Master Piece

作:名無し

――逢いたい メールも 携帯も
――鳴らない tears 泣いてるよ
――一秒だけでもいい 君を今 感じたら

「 す
    き 」

 ブースの外にいるスタッフも俺も、綺麗にずっこける。
「いかんなぁ」
 俺は苦笑を浮かべながらそう呟いた。
「恥ずかしいんでしょうか?」
傍らに居た録音スタッフも、同様に苦笑いを浮かべながら聞いてくる。
「かもね」
俺は答えながら、ブース内のスピーカーに声を流した。
「律子、ストップ」
 律子は落胆したような表情を隠そうともしないで、軽く頷きながらヘッドホンを外した。
「ちょっと話をしてくるので、待っててもらえますか?」
 その場にいるスタッフに声を掛けて、ブースへと繋がる少し重いドアを開けて中に入る。
 ここは都内某所のスタジオ。今はレコーディングの真っ最中だ。
 律子が今回挑戦しているのは『9:02PM』。
同じ事務所の最年長アイドル、三浦あずさの持ち歌だ。
 何故、自分の持ち歌でもないものを録音しているのかと言えば、
まぁファンサービスといったところだろう。
初めは回り道してばかりに見えた765プロのアイドル達にもそれぞれファンがつき、
それなりに知名度も出てきた。
歌番組で共演する事も少なくない。
そんな中、自然と誰々の歌を誰かが歌ったら――そんな声が聞こえ始めた。
幸い横の繋がりが強い、良く言えば家庭的なこの765プロで、
ならばそれを形にしてしまおうと決断するまでさほど時間はかからなかった。
 ファンの投票でお気に入りのアイドルに歌わせたい曲を3曲選択し、
その中から実際にCDに収める物を決める。
それぞれのアイドルでだぶった曲は入れないという事にしたので、自然と選択肢は狭まってしまうのだが。
「プロデューサー……」
「よっと」
 ブースの中に入った俺はパイプ椅子を広げ、そこに腰を下ろす。
「まだ、歌えますよ」
「うん」
 そして、じっと律子を見る。
「う」
「歌い難いか?」
「それは……まぁ」
 いつになく、歯切れが悪い。
「誰か好きな人を思い浮かべて……何て言っても」
「無理です」
「そうか」
 そこまではっきり言われてしまっては、二の句が継げない。
「大体、『9:02PM』ならもっと適任がいると思うんですけど。
千早はもちろん、雪歩の台詞を聞きたい人も山ほどいるはずですよ」
「残念ながら、千早は『朝ごはん』で決まりそうだぞ」
「『朝ごはん』!?」
 律子が裏返った声で驚きを露にした。
「何でまた、『朝ごはん』なんですか?」
「千早のプロデューサーが、ひどくお気に入りなんだそうだ」
「そうですか……。プロデューサーもかなり変わってるとは思いますけど、
千早のプロデューサーもなかなかですね……」
「褒められたんだと思っておくよ」
 俺は笑いを堪えながら応える。
「ところで、私の他の候補曲は何ですか? もう教えてくれてもいいでしょう」
「『Here we go !!』と『ポジティブ』だよ」
「ひあ……どうして私のファンは、そういうのを選ぶかなぁ」
 律子は軽く頭を振りながら眉間を押さえている。
「いいじゃないか。『魔法』はあんなにノリノリで歌うんだから、『Here』だって……」
「ちゅっ、とか、めっ、とか、私が歌うんですか?」
 いかん、ハリセンでも持ち出しそうな勢いだ。 


「だから、『9:02』を選んだんだけどな。『Here』は真が歌いたいらしいし」
「……それ、真のプロデューサーはOK出したんですか?」
「え〜っと。いくらなんでも真が怒るぞ?」
「おっと。いけない」
「とにかく、もうちょっと時間が要るみたいだな。スタジオの方は問題ないが……
ま、あと何回かやって厳しいようなら軽く『ポジティブ』を流して今日はいいにしよう」
「間に合うんですか、そんな悠長なことで」
「大丈夫だよ。苦手な曲がある事は、考慮したスケジュールになってる」
「そもそも曲目を考慮しましょうよ……」
「それは言いっこなし。投票結果をいじるのは好きじゃないしな」
「分かりました。じゃあ、そろそろ始めましょう」
「いや」
 俺はブースの外に休憩のサインを送る。
「1時間くらい休憩を取ろう。どうせやるならここで決めるくらいの心意気が欲しいからな。
しっかり気力を充填してくれ」
「わ、分かりました。あ、そうだ」
「ん?」
「その1時間、スタジオから人払いをお願いしていいですか?」
「入るなって事か?」
「はい」
「うーん。ま、いいだろ。但し、30分間だけだ。そこで力を使い果たされたら困るからな」
「お見通し……ですか」
「努力は人に見せずにするもの、だろ?」
 律子に向かって笑いかけて見せる。
「ちょっと複雑な気分です。もう、私の行動が読まれちゃうんですね」
「それなりに付き合い長いからな」
「はいはい。じゃ、外に出てて下さい」
「はいよ」
 ギッ、と軽く軋む音を立てながら、俺はパイプ椅子から腰を上げた。
 律子は部屋を出て行く俺たちの姿を見届けると、
「ふぅ」
と息をつきながらパイプ椅子に腰を下ろした。
「好きな人、なんて言われても……」
 天井を見上げながらそんな事を呟いてみる。
 律子だってもちろん、恋をしない訳じゃない。
誰かに憧れを持った事も、姿を見かけるだけで胸が高鳴るような思いをした事もある。
けれど。
(恋よりも、したいことが多すぎたのよね)
 そのお陰で、恋に集中する暇がなかったのかもしれない。
「逢いたい……メールも……携帯も……」
(メール……)
 不意に、この間送ってしまったメールの事を思い出して顔が熱くなる。
 窓を開けると意外なほど涼しい風が吹いて、見上げれば夏の夜空が見えて。
良い夜だな、と思えた時に。自分でも意識する事無く、心の赴くままに綴ったメール。
携帯電話の上を滑るように指が動き、ふと気づいた時には送信しかけていた。
読み返せば、本当に『らしくない』文章で、でも消してしまうには惜しくて、
そう思った律子は少しの言い訳を書き足して、俺へのメールを送っていた。
(どんな顔をして会えばいいのか分からなかったけど)
 俺はいつもの調子で『こんばんは』から、その次の日を始めていた。
(あれのお陰で気恥ずかしさが消えたのよね)
 結局その日はいつもに増して順調に仕事が進んでいた事を思い出す。
(嬉しかった……のかなぁ、私。あ、そういえば。あの日のメール、返事貰ってないんだ……)
 半ば期待しつつ、半ば来ないと思いつつ。それでも律子は返事を待っていた気がしていた。
(そっか……)
 そんな事を思い出すだけで、胸の奥が締め付けられるような気分になる。
(今なら)
 律子は跳ねるように立ち上がると、マイクの前に立った。軽く息を吸い込んで、

――逢いたい メールも 携帯も
――鳴らない Tears 泣いてるよ

アカペラで紡がれる自分の歌。自分の声とは思えないほどに、切ない歌だった。 


 それに気づいた律子は、大急ぎでブースのドアを開けた。
機材のスイッチをひねり、録音のスイッチを入れる。
(よし。この感覚、消えないうちに……忘れないうちに……)
 ブースの中に戻ると、再びマイクの前に立ち、息を整える。どうにか、歌い出しには間に合った。

――Good Night ひとりきり……

 ブースの中に響く歌には、唯一人の誰かへの想いが織り込まれていた。

「うぅ、困ったなぁ。どこに行ったんだろう」
 ほとんど誰にも聞こえないような声で、律子が呟く。
「どうした?」
「あぁああぁぁあぁあぁ、いえ。なんでもないですっ」
「なんでもないようには見え」
「なんでもないですっ!」
「……はい」
 何かを探しているような様子の律子に声を掛けたら、何故か怒られてしまった。
(参ったなぁ)
 律子はやっぱり、何かを探しているようだった。
(データをMDに入れたのは良いけど……まさか、どっかに行っちゃうなんて)
 自分だけで録音した『9:02PM』は、素直に良い出来だとは思えたものの、
誰かに聴かせる気になれなかった。
だから律子は、その『09:02PM』を自分だけの秘密にしようとしていた。
 データをMDに収め、元データを消去し、MDは……
(木を隠すには森の中……)
そう思って、積み上げたMDの中に紛れ込ませたのだが。
(誰か持って行っちゃったのかなぁ。一枚一枚聴いて確認する時間もないし……)
「律子、そろそろ行くぞ」
「あぁぁあぁあぁぁ、は、はい……」
「???」
 結局、アルバムに収める律子の曲は『ポジティブ』に決まった。

 数日後。
 俺は社用車の中で律子の歌を聴いていた。
(なんだ、しっかり歌えてるじゃないか)
 スタジオの隅、うず高く積まれたMDの中で、何故か目を惹いた薄緑色のMD。
俺はそれをジャケットの内ポケットに入れ、そのまま過ぎる事、数日。
つまり、そんな物を拾った事などすっかり忘れていたのだ。
 何日かぶりに袖を通したジャケットの内側に違和感を感じた俺は、
やっと今日、MDの存在を思い出していた。

――逢いたい メールも 携帯も
――鳴らない tears 泣いてるよ
――一秒だけでもいい 君を今 感じたら

(……)
 曲を聴き終えた俺は、取り出したMDを再び内ポケットへと滑り込ませた。
 とりあえず今のところ、これを律子に返すつもりはなかった。
 絶対に、『聴きましたか?』と訊かれるだろうし、『聴いていない』と答えたところで、
そんな嘘が見破られない訳がない。
 まぁ、そう、とりあえず。
(そう、とりあえず)
 メールの返事くらいは、まめに出すようにしよう。 



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