天使の片翼

作:ばてぃ@鬼

まだ午後5時だというのに空は黒い影に覆われていた。
金盞花の独特の香りが流れてきて、季節はもう秋だということに気づかされる。
俺は事務所の窓を閉めると視線をヴォーカルレッスン中の千早に戻した。
いつもと変わらず透き通るように、そして力強い歌声が響いている。
・・・だが、心にまで届くような声になってはいない。
プロデュースを始めてとんとん拍子にランクアップを重ねた千早。
全てが順調すぎるほどの滑り出しだった。
しかしここ最近はオーディションで苦戦続きだった。
時々得意のヴォーカルを取り損ねることもあり、安定感を失うことがあった。
そのことを千早も気にしているらしく
最近はヴォーカル中心のレッスンを組んで欲しいと直訴されていた。
その通りにしてあげているのだが・・・一向に向上する気配はない。

「ここが限界なのか・・・?」

そんな風に思わざるを得なかった。
そろそろレッスンを切り上げなければ。
もう歌い始めて六時間が経っている。
これ以上は大事なのどに影響を与えかねない。

「千早、そろそろ切り上げよう。のどを痛めかねない。」

千早は歌うの止めてこちらを向いた。

「私は大丈夫です。まだやれます。」
「だめだ。のどを労わってやれ。毎日毎日こんな調子で歌い続けてるんだから。」
「でも・・・わかりました。」

千早はしぶしぶ納得するとCDを止めた。

「後片付けは俺がやっておくから。」
「そうですか?ではお願いします。」

千早は軽く頭を下げるとそそくさと部屋を出て行った。
足早に部屋を出て行く千早の後姿を見つつ、ふとこう思った。

「あいつは・・・何を焦っているんだろう?」 


それから数日後、俺と千早は特別オーディションを受けるべくして控え室にいた。
このオーディションに受かれば名実共に日本のトップアイドルしての地位を確立できる。
俺はいたって落ち着いていた。
幾度となく越えてきたオーディションだ。
それなりに対策もあるし、今日エントリーしている相手は全て千早より見劣りしている。
ただ・・・千早は落ち着かない様子で控え室を行ったり来たりしている。
時々難しい顔をしてぶつぶつと何かをつぶやいてはまたうろうろしだす。
明らかにいつもの千早じゃない。

「千早、落ち着けよ。」

そう言ってみるも千早の耳にはまったく入っていないようだ。

「千早っ!!」

千早ははっとして振り返った。

「あ・・・はい、何でしょうプロデューサー?」

千早の顔に生気が無い。オーディション前だというのに妙な汗をかいている。
様子がおかしい。

「何でしょうじゃない。落ち着け。とりあえずここに座るんだ。」

俺は千早を隣の椅子へと座らせた。

「あ、あの、プロデューサー?私なら大丈夫・・・。」
「どこの世界に顔を真っ青にして大丈夫な人間がいるんだ?お前最近おかしいぞ?」

千早は顔をそらしてぎゅっと拳を握り締めた。
そして振り絞るような声でこう言った。

「なんでもありません。プロデューサーには迷惑かけませんから。」
「迷惑云々の問題じゃない。何かあったのなら話してくれないか?」

千早は急に立ち上がり、椅子を後ろに倒してしまった。
そして大声でこう言った。

「迷惑かけないって言ってるじゃないですか!!」

千早の大声と物音で周りの他のアイドル達が一斉に視線を向けてきた。
俺はびっくりして声が出なかった。
他のアイドル達は俺たちの姿を見てひそひそと話し始める。

「・・・すいません。」

千早はそういって控え室を出て行った。





オーディションが始まった。
千早は開始時刻には間に合ったようだが、一言も口をきいてくれなかった。
舞台の袖で自分の出番を待っている。
時々他のアイドルに話しかけられているようなのだが・・・。
数組のオーディションが終了し、遂に千早の出番になった。
俺が的確な指示を出し、千早がきちんと歌うことができれば勝てる。
そのはずだった。

「エントリーナンバー5番・・・如月千早・・・です。」

笑顔の無い表情の千早を見て審査員が怪訝な表情をしている。
これはまずい。

「流行はボーカル、2位はダンスだが・・・
ここはビジュアルをやや中心にしてアピールさせよう。」

出だしの印象で失敗してしまった以上、もうミスはできない。
カンペを握る手に思わず力が入った。 






「合格したのは・・・おめでとう!ナンバー3、萩原雪歩さん!」

結果は目に見えていた。
オーディション中、千早は一度も笑わなかった。
ダンスにはキレが無く、歌声も迫力を欠いていた。
二人で築いた思い出も効果がなかった。
むしろ今の千早では審査員に悪影響を及ぼすしかなかった。
千早は喜ぶ合格者に視線を移すことなく、うつむいて下を向いたままだった。
俺と千早はそそくさとオーディション会場を後にした。

冬空の下、大分陽が傾いてきている。
会場の外で帰りの車を待つ俺の斜め後ろに千早は立っていた。
無言の時間が続く。
俺は何も言えなかった。
・・・しばらく考えた後、もう一度千早に何があったのかを聞いてみようと俺は振り返った。

「あのな・・・千早、もう一度きく・・・。」

言葉を最後まで言えなかった。
千早は黙って泣いていた。
普段人前で泣くなんて絶対にありえない子だった。
ただただ溢れる涙を拭おうともせず、立ち尽くして泣いていた。
拳は握り締められ肩は小刻みに震えている。

「千早・・・。」

千早はゆっくりと顔を上げて俺を見つめてきた。

「私は・・・どうしたらいいんですか、プロデューサー?どうしたら・・・。」
そう言うと千早は俺の胸にしがみつくと声を抑えず思いっきり泣いた。
周りも気にせず、ただがむしゃらに。
俺のコートを握り締めるその手は力強く、しかし冷たかった。
俺はそっと千早を抱きしめた。
優しく、壊れそうなほど細いその体を。

「今日はもう事務所に戻るのはやめよう。・・・連れて行きたい場所がある。」

千早は泣きながら小さく頷いた。 






「あの・・・連れて行きたい場所って・・・ここですか?」
「あぁ、ここだよ。綺麗だろ?」

俺は千早を今まさに沈もうとする夕陽を映し出す海辺へと連れてきた。
浜辺には誰一人としておらず、さながらプライベートビーチのようだった。
水平線に消えていく太陽。
まるで、このまま終わろうとしている千早のアイドルとしての人生のように感じられた。
俺は砂の上に座って夕陽を眺めた。

「綺麗だろ、千早?こんな夕陽を見たら悩みなんて吹っ飛ぶよな。」
「綺麗ですが・・・プロデューサー、私は・・・。」
「ここなら誰もいない。全部話してくれるか?何がお前をそんなに苦しめているのか。」
「プロデューサー・・・。」

しばらく千早は考え込んだ後、俺の隣に座って話し始めた。

「私には約束があるんです。」
「約束?」
「はい。プロデューサーには話してませんよね、
私に弟がいたこと。その弟が死んでしまったこと。」
「初耳だな・・・。」
「だって話そうと思ってもプロデューサーは
レッスン、仕事、オーディションの繰り返しばかりでしたから。」

思えば最近は千早を上へ上へと成長させることにばかり集中して、
まともに話もしていなかった気がする。

「・・・すまん。」
「いえ、良いんです。プロデューサーは私のことを思ってのことだと思いますから。」

千早は少し間を置いてまた話し始めた。

「その弟と約束したんです。必ず夢を叶えるって。」
「歌手として頂点に立つって夢か?」
「はい。その頃まだアイドルは目指してなかったんですけど。
弟は今わの際に私にこう言いました。」

『姉ちゃんの夢が叶うなら、僕の夢も叶ったと同じだから。』

「それから私は自分の夢を叶えるために頑張りました。
天国の弟が生きれなかった分、私は責任がありますから。」

そこで千早は言葉を止めた。
その目は海をじっと見据えている。

「・・・千早、1人で闘うな。」
「えっ?」

千早は驚いた顔でこちらを見た。

「その弟の約束叶えるのは良い。でもな、お前には俺がついてる。」
「プロデューサー・・。」
「お前をプロデュースし始めた時からその約束の片棒は俺が担いでるのと一緒だ。
だから苦しい思いはお前だけにはさせない。その約束・・・俺も手伝わせてくれ。」

千早はしばらく俺の顔を見つめていたが、笑顔で、そしてうっすらと瞳を潤ませながらこう言った。

「・・・もちろんです。私はプロデューサー無しには考えられないですから。」
「よし、決まりだな。」

俺と千早は立ち上がると服についた砂をはらった。
そして千早は力強くこう言った。

「さぁプロデューサー、もう時間が無いんです。事務所に戻ったら有意義なレッスン、お願いします。」

陽はとっくに沈み、赤い月が空に浮かんでいた。





それからの千早は見違えるように成長した。
歌声は元に戻り、いや、それ以上に力強く、繊細で透き通る声に。
ダンスもビジュアルも申し分ない。
オーディションを連戦連勝し、名実共にトップアイドルとして成長した。
テレビの収録や仕事も連日数多くこなしているが、暇を見つけてはレッスンの指導を俺に言ってくる。
今日は珍しく午後からの仕事が無いので事務所に戻ってきていた。
歌声に聞き惚れる俺の後ろから社長が話しかけてきた。

「如月君、生まれ変わったようだな。」
「えぇ、彼女のもがれていた翼、ようやく見つけたんです。」
「もがれていた翼?」

千早は歌いながら俺の視線に気づくと頬を赤らめて、照れくさそうに後ろを向いた。

「彼女は天使なんですよ。この世でたった一人の。」



完

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