風邪引き春香

作:しーず

AM8:00 765プロ事務所
「おぃーっす」
 俺は、いつもの様に挨拶をして事務所に入った。
 まぁ、俺が鍵を開けた訳だから誰もいる筈も無いんだが、慣習と言う奴だ。
 窓に下げられたブラインドを上げ、朝の光をオフィスに入れ、同時に窓を開けて空気を入れ替える。
鮮烈な朝の空気がオフィスに満ち渡るこの瞬間が、俺にやる気を起こさせる。
ヴー、ヴー、ヴー…
そんな俺のポケットで携帯が震えた。発信先は春香だった。
pi
「はい」
『もしもし…プロデューサーさんですか…ケホケホ』
 電話の向こうの春香の声は力無く、時折咳みたいな物が混じっている。
「おい、春香大丈夫か?」
 『それが…夜遅くから咳が出始めて…コホコホ…今朝にはなんか熱っぽくなっちゃって…』
「風邪かいな…」
『だと思うんですけど…ほら…私…』
 そういえば、春香は今長期ロケを行う都合で都内のホテルに泊まっていて、
それを機に両親が出かけている…と言う事だった。
 「そりゃマズいよなぁ…とりあえず、部屋の延長は頼んでみるが…
最悪着替えて出られる体制にはもっていってくれ。」
 『分かりましたぁ…ケホケホ』と言い残し、電話が切れた。
 「さて…」
 春香の欠勤の為の手続き…関係各位への連絡と詫び入れ、スケジュールの調整、
ホテルへの連絡…をこなすべく、俺は早速仕事に取り掛かった。

AM10:00 都内ビジネスホテル

春香との電話直後にやって来た、律子さんや小鳥さんが手伝ってくれたおかげで、
予想より早く春香の泊まっているホテルに着く事ができた。
 ホテルの延泊は、予約の都合で出来なかった。
…となると、俺が春香を保護するしかないんだが…等と考えつつ、
ホテルの地下駐車場に車…俺の自家用だ…を入れると電話が掛かる。高木社長だった。
 「あ、ボス。おはようございます。」
『うむ、おはよう。事情は二人から聞いたよ。』
 「すいません。体調管理をもっとしっかりやらせとけば…」
 『万全の対策と言えど、完璧はありえないよ。風邪は引く時は引く物だ。
事後処理のツメの部分は任せ給え。…それで、容体は?』
 「今から部屋に向かうところです。あと、延長は利かなかったので、俺の部屋で休ませます。」
 『うむ。まぁ…分かってはおると思うが…』
 「その点は弁えてますよ。…あと、医者にも診てもらうんで、領収書の処理、頼みます。」
 『わかった。では、そちらも大事にしてくれたまえ。』
 電話を切ると同時に俺は車を出た。
 フロントで精算を済ませてから春香の部屋に行く。ノック2回で返事が来た。
 「は〜い…ケホケホ」
 やはりいつもの元気がない。
 「俺だ。入るぞー。」
 「どうぞ〜…」
 中に入ると、春香はいつもの服に着替えてベッドの上でひっくり返っていた。頭には水のペットボトル。
 「体温計…なんて物は無いわな。さて、医者に連れてく…んだが、立てそうにも無いなぁ」
 「うっう〜…すみませ〜ん…ケホケホ」
 俺はベッド脇に有った春香のスポーツバッグを担ぐと春香の体を『お姫様だっこ』な感じで抱き抱える。
 「やよいみたいな事言わない。ほれ、首に手を掛けな」
 「は〜い…」
 ホテルを出てすぐに、事情を良く知る医者に春香を診せる。
 「ふむ。熱はあるが…単なる風邪でしょう。
只インフルエンザに発展するといけないんで、最低2日は様子を見てください。お薬出しときますね」
 …との医者の言にほっと胸を撫で下ろす。 「良かったですぅ…」と、春香も安心したようだ。
 薬を受け取り、俺の自宅に向かう。病院から5分もしないうちに着く距離だ。

 俺の自宅に着くと、早速俺の寝室に春香を寝かせる。移動の間にも熱のせいか薄く汗をかいている。
 「…パジャマは…無いんだったな…じゃあ…」
 言いながらクローゼットを探すと、クリーニングを終えたばかりのワイシャツが見つかった。
 「これに着替えて、おとなしく寝てな。今暖かい物を作るから」 言って俺は寝室を出た。
 10分後、俺は春香に食べてもらう食事を持って再び寝室に入った。
 「あれ?うどんですか?」
 鼻は大丈夫なのか、春香は丼の中身を言い当てた。
 「ああ。粥より消化が良いし、味もある。ま、つゆはインスタントで麺は冷凍、
後は葱刻んでぶち込んだだけだがな。それと…」
 言いながら、盆を床に置き、コーヒー用のタンブラーをサイドボードに置く。
 「こっちは酒粕を溶いて作った甘酒モドキだ。生姜を効かせておいたから、喉にも良い。さて…」
 言って俺は、春香の上半身を起こす。
 「これで食べられるかな?無理なら食べさせてあげるが…」
 「食べさせてもらっても良いですか?」
 「わかった。ほれ、口を開けな」
 春香は「あ〜ん」と言いながら口を開ける。
 そこに、俺が息を吹き掛けて冷ましたうどんを入れてやると、もぎゅもぎゅと食べていく。
 「…おいしいです。それに体が暖かくなりますね。」
 「実質朝飯抜きだったからな。それに、暖まって汗をかいた方が治りは早いんだ。」
 ふーんと言いつつ再び春香が口を開ける。そこにまたうどんを入れてやる。
 「俺が子供の頃も、風邪引いたらうどんでね、同じようにお袋に食わしてもらったもんだ。
まさか食わす立場に回るとは思ってもみなかったが。」
 食事が終わる頃には、大分暖まって来たのか、春香の肌に目で見て判る程の汗が出ていた。
 「…風呂…って訳にもいかんな。濡れタオルを用意して有るんでそれで拭くか。」
 春香はゆっくり頷いた。
 そして、俺は用意して有ったタオルを渡した。
 「じゃ、これを使ってくれ。あと、隣りの部屋にいるから終わったら知らせてくれ。」
 「はーい。」
 その声を背に、俺は寝室を出た。
 その5分後だった。
 「プロデューサーさ〜ん。すみませ〜ん」と、春香が俺を呼んだ。
「どうした?具合でも悪くなったか?」
 「ちょっと…背中を拭いて欲しいんですよ。タオル小さくて届かない…」
 む、フェイスタオルの中でも小さい奴だったか…。
 「わかった。じゃ、中入るぞー。」
 「どうぞ〜。」
 部屋に入ると、ベッドの上で春香は背中を向けて座っていた。
 「タオル貸しな。拭くから。」
 「お願い…します。」
 もじもじしながら、春香はゆっくりタオルを俺に渡す。
 タオルを、たらいの湯に漬けて絞る。
 「じゃ、いくぞ〜」
 言いつつ俺は、タオル越しに春香に触れた。
 『玉の肌』だの『餅肌』だの、女の子の肌の綺麗さを表す言葉は色々あるが、
春香のそれはどの言い方も当てはまる、綺麗な物だった。
 しなやかな柔軟性、タオルの暖かさによって現れる淡い桜色…。
俺は、体は淡々と春香の体を拭きながら、意識だけが別世界にトんでく様な感覚を味わっていた。
 「プッ…プロデューサーさん?終わりましたか?」
 そんな春香の声で、俺は夢見心地から戻された。
 よく見ると、既に腰に近い位置までを拭き終えていた。
タオルのすぐ近くに、チラリと春香の下着がのぞいている。
 「わ、わわわわわわごめん!終わった。」 春香は『?』と怪訝そうに首をかしげたが、
すぐに寝間着替わりのワイシャツを着込んだ。
  「どうだ?すっきりしたか?」
 「はい、ありがとうございました。」
 「じゃ、俺はまた隣りの部屋にいるから、おとなしく寝てな。」
 言い残して、俺は寝室を出た。その後3分もしないうちに、スゥスゥと寝息が聞こえて来た。
 (普段は、もっと大人びた世界にいるけど、こんな時にはやっぱり歳相応の小娘なんだなぁ…)
 なんて事を思いつつ、俺は在宅で出来る仕事に取り掛かった。
 翌朝には、春香も回復したが、俺は念を押す意味でもう一日休みを取らせた。
 車で春香を実家まで送り届けた時、玄関先でほほ笑みながら
「ありがとうございました。また明日から頑張りま〜す!」と言って繰れた。
 …風邪というアクシデントに遭いながらも、春香には良い思い出が出来た様…に見えた。
(グッドコミュ……?) 



上へ

inserted by FC2 system