バックヤード

作:456

あと24週。
プロデューサーとアイドルの息は、確実に合いだしていた。
オーディションに合格し、アピールを決めるアイドルを画面越しに見つつ、音無小鳥はそんな事を思った。
初顔合わせではあまり上手くいっていないようだったが、いまやそのときの面影は微塵も感じられない。
アイドルはプロデューサーを信じてレッスンにオーディションにと活動しているし、
プロデューサーも、それに答えるように精力的に仕事を探し、オーディションの対策を練っていた。
練っていた――今日のオーディションの対策も。
小鳥の席から右にふたつ、前にひとつ。他のデスクに比べてやたらファイルの多いその机は、1週間前はとてもきれいなものだった。
人間は、わずか1週間で机をあそこまで汚す事ができる。
画面の中で765プロデュースの期待のホープが最後のアピールを決める。
そして、当のプロデューサーは、それを見て「よし」と言った。 


「上手くハマっていますね」
「あ、ありがとうございます」
映像に見入っていたプロデューサーにコーヒー入りマグカップを差し入れ。
誇らしげな顔から一瞬で感謝の表情が現れるプロデューサーも、画面の中で歌い踊るアイドルの表情に負けず劣らず器用だと思う。
「これで、何人のファンが増えてくれますかね?」
「うー…ん、こればっかりはちょっと」
読めませんねぇ、と笑うプロデューサー。
そうですねぇ、と笑う小鳥。
「…さて、と。プロデューサーさん、今回の伝票お願いします」
「あ! お願いします是非お願いします。これ、落としてもらわないと、」
「また、3食カップラーメン、ですか?」
クスリと笑う。
期締めに伝票を渡さなかったのだから自業自得と言えばそれまでだが、
以前プロデューサーは小鳥に伝票を渡し忘れてとんでもない目に遭っていた。
その様子が余りにも余りだったので、
それ以降小鳥は自分から率先してプロデューサーに伝票を渡すようにいい続けてきているのだった。
本社ビルの姿がどんなに変わっても、これだけは変わらない。
彼が伝票を忘れたあの時から、これからもずっと続いていくんだろうな。小鳥は漠然とそう思う。

プロデューサーは、小鳥にできた初めての後輩だった。
プロデュース業と事務業はもちろん畑が違う。
しかし、765プロデュースが大手を振って名刺を出すのにはばかっていたあの借事務所では、
畑違いなどと言っていられる余裕はなかった。
伝票整理に駆り出したし、備品の購入の電話をしてもらったこともあったし、テレビ局の重役へとお茶を運んでもらった事もあった。
…最後のは事務業でもない気がする。
とにかく、そのくらい人手がなかった。
だから、彼は小鳥の後輩だった。小鳥自身がプロデュース業に手を出すことは全くといっていいほどなかったが、
それでも彼は小鳥の後輩であった。
もうどのくらい前になるのか、彼が始めて765プロデュースの戸をくぐったときの事を思い出す。
あのときの彼は、小鳥以外の従業員がいない事に驚き、それでも人がいないことを感じさせないほど小さな事務所に驚き、
しかし、それでも小鳥に向けて頭を下げ、
「今度からここで働かせていただく事になりました! よろしくお願いします!」
それが、今や。 


あと8週。
ゆっくりではあるが確実に力をつけた我らがアイドルの今回のCDリリースは、なかなか好調な滑り出しを見せていた。
さすがにヒット・チャート1位を狙う事はなかなかできないが、アイドルランクを考えても上々といった売り出しだ。
「小鳥さーん、出荷枚数の事なんですけどー、」
「はーい。…あ、これはちょっと少ないかもしれませんね。もちょっと増やしておいてもらえますか?」
一番の古株の癖に、小鳥は相変わらず誰にでも敬語で話していた。
ありがとうございますー、といって席に戻る事務員を見ながら、小鳥は誰にも聞こえないほど小さなため息をこぼした。
小鳥の席から右にふたつ、前にひとつ。もうすぐ定時になるというのに、相変わらず彼は帰ってこなかった。
壁に掛かったホワイトボードを見ると、彼はしばらく事務所には戻れないらしい。
最近はずっとそうだ。もちろん、我らのアイドルが認知されて広範なプロモーション活動ができるのはすばらしい事だ。異論はない。
だが。
…最近、ぜんぜんお話できませんね。
彼がプロデュース業についての悩みを小鳥に相談した事は片手の指に収まる数だったが、
反対に小鳥が事務業について彼に相談した事は足の指を使っても足りない数だった。
さっきの納品の件もそうだし、接待するときの茶の銘柄については彼のほうが詳しいときすらある。
もちろん、それは単純に彼のほうがそういった知識に詳しいのかもしれないし、
出張先で聞くことができた他社の重役の好みなど小鳥が知る術はない。
…ちょっとくらい、事務所に顔を出してくれたっていいのに。
そんな事を考えていたとき、電話が鳴った。はっとして、すぐに受話器をとる。
「お世話になっております、765プロデュースでございます」
『あ、小鳥さんですか? お疲れ様です』
果たして電話の向こうには件の彼がいた。
ずいぶん久しぶりに聞いた気がする彼の『お疲れ様です』は、それ以上に疲れているように感じられた。
「お疲れ様です。…プロデューサーさん、何か疲れてませんか?」
『へ? ああいや、大丈夫です。それより、ちょっと定時に戻れそうにないんですよ。それで――』
「今日も、ですか?」
予想外に硬質の声が出た。
昨日も彼は残業だった。一昨日もその前も。ここ数日、彼が定時であがったことを見た事がない。
そんなに働いてたら、いつかあなたのほうが壊れちゃいますよ?
だが、彼はその声色をどう捕らえたか、
『う…その、自分でも残業申請は多いとは思ってるんですけど』
そんな事を言ってきた。受話器を片手に頭を掻いている彼の姿が浮かぶ。
――そんなつもりで言ったんじゃないのに。
「いえ、その…。あ、残業申請ですね? 分かりました。後で書類にハンコお願いしますね」
そんなつもりで言ったんじゃない、という言葉を飲み込む。
『すみません…。よろしくお願いします。それじゃ、もうちょっと会議続きそうなんで、このあたりで。社長にもよろしくお伝え下さい』
そういうと、彼はすぐに電話を切った。
今度のため息は隣のスタッフにも聞こえたようだった。怪訝な表情で見られ、小鳥はすぐに笑顔を取り繕う。 


良くできた後輩君だ、と小鳥は思う。
入社してわずか1年でアイドルをプロデュースし、大成功を収めた。
大成功の夜は、社を上げての――といったところで、古株と少々の新顔しかいない面子だが――宴会となった。
一発芸大会では社長が若い頃に封印したという、それは見事な腹芸を解禁し、一同を爆笑の渦に巻き込んだ。
腹を抱えて笑い転げる者、大口を開けずとも笑っている者。その中で、小鳥は見た。
プロデューサーの、取り繕った笑い顔。
宴会の後、どうしようもなく気になった小鳥は、
――…あの人とお別れしたの、辛いですか?
――辛いっていうか…そうですね。学校の先生とか、こんな感じなのかなって。
迂闊がすぎる質問だったと思う。辛くないはずはなかった。
1年間苦楽をともにしたアイドルとの別れが、辛くないはずはなかったのに。
――その、生徒を卒業させる先生っているじゃないですか。卒業学年の担任とか。
先生の立場の、卒業式はこんな感じだろうか、彼はそう言って寂しそうに笑った。
その笑顔を見て、何も言えなくなった。
そして、その卒業式は、あと8週後に控えていた。 


あと2週。
今日は彼の担当アイドルが事務所に来ない日だ。とはいえ、彼自身が休みというわけではない。
明日に控えている大型ライブの会場設営についてやっておかなければならない事務仕事はあふれるほどあるし、
翌々日のドキュメンタリーに必要な資料を集めるのも一苦労だ。
そして――お別れライブの会場も、そろそろ決めておかなければならない。
彼は最後のライブ会場を決して他人に決めさせなかった。相談するにしてもアイドルだけだ。
たまに会場の使用料と収容人数を聞きに小鳥をたずねる事はあったが、場所選びの相談など、小鳥は今まで受けた事がない。
「プロデューサーさん、ドキュメンタリーの資料、集めておきましたよ」
「あ、ありがとうございます。助かります」
そう言って笑うプロデューサーの目元には隈ができていた。
その彼の机の上には数種類のライブ会場の案内資料が散乱している。
また、この時期が来たのだ、と思う。
「…お別れライブ、ですか?」
「はい。その、もうすぐ、ですから」
今のうちに決めておかないと、と彼は言った。
「そう、ですね。決めておかないと、予約ができなかったら大変ですから」
動揺は隠せたと思う。最初から分かっていた終わりでも、1年間――52週は想像以上に早かった。
「ええ。…次のためにも、全力を尽くさないと」
次のため。
その言葉に、小鳥は奇妙な印象を感じた。
次のため、とは、いったい誰のための『次』なのか。
「それは、」
誰のためですか、と問おうとしたとき、タイミング悪く彼の席の電話が鳴った。
「はい、765プロデュースでございます」
疲労を感じさせない明るい声で出た先は、会話を盗み聞いたところ大型ライブ会場の管理事務所のようだった。
カレンダーを見る。明日は大型ライブの日、明後日はドキュメンタリーのゲスト撮影、その次はサイン会、
そして、もう少し下の赤い丸のついた日。
――学校の先生とか、こんな感じなのかなって。
あのときの会話がよみがえる。
始まりには終わりがある。
プロデューサーが受話器を置く。

そして、 


誰もいないはずの深夜の事務所に光がついているのを、退社直後の小鳥は見た。
ひょっとして電気を消し忘れただろうか。
ありうるかもしれない、人気絶頂だったアイドルの活動休止に伴って生じた、
それはそれは多くの雑事は、小鳥をはじめとした多くの事務員に残業を余儀なくさせていた。
それと同時に多かったのが、アイドルの活動休止に対するファンからの要望だった。
まだ終わらないで。
もっと続けて欲しい。
早く復帰してくれ。
余りにも多くの要望は、事務所の電話をパンクさせるほどだった。
それほどまでに多くのファンに愛され、望まれ、それでもなおアイドルは活動を休止したのだ。
お別れライブの告知以来、小鳥はずっとこの手の要望の処理に追われてきた。
対応件数はお別れライブが近づくにつれて多くなり、そして今日、
終電がもうすぐのくせに最後まで残るといって聞かなかった事務員の最後の一人を帰した後、
小鳥は黙々と事務仕事をこなし続けたのだった。
…最近、疲れてるからかなぁ。
エレベーターを上へ。いくら疲れているからといって、電気を消し忘れるほどなら相当重症だろう。
765プロデュースの事務室の扉をくぐる、ため息を一つついて電気パネルに手を伸ばし、
彼を見た。
小鳥の席から小鳥の席から右にふたつ、前にひとつ。
マグカップを傾ける、電卓とスケジューリングノートを繰る、アイドルの最後の報告書を書いている。
「あ…」
その姿が、小さく見えた。
小鳥のつぶやきに、彼はゆっくりと顔を上げた。
「あ、小鳥さん、お疲れ様です」
そう言った。 



「…その、今回は、えーと…お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございます」
そういって、彼は笑って頭を下げた。
「報告書なら、何も今日でなくても」
どうしてこんな時間に、とはあえて言わない。
小さく見えた彼の姿。よみがえる会話。
「あ…その、今日じゃなくても、まあ…良かったんですけど」
けじめみたいなものですから。彼はそう言うと、マグカップを再び傾けた。
書類に目を落とすと、細かい字でびっしり書かれているレポート用紙と、アイドルのスナップ写真が目に入った。
「ところで、小鳥さんはどうしてこんな時間に?」
「あ、退社したんですけど、電気が付けっぱなしになってるのかなって思って。そうしたら、…」
言葉が続かない。目線を外す。
「あ、そうでしたか。どうも申し訳ありません」
「いえ、その、プロデューサーさんも遅くまでお疲れ様です。…えーと」
かしこまって頭を下げるプロデューサーに慌てて手を振りながら労いの言葉を掛ける。
言っていいのかわからない。それでも、言っておいたほうがいいと思う。
「その、今日は、本当におめでとうございます」
「あ、ありがとうございます。これで、いい形で次につなげそうです」
『次に』。再び出た言葉に、小鳥は一瞬揺らいだ。
次、とは誰の次なのか。
「次、ですか?」
「はい。…彼女と、俺の、次です」
プロデューサーの顔を見上げる。彼の表情に浮かぶのは、決心と何かを見据えた澄んだ目だった。
「それは、」
「彼女がいつ復帰しても大丈夫なように。お別れコンサートが、成功してくれて良かった」
まだ終わらないで。
もっと続けて欲しい。
早く復帰してくれ。
小鳥の脳裏に、熱望とも言えるファンの声が響いた。
言い方は違えど、彼らの望みはたった1つ――
『また、彼女に会いたい』。
彼女が戻ってきたときに、その声援が鳴り止まないように。
彼女を迎える声が、消え去らないように。
それこそが、彼の言う『次』だった。
そして、
「そして、彼女に胸を張って『俺がプロデューサーだ』って言えるように。
そのために、けじめはつけなきゃいけない」
始まりには、終わりがある。
それでも、プロデューサーをし続ける。
「それが、俺の…バックヤードの誇りです」 


先に帰っていただいたほうが、という申し出に対して、仕事が終わるまで待ちます、
と頑として受け付けなかった小鳥を連れて夜道を歩く。
夜道の桜は満開で、緩やかな風に吹かれて花びらが舞っている。
「プロデューサーさん、なんだか雪みたいですね」
「そうですねー…」
それをボンヤリと眺めるプロデューサーを尻目に、小鳥は両手を出して花びらをつかもうとする。
はらはらと舞う花びらの、幾枚かが小鳥の手に収まった。
「小鳥さん、電車大丈夫ですか?」
「あ、わたしの家近いんです。だから大丈夫」
花びらを落とす。
今日という日が終わりを告げる。
「ねぇ、プロデューサーさん」
「はい?」
「…頑張りましょうね。明日も、明後日も、その次も!」
もちろん。
新緑のまぶしい時期は、もうすぐそこに迫っていた。 



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