思い出を、貴方へ

作:426

「これで、15社目か………さすがに凹むよな。こうまで落ち続けると」

世間では『就職氷河期は終わった』とか言ってるが、実際はこんなもんだ。
まぁ……俺の能力がその程度、と言ってしまえばそれまでなんだけど。

今は2009年夏、TVもデジタル放送に変わって行ったり、消費税はさらに上がったりで、
相変わらず日本の経済状況は好転しちゃいない……と思う。
少子化とかで、俺の世代はまだ、受験や就職がやりやすい方だと聞いたが、
世代はどうあれ俺自身が厳しいんだから、世間のデータなんてあてにならない。

まぁ……こんな歳まで漠然としか過ごしてない文系の大学生なんて、
普通、どの企業も積極的に採りゃしないよなぁ。
履歴書の『特技』の欄に、『ビデオゲーム』とか書かない方が良かったか?
……だからといって、他の趣味なんてアイドルポップスとTV鑑賞くらいしか無いしなぁ…

そういえば、3年以上前にかなりアツくなったゲームがあった。
対戦格ゲーも飽きて、ゲーセンなんて寄らなくなった俺を、再び燃えさせたゲーム。
その名を『アイドルマスター』
別段女の子にモテる訳でもなかったし、ギャルゲーは昔から好きだったので、
当時昼飯のお金を削ってでもプレイしに行ったっけな。
最初は周りの目線が妙に恥ずかしかったけど、それ以上にモニターの中にいる
女の子が強烈に可愛かったんだ。
ヘッドホンを付けると、自然に意識が集中するから周りも気にならない。
気がつけば……注ぎ込んだ金額は、全部で6桁を越えたような気もする。
毎日の昼飯代、仕送り、バイト代……少しづつだけど全部まとめると、
それくらいは行ってそうだ。

あの時は楽しかったが、それでも所詮はアーケードゲームだ。
思い出の一つにはなっているが、その思い出が、俺に就職を世話してくれるわけじゃない。
無駄な時間とは思ってないけど、あの時、何か役に立つ事の一つもしていれば、
今の惨敗続きな状況は変わっていたのではないだろうか?
……いや、やめよう。過去の話にたらればを持ち込んだところで、何が変わるわけでもない。
今は前を見よう。少しでもジタバタして、内定を取るために動くべきなんだ。

「……久しぶりね。あんた、何暗い顔してんのよ!それでも私の……なの!?」 


地面を見つめながら歩いていた俺が前を見た瞬間……正面に立っている女の子が、そう言った。
最後の部分がよく聞こえなかったけど……私の、何だって?
それに、近くで見ると物凄い美人…いや、美少女だ。
年の頃は18くらいだろうか?綺麗なロングヘアに似合う、大き目のリボン。
スタイルも抜群で、ピンクのワンピースが良く似合う。
肌も髪も…手入れが行き届いているんだろう。荒れた所無く絹のような光沢を放ち、
細腕ながらもしなやかな筋肉が適度に付いた肢体には、鍛えている様子が伺える。
クラスで一番どころじゃない。スーパーモデルとか、アイドルと言っても差し支えないレベルだ。
こんな娘、一度でも会ったら覚えていそうなもんだが……情けない事に、誰だか全く分からない。


「えーっと…すみません、どちら様でしたっけ?」
記憶の糸を辿っても、思い出せそうに無い。
目の前の女の子には悪いが、ここは本人に聞いてみるのが一番だろう。
女の子は、一瞬呆気に取られたような反応を見せ……次に、下を向いて震えだした。
自慢じゃないが、俺の彼女いない歴は22年。(つまり生まれてから一切無しってことだ)
クラスメイトにも、こんな可愛い娘は見たこと無い。

「あんた……忘れたって言うの?あれだけ一緒に過ごした、このわたしを!?」
「一緒に過ごした!?……いや、悪いけど全然記憶に無……ぐおぅっ!?」

女の子の蹴りが、俺の脛を捉えた。
TVの格闘番組で見るような、実に鮮やかなローキック。
堪らず俺は、脛を押さえてうずくまった。

「あんた、自分の担当アイドルくらい覚えてなさいよねっ!このへぼプロデューサー!!」

…そこまで言われて、ひとつだけ心当たりがあった。
この怒り方と、この声……そして、俺のことを【プロデューサー】などと呼ぶということは…
「……まさか、伊織?それとも、中の人……」
「中の人は、こんなに若くて美少女じゃないでしょ!わたしは本物の水瀬伊織よ!」

間違いない。この、当たり前のようで微妙に失礼な物言いは、まさに水瀬伊織。
俺がアイドルマスターをプレイしていた際、ずっとプロデュースしていた女の子。
だけど………

どうして伊織が現実の世界に?それに、ちゃんと成長している。
当時14歳だから、順当に育てば今は18歳くらいか?
第2次成長を迎えたためか、背も伸びて頭蓋の形も変わっているため
トレードマークだったちょっと広めのおでこも、そんなに目立たない。
だから分からなかった…というのは言い訳だろうか?
これは夢だ、と言われれば、納得してしまいそうな気もする。 


「………でも、どうして……」
何故、ゲームキャラの伊織が現実の世界にいるのか。
何故、今になって俺のところへ現れたのか?
様々な疑問が、俺の脳内を駆け巡る。そんな中、伊織は得意そうに
「…ま、わたしの実力を持ってすれば、現実世界に出てくるくらいは朝飯前よ、にひひっ♪」
などと笑っている。……懐かしいなぁ、その【にひひ】笑い。

「あんたが、最近見ていられないくらいにダメダメだったからねー、わたしとしても、
まぁ……その、気分良くないわけ!何たってあんたは、
トップアイドルの水瀬伊織を育てたプロデューサーなのよ!
わたしに関わった人間に、そんな体たらくは許さないってこと、分かる!?」
「分かるけど……無理を言うなって。
確かに俺はゲームの世界では超売れっ子Pだったけど、現実ではただの冴えない大学生だぞ。
一流大学生ってわけでも無いし、未だに就職も決まってない。
現実の世界では、人生そうそう上手く行くわけがないだろう……」

現実の世界で成功する人間なんて、ほんの一握りでしかない。
伊織には悪いけど、あれはあくまでアーケードゲームに過ぎないんだ。
もし、俺が伊織に認められるような凄いヤツなら、こんな時期に就職も決まらず
ブラブラしているような身分じゃない。
ゲームの世界なら、2000年前の中国を統一したり、ダービー馬の馬主になったりするヤツは
ごまんといる。だが、全員が現実の世界でそんな事を成し遂げられるワケが無い。

「せっかく出てきてくれたのに、ごめんな……現実の俺は、人に誇れるスキルも頭脳も無い、
そんな駄目人間なんだ。伊織に慰めてもらう価値は無いよ」

俺は、わざと自虐的に言い放った。
辛いだろうが、これも多分伊織の為だ。今からでも遅くない。
他にもっと伊織に相応しいプロデューサーのところに行くのが良い…そう思った。
勿論、俺に絶望して本気蹴りの一発や二発は喰らうだろうけど。
伊織を傷つけてしまう代償だ、それくらいは甘んじて受けようと思っていると……
いつまでたっても蹴りも平手も飛んでこない。
いつもの…と言っても、俺がプロファイルする伊織なら、間違いなく怒りの一撃が来るはずなんだけど。

「……!?」
そこで俺が見たものは、プロデュース中には絶対見たことの無い、伊織の顔だった。

作り笑い。しかも、全然あからさまに見えない。

伊織を知らない人なら、今の彼女の笑顔を【自然】と受け取るだろう。
そりゃそうだ。本物のお嬢様である伊織は、会いたくも無い人や、話したくも無い人々相手にも、
幼少の頃から笑顔で対応しなければならなかった。
長年作ってきた営業スマイルだ。ファンにさえやすやすと見破れるものではない。

……だが、それが俺に向けられているというのは、どういうことか?
そうだ。俺は今、伊織に完全に【他人】と見なされたんだ。

どんなにどやされても、蹴りを喰らっても……伊織のソレは、信頼の裏返しだった。
俺を信じているから、怒りもするし喝も入れる。
伊織は、本気で嫌悪する対象を前にしても、怒ったりしない娘だ。
むしろ、愛想良くして流す。一見対応するようで、実は相手にしない。

「そう………ごめんね。わたしじゃ、役に立たなかったかな……」
伊織はすぐに後ろを向き、数歩、歩き出した。
「就職活動も大事だけど、身体には気をつけなさいよね…それじゃあ、ね……」
三歩も歩くと、急に走り出す。……多分、泣いているんだろうな。

伊織の背中を見送りながら、俺は途方も無い喪失感を噛み締めていた……
もしかして、オーディションに落選した時や、BADエンドを迎えた時よりも、
遥かに大きなものを無くしてしまったんじゃないだろうか? 


伊織が俺の元から走り去って、5分もしていない。
だが、俺は結構な時間道端に立ち尽くしているような気がした。
さっきまで、ここに伊織がいて、俺とゲーセン以外の場所で話をしていた。
……しかも、時と共に成長して。

………やっぱり、にわかには信じられない話だよなぁ。
今も、途方もなく大きな喪失感だけは心に残っているが……
【夢だった】の一言で片付いてしまうような気もするし。
伊織の立っていた場所を、何気なく見つめていたら……足元で、何かが光った。

淡い光を放つ、ピンク色の小さな物体…大きさは、BB弾とビー玉の中間くらい。
蛍のように慎ましくも綺麗な光と、ハートの形。俺はそれに、見覚えがあった。
「……これ………思い出か!?」
俺は光を手に取り、空に掲げてみた。
すると、思い出は一層強い光を放ち、打ち上げ花火のように俺の頭上で炸裂した。
同時に俺の脳内には、あの時の記憶が蘇っていた……

あれは、初めて【アイドルマスター】をプレイした日の事。
当時、ゲーセンであからさまにギャルゲーチックなものを見た時は、引いたよな……
でも、ギャルゲーは趣味だったし…正直、凄く興味を引かれるゲームではあったんだ。
当時の主流派だった、三国志大戦とかQOD、QMAよりも……俺は恥をしのんで(笑)
この【アイドルマスター】で、プロデューサー活動をはじめたんだ。

最初に伊織を選んだのは、中の人(声優さん)が好きだったから。
可愛らしいお嬢様っていう設定も興味を引いたし、当時はキャラの性能とか、
性格なんて全く分かっていなかった。印象だけで選んだのが伊織だった。

……するとまぁ、なんだよこの猫かぶりな高飛車お嬢様は、と。
人を人とも思わない尊大な振る舞いに、俺はキャラ選択をミスったと思った。
……最初のプロデュース活動は、ファン数一万人にも満たないまま終了。
伊織の容赦ない罵声を浴びたっけ。

このまま言われっぱなしというのが悔しかったから……俺は伊織で再挑戦した。
相変わらずレッスンはノーマルの域を出なかったが、オーディションに勝てるようにはなってきた。
結局、2回目のファン数は6万人。後半は思い出が足りずジリ貧になった。
2度目のエンディングでの、伊織の評価は変わらず厳しいものだったが…
何故だろう?言葉の端に『あんたはもっと上手くなれるんだから、頑張りなさいよ!』という、
優しさを感じたんだ。
3回目は、やよいとか春香あたりでプレイしてみようかと迷ったが……あの時の伊織の顔を見て、
迷いは消えた。必ず、伊織をアイドルのトップに導いてみせると誓った瞬間だった。

「……はは、本当にあの頃は…ジャストアピールの存在も知らなかったよな…」
筐体の向こうであたふたする俺の顔を見ると、なんとも言えず間抜けな顔をして……

待て。この思い出、何かヘンじゃないか?
どうしてさっきの記憶では、俺の顔ばかり映っているんだ?
しかも、視点が筐体の中だった………ということは、 


(そうか!?これは……伊織の思い出なんだ)

まだ謎は残っているが、そんなことは関係ない。
伊織は、どういう訳か俺個人に会うために、現実世界へ出てきてくれたんだ。
まずは伊織を探し出して謝ろう。そして、話を聞こう。
幸い、道端には思い出の欠片が伊織の足跡代わりに残っている。
……わざと残してくれたのか、零れ落ちていったのか分からないけど。

「伊織……どこにいるんだ、伊織っ!」

噎せ返るような夏の空気にも関わらず、俺は夜の道を走り出した。
思い出の欠片を拾い集めながら。


はじめて、特別オーディション合格を勝ち取った時。
はじめて、伊織のおかげで1ランク上の事務所を持ったとき。
はじめて、枠外対人戦で勝利した時……

思い出の欠片が、次々に俺の記憶を呼び起こす。
それにしても、他人の視点で見ると……俺は、けっこう恥ずかしいことしてたんだなぁと思う。
オーディション勝利時の、筐体の前でのガッツポーズはまだ許そう。
だが……オンエアにあわせて無意識に腰を振って踊る癖はいただけない。
伊織の視点から俺を見ると、白い目で見る店員に気付かずに、伊織と一緒に歌う姿はかなりイタいぞ。
しかも、レッスンやコミュニケーションの結果に大げさにリアクションを取る様は、
見ていて飽きない……というより恥ずかしい。イタい。

伊織を発見できたのは、その恥ずかしさも最高潮と言わんばかりの、
トゥルーエンドを迎えた時の思い出を拾った時だった。
気が付けば、汗だくになって結構な距離を走っていたらしく、完全に息が上がっている。
「はぁ、はぁ………こ、ここは……はぁ、やけに、広いけど……公園か?」
辿り着いた先は、結構大きなグラウンド。
野球も出来るくらいの面積と、あとはいくつかのベンチ。
見晴らしが良すぎるため、カップルがいちゃいちゃするには気まずい雰囲気がある。
地元ながらあまり来た事はないけど…おそらく、市が経営する運動公園といったところか。

そんな風景の中、伊織はいた。
思い出に包まれ、夜の闇を照らすその姿は……アイマスのロゴにある天使のイラストのように、
可愛らしく、綺麗に……そして、ほんのりと光っていた。思い出の色と同じに。

「伊織……ごめん!本当にごめん!!」
俺は、伊織の下に駆け寄ると、一も二もなく、ただ謝った。

現実世界では、豪華な屋敷もあたたかい家族も伊織には無い。
ただ俺に会って何かするだけのために、来てくれたとしたら。
そんな状況で……俺が伊織を否定したら、あくまで推測だけど、きっと伊織は消えてしまう。
まだ、伊織がこの世界にいてくれたことに安心しながら、
俺はただ、ひたすら伊織に謝り続けるしか無かった。

「……どなた、ですか……いきなり現れて、謝っていただく理由は無いのですが」 


その返答に、俺の時間は凍りついた。
もう、遅かったのか?いくら面接での不採用にイライラしてたとはいえ、
俺は、大切な女の子の人生を否定し、壊してしまったのか……
「そんな、伊織……いお…り……くっ!!……どうして、俺はこんなことを……」

そこから先は、嗚咽で言葉にならなかった。
伊織に対する申し訳無さが俺の脳内を埋め尽くし……もはや自分で何を言ってるかもわからない。

「ちょっと…何があったか分からないけど……そん、なに……泣かないで下さいっ…」

何て情けないんだ、俺は。
記憶をなくした伊織にまで心配を掛けて。
そう思っても、涙と嗚咽は止まらなかった。失ったものの大きさを示すように。

「もう……本当に……くっ、しっかり、して……っ、っっ……」
顔を上げないと分からないが、伊織の様子がおかしい。声が震えているような……



「……ぷはっ!あっはははは……あー、やめやめ、もう限界……あんた、おかしすぎ」
「………いお、り……?」
「演技には自信あったんだけどねー。可笑しいやら、罪悪感やらで……これ以上は無理だわ。
……どう?わたし、アイドル引退してからも女優とか出来るでしょ?」

演技?さっき俺から離れたのも!?

「あまりにあんたのヘタレっぷりに腹立ったから、あんたが一番ショック受ける方法で
演技してみたんだけどねー。……騙された?にひひっ♪」
「…それじゃ、道端に落ちてた思い出も?」
「あったりまえでしょ…あんなにあからさまな落とし方してるんだから、
気付いても良さそうなもんだけど…ま、あんたが間抜けで良かったわ」

途端、俺の全身から力が抜けた。そのままグラウンドの芝生に背中をつけ、天を仰ぐ。
間違いない。伊織は、俺を単なる一人のプレイヤーとして見ているわけじゃ無さそうだ。
まさか、ゲームを通して俺の性格その他を分かっているのだろうか? 


「……ま、それはそれとして……今度あんなヘタレ態度取ったら、本当に消えてやるわよ!反省なさい」
「あ、ああ……ごめん。二度としないよ……でも、本当に分からないけど、どうして俺なんだ?」
「そんなの分かりきった事でしょう?あんたが一番わたしを………っ…
わ、わたしを……大事に、して…くれたからじゃないの!そのお礼ってヤツよ!
ソレくらい分かりなさいよねっ!これだけ気持ちを込めて伝えてるんだから、届くはずよっ!?」
「気持ちを込めてって……普通分からんぞさっきの!?相変わらず気持ちを素直に伝えるの下手だな…伊織」
「うーるーさーいーっ!!あんただからいいの!!分からないと丸焼きよー!!鉄板の上で土下座よー!!」
「怖いことを言うな!?伊織の実家が金持ちなだけに洒落にならんっ!!」

……まぁ、それは置いといて……俺が一番?
どういうことだろう……確かに、最初に選んだアイドルは伊織だし、
途中でデュオやトリオを組んだ時にも、かならず俺は伊織を入れていた。
他の娘をソロで使ったこともあったが、伊織だけはずっと選んでいた記憶がある。
本当に、ゲームキャラとはいえこの娘が好きで、注ぎ込んだ金額のうち、
8割は伊織のために使ったといっていい。
…とはいっても、俺の順位なんて行っても全国で3桁だったはず。
当時の伊織ランキングにも載った事が無かったと記憶してるぞ。でも…

「なぁ、伊織……俺は確かに伊織が一番だったけど、ファンの数も全国レベルじゃないし、
コミュニケーションだって、BAD取ったことが何度もあった。
むしろ、伊織で330万人のファンを稼いだ○×Pとか、
自分のホームページで『伊織様日記』を連載していた△×Pの方が凄いんじゃないか?」

「……あいつらが?やめてよねそう言う事言うの」
伊織の怒り方がおかしい。普通は真っ赤になって食って掛かる娘が……
心底冷静に、でも……心の奥底から嫌そうに、そう言って否定した。
「330万人のファンを稼いだ、その方法がどういうものか知ってるの?
そのやり方に、心は全然無かったわ……コミュニケーションからレッスンまで、
全ては氷のようなプレイだった。一度のレッスン失敗で、Pランクが落ちない程度に強制引退、
あれは……ただの作業よ。わたしなんて見えちゃいない!モニターを通して、
数値が上がる事にしか喜びを感じないヤツだった。
プログラム上、ファンの数が増えたらわたしのテンションは上がるけど……
心の中ではテンション真っ青よ。『うわ、またアイツが来た』ってね」

話しながら、伊織の語調が激しくなっていく。
……きっと、余程嫌だったんだろうな。
プログラムに従いながらも、その心の奥底で、いつも悲鳴を上げていたのだろう。

「【伊織様日記】だってそうよ。わたしが大好きなんてことを自分のHPに書いてるけど、
あれは、【わたしを通した自分】が好きなだけのナルシストよ!
キャラグッズを買い漁ったり、日記でわたしへの愛を熱く語って、
【こんなに熱心なボクって凄い♪】って自慢したいだけの痛い人間よ、あいつは!!
大体そいつ、もうわたしの事なんて記憶に無いから。
アンタと違って、わたしが目の前に現れても、きっと信じないわ…そういう人だから」 


すぐそこで見てきたように、伊織が苦い記憶を語る。
「そう……今まで、何万人と言うプロデューサーがわたしを使った……
コミュニケーションの答えカンニングや、人のいない時間を狙ってのオーディション参加は…
まぁ、人の状況によっては許してあげてもいいわ。個人のお金にはそれぞれ事情があるし、
プレイスタイルを否定する事はしたくないから。
でもね……やっぱり、わたしをただの能力高いだけのユニットとしか捉えていない人は、嫌……
今まで楽しそうにレッスンしてくれたプロデューサーが、オーディションで敗北と同時に豹変したわ。
吐き捨てるようにわたしや律子を強制引退させるなんて、何千回もあった……
律子や千早……ユニットとしての能力が高い娘と一緒に、モニターの中で何度も泣いたわ」
「伊織……」
「勘違いしないで。そんなヤツも多かったけど、本当にわたしを受け入れてくれたPもちゃんといたから。
あなたみたいに、素で間抜けだけど……本音で付き合える人とか。そうね、たとえば…」

伊織が、また一つ思い出を出す。
今度のは少しばかり大きめのように見えるけど……
俺たちの頭上で、また一つの思い出がはじけた。
やはり忘れもしない、この記憶は……忘れもしない、遅刻してワクテカブーストを逃した時だ。

確か、伊織から3時間限定ブーストが来て……(やよいや春香と違って短いんだ、伊織のブーストは)
ギリギリの時間にゲーセンに着いたとき、席は全部埋まっていたんだよな。
あれは悔しかった……あと20分も早く家を出れば、間に合ったと思うとやりきれない。

「……でも、これがどうして伊織の思い出?伊織ならもっと、派手に勝った時とかのほうが、
思い出として大きいだろうに……ほら、枠外6人戦で神を倒した時とかさ」

「そんなの別に珍しくも無いわ。わたしが大事にしてるのは…あんたがあれから反省して、
ワクテカはもとより、講義にもバイトにも絶対遅刻しなくなった事。
ギリギリどころか、常に相手の気持ちを考えて、けっこう早めに行動するようになったでしょ?
ほら……わたし、性能上ブーストの期間って短いじゃない。
自分でも、無茶言ってるって分かってるの……でも、あんたは出来る限り応えてくれたでしょ。
かと言って、ゲームに溺れて現実を蔑ろにする事もしなかった……
ブースト期間に間に合わなかったのはしょうがないけど、あんた、筐体の向こうで真面目に
『伊織、ごめんな……遅刻してごめん…』って言ってくれたの、良く覚えてるわよ。
あんたが、失敗を通して成長してくれた。これにわたしが関わったって…嬉しいじゃない?」

そうか……伊織の視点だと、そんな風に感じてもらえたんだ。あの時のことが…… 


「それに、あんた……わたしに対しては嘘をつかなかったでしょ?
Bランク……初のトゥルーEDを達成できるかどうかの瀬戸際で…コミュニケーションのカンペを、
ネット上で見るかどうか迷った時があるわよね……オーディションを勝つために思い出が足りなくて。
結局、あんたは【自分の力でやる!!】って決めて……結果は失敗だった。
でも、わたしから見れば、結果は気にしてないの。
わたしに対して、真剣に、真摯にぶつかって来てくれた……そっちの方が嬉しかったわ」

「ありがとう…そう言ってもらえると、助かるかな……しかし、細かいところまで良く覚えてるな」
「まぁ、ね……あんたのプレイなら、ぜーんぶ覚えてるんだから♪
そうねー、Aランクも取れるようになって、コミュニケーションにも慣れてきた頃……
あんたが、わたしの胸を触ろうとドキドキしながら、タッチしようか迷ってた事とか」
「……げ。あれ、覚えてるのか!?」
「忘れるわけないでしょうが……ゲーセンで一人、真っ赤になってオロオロして……
乙女の胸を触ろうとする変態Pの所業!!……ご両親に高く売ろうかしら?」
「うぉ…やめてくれ、そんな悪徳記者みたいな真似は……悪かったとは思うけど」
「思うけど、何?」
「本当に嫌なら、謝るし今後一切しない。…けど、好きな娘に対する当然の行為だ!!」

下手をすると、また見捨てられるかもしれないが……この気持ちに偽りは無い!
………まぁ、確かに中○生の胸に触ろうとするなんて、犯罪の匂いがするが…
いいじゃないか、あのメーカーはそんなゲームいっぱい作ってたし!!

「………」
覚悟を決めて伊織の方を見ていると……真っ赤になって固まっている。
「べ、別に……イヤだなんて一言も言って無いでしょっ!!」

言うが早いか、お得意のローキックが再び俺の脛を捉えた。
「ぐおぅっ!?」
「ああもうっ!!あんたがそんな風に馬鹿正直だから、思い出が……」

気のせいか、少し周囲が明るくなった気がする。

「思い出が、また増えちゃうじゃないの……あんたにあげるために来たのに、
わたしにまた思い出をくれるなんて、反則だわ……」

うずくまった状態から伊織を見上げると……光は次第に強くなっていった。
もう、弱い光なんてもんじゃない。
まるで、夏に田舎に帰ったときに見た、一面の蛍……幻想的、なんて言葉では表現できない。

ナイター設備も無いのに、そこらに散ったピンク色の思い出が、伊織の周囲だけでなく、
グラウンド全体を覆いはじめた。まるで、夢の中にいるようにも思えてくる。

「良く、見ててね……これは全部、わたしの思い出。あんたが数え切れない思い出を作ったように、
わたしも、筐体の向こうで、あんたに沢山思い出を貰ったから……
恩返し、なんて気の効いたものでも無いけど、あんたに受け取って欲しいの」 


グラウンドの正面……陸上競技も出来るそこには、小さなステージがある。
学校とかで、校長先生が立って話をする、アレだ。

『わたしは、只のゲームキャラに過ぎない。それは本当……』
ステージに上がった伊織は、どこから取り出したのか、マイクで俺に語り始めた。
ハンディタイプのカラオケもできるやつだ。

『……でも、あなたの気持ちがわたしに命を与えてくれた……
忘れないで。ここにいるわたしは、あなたの心の強さそのもの。
スコアやお金では表せない、あなたの愛情の証……
だから、わたしはこっちの世界に来れたの。
あなたがわたしを一人の女の子として、すっごく、大事にしてくれたから……
ちゃんと時に合わせて身体も成長して……あなたに会えた』

真正面から言われると、かなり恥ずかしい。
でも、光栄だ。確かに伊織の事は大好きだったが、彼女が応えてくれるなんて、
思ってもみなかったから。

『だから、わたしの思い出をあげる。二度とそんなヘタレな台詞を吐けないように、
わたしが現実の世界で、あなたのために歌ってあげる。
あなたがくれた【思い出】で、ただのゲームキャラクターをどう成長させたか………
しっかり見てなさいよね、にひにっ♪』

心の中に……いや、現実にも聞こえる。スピーカーも何も無いのに!?このBGMは……

『な〜やんでも仕方ないっ、ま、そんな時もあるさ、明日は違うさっ♪』

俺のお気に入りレパートリー……【ポジティブ】からはじまって、
【魔法をかけて!】【here we go!】へと続く、俺命名【伊織・ザ・ベスト】だ。
しかも……これ、フルコーラスバージョンだぞ。
かくして、予想もしない展開で、伊織のコンサートは始まった……

成長して、はじけんばかりの美貌を手に入れた伊織は……ダンスの腕にも磨きがかかり、
懐かしさと同時に、俺に新鮮すぎる刺激を与えてくれた。
小悪魔的な可愛らしさはそのままに……でも、成長した身体つきはあずささんにも決して負けない
色気を見せて……その魅力に、有無を言わさず引き込まれてしまう。
そして、その表現は図らずも当たっていた。

伊織の歌を聴いて、公園の中から、外から……人が集まってきたのだ。
老若男女、いろんな人が何事かと集まりながら……伊織の歌に、一人、また一人と聞き惚れていく。
いつしかグラウンドには、小さな学校なら全校集会レベルの人数が集っていた。 


『みなさーん、今日はわたしのコンサートに来てくれて、ありがとー♪』
グラウンドの人たちを巻き込んで、伊織が会場を盛り上げる。
ゲームではない、現実世界の人間を相手に……伊織は一歩も引いてない。
アドリブを混ぜつつ客をいじって、ボルテージを上げて……

『短いコンサートだけど、最後の曲ですっ。【here we go!】……聴いてくださーいっ♪』

思い出という光に包まれて、伊織が観客に向かってアピールする。
モニターの中では収まりきらないほどの迫力、スケール。
【所詮はゲーム】……そんな風に考えていた俺が、とんでもなく恥ずかしくなってきた。

(凄い……凄いよ、伊織……俺、とんでもない娘と一緒にいたんだな……)
ラストソングの最中、盛り上がる観客を見ながら、俺は今更ながらに思い知った。

そして【here we go!】を最後まで歌いきり……観客に手を振って応えていた伊織は、
いきなりステージから降りて、俺の手を取ってステージに連れて行く。

「お、おい…伊織、何を…?」
「さ、見なさい!!これがあなたの成し遂げたアイドルの実力よ」

生で見る1500人くらいの観客。
ボルテージは最高潮に達し、総立ちで盛り上がる人、人、人。
ゲームでは、ドームで10万人と言っても現実感が無いが……
いざ、現実で1500もの人間が集まっているのを見ると、正直圧倒される。

「あなたが、わたしをここまでにしてくれたの。
日本中、どのプロデューサーにも出来なかった事……だから誇りを持って。
誰が認めなくても、わたしは絶対の自信を持って言えるわ。
あなたは、わたしにとって最高のプロデューサーだった……」

伊織の身体が、一層強く光った。

「伊織!?まさか……」
「ふふ……残念。思い出、使い切っちゃったみたいね……でも、良かった……
こっちに来た目的は果たせたから」

彼女は、思い出を使って俺に会いに来た、と言った。
つまり、思い出を使い切ったら…… 


「待ってくれ!俺はまだ、伊織に何もしてない!言いたい事もしてあげたいことも沢山ある!?」
「それは、ダメ……そのエネルギーは、現実を生き抜くのに使いなさい!
わたしはすでに、十分すぎるほど沢山のものを貰った……それに、
何のためにわたしが来たか、ちゃんと考えなさいよね」

そう言われると、グウの音も出ない。
就職活動で落ち込んでいた俺を見かねて、伊織が来てくれたんだとしたら……
俺がすることは、一つしかないはずだから。

「ありがとう……伊織」
涙を堪えて、俺は伊織に笑いかけた。言い表せないほどの感謝を込めて。
「ん、良し……それでこそ、わたしが信頼してたプロデューサーの顔よ♪」
伊織が、満面の笑みで返す。
しばしその笑顔に見とれていたが……急速にその顔が迫ってくる。
俺の心の準備も無いまま、伊織のくちびるがどんどん近づいて………

「………!?」

千人を超える人前で、何て不意打ちだ。
伊織のくちびるは、柔らかく、あったかく……十分に人のぬくもりを感じる。
頭の中が真っ白になりながらも、感覚だけは以上に研ぎ澄まされ……
伊織の……ファーストキス(多分)の感触を刻み込んだ。

「にひひっ♪最後にこれだけ貰っていくわね……本当にありがと。
わたしの、大好きなプロデューサー……」

そして、……ピンク色の光が見えないくらいに激しく伊織を包み込み……
霧が晴れるように、散っていった。

「いお……り………」

観客も、さっきの現象を気にする様でもなく……次第にそれぞれ帰っていった。
気がつけば、俺はふたたび一人でグラウンドに立ち尽くしていた。
さっき起こった出来事を証明するものは、一つも無い。
……でも、今なら夢ではないとはっきり言える。
俺の心に……忘れられないほど大きな【思い出】が出来たから。 


それから一週間ほどが過ぎた。
俺は音楽プロデューサーになるための勉強をはじめている。
アイマスを始めた頃から興味を持った、現実での【プロデューサー】という仕事。

膨大な音楽知識にはじまり、マーケティングから企画まで……
ゲームとはかけ離れた要求スキルの高さに驚きはしたが、それくらいで凹んでもいられない。

(だってなぁ…何しろ、ゲームの世界から実体化してしまうほどの無茶を、
押し通した娘がいるんだから……現実に出来ることをやれないでどうするよ?)

ちょっと前までなら、【ゲームと現実をごっちゃにした、イタい奴】と笑い話にしていたが……
笑いたい奴には笑わせておくさ。
俺は、あんなに輝かしいアイドルを、現実世界でもプロデュースしてみたい。
伊織のステージを見て、そう決めたんだ。
いつか、そんなアイドルを育て上げる事ができたら……今度は、その思い出を持って、
俺が伊織に会いに行こう。
根拠はないけど、何故か出来ると信じている俺がいる。

「上等じゃないか……ゲームに踊らされて人生変わっても」
確かに勉強はじめてからろくに寝てないし、生活自体も大変だけど…今、こんなにも充実してて楽しいんだ。
そして何より……伊織の信じてくれた男が、どこまで行けるか挑んでみたいじゃないか。
伊織の教えてくれた通りに、正面切って夢に挑んでやろう。
ダメなら、何度でも反省して、分析して、やりなおして……必ず最後には掴んでみせる。

俺の中には、伊織がくれた無数の思い出があるんだ。
どんなピンチでも、彼女の応援がある限り、絶対に俺は挫けないし、諦めない。



だから……待っていてくれ、伊織。
俺が、夢を果たすその時まで。
俺が、本物のプロデューサーとなって伊織を迎えに行くその時まで。


■おしまい 



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