一緒に歩いた人

作:@クラ

 カタカタカタカタ。
「……! ……!」
 キーボードを叩く音。喋る声。
 その二つが交じり合い。響き渡る。その空間は忙しいという空気に満たされていた。
 プルルルルル!
 目の前の据え置き電話がけたたましくなった。
 音の大きさに、パソコンに向かっていて意識をそちらに奪われていた女性、
音無小鳥は、少しだけきょとんとしてしまった。
 一瞬の間の後、すぐに我に返った小鳥はすぐに受話器をとる。
「はい! 765プロダクションです」
 事務的よりは若干相手に近づいた声音。癖といえば癖なのかもしれない。
どうしても事務的な対応が苦手なのだ。
 小鳥は、すぐ手元に用意されているペンとメモ帳をとり、メモの用意を済ませた。
「はい。はい……天海、ですか。少々お待ちください」
 そういって、自分のパソコンを見る。
 そこにはぎっしりと埋められた765プロに所属しているアイドルのスケジュールが映し出されていた。
 その中から、『天海春香』という名前を見つけ、そのスケジュールを追っていく。
「……再来週の火曜ですね。天海は14時から15時まで空いております。
……はい。担当プロデューサーにお伝えし、改めてこちらからかけるように伝えますので。
はい! よろしくお願いいたしますー。はい。失礼いたしますー」
 丁寧に電話にお辞儀をしながら受話器を置いた。
「ふぅ……」
 一息ついて、天海の担当プロデューサーに電話をかけた。 


 ぱちり、とホッチキスでレシートの端っこを閉じた。
 たくさんの経費として提出されたレシートを見て、小鳥はため息をついた。
――付き合いとか、タクシー代とか、色々あるんだろうけど。もう少し無駄遣いはやめてほしいなぁ……。
 小鳥はため息をつく。
 765プロのプロデューサーの数で分けられたレシートの束。
7つほどある中で、ひとつだけ、他のレシート束と比べて、一際薄いものがあった。
――……彼だけだな。毎月このくらいで抑えてくれるのは。
 ふと、事務室を見渡す。
 数人のプロデューサーと、小鳥と同じく事務を担当している人が3人いた。
――ここも、大きくなったんだなぁ。
 少しだけ昔のことがよぎる。
 高木社長、自分、今もなおこの765に所属してくれている9人のアイドル。
……そして、この事務所最初のプロデューサー。
 あの頃は、最小のメンバーで必死にやってきた。
 この少ないレシートは、最初のプロデューサーのものだ。
 アイドル達の中で光り輝く才能を売り込むため、必死で仕事を探し、
その事務処理なども手伝うなど、忙しく働いてきた彼。
 今の765プロがあるのは、彼のおかげでもあると小鳥は思っていた。
 彼にそんなことを言うと、
『何言ってるんですか。僕はたいしたことはしてませんよ。765プロのみんなが頑張ってくれたおかげです』
 朗らかな顔で言うのだ。
 今の765のアイドル達と時々雑談を交わすときがあるが、
みんな最初は彼にプロデュースされた時のことをよく覚えているという。
『えへへ。プロデューサーのことはよーく覚えてますよ。
忙しいのにしっかりと私のことも面倒見てくれて……すごく楽しかったな。
……あ! 今も、もちろん楽しいですよ?」
『……プロデューサーはすごい方だと思います。私も知らない私に気づかせてくれました。
歌を歌うことを、もっと好きにさせてくれた………大切な人です。
………! あ! いえ! 大切というのは、そういう意味ではなく!……」
 なんていう話をよく聞く。
 そう、765プロにとって彼の存在は必要不可欠だ。
 今も、高槻やよいを再びプロデュースをしている。 


「あ、小鳥さん! 私達そろそろあがりなんですけど」
 事務の人とプロデューサー達が仕事を終えたらしく、小鳥に声をかけてきた。
「んで、飲みにいくんですけど。どうっすか?」
 猪口を傾ける仕草。
「んー。ごめんなさい。ちょっと片付けないといけない仕事あるから。みんなでいってきてください」
 765スタッフの中でも古参の小鳥だが、丁寧な物腰は後輩に対しても変わらなかった。
 そういわれた後輩達は、「今度は一緒にいきましょうよー」「あんまり無理しないでくださいねー」
などと言って、事務所から出て行った。
 事務所の中がシンと静まり返った。
 昔はいつもこんな感じだった。
事務所に遊びに来ているアイドル達も帰り、社長は偉い人たちに、アイドル達を売り込みに外出は多く、
仕事をもらってくるプロデューサーも走り回っていた。
 だから、こんな感じの事務所の方が、どちらかといえば見覚えがあった。
 売れていない、プロダクションの事務所として名もない時代に戻りたいと、
そう思うわけではないが、少しだけあの頃に帰ってみたい気持ちが、小鳥にはあった。
 あの頃は、ここが自分の居場所で、ここにいるみんなと頑張ってきた。
自分は確かにみんなと共に歩いてきたのだ。
 だけど最近はどうだろうか。
 アイドル達はみんな名のあるアイドルになり、事務所に来ることもほとんどなくなった。
仕事が多くなってきたから、今までは一人、
もしくはアイドルである律子や、プロデューサーにまで手伝ってもらっていた事務処理も、
いまや数人の新しいスタッフできりもりしている。
 歯車、それになってしまったのだろうか。
 順調に動いてはいる。おかしなところは何もない。
だけど、自分で動いてるわけではない。あまたの誰かに動かされているような、そんな違和感。
 それは悪いことではない。だけど、もの悲しさを感じてしまうのは、ちょっと贅沢だろうか。
――プロデューサさんは、最近あんまり事務所に来なくなったしなぁ……。
 ふと、古株のプロデューサーの顔が浮かんだ。
 精彩なイメージに軽く胸を弾ませてしまった。
 照れか気恥ずかしさか、なんだかほんのりと暖かくなったような。
「……なにを考えてるんだか………仕事のしすぎかな?」
 まぶたの上から軽く眼球を揉み解し、目の疲れを和らげる。
 そうして平常心を取り戻す。
「さて、もう一仕事、終わらせ……」
 ぷるるるるる。
 パソコンに向き直ろうとしたところで電話が鳴り響いた。
「? こんな時間に?」
 どこかアイドルを起用してくれるところからの電話かと思った小鳥は、いつもの事務感覚を引き戻した。
「はい! 765プロダクションです!」 


『……あ、もしもし。小鳥さんですか?』
 いまさっきまで考えていた人の声。落ち着いたばかりの胸が、またドキリと揺らぐ。
「あ! あ、ぷ、プロデューサーさん。お、お疲れ様です」
『お疲れ様です。すいません、もしかしてお忙しかったですか?』
「え? いえ! まったく、そんなことはありませんですよ?」
 ……微かな無言。
 受話器の向こうで、訝しげな雰囲気が漂っているような気がした。
 小鳥の動揺はそれほどまでに形にでていた。
『そうですか? なんか、焦っているような? あ、もしかして』
「へ?」
 一瞬、自分の心を読まれてしまうのかと思ったが、
『僕の交通費とかのレシート、多かったですか?
 先月はちょっと移動が多かったから、もしかしたら、と思っていたんですが……』
 まったくの見当違いの答えだった。
 小鳥は、安堵の息と共に、そういえばこういう人だったと、思い出した。
「いえいえ。いつもプロデューサーさんのレシートはトップクラスの少なさですよ」
『そうなんですか? よかったー。……なんだか、ちょっと驚きですよね」
「?」
 急な振り。姿は見えないが、なんだかそれは寂しそうだった。
『昔は、経費を使うのも命がけって言うか、ほら、ウチの事務所って、けっこうやばかったから……』
「あー、たしかに。……覚えてます? 事務所が本格的に始まってから、最初の経費のこと」
『あはは。覚えてますよー。いまいちそういう経費のことがわかってなかったもので、
結構使っちゃって……かなーり、給料からひかれちゃったんですよねー』
「それで、お家賃が払えなくなったって言って、この事務所に寝泊りしたんですよね?」
『懐かしいなぁ。よく覚えてますね?』
「覚えてますよ、」
――貴方と過ごした日々は……。
「約束もしましたしね。『ウチのアイドルの子には黙っていてくれ、
 こんなだらしない姿は見られたくない〜』って泣いて頼んできましたからね」
『な、泣いてないですよ!』
 まいったなぁ、と受話器から聞こえてくる声。
 その一言一言。それだけで相手の顔が、仕草が浮かんでくる。
 まぶたの裏に描かれるプロデューサー。
 ふつふつと、沸いてくる。
 少しだけ霞む蒸気のような温もりに、ふと意識を奪われ、
「……なんだか、逢い、たい、ですね」
 つい言葉にしてしまった。 


『小鳥さん?』
 向こうからの呼びかけで、一気に小鳥の蒸気が晴れていく。
「え! あー! なんでもないです! あはははは! 何も言ってませんよ!?」
 誰もいないというのに慌てて目の前の空間を払うように手を振った。
その時するりと手から受話器が離れてしまい、ガツンと机の端にぶつかってしまった。
『??? 小鳥さん?』
「わわわ!」
 不可思議そうにしているプロデューサーに慌てて謝ると、……そこで無言の空間が生まれてしまった。
 そういえば、と。小鳥はふと思った。
――昔は、プロデューサーと飲みに言ったこともあったが、最近はないなぁ。
「そうだ、プロデューサーさん」
『はい?』
「今度一緒に、お暇なときで構わないので、居酒屋でもどうですか?」
『あ、いいですね。最近なんか小鳥さんと行くことなかったですねー』
 小鳥は少しだけ小躍りしそうな気持ちに駆られた。
なんだかプロデューサーがお誘いに好意的だったからだ。
明確な返事に期待を寄せながら、言葉を待つ。
『じゃあ、今回の遠征が終わったら、行きましょうか?』
「……はい! ぜひ!」

 小鳥の頭の中にいくつかの居酒屋が浮かんだ。
最近行くことはめっきり少なくなったので、行ってみたいお店の数ばかり増えていく。
 ふとその居酒屋の記憶の奥の方に、ちょっとだけ雰囲気の違うお店があった。高層ビルのバーだ。
 なんというか一般的なものよりも誇張されたバーテンダーが、ちょっとオーバーにシェイクしている有様。
小鳥のイメージはやや貧相に近かったが、
あまり行きつけになるような店ではないので、こんなものなのかもしれない。
 そこで、淡い色のカクテルを二人で酌み交わす。
きらきらとバーテンダーの背後にあるグラスとビンが薄暗い照明に反射しきらきらと輝いている。
 そこで、ちょっと大人っぽい軽いドレスを着た小鳥は、照れくさそうにプロデューサーを見つめるのだ。
カクテルを口につけた、横顔のプロデューサーは、美化されて、キリリと引き締まっていた。
『小鳥さん、今夜は、部屋を取ってあるんだ』
『ぷ、プロデューサーさん。駄目ですよ、
 私たちは、しがない事務係と、売れっ子プロデューサーという身分違いの関係です』
 申し訳なさそうに俯こうとした小鳥の顔を、プロデューサーは、柔らかに引き戻そうと、
やや童顔にかたどられた小鳥の頬元に手を寄せた。
『僕たちが、何者であってもそんなことは関係ない』
 優しく優しく、少しずつ小鳥とプロデューサーの視線が交差していく。
周りにいたはずの客の喧騒は、まるで世界が違うかのように消えて。
 二人だけの世界が開かれ、
『……小鳥さん』
 ゆっくりと近づいてくる、大好きな人の顔、唇。
 そして、小鳥の見える世界は閉じられて……。 


『小鳥さん!? 小鳥さん!?』
「……ふへ? ふあ!?」
 またしても自分を呼ぶ声で我に返った。慌てて垂れていたよだれをふき取り、受話器に向き直る。
『どうしたんですか? 大丈夫ですか? 小鳥さん』
「あははは! だ、大丈夫ですよー」
 慌てて取り繕ったせいで、取り繕ったのがバレバレだった。
だが、プロデューサーが次の声をかけようとして、
「そそ、それじゃあ! 今度飲みに行きましょう! 決まりですね! そそそ、それじゃあ!」
 ガチャン!
 と、切ってしまった。
 ……。間があり、すぐに小鳥は大きく息をついた。
――なにやってんだろうなぁ、私は……。
 今まで生きてきて、そう多くの恋をしたことはなかったが、
こうまで自分の位置の定まらない感覚は初めてだった。
「……たしかに……なんとなくだけど」
 それは深い意味ではなく、プロデューサーを慕っているアイドル達の気持ちが、わかったような。
 残業の山に挟まれた小鳥は、くすりと笑う、
「アイドルのみんなが、プロデューサーさんのことが好きな理由がわかるな」
 そう、ひとりごちて。
 再び場に、カタカタ、というキーボードの音が鳴り始めた。


 ちなみに。その後、小鳥とプロデューサーが飲みに行ったのかどうかなのだが。それはまた、別の、話。 



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