真夏の黒い悪夢

作:426


「りりりり律子さんっ……あれ!あそこっ……どどどどどうしましょぉっ!?」
「わかったから大声立てないっ!?万一こっちに来たら大惨事なんだからねっ!」

「それにしても……都会のアレって人間に向かって来るんですね…わたしの田舎では考えられません…」
「その分、飛んできたりはまずしないからね……どっちもどっちだと思うけど
………って雪歩、そんなにくっつかないで!動きづらいから」
「はぅはぅ……で、でもでもっ……犬とおなじくらい怖くて、身体が言う事聞いてくれなくてっ…うぁぁ…」

ああもう、私だってアイツが平気ってワケじゃないのよ!
怖いのを我慢して先頭に立ち、丸めて棒状にした新聞と台所洗剤を手にして必死で追い詰めたんだから、
少なくとも邪魔だけはしないで欲しい。切実な話。
まぁ……居酒屋の上に位置するオンボロ雑居ビルなんだから、真夏になればアイツの一匹や二匹、
出ても全然おかしくは無いわけよ。よく考えれば。
……私とした事が、迂闊だったわ。ジェット缶の一本くらい買っておけば良かった。

こんな時にいてくれたら、凄く頼りにされてポイントアップなのに……うちのプロデューサーったら、
間の悪い事この上ないわね。追い討ちをかけるように、社長と小鳥さんも出掛けているし。
………やっぱり、わたしがやるしかないのかなぁ、この状況。
どのみち、ドアは閉まってるし、アイツもわたしたちも逃げられない。
なら、確実に仕留める為に改めて状況を整理しておこう。



事件はついさっき。昼間の765プロオフィスで起きた。
現在トリオユニットを組んでいる春香、雪歩、そして私、秋月律子。
本来なら今日はお昼から営業活動(最近はプロモーションとか言うらしい)に出る予定だった。
ところが、急遽相手側の都合がつかなくなったと言う事で……
プロデューサーが交渉のため単独で出る間、少しでもオフィスで身体を休める事になった。

わが社の仕事も何とか軌道に乗り、私たちもユニット単位ではなく、少しづつではあるけど
個人として仕事を持つようになった。
雪歩はラジオ番組のパーソナリティ。
春香は、お料理番組のアシスタント。
そしてわたしは、未来系科学番組【テクニカル探偵団】のメイン司会を担当させてもらっている。
理数系に強くて、番組の華となれる人材を…という事になって、わたしに声が掛かったと言うわけ。 


社長の知り合いに、有名大学で最先端の機械工学を研究している教授がいて……
その人がまた、かなりのメカフェチなのよね……ロボット工学では日本でトップクラスの人みたいで、
真面目にメイドロボを作ろうとしているくらい、筋金入りのロボットおたくなのよ。
もう、放っておけばすぐにでもロボット話に暴走するこの教授を何とか押さえて、
視聴者に分かりやすく番組を進行するのが結構大変で。

ちょっと空いたこの時間にも、VTRを見て反省材料にしていたんだけど……
突然、給湯室で何かが割れるような音が聞こえた。
さっき、雪歩がお茶を淹れに行ったはずだから、彼女が急須を落としてしまったのかも知れない。
……急須自体は安物だから、代わりを買ってくればいいだけの話なんだけど、
雪歩が怪我をしてしまったら大変だ。念のため片付けを手伝おうと、VTRを見るのを止めて、
席を立ったその時だった。

「きぃやぁぁぁあぁぁーっ!」
……私より先に様子を見に行った春香の声。これは、考えたくも無いけど……
給湯室に何か出たと考えるしかないわね。

「二人とも落ち着きなさい!何か出たの?」
わたしは、あくまで冷静さを装いながらゆっくりと給湯室へ向かう。
中では、給湯室の床に春香と雪歩がぺたんと座り込んでいて、小刻みに震えている。
雪歩にいたっては、もう涙目になっている始末。

「り、りりり律子さんっ……で、でで出た出た出ましたっ!!ひぃい……」
「はぅはぅ……た、助けてくださぁい……律子さぁーん」

この二人の怯え方からするに、多分……アレでしょうね。真夏の風物詩。
黒くて、光ってて、狭いところが大好きで、恐らく一番人間に嫌われているであろう昆虫。
こんなオンボロ事務所だから、いつ出てもおかしくないとは思うけど……
よりによって、こんな時に出るかなぁもう。
事の次第は大体飲み込めたので、まずは新聞紙を丸めて武器にする。
あとは、給湯室の台所洗剤も、十分有用な武器になるわね。

私だってアイツは怖いけど……春香と雪歩があの様子じゃ、わたしがやるしかないし、
年長者がパニックになるのはちょっといただけない。
内なる恐怖心と闘いながら、わたしは出来るだけ冷静に春香たちに声を掛けた。

「どうしたのよもう……そんなに騒いで。何か給湯室にいたの?」
8割方分かっていながらも、あえて確認のために聞いてみる。
どうにか春香が震えながら、給湯室の壁を指差したそこには…… 


「……ひぃっ!?」
不覚ながら、私も悲鳴上げてしまった。だって何?このありえない大きさ!!
触覚抜きで5センチ以上。遠目からでもはっきりと分かる、あの独特のフォルム。
お腹がずんぐりとしている形から見て、多分あれはメスだということは……
冗談じゃないわ。あんなのを放置していたら2ヶ月先は地獄絵図確定じゃないのよ!?

私たちから出る殺気を感じ取ったのか、アイツがぴくりと触覚を動かし……
壁を這って降りはじめ、そのままこちらへと向って来た!!
「ひぃやぁぁぁあぁっ!!き、きたきたきた!?」
「ふぁあ……だ、ダメですぅ……足がすくんで、力が……」
「ちょっと春香!そんなに押さないでっ……倒れるっ!?」

春香に強引に身体を押され、私たち3人は折り重なるように給湯室の床へと倒れこんだ。
その横を突っ切るように、アイツが給湯室からの脱出を図る。

「!!」

今、間近で見たら本当にでかい。体長だけならカブトムシにも負けないんじゃないかと思うくらい。
わたしたちの驚きをよそに、アイツはオフィスのスチール机へと逃げ込んだ。
もう、何処に潜んでいるか分からない。

「いたた……大丈夫?春香も雪歩も」

まずは起き上がって二人の無事を確認すると、わたしは台所用洗剤を掴んでアイツを追った。
……しょうがないじゃないの。私だって大の苦手だけど、この二人はさらに戦力外っぽいし!?


■


………それが、5分くらい前の出来事。
戦局は膠着状態に陥っており、このままじゃ総人口の半分が死に至り、人々が自らの行いに恐怖する……
って、思わず次の番組用に用意してたギャグが出ちゃったじゃないのよもう!

そんな脱力系の寒いネタでも、緊張感で動けないよりは言うだけマシだと思う。
わたしは周囲に睨みを利かせて(特に机の下とか)アイツの存在を懸命に感じ取る。
なにしろ虫とはいえあれだけの巨体を誇るんだから、僅かでも移動に音は立つはずだから。
(TVを消さずに行ったのは、失敗だったなぁ……)
アイツの足音は聞こえず、オフィス内にはわたしが見てた番組のVTRだけが流れている。
確か、今週から2週間にわたって災害救助用ロボットの特集だっけ?

「ああもうっ!!見つからないから余計な情報だけが頭の中を回ってるし!!」
「り、律子さん……怖い」

そう思うなら、私の後ろにしがみついてないでTVのスイッチを切ってほしいんだけど……
無理だろうなぁ、雪歩や春香には。
「もう……春香は田舎在住なんだから少しくらいアイツに慣れててもいいのに」
「うぅ、律子さんっ……それ差別発言ですよう!うちの周辺にはそんなに出ませんっ!?」
「雪歩は……まぁ、イメージどおりよねぇ。家で出たらどうしてたの?」
「あの……お、お父さんのいいつけで、お弟子さんが退治する事になってますぅ……」 


そうこうしているうちに、オフィスの廊下側から足音が聞こえてきた。
春香や雪歩にもそれがわかり、全員の顔に希望の色が見える。

「ぷ、プロデューサーさんが帰ってきましたよっ♪」
「よ、良かったですぅ……」
「そうね……この際、社長でもいいから何とかして欲しいものだけど」

皆の希望を打ち消すようで悪いんだけど……何だか、足取りが軽いような気がするのよね。
何ていうか……男性の体重ではないような。
とはいえ、あと3秒もすれば結果が分かるのだから、ここは余計な思考を回すより、
アイツに警戒しながら事の成り行きを見守った方が良い。私はそう判断した。
すると、ガチャリとオフィスのドアが開き、

「おっはよーございまーす!今日も一日、全開パリパリで頑張るぞー♪」
やってきたのは一人の少年………もとい、わが社のボーイッシュアイドル、菊地真だった。

「……あれ?春香に雪歩。それに律子……なにその格好」
状況が飲み込めていない真にとっては、もっともな質問だろう。
でも、その質問に答える暇無く彼女は事の次第を理解する事になった。
タイミングよく足元を通過するアイツのおかげで。

「………」
こうして見ていると、真の様相が変わっていくのがなかなかに面白い。
まず、何が起きているのかわからない『ほへ?』という顔から、
ようやく6センチオーバーの超努級なアイツを認識して、顔面の筋肉が凍りつく。
最後に、このオンボロビルの硝子が割れるんじゃないかと思えるほどの大声で、悲鳴を上げた。

「っ……きやあぁぁぁあっ!!で、ででで、でか……や、やだやだやだっ、こっち来ないでぇぇっ!?」
意外なことに、真はアイツに弱かったみたい。
こう言っちゃ失礼だけど、真のキャラからすると、平気だとばかり思ってたんだけどね……
でも、悲鳴を上げて怖がる様はしっかり【女の子】しており、見ててちょっと萌えるかも。
【凛とした】とか【カッコいい】が売りであるわたしや真だけど……
こんなに可愛く驚き、怖がる真を見て、一歩負けたと思ってしまったのは、この際だから秘密にしておこう。
まぁ、何にせよ戦局を変えるニュータイプの登場かと思ったら、
実は期待はずれの軟弱者だったという期待はずれ感は否定できない。

そんな表現は真に悪いと思うけど……だって、雪歩並みに怯えて役に立たないんだもの!
アイツが大の苦手なのはわかったから、頼むからしがみついて邪魔だけはしないで欲しい。
「ねぇ、律子さんっ……電話でプロデューサーさん、呼びませんか?」
「うん……プロデューサーなら男の人だからしっかり退治してくれると思う……」
「出来るわけ無いでしょ、そんな事!」
アイツがふたたび潜り込んだ机の下を警戒しながら、わたしは春香の提案を一蹴した。

「あのねぇ……プロデューサーは私たちの仕事のために、暑い中単身出掛けてるのよ?
そんな中、事務所にアレが出たからってプロデューサーを呼び戻す?普通!?」
「う……そ、そうですよね……ごめんなさい」 


(結局、わたしがやるしかないみたいよね……)
やよいや亜美、真美あたりなら平気で退治してくれそうなんだけどね……
それにしても、敵ながら出てくるタイミングの良さがまた、見事よね……虫のくせに。
こちらの警戒が、ふと和らいだ時を狙ったかのように、カサカサと現れて、安全に次の場所へと移動する。
中に人でも入っているんじゃないかと思うほどだ。

壁際や給湯室に移動した形跡は無いから……この机の下の何処かにいる。ソレは間違いない。
とりあえず、手前側の自分のデスクから調べようと、わたしは静かに近付いた。
仕事用に、会社と折半で買ったわたしの新しいノートPCが置いてある。
ノートとはいえ、3Dグラフィックもゴリゴリ動いて、DVDを焼くことも出来るわたしの愛機。
コンパクト&ハイパワーという、日本的な理想を形にしたそのマシン。

かすかに聞こえる足音は、確実にわたしが考える最悪のシナリオを想定していた。
机の脚を登って、デスクマットへ渡り……わたしのPCへと近付いている。
ちょっと……嘘よね!?それに近付かないでよ!!
ありったけの勇気をふりしぼって、丸めた新聞紙を振り下ろすが、アイツはそれをダッシュで避け、
わたしの愛機へと近付いてゆく。
そして、あろうことか一番触れて欲しくない場所……
ノートPCに不似合いな、エンブレムシールの上を這ってくれた。


■


確か、あれはまだわたし達がユニットを組んで間もない頃………
ミーティングを兼ねてアキバ散策をしながら、今のPCを買いに行ったときだ。
あの時はマイナーもいいところだったから、アキバといえど誰もわたしには気付かない。そんな時。

「ちょっと……何処行ってたんですかプロデューサー!?
荷物持ちなんだから、勝手に離れちゃダメでしょう!」
「ごめんごめん……ちょっと、こんなもの買ってきてさ。律子のニューPCに似合うと思って」

そんなことを言いながらプロデューサーがくれたのが、PC用のエンブレムシール。
わたしのイメージカラーであるグリーンを下地に、可愛らしい天使のイラストが描いてある。

「俺、パソコン関係は律子より詳しくないからさ……パーツとかは買えないけど、
こういうの付けてみたらどうだ?アイドルの女の子が持ち歩くノートPCなんだから、
少しは可愛らしくドレスアップしたらいいんじゃないかと思うんだ」

安物だけど、センス今ひとつだけど、さらにはそのシール、デスクトップPCのだけど……
荷物もちに文句一つ言わず、なおかつわたしのイメージまで考えてプレゼントしてくれたそのシール。
結局、不恰好を承知でわたしはノートPCにそのエンブレムを貼り付けた。
どうしたんだろう?オーディションでもないのに、こんな思い出が沸いて出てくるなんて……

■


自分でも、どうしてそこまで無性に腹が立ったのか分からなかった。
しかし、ヤツがわたしのマシンの……しかも、プロデューサーがくれたエンブレムシールに手を掛けた
その時、わたしの心の中で何かがはじけた。 


「そいつに……触るなあっ!!」
丸めて棒状になった新聞なのに、全力フルスイングで強く叩いたおかげで机に風圧が起きる。
アイツを直接吹き飛ばせるわけではないが、威嚇としては十分な一撃だったと思う。
不気味なまでに大きな本体を引きずり、アイツは机の間に再び隠れようとするが、
ノートとデスクライトを一瞬で避難させたわたしがソレを許さなかった。
あとは壊れて危険なものは無い。机を一気に引き倒し、アイツの避難先を消してやる。
飛び出す引き出しも、散らばるファイルも今は関係ない。
「絶っっっ対………許さない!!」
病原菌を媒介するとはいえ、猛毒を持ってるわけじゃないし、
噛み付かれて怪我をするわけでもないんだ。覚悟さえ決めれば怖く無い!
(り、律子さん……さっきより怖い……)
後ろで感じる春香や真の視線も、今は気にしない。
動きはそんなに早くないのだから、こっちが本気で追えば追いつく。
なら、あとはこっちの心の問題よ!
一撃で終わらせようと、アイツに向かって新聞紙を振り上げたそのときだった。

「律子っ!ストップストップ……落ち着け、な」
出かけていたプロデューサーが、不自然な看板を持ってオフィスにあらわれたのは。




「……とりあえず、これ、分かる……よな?」
TVで何度も見たけど、実物は初めて見る【ドッキリ大成功】と書かれた看板。
その上に小さく、【テクニカル探偵団特別企画】と書かれてあり、タイミングよく
つけっぱなしのVTRからわたしの次回予告が聞こえてきた。

『来週は、災害救助ロボット編その1、日本初の薄型ロボットを紹介しまーす、お楽しみに♪』

そして、プロデューサーの後ろから、コントローラーっぽいものを持った教授が出てきたとき、
わたしの脳内で全てが繋がった。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい秋月さん……お願いですからそれ、壊さないで……
貴重な試作機だから、壊されたら研究データが……」
「春香と雪歩……あと、予想外の事態になったけど、真もすまんっ!
でもほら、十分可愛く映っているし、イメージも上がると思うから許してくれ」
おそらくは、相当な予算が掛かっているのだろう。
普段から弱気な教授が、さらに弱々しく懇願するようにわたしに頭を下げる。 


ほほお、そう言う事でしたか。
不自然に空いた時間も、不気味なまでにでかいアイツも。狙ったような出方をする動きも。
普段は憶の部屋でTVばっかり見てる社長すらいないのは、こういうウラがあったから、と言うワケね。
「…………うりゃっ!!」
わたしは、
問答無用で件のヤツを捕獲した。

「ひうっ……り、り、律子さん……掴んで……」
「律子さん……よく触れますね……」
「あーのーねー……タネがばれてメカと分かれば、こんなもの恐れる意味が無いでしょうが!!
ま、それはいいとして……こほん。教授にプロデューサー?」
「は……はいっ」
「まずは、平和的に話し合いと行きましょうか……担当アイドルにここまで怖い思いをさせて、
謝るだけで終わりなんて、言いませんよねぇ♪」

おそらく、今撮られたVTRが流される事は確定だろう。
そんな事に対してじたばたするつもりは無いけど、その後となると話は違う。
プロデューサーへの仕返しも含めて、この最新救助メカを盾にとって色々してあげよう。
勿論、皆の分も含めて。

「ねぇ、春香……いくらプロデューサーとはいえ、こんなやり方は許せないわよね?
銀座の高級ケーキ店、【クランヴェール】のスペシャルメニュー2つ分くらいは許せないわよね?」
「あ……は、はい!許せませんねー♪ミックスベリーとスペシャルショコラと………
そうだ。レアチーズケーキも付けてくれたらやっと許せるかな?」

さすがに、わたしの意図は分かったみたいね。空気を読んで同意してくれる春香に感謝しつつ、
次は雪歩に交渉を持ちかけた。
「雪歩……一度本格的な京懐石、食べてみたいって言ってたわよね……
食後のお茶を含めて、凄く美味しいらしいじゃない?」
「あ、は、はい……でも、プロデューサーがちょっと可愛そう……」

横目で見ると、教授とプロデューサーがキツツキのように雪歩の意見に同意している。
が、残る真とわたしの交渉に向けて、譲るわけにも行かないのよね。
「そんな事無いわよね、プロデューサー?……あ、そういえばわたし、無性に今、
握力トレーニングがしたくなって来たなー♪」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい約束しますから許してください」

はい、第2段階成功。……それにしてもよっぽど予算掛かってるんでしょうね。このロボット。
リアルを最優先させる教授の性格からして、【狭い場所で活動できるコンパクトな動物】というコンセプトから、
アイツがモデルになったのは分かるんだけど……本当に良く出来てるから始末が悪い。
こんなメカに発見、救出されるのは正直イヤだと思うのは、私だけじゃないわよね?
まぁ、その辺はキッチリ後悔させて差し上げましょう、この後の交渉で。 


「こほん……真、この前、お父さんにスカート勝手に捨てられたとか言ってたわよね?
この際だから、高級ブランドの可愛いやつ、買っちゃいましょうか♪」
「え?本当に……やーりぃ♪ボク、実は前から欲しかったのがあってさ!」
「うんうん……プロデューサーが喜んで買ってくれるから、好きにするといいわ。
さて、最後にわたしは何をしてもらおうかしら……当然、教授も一緒ね♪」
「うぅ……お手柔らかにお願いします……」

新しいPC……はいくらなんでも可愛そうだから、メモリの増設で勘弁してあげようかな?
あ、でもどうせだからわたしが買わないようなものにしようかしら?
確か、3万円するキーボードがあったのよね。使った人のレポートによると、
物凄く快適らしいじゃない?一度試してみたかったのよね……ああいうの。
でも、プロデューサーのお財布も考えてあげないとね……交渉ごとの基本は、
【生かさず殺さず】だから、これ以上金銭的に追い詰めるのは良くないし。

そうね……わたしの買出しに一日同行させる権利なんていいわね。
ボディーガード兼荷物持ち、あとは……ちょっとしたデートみたいになって……
って、何を考えてるのわたしは!?

ちょっと心の迷いを誤魔化すために、わたしは再び確認の意味を含めて、
手中にある最新鋭メカを握って観察する。

「うーん……それにしてもよく出来てるわね……関節から爪まで再現度高いわ」
「そりゃもう、リアルにすればするほど、機能美が生きてきますからね」
「でも、体長6センチは無茶よね……ああもう、この不自然なデカさで気付けばよかったっ」
「出来るだけコンパクトにしたんですけどね……CCDやLED他、必要なものを仕込むと、
ソレが限界なんですよ……でも、リアルな薄型にはなったでしょ?」
「まぁ、ね……外装はラバー樹脂かしら?こんなに柔らかいなんて大したものだわ……」
「柔らかい!?……そんなはずは無いんですけど」


ほへ?

今、自分でも相当間抜けな顔をしているのが分かる。
わたしが改めて、手の中にあるソイツを確認する前に、さっき倒した机の影から、
ガサガサと這い出てくる黒いものが見えた。

「………」
「………」
「………」

全員、何が起きているのか把握するまでにたっぷり5秒は掛かったと思う。
ワンテンポ遅れて、教授がコントローラーのスイッチを押すと、
非常用に、ロボットの眼に仕込まれたLEDランプが点灯した。




………わたしの手中にあるヤツからじゃなくて、さっき這い出てきた方から。
その代わりといっては何だけど、わたしの手の中で不気味なまでに太い2本の触覚がわさわさと動いた。

これ……本物? 


その後のことは、不覚ながらも記憶にない。
後で聞いた話だけど、アレが比較的平気なプロデューサーがいてもなお、現場は地獄絵図だったとか。
まぁ、液晶画面の割れたマイPCを見ると、わたしがあの後どう暴れたのか何となく想像できるけど。
被害が液晶のみで良かったわよ。中のデータは抜き出せるから。
そんなわけで、今日はオフを潰してアキバへ買出しに来ているんだけど……

「なぁ、本当にいいのか?一応労災下りるし、半分とはいえ律子が出す必要は無いと思うんだけど」
「うーん……これはわたしなりのケジメってことで、ね……キレて暴れたのはわたしの不覚だし、
プロデューサーだって、社長がいいって言ったのに始末書書いて、こうして今日も付き合ってくれてるし」

誤解の無いように言っておくけど、あの時の脅迫じみた交渉は、半分冗談。
元、経営スタッフだった人間として、わが社の経済事情からプロデューサーの給料まで知ってるわけだし、
アイドルなんて仕事している以上、ドッキリにマジギレするほど大人気なくも無い。
最後は、妥協案として皆で一回食事をおごるくらいで許してあげようと思ってたんだけど……
プロデューサーと教授の二人が、本当に交渉どおりのものを用意して、
本気で何度も謝ってくれたから、逆に申し訳ない気分になる。
今日の買い物だって、ノート本体はわたしと事務所の出費だけど、周辺機器は教授持ちだから。

「ところで律子……ありがとうな」
「ほえ?何ですかいきなりお礼なんて言って」
「ほら、あの時……隠しカメラで見てたんだけどさ、皆を守ってくれただろ?律子も苦手なのに。
俺を電話で呼ぶのも拒否したじゃないか。本来一番の功労者で、被害者でもあるのに……
今日だって、事務所の事情を知って何も要求しないから……感謝の気持ちだけは言っておきたくて」

……プロデューサーを一日独り占め、というのがすでに要求なんだけど……
多分分かってないわね、この、レッスンやプロモーションは敏腕のくせに、
乙女の気持ちには極めて鈍感、見習い以下クラスなこのプロデューサーは。

「ふ、ふふん……まぁ、いずれこの765プロが自社ビルでも構えるようになったら、
せいぜい沢山尽くしてもらいますよ。今は出世払いにしておいてあげます」
ああもう、真面目な顔でお礼なんて言われるとドキッとするじゃないのよ。
普段はズボラで隙だらけのくせに、こういうときは妙に男前になるんだから!?
とりあえず、半分紅潮した顔を誤魔化すようにわたしはプロデューサーに背を向けて歩き出した。

そこまで言うなら、最後に一つだけお願いしてみようかな?
あの時行ったPCアクセサリ専門店で、安いエンブレムを買ってもらおう。
そして、きっと30分くらいは真剣に悩むその顔を見ていたい。それだけで幸せな気分になれるから。

事務所的にはあまり儲けになってない今回の仕事。
春香や雪歩は「結果的に美味しいものが食べられたからオッケーです♪」と言ってくれたけど、
多分、今回一番得をしたのはわたしかもしれない……
プロデューサーのぴったり横を歩きながら、わたしはそんな事を考えていた。



おしまい。 


.

上へ

inserted by FC2 system