あの赤い人の話

作:御腐人

 彼の朝は早い。
 朝刊が投函されるよりも早く起床し、ジャージに着替えジョギング。
無理をしない程度に5キロほど走り、自宅に戻りシャワー、朝食、ニュース。
それらを毎日機械のように繰り返している。
 朝の占いが始まる前に出勤となるが、ポストの朝刊はもちろん、
その日発売のスポーツ新聞や週刊誌など購入し、職場に着くまでに読破する。
必要と感じた記事は切り取ってファイルに入れ、残った元新聞と元雑誌は降りた駅のゴミ箱に投げ入れる。
 彼は一番に出社する。そこはとある芸能プロダクション。
彼の職業はプロデューサー。アイドル候補生を育て、芸能界の頂点へ導く職業だ。
鍵やパソコンのサーバの管理、メールチェックに流行情報の確認。
それらすべては彼に一任されている。むしろ彼が買って出たところもある。
特に流行情報は人づてに聞くより自分で確認するほうがよっぽど信頼できるからだ。
 コーヒーを作り、デスクで一服。書類に目を通しながら現在プロデュースしている子を待つ。
 遅い。書類の山がなくなったころ、彼は悪態をつく。
遅刻と言わないまでも体感的に遅いと感じる。
時間にして五分くらいなものだろうが――それでも解せない。
 あまりに手持ち無沙汰なので手元の履歴書兼資料を眺める。
枠を思い切りオーバーし、ただ意気込みを書いている。
やる気があるのは十二分に伝わるが、さすがに履歴書としてはどうだろうかと思う。 


 こうしているうちに、アイドルがやって来た。
「おはようございます……」
 違和感。元気が取り得の子なのに元気がない。
 と感じたのなら、心配するのがプロデューサー、いや人としての最低限のマナーだろう。
「遅いぞ。今日は少し提案がある、そこに座れ」
 気遣いのない言葉。そして挨拶もなく、彼はソファーに勧める。
「………」
 しぶしぶと座り、彼の顔をじとりと見つめる。怪訝そうに、彼を疑うように。
「基礎体力をつけるためのメニューを考えてきた。これを見ろ」
 ぱらりと渡される書類。そこにはジョギングや腹筋、睡眠時間、
さらには肌の手入れや歩き方に枕の選び方まで事細かに書かれている。
 中学生には厳しいメニュー。だれが見てもわかる内容だった。
「……え、あ……」
「なんだ? 無理か?」
 そう言われては首を振るしかない。断れない。彼の気配が断ることを許してくれない。
 彼はまだ続ける。さも当然かのように、少女を無視するように。
「そうだな、あとは体調管理だ。前の月のモノはいつあった?」
「………!」
「13歳ならもうあるだろう? ここ三ヶ月の周期をさっさと教えるんだ」 


 怯えの色から怒りの色へ。小さな体はふるふると揺らし、口元はわなわなと震えている。
キっと少女の目が彼を睨みつけたとき、ついに何かがふつりと切れた。
「ぃ、や、です……!」
「どうした?」
「いやです!」
 足元にあるリュックから一冊の週刊誌を取り出し、テーブルに叩きつけた。そして乱暴にページをめくる。
 ちょうど真ん中あたりのページ。
そこには、今まさに怒りの真っ只中にいる少女の写真と、彼に関するゴシップ記事があった。
『新たな被害者(アイドル)をプロデュース!』
『夜のレッスンでオーディション合格!?』
 明らかな名誉毀損。ありがちなゴシップ記事。怒りのあまり涙で視界が揺らいできている少女。
これらを前にしても、彼は眉一つ動かさない。
「私も、被害者なんですか……! それに、夜にレッスンなんてしたことありません!」
 前半はともかく、後半の意味は理解していないなこいつ。彼はどこか冷静に考えた。
 次に一つため息。さてどうしたものか。
怒りすぎてパニック寸前のの子のテンションをどう維持したものか。
 なだめるか。
 逆に怒るか。
 本当のことを話すか。 


「………」
 いや……隠していたつもりはなかった。ただ結果的には隠していたことになったんだろう。
これは、過失か。大きなミスだった。
 こうして露出してしまったのだ。下手に反論するより、素直に切り出すのが最善だろう。
「そうだな……話しておいたほうがよかったな」
「あっ……」
 いつもの強気な彼が、ふっと柔らかくなったように声のトーンが落ち着いている。
そんな彼を前にして、少女の怒りで上昇していた熱が急速に下がった。
「う、うあ……ごめんなさい」
「いや、別にいい。……そうだな、どこから話したものかな」
 彼はどこか遠い目で探った。過去の思い出を、古傷を、どの辺りからよみがえらせるか。
 かちり。彼の気持ちは固まった。 


 何人かアイドルのプロデュースしたことで、俺は売れっ子のプロデューサーと認められていた。
しかし初心は忘れてはいけない。わずかな慢心が一人の少女の人生を変えてしまう。
俺は人一人背負っているんだ。いつでも真剣に、公私混同せずにしなければならない。
 そう思っていたのに。
「おはようございます! プロデューサーさん!」
「うん、おはよう」
「えへへ……今日はどこか優しい感じがしますね」
 あの時プロデュースしていた子は、どこかドジで転びやすい女の子だった。
しかし元気で、強くもあって……魅力的な子だった。
「今日は芸能記者の方がお見えになるぞ。昼からは雑誌の取材だ」
「うわぁ〜、雑誌の取材だなんて……プロデューサーさん、本当にいろんなお仕事を選んでくるんですね!」
「選ぶわけじゃないさ。これも、オーディションを1位で通過した実力のおかげだよ」
 レッスン、オーディション、コミュニケーション。
それらを重ねるごとに……俺は彼女に、彼女は俺に惹かれ合うようになっていった。
 しかし、それがどれほどの禁忌なのか。俺と彼女は、それを理解できていなかった。
 どこかで激写された、俺と彼女。それらが俺たちの立場を崩すのは、容易なネタであった。
 俺へのバッシングは耐えることができた。だが彼女は……耐えれなかった。
 そのとき俺は理解した。
俺は彼女だけが大切だったが、彼女はどれだけ俺を求めても、アイドルとしての自分の割合が大きかった。
 一度昇り詰めた地位からの陥落に、彼女は耐え切れなかった。
「プロデューサーさん……」
「……どうした?」
「私、辞めます……誰にも知られないように、静かに辞めます。だから――」

「もう、関わらないでください」 


 彼はほとんどを話し終えるころ、目の前の少女はえぐえぐと涙を流していた。
 感情豊かな子だ。あの子と似ている……まだ、忘れていないらしい。
「それからだ。俺の周りには悪徳記者が張りつくようになり、
プロデュースしている子が標的にされるようになった。
そう、この記事のようにな」
 話し終えた。なにがどう変わるかわからないが……どこかすっきりした自分がいた。
 これで許されるとは思っていない。
それどころか、プロデュース中の少女から罵声を浴びせられる可能性だってある。
 それなのに……なぜだろうか。この、気持ちは。
「悪いな。まったく知らない子と俺のせいで迷惑かけたな」
 顔を手で押さえたまま、ぶるぶると顔を振る。
 少女は必死で何かを話そうとしている。
嗚咽で喉が震え、痛いぐらいに力を込めている。それなのに声は出てくれない。
 何を言ったらいいのかまとまっていない。しかし、少女は黙っていられなかった。
「だがな、それでも俺は俺を曲げない」
 少女は顔を上げる。彼の言葉に、どこか惹かれるところがあった。
「俺はただひたすら厳しいレッスンを行う。倒れたって、髪を引っ掴んで起きてもらおう。
自主レッスンをしてもらう。拒否は許さない、毎日継続してもらう。
悪徳記者がついていても戦えるように、お前を鍛え上げる」 



「お前の体重から体脂肪、月のモノの周期すら管理させてもらう。しかし両親以上の体調管理を約束する」

「これらが耐えれないのなら、さっさとやめてくれ。だが――」

「俺についてくるのなら、最高の舞台で最高の称号を与えてやろう」

 いつもの強気。
 今までは恐怖しかなかった。疑心暗鬼しかなかった。
 でも。
 近づけた。今ならこのプロデューサーのことがわかる。
 本当に、この人は私のことを考えてくれている。
「………」
 答えは決まっている。一つしかない。
「レッスン、よろしくお願いします!」
 思わず立ち上がり、一声。
「そうか。なら移動するぞ。……いかんな、時間を食いすぎた。さっさとしろ」
「は、はいっ!」

 彼を悪く言う同業者は多い。だが、その中で二つ、たしかなことがある。
 一つは、彼の気持ちや信念をプロデュース中のアイドルは理解していること。
 そして二つ目は――例え良く思わない同業者も、彼のユニットには敬意を表するようにこう呼ぶ。

『レッドショルダー』 



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