貴方と私のレッスン-千早編-

作:@クラ

 沈黙が流れていた。
 765プロの事務所内、その応接室で、如月千早が腕を組んでいた。
悩み事でもあるのだろうか、その面持ちはやや沈痛だ。
 その理由というのも最近の彼女の伸び悩みだった。
彼女のアイドルとしての人気はうなぎのぼりもいいところなのだが。
 彼女自身が最も高め、成長させたい『歌』が最近、行き詰っているように感じているのだ。
 こんな悩みを持っていても、相談できる人間がいなかった。
いや、正確には相談が解決に至るまでに導いてくれる人物がいない、と言うべきか。
 765プロのアイドル達の中でも、千早の歌唱力は抜群だ。
千早の親友、天海春香や菊地真に少しだけ相談を持ちかけたときもあったが、二人とも、
「千早の歌に問題? うーん? 特にないと思うけどなぁ……」
「千早の歌? すごいと思うよ。ボクも頑張って千早に追いつかないと」
 と、問題の解決には至らなかった。
 そうやって周りの目には、自分の歌はしっかりとしていると思われているのは嬉しいのだが、
自分で自分の歌を評価しようとすると、どこかひっかかりを感じている。それがどこなのかわからない。
 魚の小骨が喉に刺さったような違和感が、最近の千早の元気を奪っていた。
 そんな千早を呼び出して、この応接室で待たせているのは、彼女の担当プロデューサーだった。
 ちらりと、壁にかけてある時計を見てみる。
約束の時間を5分ほど過ぎていたが、プロデューサーは姿を現さなかった。
――また、遅刻ですね。……もう慣れたけれど。
 千早がアイドルになってから、ずっと共に仕事をしてきた人だ。
彼女には彼の癖や行動が少しだけ予測できた。
 最初の頃は、少し頼りないプロデューサーに呆れと不安を覚えたものだが、
一緒にいる時間が増えるにつれて、だんだんとプロデューサーのいい所も見えてきていた。
そしてなにより、頼りなさそうに見えても自分のことを一生懸命考えてくれたり、
不安なことも結果的にはちゃんとまとめてくれる。
 生真面目すぎる千早からしたら、プロデューサーはとても器用な人に見えていただろう。
千早はそうやってなんとかギリギリで波に上手く乗っていくような生き方は下手だった。
 だから、今回のように解決の糸口が見えづらい大きな障害は彼女にとっては、とても辛いものだった。 


 そんな折に、プロデューサーからの呼び出し、
――一体、何の用事だろう?
 思い当たる節は、なかった。
 ガチャリ。
 応接室の扉が開いた。
「やぁ! ごめんごめん、千早。待たせてしまったね」
 プロデューサーが顔を覗かせた。
前の仕事から急いで戻ってきたのだろうか、額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「……いえ、私も今、来たところですので」
 軽く会釈をしながらそういった。
「そうか、ごめん。さっそく話をさせてもらうよ」
 プロデューサーは、千早が集合時間の30分前に来ていたことを知っているのだろうか、
千早に対するようにソファに座ると、どうにも慌てた様子で鞄の中をごそごそと探っている。
 頼りなさそうな雰囲気からは想像できないこともあるが、
彼は、765プロの所属アイドルをほぼ一人でプロデュースするという、
過酷な仕事をほとんど一人でこなす、かなりの頑張りやなのだ。
 どちらかというと頑張りが空回りすることもあるのだが、
人柄のよさと素直さで事務所のアイドル達には慕われていた。
 千早も彼のことはとても気に入っていた。
 気に入っていた、というか……。
「それでね千早、実は、いろいろと考えたんだけど」
 プロデューサーが3.4枚ほどの資料のようなものを取り出し、それを千早の前に置いた。
「これは?」
 資料の表紙には『幸せの方程式』と、タイトルが書かれていた。
「うん。千早に出演してもらおうってね、ドラマの資料だ。時間帯は深夜帯のしかとれなかったんだけど、
それでも今の千早を伸ばしてくれそうな役のオーディションを…・・・」
「ちょっ、ちょ! まってください! プロデューサー!」
 捲くし立てるプロデューサーに、慌てて制動をかける千早。
 なんの話なんだか頭に入ってこない。
「一体、なんのことなのか、ちゃんと一から話していただけないと、理解できません」
「っと。そっか。ごめん……! ……ちょっと興奮してしまったようだね。……こほん!」
 小さく咳払いをする。
「千早。最近、悩んでいないかい?」
 どきりと千早の心臓が軽く震えた。
 微かに千早の表情が強張った。それは小さな変化だった、
しかし平静を保ちいつも落ち着いた雰囲気の千早だからだろう、
プロデューサーは自分の言葉に自信を持つ。
「僕は、千早が最近歌のことで悩んでいるんじゃないかと思っていたんだ」
 千早の視線が完全に下を向く。
「軽く見えない壁に突き当たったみたいな、そんな違和感を感じる。
……だけど、千早は何も言ってくれないし、もしかしたら杞憂なのかもと思った」
 プロデューサーの言っていることは杞憂などではない。
『見えない壁に突き当たった』という表現はまさしくだった。
「僕はさ、あんまり頼りにならないプロデューサーだけど……
だから、自分にできる精一杯をしようと思ってね」
 千早は少し強く歯噛みした。
 本当は、相談したかった。だが、千早は、プロデューサーが毎日誰かをプロデュースしていて、
色々なところに営業に行って、たくさんの仕事を抱えていること知っている。
 だから少しでもその負担を軽くしたかったのだ。
 だが、それが負担を軽くさせるどころか心配をかけてしまっていた。
「す、すみません。プロデューサー。なんだかご心配をかけていたみたいで……」
「ん? いやいや。いいんだよ。俺も色々忙しいことを理由にしちゃってたけど。
千早のことをもっと考えてあげないといけないからな」
「あ、ありがとうございます」
「?」
 どうしてか千早の口から感謝の言葉が出た。
 千早の全身を気恥ずかしさが駆け巡ったような気がした。
――な、何を動揺しているの? 私。……最近プロデューサーを前にすると、どうしてか落ち着かない。
「ま、それでだな。これだ!」
 と、仕切りなおしたプロデューサーは、先ほどの資料を手にとった。 


「これはなんと! ドラマの概要設定書だ!」
「……ドラマ、ですか?」
「そうだ! 千早。僕の思うところ、君が歌で行き詰っているのは、
おそらく表現力の幅が、少しマンネリしているからだと思うんだ」
「マンネリ、ですか?」
「そうだ。だから、ドラマに出て、少し演技をね」
「演技ですか? ……演技」
 千早は、違和感を抱く。
「でも私は……」
 言いかけたとこで、プロデューサーが言葉を止める。
「わかっているさ。千早の魅力は素直な気持ちをそのまま歌にすることだ。
だから、演技を覚えてもらうんじゃない。
演技を通して、色々なことを素直に表現できるようになって欲しいんだ」
 わからないことは表現できないだろ? と笑顔を浮かべるプロデューサー。
「……」
 千早は言葉を詰まらせた。
 同時に、何かがこみ上げる。
「あ! プロデューサー。ちょっと失礼いたします!」
 そういって千早は、慌てて応接室を出て行ってしまった。
「千早!?」

 バタン!
 後ろ手に扉を閉めて、一息つく。
 幸いにも事務所には誰もいないので、静寂のみが流れた。
「………」
 ずるずると、背中を擦りながら、腰を落とした。
 どうしたことだろうか、すごく幸せな気持ちだった。
プロデューサーが自分の考えていることをしっかり理解してくれていた。
自分と同じ考えであってくれた。
 それだけで、飛び上がりたくなった。
 普段はそんなことないのに。
 両手で頬を覆ってみる。ほのかに熱を持っていた。その熱さに、はっとなる。
 浮かびかけたものを振り払うように、千早は首を思い切り振った。
――……今は、そんな気持ち持ってはいけない。それに、私が……そんなことを思っても……。 


 パタリ
「? お、千早、戻ったか。大丈夫か?」
「はい。すみません、突然退席して」
 千早が席に戻るのを確認して、プロデューサーは話を続けた。
「……と、いうわけで、千早には、このドラマのオーディションを受けてもらい、
合格すれば、ドラマ出演だ!」
「……ですけど、こういったオーディションは難しいのでは」
 たしかに千早の能力は、他の事務所のアイドルの比ではない。
だがそれは歌唱力を中心に見た時の話だ。
ヴィジュアルやダンスだって、彼女の惜しみない努力で、そのレベルは高い。
 しかし、アイドルだけが受けるわけではないドラマのオーディションとなると、話は違ってくる。
役者志望の強敵が待ち受けているだろう。
「……うちは、音楽番組やバラエティーがほとんどだからな」
「……」
「でもまぁ……」
 プロデューサーが、にこりと微笑んだ。
「今から少しずつ特訓していけばいいさ! オーディションまで2週間以上あるし!」
 そういって、再び鞄の中から、今度は分厚い紙束を取り出した。
「これは、そのドラマの暫定台本だ。とりあえず、読んでみてくれるかな?」
「は、はい!」
「で、千早。僕は少し、残っている仕事を片付けてくるから、1時間後くらいに、また来るね」
「あ、はい!」
 プロデューサーが応接室を出て行くと
部屋には微かな吐息と、頁をめくる紙の音だけが響くのみとなった。


「ふぅ……」
 集中して読みふけってしまっていた。気づけば、もう1時間は過ぎようとしていた。
 台本に引かれていた蛍光ペンの跡が、おそらく今回狙っている千早の役なのだろう。
主役ではなかったが、物語上、欠かせない人物となる。
 その人物は、千早という個からはかなり離れた人物だった。
明るく元気な、765プロで言えばやよいと春香を足した感じだろうか。
「たしかに、私の中に足りないものを持っている人物だけれども……」
 いきなり敷居が高い気がした。

 想像する。

 もしも自分が高槻やよいのようだったら。

『うっうー! おはよーご……』

 あまりの悲惨な状態に千早は途中で想像するのをやめてしまった。
 こんなことで果たしてこのオーディションは上手くいくのだろうか。千早は頭を抱えてしまう。 


「千早ー? どうだー?」
 新たな悩みを抱え始めたところでプロデューサーが仕事を終えて戻ってきた。
「あ、プロデューサー。……一応一通りは読んでは見たんですが
……なんというか、敷居が少し、高いような」
 うんうん、とプロデューサーはわかっていたことのように平然としている。
「だから、レッスンが必要なんだよ。大丈夫、千早ならできるさ」
 あっけらかんと言う。いつものことだ。
「……だけど」
「えーっと、たとえば」
 プロデューサーは自分の鞄からもう一冊の台本を取り出し、
「『水梨! おまえ……なんで』」
 プロデューサーが演技を始める。一文を読み終えると、手のひらで千早にバトンを渡す合図を送る。
「……な『なんでって、そそ、それは』」
「ほら、千早、もう少し感情移入して。このキャラがどうしてここでこんなことを言ったか考えてみて?」
 と、言われても。千早は困ってしまう。
 千早の役の水梨は、主人公とそのヒロインカップルの友人だが、
ふと主人公に恋をしてしまうという、三角関係を演じなければならない。
――そんな気持ちが、私に……。
 わからない。

 トクリ。

 ふと浮かぶ。
 プロデューサーの隣にいる誰かを見ている自分を。

「わ『……私は、貴方が好きなんです』」
「……あ『いや、まさか、お前がか?』」
 千早の演技に妙にリアルが沸いたので、一瞬面食らってしまったプロデューサー。
だが、ここで自分が戸惑っていては千早に申し訳ないと思い、プロデューサー自身も演技に力を入れる。
「『だけど、お前、俺達はずっといい仲間で』」
 千早は首を振る。
「『……私もそう思っていた。だけど、気づいたの。貴方の隣に……』」
 そう、大切な人の隣にいるのが、自分じゃないと気づいたときに、気づくのだ。
「『私じゃない誰かが、いたから』」
 プロデューサーの胸に飛びつく。

 心のどこかで思う。
 この人の隣で歌い続けたいと。
 歌うことしかできない自分ができる精一杯で、いたいと。

 ここにいるのは、誰でもない自分でありたい。


「好きです。……わかってください」
 埋めた胸から、いつもの香りがする。
 安心する精神と、動悸を激しくする体のアンバランスさが、心地よかった。 


 ばさり!!!


 そんな夢心地は、ひとつの物音で掻き消された。
「……は。春香?」
 間抜けたプロデューサーの声もあり、
完全に立ち返った千早は同じく少しだけ間抜けた表情で顔を離した。
 応接室の入り口で、ぽかーんと口を開けている春香が立っていた。
 春香の目には、千早に抱き疲れているプロデューサーの姿が写っている。
先ほどの千早の告白のような、実際は台本の台詞なのだが、
言葉と相成って、どうみてもオフィスラブの状況に出くわしたような感じだった。
「え? 千早とぷ、ぷ、プロデューサー?」
「あー! 兄ちゃん、千早お姉ちゃんとだきあってるー!」
「……兄ちゃん……」
 呆然としている春香の後ろからは亜美と真美が顔を覗かせいた。
「あ、ち、違うぞ? これは千早の演技のレッスンで!」
「応接室で?」
 真美が突っ込みを入れる、どこか鋭さのある口調だった。
「そそ。そうなんです! ぷ、プロデューサーに演技のレッスンを受けていて!」
「にーちゃん! 鼻の下伸びてるよー?」
 亜美がいたずらっぽく言う。
「馬鹿! 何言ってるんだ亜美!」
 亜美がからかう様に言ってくれたことが少しだけ場の空気を和らげてくれたような気がした。
 内心ほっとしたプロデューサーだったが、
「……兄ちゃん、最低だよ……そうやって『せくはら』してたんでしょ……」
 真美は相変わらず不機嫌そうにそう吐き捨てると、
「亜美、いこ」
「え? ま、真美!?」
 真美は亜美の手を引いていってしまう。
「うあ! 行くってどこいくんだ!? お前らこれから、収録だろ!?」
 慌てて追いかけようとして、立ち止まる。
「千早、ごめん、ちょっとあいつら見てくる! ……春香、誤解だからな?」
「……あー、あはは。わかってますって。……プロデューサーさん、いつもタイミングとか悪いですし」
「そ、その納得のされ方は少し傷つくが、わかってくれてありがとう」
 じゃあ行くね、と片手を挙げてその場を後にした。
 千早は、居心地の悪さを覚える。 

「千早」
「……なに? 春香」
 それは寂しい表情なのだろうか。それとも笑顔なのだろうか。
 どちらにも取れる、微笑で春香は千早を見つめていた。
「やっぱり? それとも、今から?」
 その言葉の意味はなんなのだろうか。
 何を言えばいいのか。
 だけど春香の声で、表情で、気持ちがなぜだか綿に染み込む水のように理解できたような気がした。
「わからないわ。だけど、それはおそらく両方なのだと思う」
「そっか……」
 にまーっと今度は明らかに笑み。
「そっかそっか、やっぱり千早もかー」
「?」
 春香はにまにましながら、千早に近づいていき、
「プロデューサーは、人気者だから大変だよ」
「え?」
「つらいこともあるだろうけど、頑張ろうね」
 千早の手を握った。
「辛いこと?」
 春香が首を縦に振る。
「ライバル多いから。いつも嫉妬しっぱなしだよ? あはは……」
 たしかに、プロデューサーはたくさんの女の子と一緒に入ることが多い。
それは嫉妬の対象になるのだろう、だが。
 少しくらい辛くても、想い叶わなくても、
「それでも」
「それでも」
 二人の声が重なる。
「……」
「……」
 沈黙が流れた。その後の台詞を互いに譲ってしまったのだ。

 好きだから。

 紡がれなかった言葉は、きっとこの言葉だと。互いに確信していた。

「ま、真美! 何を不貞腐れてるんだよ?」
 事務室の方から、頼りないプロデューサーの声が聞こえてきた。
 お互いに笑いあい。
「フォロー、出しに行きますか」
「そうね。このままじゃプロデューサーも大変でしょうし」
 千早は、自分の鞄に台本をしまい始める。
「あ。千早、私、先に行ってるから。すぐに来てね。多分真美、一筋縄じゃいかないから」
「わかったわ」
 春香が一足先に出て行くと応接室に千早だけになった。

 ふと、先ほどのやりとりを思い出してしまう。
「好きだから、か」
 言葉にした想い。
 それを、噛み締めた。
 ふと甘い味がしたような気がした。

――今度、恋の歌を歌うときは、今の味を思い出そう。

 そんなことを考えて、千早も応接室を後にした。。


<終> 




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