まっすぐ前へ!

作:167

「あれ、おはようございます社長」
朝も早くから765プロダクションを訪れた真。
あまりに早すぎてひょっとしたらまだ鍵も開いていないかと思ったが、
意外にも高木社長が既にデスクについていた。
「やあ、おはよう菊地君。今日はずいぶん早いねえ」
真は、密かに社長の声がけっこう好きだった。
穏やかで深みのある声はなんだか”お父さん”という感じがする。
「そういう社長こそ、こんな朝早くから出てるんですね?
 ボクびっくりしちゃいましたよ。
 プロデューサーにも見習って欲しいですよ、もう」
真はグチっぽくそう言って、ソファに腰を下ろした。
「ははは…まあ、のんびりした所が彼の長所でもあるからねえ」
社長はそう言って笑うが、真にはどうもそうは思えない。
確かに、地道な活動が実を結んで最近ではそこそこ顔も知られてきた。
雑誌の特集に載せてもらえることも多くなってきた。
だが、いまひとつ世間の評判はパッとしない気がする。
このままでは、一人前のアイドルとして成功する前に
飽きられてしまうのではないかという不安があった。
しかしそんな真の焦りとは裏腹にプロデューサーの方針は徹底して
「地道に、堅実に」がモットーであり、ここ最近の活動は
もっぱらレッスンと営業活動がメインだ。
「もっとたくさんTVに出てアピールしたほうがいいんじゃないですか?」
思い切ってそう言ってみても
「まあ、そのうちな。今は実力をつけるのが先だよ」
とかなんとか言って取り合ってくれない。
真の中で、プロデューサーに対する不信感が募りつつあった。 


「…はあ」
思わず、大きなため息をついてしまう。
社長は何を思ってかそんな真をじっと見つめていたが、
唐突に話題を切り出した。
「ところで、菊地君は空手を習っていたそうだね」
「え?あ、はい。もうだいぶ前に辞めちゃったんですけどね」
社長はうんうんと頷いて、とんでもないことを言い始める。
「どうだね、一つ私に向かって打ち込んでみてくれないか」
「えええええっ!?」
真は驚いて目を点にした。
アイドルが自分が所属するプロダクションの社長に向かって
拳を振るうなんて、ゴシップ誌のネタでも聞いたことがない。
「なに、私も若い頃は多少かじっていたのでね。
 気にしないで思いきりやってくれたまえ」
そういって、社長は両手を軽く前に出し打撃を受ける姿勢をとった。
「そ、そんなこと言われても…」
怪我などさせては大変だし、かといってあからさまに手加減しても
失礼な気がする。真はガチガチになりながらも構えをとった。
(ううっ、緊張する…けど、なんとかうまくやるしかないなぁ)
「じゃ、行きますよ社長」
「うむ」
短く鋭い気合の声と同時に、真は拳を突き出した。
「せやあっ!…あ?」
思わず間の抜けた声が出る。
ふにゃりとした奇妙な手応えと共に、真の拳は
社長の掌の中にすっぽりと納まっていた。
「ううん、今ひとつだねえ。もう一度やってみないかね」
「は、はい…」
首を傾げたくなるのをこらえ、再び構えを取って正拳を突き出す。
「てやあっ!…う…」
「うん、もう一度」
「はっ!…???」
何度やっても結果は同じだった。
まるで吊るした布を殴っているような手応えの無さ。
社長の体自体が一歩も後ろに下がっていないのに、
見当違いのところを殴っているような感覚にとらわれる。
(何だろうこれ。こんなこと、誰にでもできることじゃないよな…
 社長って一体、何者?)
真が通っていた道場でも、ここまで巧妙に突きの威力を殺して
受けられる人物は居なかった。
何度も同じ動作を繰り返しているうちに、額に汗が浮かび始める。
(ダメだ、もっと威力を上げて、勢いよく…) 


その瞬間。
真の脳裏に、とある日の記憶がよみがえった。
そう、あれは忘れもしない始めてのライブの日。
当日テンションが上がりきっていた真は、
土壇場で曲数を増やすことを提案したのだ。
会場を借りている時間には多少余裕があるし、
ファンもきっと喜んでくれると思ってのことだった。
だが、プロデューサーは断固として拒否した。
「確かに、何かに挑む時は勢いっていうのも大事だ。
 真の思い切りのよさってのは俺も買ってる。
 でもな真。走り出す前にはちゃんとした準備が必要なんだよ。
 焦りで選んだ近道は、かえって遠回りになると俺は思う」
結果として、プロデューサーの判断は正しかった。
体力には自信が有る真だったが、初めてのステージで予想以上に体力を消耗し、
終わる頃には足がフラフラになっていたのだ。
もし曲数を増やしたりしていたら、途中で動けなくなり、ステージ上で
醜態を晒していたかもしれない。
その時に真は思ったのだ。
プロデューサーは自分のことを本当に考えていてくれるし、
気持ちだけで行動しても、必ずしも良い結果が得られるとは限らない、
ということを。
(そうか。焦りで選んだ近道は、かえって遠回りになる、って…)
真は落ち着いて呼吸を整えた。
必要なのは勢いだけじゃない。素早さでもない。強さでもない。
決して気持ちが揺らがぬよう、まっすぐに。確実に。 


「ふっ!」
バシン!と気持ちのいい音が事務所の中に響いた。
道場に通っていた頃にも1、2度出せたか出せないかという改心の突きだ。
「うん、いいねえ。その感じを忘れないようにしたまえ」
真は、自分の拳を見つめた。
たとえ実力はあっても、心に迷いがあれば拳は鈍る。
それはアイドルの活動も同じことなのだ。
そのことを教えるために、社長はわざわざ動いてくれたに違いない。
「社長…ありがとうございました」
「ははは、私は何もお礼を言われるようなことはしていないよ」
深々と頭を下げる真にそう言って、社長は自室へと去っていってしまった。
入れ替わりに、真を担当するプロデューサーが入ってくる。
「おはよう、真」
「おっはようございまーす!」
事務所中に響き渡る、元気すぎるほど元気な真の挨拶に
プロデューサーは少し驚いたようだ。
「真、今日は随分気合入ってるなあ。何かあったのか?」
「ええ、まあ、ちょっと…」
煮え切らない返事に、プロデューサーが顔をしかめる。
「今、社長が出て行ったな。ひょっとして何か言われたのか?
 ったくあの人は、人がプロデュースしてるアイドルに
 ちょっかい出さないでくれっていつも言ってるのに」
「えへへ。でも、結局最後に物を言ったのはプロデューサーの教えでした」
「うーん、ならいいけどな」
自分のせいで社長が恨まれてはかなわないので、一応軽くフォローを入れておく。
プロデューサーは半信半疑という感じだが、そのくらいならまあ大丈夫だろう。
「それよりプロデューサー、今日の予定はどうなってますか?
 ボク、今なら何だってやれそうな気がしますよ」
強気な真のセリフに、プロデューサーはニヤリと笑った。
「ふーん、それじゃ今日の練習はいつもよりうんと厳しく行くぞ?」
もう、真に迷いはなかった。自分が信じた人を最後まで信じぬこうと決めたのだ。
だから、脅すようなプロデューサーのセリフにも、爽やかな笑顔で答えた。

「…レッスン、よろしくお願いしますっ!」 



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