BAD COMMUNICATION

作:167

「わー!プロデューサー、見てください!あんな所にねこが居ますよー!」
やよい、千早、そして俺の三人。
一仕事終えて事務所へ戻る道の途中、やよいが指差す先には、
塀の上をのんびりと歩いている猫がいた。
「ん…ああ、本当だ。首輪してるし、近所の飼い猫かな」
「おいでおいでー」
やよいは手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりして猫を呼んでいる。
「高槻さん、そんなに騒ぐとかえって逃げてしまうのでは?」
千早は眉をひそめたが、猫は人になれているらしく小走りに近づいてくる。
やよいはそれをひょいと難なく抱き上げてしまった。
「うっうー!ふかふか〜」
やよいが頬ずりすると、猫までなんだか気持ち良さそうな声を上げた。
俺も少しだけそのやわらかな毛並の手触りを楽しんだが、
ふと気がつくと千早だけが距離を置いているように見える。
「千早さんも、さわってみてください!すごくあったかいですよー!」
満面の笑みで猫をなでるやよい。
「いえ。私はそういうのは…」
「あ、ごめんなさい。千早さん、猫嫌いなんですか?」
やよいの表情が曇ったのを見て、千早は慌てて否定した。
「別に、嫌いというわけではないんです。動物は好きな方ですし」
(そういう割には態度が落ち着かないな…?)
俺は千早の様子に不自然なものを感じたが、
やよいの屈託の無さに押されて口を出すことが出来なかった。
「じゃあさわってみてくださーい!」
やよいが差し出した猫に向かって、千早は恐る恐る手を伸ばす。
何に怯えているのか、細かく震えるその手が柔らかな毛に触れそうになった瞬間。
猫の前足が素早くそれを遮った。
「痛っ…!」
「あっ!千早!?」
猫はすばやく地面に降り、一目散に駆け出していた。
千早が指を押さえて身を硬くする。
慌てて見てみると、その指には赤い筋が何本も走っていた。
「大変だ、すぐに消毒しなきゃ」
「…平気です。大した事ありませんから」
千早は妙にさばさばしている。
「はわっ…ご、ごめんなさい千早さん。私が無理に言ったから」
涙声で謝るやよいに、千早は小さく首を振って答えた。
「高槻さんのせいではないです。
 きっと、私が変な触りかたをしてしまったから怒ったんですね」
千早の指に鋭い爪を立てた猫は、既に路地の影へと消えていってしまった。 


「手当ては自分で出来ますから、
 プロデューサーは社長へ今日の報告を済ませてください」
事務所に戻るなり、千早はそう言ってさっさと奥へひっこんでしまった。
(まあ、確かに傷は大したこと無さそうだし、平気かな)
そう考えて社長室へ向かおうとした矢先に、ちょんちょんと背中をつつかれて振り返ると、
そこに立っていたのはやよいだった。
「どうした?やよい。具合でも悪いのか」
元気が取りえのやよいが、すっかり沈んだ顔をしている。
まだ先ほどのことを気にしているのだろうか。
「千早さん、泣きそうでした」
「え?いや、確かに少しショックは受けてたみたいだけど、別に泣きそうな顔は」
やよいはぶんぶんと首を左右に振る。
「泣きそうな顔はしてなかったんですけど、でも、泣きたそうだったんですー…」
「やよい…」
こう言ってはなんだが、やよいは普段からそれほど頭の回る子ではない。
しかし決して感受性の鈍い子ではないのだ。
ひょっとしたらあの時、自分には感じ取れなかった何かに気がついたのかもしれない。
俺は少し考えた上で、やよいの頭を軽くなでてやった。
「うん、わかった。俺に任せてくれ。
 やよい、社長にはちょっと待っててもらっていいかな?」
「はーい!ばっちり伝えておきまーす!」
駆け足で社長室へ向かうやよいは、いつもの元気娘に戻っているようだ。
残る問題は、ひとつ。 


「千早。入ってもいいかな?」
「どうぞ」
部屋に入ると、千早は救急箱をしまっているところだった
どうやら、応急手当ては済んだようだ。
「平気か?」
「はい。ちゃんと消毒も済ませましたから」
その指にはいくつも絆創膏が貼られている。
隣に座ってさりげなく千早の表情を伺うが、やはり普段と変わらないように見える。
(やよいには任せろと言ったものの、どう切り出したらいいかな…)
沈黙が続いた。俺がああでもないこうでもないと悩んでいるうちに、
千早の方からぽつりと言葉を漏らした。
「…罰が、あたったんだと思います」
「罰?」
その瞬間だ。ひどくマヌケなことに、俺はその時になってようやく気がついた。
普段どおりの表情なんかじゃない。
千早の瞳に浮かんでいるのは、深い深い諦めの色だった。
「安易に、温もりを求めようとしたから」
千早はどこか遠くを見ているような目つきだった。
目の前に居る千早が、ひどく遠くに感じられる。
「何言ってるんだ千早。そんなことあるわけないだろ」
一瞬千早の放つ空気に飲まれそうになったことに気がつき、若干あわてて否定した。
「おかしいですよね。
 動物が好きなんて言っても、向こうには好かれてなくて」
「待て、千早」
「暖かいものと触れ合おうとしたって、私には…」
「千早!」
制止する声が大きくなってしまったのは、とても聞いていられなかったからだ。
千早は今もやはり涙など流してはいない。
だが千早は今、やはり泣いているのではないだろうか。
その目はどこか虚ろで、カメラの前で歌っている時のような輝きは微塵も感じられなかった。
今日起こった出来事は、一般的に言えばちょっとしたアンラッキーにすぎないだろう。
だがしかし、理由はわからないが、千早にとってはそれ以上の
大きな意味を持つものだったのだ。
(俺が何か言ってやらなきゃ。でも、こんなとき何て言えばいいんだ?)
今までの経験を振り返ってみても、ちっとも答えが出てこない。
ドラマであったような”いいセリフ”がいくつも浮かんでは、消えていくだけだ。
「あの、プロデューサー…痛いです」
気がつくと、俺はいつの間にか絆創膏だらけの千早の手を思い切り握り締めていた。
「あ…すまない」
慌てて手を離したが、怪我をしたばかりの手を強く握られて千早はさぞ痛かっただろう。
複雑な表情で手をさすっている。
(何やってんだ、俺は…)
何もかもが最悪だった。 


居酒屋「だるい家」。
事務所が移転する前の、オンボロで小さかった時から通っている行きつけの店だ。
しかし、今日に限っては楽しい晩酌という気分じゃない。
「おやじ、もう一杯」
空になったグラスを突き出すと、赤ら顔をした店の主人が唸った。
「うーん、にいちゃん大丈夫かい?もう随分飲んでるだろ」
「平気だよ。頼む」
何杯飲んでも、ちっとも酔う気配がない。
千早の虚ろな目を思い出すと、胸がずきずきと痛んだ。
(…何が敏腕プロデューサーだ)
最近、自分の評価が高くなってきたことで調子に乗っていたのかもしれない。
(俺は、千早に何もしてやれなかったじゃないか)
やよいが教えてくれなければ、千早の異変にすら気がつくことも無く
スルーしていたかもしれないのだ。
(こんなんじゃ、プロデューサー失格だ)
もしもいつの日か、千早が温もりに満たされて、幸せを感じることができれば。
その時自分のプロデュースは本当に成功したと言えるのかもしれない。
だが、今のままではそれは叶わないだろう。
(ダメだ。今のままの俺じゃダメだ)
黙っていると涙が溢れてきそうで、俺はカウンターに突っ伏したままぶつぶつと呟いた。
「ごめんな…ごめんな、千早…今度こそは、きっと…」
店の主人が、再び空になった俺のグラスに無言で酒を注いでいる。


こうして、1人の男が自分の無力さを噛み締める夜は更けていく。
悲しみを乗り越えて奮起した彼が、少女の凍てついた心を溶かすためには、
今しばらくの時間と、いくつもの思い出が必要なのだった。 



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