伊織姫の伝説・序章

作:龍牙

ある晴れた朝のこと、ガシャンと割れたグラスの音と共にそれは起きた
「ウソつき!パパのウソつき!もう大嫌い!!」
突然大声を上げたのは世間を騒がせる歌姫「IorI」こと
765プロダクション所属のアイドル、水瀬伊織である
「お、おい伊織。落ち着け、話せばわかる」
突然怒り出した伊織を必至になだめようとしているのは彼女の父親だ
「もういい!!パパの顔なんて見たくもない!!!」
そう言い放つと伊織は無我夢中で家を飛び出した
「旦那様、いくらなんでもあの言い方はまずかったのではありませんか?」
「いや、しかたあるまい・・・」
ことはこの数分前に遡る・・・・・
伊織が国内最大級のライブステージでのソロライブを開催することが決まり
丁度休みだったこともあって両親も見に行くことが決まっていたのだが
突然の取引先との会議が入り行けなくなってしまったのだ
そのことが伊織の逆鱗に触れてしまい、この後の騒動にいたるのである
伊織にとって見れば自分の晴れ舞台を見せることのできる数少ない
機会であったこともあり、その悔しさと怒りはとても大きいものだった

家を飛び出した伊織はショックのあまり訳もわからず無我夢中で走り
そして気が付くといつのまにか事務所近くの公園に着いていた
走りつかれた伊織は公園のブランコに座ると大きくため息をついた
「(せっかく私の活躍をパパに直接見せてあげられるって思ったのに・・・)」
「(やっぱりパパは私より仕事の方が大事なのね・・・、わかってはいたけど)」
「(でもやっぱり悔しいなぁ・・・・・、はぁ)」
現実を理解してはいるものの、伊織も年頃の女の子である
やはり親に甘えたいという願望は同年代の他の子と変わりないのだ
「(これからどうしよう・・・、あんな風に言った手前家には戻りたくないし)」
「(かと言って他に行くあてもないし・・・、困ったわねぇ)」
と、途方にくれていると不意に後ろから声がした
「なんだこんなところにいたのか、探したぞ」
「プ、プロデューサー。なんでここにいるのよ!!」
伊織に声をかけたのは彼女の担当プロデューサー、龍牙だった
「親父さんから電話があったんだよ、それで事務所の周りを探してたのさ」
「ふん、家には絶対帰らないわ。顔も見たくない!!」 


「おいおい、いったい何があったんだ?親父さんの慌てようといいおかしいぞ
何があったのかは知らないけど俺でよかったら話してみなよ」
「そ、そんなのアンタには関係ないでしょ!!」
(心配してくれてるのに何で怒鳴っちゃうんだろう私・・・、素直じゃないなぁ)
声を荒げる伊織ではあったが内心は気にかけてもらえることがうれしかった
しかし素直にそれを表現できずついついきつい言動になってしまう
「まぁ言いたくないなら無理には聞かないけどさ、でどうするんだこれから
その分だといく当てもないんじゃないのか?」
「確かにそうだけど・・・、なんとかするわよ!!」
「無理するなって、家の方には俺から連絡しておくからさ。うちにでもくるか?」
「(え?何言ってんの?本気なのかしら?もしかして何かたくらんでる・・・?)」
唖然とする伊織を気にせず彼は話を続ける
「いつまでもここにいる訳にもいかないだろ?たいしたもてなしはできないけど
風雨を避けるくらいはできるし夕飯くらいはご馳走するからさ」
「そっ、そこまで言うなら行ってあげてもいいわよ。でもこの私を迎えるからには
それ相応な待遇じゃないと許さないからね」
「はいはい、最善をつくさせていただきますよ」
嬉しさを素直に出せない伊織ではあったが、内心プロデューサーには感謝している
彼女自身まだはっきり気づいていないものの、芸能活動を支えてきた彼の存在は大きく
他人との接点が希薄になりがちだった伊織にとっては数少ない心のより所なのだ
「それじゃ遅くならないうちに出発するぞ、家の方にも連絡しなきゃならんし」
「あんたの家ってここから遠いの?私あんまり歩きたくないんだけど・・・」
「電車で3駅程度だよ、もしアレならだっこしてってもいいぞ」
プロデューサーの何気ない一言に伊織は顔を赤らめて慌てだす
「べっ、別にそれくらいの距離なら歩けるわよ。ほらさっさといきましょ」
そしていくつかのごたごたを経てプロデューサー宅に到着する
「今から晩飯の準備するから部屋で休んでてくれ」
「あんまり期待はしてないけど・・・、ちゃんと食べれるものにしてよね」
それからしばらくして・・・、完成した料理は伊織の予想を超えていた
「へぇ〜、なかなかおいしいじゃないこのオムライス・・・」
「まぁ一人暮らしが長かったからね、大抵の物はそれなりに作れるよ」
伊織のめずらしく素直な感想にプロデューサーも照れ気味である
その後数時間話し合った末、明日一旦家へ戻ることを伊織は決めた
やはりまだ父親のことは許せていないようではあるものの
何とかプロデューサーの説得がうまくいったと言うところだろう
「明日はオフにするから少し休むといいよ、色々思うところもあるだろうし」 


「ありがとう・・・、で私はどこで寝ればいいわけ?」
「あのベッドでいいよ、俺はここで寝るから」
「そう、まぁ私の下僕なら当然のことよね。じゃあおやすみなさい」
「あぁ、おやすみ(ほとんどいつもの調子に戻ってきてるな)」
伊織が普段の強気な物言いになりつつあったことに安堵を覚え
プロデューサーは眠りに就いた、がその頭にはある計画が練られていた

翌朝迎えに来た新堂さんに伊織を預けた後正装に身を包み彼は出かける
その行く先は新堂さんから聞いた取引先の会社だった・・・
「すいません、会長様に面会したいのですが」
「どういったご用件でしょうか?」
「水瀬家の者ですが、週末の会議の件で参りました」
「そのような話はうかがっておりませんが、ご予約の方はありますか?」
疑わしい表情で受付嬢から見られるものの彼は必至に食いつく
「いえ、急遽決まったことでして直接お伺いしています」
彼の目つきに何かを感じ取ったのかその受付嬢は表情を和らげ
「わかりました、確認しますので少々お待ちください」
「すいません、ありがとうございます」
そして彼は運良く会長と面会をすることができたのである

「突然お邪魔して申し訳ありません」
彼の第一声は謝罪だった、まぁ当然ではあるのだが・・・
「まぁそれはいいのだが君はいったい何者で何用なのかね?」
「私はIorIの担当プロデューサー龍牙です、今日はある相談のために
無理を承知でお伺いした次第です」
彼の自己紹介に相手は驚きを隠せないようだった
「あの人気アイドルの担当者が何故私に面会を?」
「IorIこと水瀬伊織は今週末の会議の相手である水瀬家の長女です
そして週末には大型のライブを行いそこにはご両親も来る予定でした」
それだけで相手は彼の言いたいことを察したようで・・・
「要するに会議の日程を変更してほしいというのだね?」
「はい、無理な頼みであることは重々承知ですが覚悟のうえです」
そうは言うものの彼の目が強い意志を湛えているのは明白だった
「伊織はご両親が見に来るということをとても楽しみにしていました
普段以上に熱心にトレーニングに励み人知れず自主トレもしています」
相手は窓の外を眺めながら彼の話に聞き入っている 


「親が忙しいこともあったせいで伊織は他の同年代の子よりも親の愛情に
飢えているところがあると私は接していて感じました
もっと自分を見てもらいたいという年頃の子にとって普通の感情もあります
先日もそれが原因で伊織は父親と喧嘩してしまっています」
そう語る彼の口調はだんだんとこわばって震えていく
「無理であることは重々承知しています、でも私は伊織これまでの努力を
その両親に対する気持ちを無駄にさせたくないんです!!」
そう言い放つと彼はその場に土下座して必至に頼み込む
しばらくの沈黙の後相手はゆっくりと口を開いた
「君の熱意には負けたよ、私にも苦い記憶があるしな・・・」
「・・・え?それはどう言う・・・?」
「会議の日程をずらすことにするよ、手続きはこれからになるが
多分君はこれから水瀬氏を説得に行くのだろう?」
「え、えぇそのつもりでしたが・・・」
「あの人は一筋縄で話の通じるような相手ではないからな・・・
私の名で書状を出すからそれを持っていくといいだろう」
「あ、ありがとうございます!!!」
思いもしなかった展開に彼自身も驚きを隠せない
「まぁ代わりと言っては何だが娘がファンなのでな
サインでも持ってきてもらえればそれでかまわんよ」
流石は大会社の会長だけあってかなり太っ腹なようである
「それくらいならお安い御用です、次の機会にお持ちしますよ」
「ははは、そう急がなくてもかまわんからまずは水瀬氏の説得を頑張ってくれ」
「はい!このご恩絶対に忘れません!!」
しばらくして書状を受け取ったプロデューサーは水瀬家へ向かった

そして先ほど言われていたように伊織の親を説得するのは困難を極めた
仕事人間的な節があることもあってなかなかプロデューサーの話を聞かず
憤りを感じた彼はついに感情を抑えきれなくなりこう言い放つ
「伊織が今度のライブをどれだけ楽しみにしていたかわからいんですか!!
自分の活躍を見てもらえると言って普段以上に張りきっていたんですよ!!
伊織は表には出さないけど本当はとても寂しがってるんです!!!!」
彼は必至だった、これまで伊織と共に活動して感じていたもの
それは現実を理解しつつも本心とはすれ違う心を持っていること
欲しいものは何でも手に入るが本当に欲しいものは手に入らないこと
伊織の本当の気持ちを知ったからこその彼の叫びだった 

「すいません、つい感情的になってしまいました
チケットを置いていきますからどうするかの判断はおまかせします」
プロデューサーはそう言うと水瀬家を後にした
夕食の買出しを終えて家に戻ると玄関に座り込む人影があった
「どうしたんだ伊織、家に帰ってたはずだろ」
伊織はバツが悪そうにおずおずと返事を返す
「・・・・・家に居辛いの・・・、しばらくここに置いて・・・」
プロデューサーはやれやれといった感じで
「しかたないな、でもちゃんと戻れるようにするんだぞ」
「それはわかってる・・・、だから少しの間だけお願い・・・」
そして2人の珍妙(?)な同居生活が始まるのであった・・・・
男女の同居生活には色々とトラブルが付いて回るのがお約束だが
彼と伊織の場合でも例外ではなく大小問わず色々なことが起こった
それでも伊織はそんなドタバタに何故か心地よさと安堵感を感じていた

・・・・・そしてとうとう迎えたライブ当日・・・・・・

「どうだ伊織、本番もうすぐだけど行けるか?」
「あったり前じゃないの、ファンを前にしてうだうだ言ってられないわ」
「その元気があれば問題ないな、思いっきり歌ってこいよ」
「それぐらい言われなくてもわかってるわよ」
伊織の意気込み通りライブは大盛り上がりとなり無事幕を引いた
そしてライブ終了後の楽屋に場所は移る・・・・・
「それじゃぁ俺は挨拶回りしてくるからゆっくり休んでてくれ」
「わかったわ、なるべく早く戻ってきなさいよ」
「最善を尽くさせていただきますよ、お姫様」
そんな何気ないやり取りの後、伊織は楽屋で一人大きくため息を吐く
やはり両親が来なくなったことのショックはまだ抜け切っていないようだ
「(なんだろうこのもやもや・・・、ライブは大成功なはずなのに・・・)」
そんなことを思いつつぼーっとしていると突然ドアがノックされた
「IorIさんいらっしゃいますか?お客様が来ていますが・・・」
普通一般客は楽屋までくることは出来ないのだから今来ているのは
協賛企業の関係者や同じ芸能界のタレントということになる
誰なのか疑問に思いつつも伊織は返事をし、客人を招きいれた
「なかなかすごいステージだったな、いやまいったよ」
と、そこに現れたのは今日来れないはずの両親だった 


予想外の来客に流石の伊織も驚きを隠せず思わず立ち上がってしまう
「パパ、ママも今日は来れないって・・・・え、え、え、えぇ〜!!!」
あまりにも突然の出来事にパニック状態になる伊織、まぁ当然ではあるが
「相手方から日程変更の連絡があってな、それで来たんだよ」
「でっ、でも来るなら一言連絡ぐらいくれてもいいじゃない!!」
まだ混乱はあるものの何とか状況を理解しつつある伊織
「今朝突然決めたことだったからな、そんな暇無かったんだよ」
「それにしたっていったいどうして・・・・」
「龍牙君に言われてはっとしたよ、思い返せば今まであまり親らしいことを
してやれていなかった・・・・・・・とね」
プロデューサーの名前が出てきたことに伊織ははっとする
「彼の無茶には正直私も驚いたよ、今時あそこまでできる若者がいるとは
しかも自分のためでなく他人のためにだ・・・・」
「いったいプロデューサーが何したって言うのよ!!」
いったい何のことか訳かわからず伊織は聞き返す
「相手方に日程変更を直訴しに行ったそうだ、何の連絡も無しでな
しかも最後には土下座までして頼み込んだと聞いている・・・」
「嘘・・・、そんなそぶりまったく無かったのに・・・」
伊織は衝撃的な事実に唖然とするしかなく、言葉を失っていた
「私も最初は信じられなかったよ、だがこれはまぎれもない事実だ
それに相手方にも痛い所を突かれてしまったしな」
苦笑いしながらそう語る父親の目には普段の厳しさは感じられない
「その驚き方を見た限りだとまったく知らなかったようだな
今からでも遅くは無いだろうから彼にお礼を言っておくといい」
その父親の言葉を聴き終えるやいなやすでに伊織は駆け出していた
走りながら伊織は混乱する思考を必死に整理しようとする
途中に掃除員のおばさんからプロデューサーの居場所を偶然聞いて
伊織は彼のいる屋上へと向かって無我夢中でさらに走り出す
「ちょっとアンタ何考えてんのよ!自分が何やったかわかってんの?!」
息を切らしながら伊織はプロデューサーに怒鳴りだす、が彼は冷静に流す
「わかっているさ、俺が自分の意志でやったことだし結果オーライじゃないか」
「そういう事を言ってるんじゃないわよ!もし、もし何かあったら・・・
何かあったらどうするつもりだったのよ!!」
そう叫ぶ伊織の目には涙が浮かんでいる、それは当然とも言えよう
もし彼のやったことが相手の怒りに触れたとしたら最悪クビだからだ
そうなってしまえば2人が離れることになってしまうことは言うまでも無い 


「アンタが・・・、アンタがいなくなったらまた1人になっちゃう・・・
そんなことになったら・・・私どうすれば、どうすればいいのよ!!」
そう言いながらとうとう泣き出してしまう伊織、それは素直な気持ちだった
下僕だの何だのと散々文句やワガママを言ってきていたその裏には
愛情や人間関係が希薄になりがちな環境で育っていた伊織にとって
いつも自分を見てくれる最も身近で大切な存在になっていて
家族以上に自分の傍にいつもいて支えてくれていた彼への想いがあった
そしてやっとその気持ちを自分で認められるようになれたのだ
「お、おいこんなところで泣くなよ・・・折角の美貌が台無しだぞ」
「うるさいわね、誰のせいだと思ってんのよ・・・、ひぐっ」
突然泣き出す伊織に逆に戸惑ってしまうプロデューサーだったが
「伊織ずっとがんばってただろ?それを無駄にしたくなかったんだ」
彼は笑顔でそう言うと伊織の方へ近づきそっと涙を拭う
「それに俺はお姫様の下僕なんだからさ、姫のためなら
例えどんなことがあっても傍を離れるつもりはないよ」
「ばかぁ、こんなときにそんなこと言わないでよぉ・・・」
そしてひとしきりプロデューサーの胸元で泣きじゃくったのち
ライブの疲れもあったのかそのまますやすやと眠ってしまう
しばらくして親に伊織を連れて行ってもらうつもりでいたのだが
伊織との家族旅行のために何としても終わらせたいことがあるらしく
もうしばらく伊織を預かって欲しいと逆に頼み込まれてしまう
どうやら今回の一件で両親からかなりの信頼を得ていたらしい

その後の伊織は家族との関係がよくなったこともありさらに好調になった
だが数ヵ月後、社長の突然の活動停止宣言によりラストライブが開催される
伊織は最後まで認めようとしなかったが、最後にはそれを受け入れた
そしてライブ終了後プロデューサーを自分の恋人として認めた伊織は
充電期間を兼ねる形で彼との同居生活を続けその絆を深めていく

数年後再びアイドルの道を歩き出した伊織は国内外を問わない人気物となる
それは本当に大切な人がいつも傍にいるからかもしれない
伊織の伝説はまだ終わることなく続いてゆく・・・・

FIN 




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