぷかぷかと黄色いオムレツが浮かんでいた。
(ギャグ、だよな?)
俺は内心の動揺を必死に隠し、顔だけはせいいっぱい笑みを浮かべた。
「オムレツミルクです〜。たくさん食べてお仕事頑張ってくださいね、うふふっ」
満面の笑顔。どうみてもマジです。本当にありがとうございました。
泣きたい気持ちをこらえて、俺はそのコップを受け取った。
「あずさは、食べないの?」
「うふふっ、実は作りながらちょっとつまみ食いしてしまったんです。
 オムレツとか、けっこうおいしく出来たと思うのですけれど〜」
単体で食べたらそりゃうまいだろうよ、とツッコミを入れそうになる手を
かろうじて押し止め、俺は覚悟を決めた。

なに、今日だけだ。仕事が終わって帰ってきたら、
”おはよう!朝ごはん”の歌詞についてゆっくり語り合うとしよう。
しかし、”おはよう!朝ごはん”みたいな洋食が好き、と言ってこの内容…
もし和食が好きって言ってたら、今頃
「納豆味噌汁海苔卵」を食べさせられていたのだろうか?
あるいはそっちの方がマシだったかも、としみじみ思いながら
俺はコップを握りしめ、オムレツミルクを一気に口の中に流し込んだ。 



上へ

inserted by FC2 system