好奇心はプロデューサーを殺すか

作:456

そいつは、どこにでもいるノラ犬だった。
小学校のときの記憶、おぼろげな上にセピア色の世界に、そいつはいまだに住んでいる。
校庭のすぐ近く、よくあったような空き地の土管に住んでいたそいつは、学校の人気者だった。
実に不細工な顔をしていたくせに、学校の女子から姓は八、名は兵衛という実に大層な名前をもらったそいつは、
「ハチ」という愛称で呼ばれれば尻尾を振ってどんなやつにも体当たりを敢行する元気いっぱいのワンコだった。
餌をやれば尻尾を振るし、
雨が降れば土管の中で震えているし、
石を投げれば尻尾を緩やかに揺らしてタイミングを計り、猛然と突っ込んでくる、
なかなか愛嬌のあるやつだった――かく言うプロデューサーも、餌を与えた1人だし、石を投げた1人だ。
小学校など卒業して久しい。
しかし、思い出は突然よみがえるのだ。 


誰だって気になることの1つくらいあるものだ。
どうして雲は白いのか、とか、そういった哲学的なものではなくて、
例えば、高木社長はどんな顔をしてるのか、とか、そういう身近な人のちょっとしたひとコマ。
とりわけ物忘れが多い最近はずいぶんそういうことが気になる。単に疲れが溜まっているのだろうか。
ソレに気になったのはつい最近の事だった。
プロデューサーはいつものように出社してきた三浦あずさと軽妙な挨拶を交わし、社長から今週の流行を聞く。
「…あれ。あずささん、今日はずいぶん機嫌がいいですね?」 
「あ、わかりますか?」
栽培しているお花が今日やっと咲いてくれて、とあずさは顔を綻ばせた。
ほほえましいひとコマ。首をちょっとだけ傾げて微笑むしぐさにあわせて、特徴的な前髪がゆれるゆれる。
その女神のような微笑はこちらも笑顔にされてしまう――あれ?
もうとっくに、あずさはまっすぐにこっちを見ている。
今日もテンションは最高だ、オーディションだろうが営業だろうがドンと来い、
さあプロデューサーさん、今日もよろしくお願いします。
そこまではいい。
…いまだに前髪がゆれているのはどういうわけか。
「? プロデューサーさん、どうかなさいましたか?」
「あ、え、い、いや、なんでもないです。えーと、じゃあ今日は…」
気になる。 


今日の予定は営業です。
そんなわけで、プロデューサーとあずさは大型CDショップでプロモーション活動をしていたのだった。
しかし侮るなかれ、CDショップでのプロモーションといっても、
店側も今をときめくスーパーアイドルが来店するとなれば気合の入り方が尋常ではない。
街頭では『三浦あずさ来店!!!』というポスターが日付入りで入っているし、
今日に限ってポイント2倍を声高に主張したりするし、
おまけに今日CDを購入した皆様にはもれなく『三浦あずさ直筆サイン入りポスター』を先着100名さまにプレゼント。
大混雑。
予想通り興奮の坩堝と化した店内には、期待を一身に背負ったアイドルのためのお立ち台がセットされていた。
本当にあそこでプロモーションするんですか、というあずさに、
世界平和のためです、という意味不明な説明でなだめすかして台に乗せる。
瞬間、すさまじいまでのフラッシュがあずさを襲う。カメラ小僧――世間一般にそういわれる彼らの行動力はすさまじい。
さらには、どこから聞きつけたのか、
『三浦あずさ親衛隊』というのぼりを背負った集団が鬼のような勢いであずさをフィルムに納めている。
その結束力たるやすさまじく、
1、撮影中は私語厳禁
2、隊員は全員紫のジャケット(注文は別途連絡の事)を着用
3、行進はまず右足から
4、規則遵守
5、上記1〜4を犯したものは会員更新を認めない
という誠に奇妙な規則まで作る始末。
不思議な事に会員には毎月あずさの仕事スケジュールが伝達されており、
その魅力的な特典のおかげなのか規則を破るものは誰もいなかった。
――変に意識しないといいんだけど。
だが、もちろんあずさはガチガチにそれらを意識していた。
彼らもれっきとしたファンの1人(?)であるし、という事はアイドルとして最も大事な人々の1人(?)であるし、
…しかし、視界いっぱいに広がる紫のジャケットの視覚効果は迫るものがあった。
――ああ、意識しちゃってるなあ…
観衆に混ざってあずさを見ると、彼女は実に困ったような視線をプロデューサーに投げた。
――ぷ、プロデューサーさん、どうしましょう〜?
――気にしないで、目の前の人たちは全員カボチャか何かだと思ってください!
無茶苦茶なアイコンタクト。それでも、とりあえず『気にしない』という部分は伝わったのか、何とかいつもの笑顔を浮かべると、
「三浦あずさファーストアルバム『9:02p.m.』、ぜひよろしくお願いします〜」
表面上はいつも通りに、何とか口上を言い切ったのだった――あれ?
目を凝らす、彼女の前髪が力なく垂れ下がっているように見える。
…朝はもうちょっと起きていたような気がするんだけど。
気になる…。 


「お疲れ様でした、あずささん」
「はい〜、ファンの人たちととっても近かったですね〜」
午後はTVの撮影が入っていた。プロデューサーの車でTV局まで移動する。
こうしていると、CDショップではずいぶん緊張していたという事がはっきりと分かる。
あずさの表情は笑顔満開であるし、さっきまでの引きつったような様子は微塵も感じられない
(余談だが、サイン入りポスターはそのほとんどを親衛隊の人たちが持っていってしまった)。
窓を開けると夏の澄んだ空気が車内を満たした。
このままドライブにでも行ってしまえたらどんなに楽しいだろう――そんな思いは、赤信号につかまって霧散した。
「今日は何のテレビでしたっけ?」
「今日は…確かバラエティのゲストですね。何でも世界のテレビ番組を編集して放映するんだとか」
「えーと〜、テレビの中のテレビにコメントをつけるんでしょうか?」
そうですね、と言おうとして、あくびが出た。
ふわ、という情けない声を出す口を左手で覆い、信号がいまだに変わっていない事を確認する。
目の前の横断歩道では黄色い帽子の小学生が手を上げて信号を渡っていた。
視線を感じる。顔を左に向けると、果たしてあずさはプロデューサーの方をじっと見ていた。
「…えーと、どうしました?」
「プロデューサーさん、昨日は遅かったんですか?」
「ええ、まぁ。その、最近暑くて寝苦しいじゃないですか」
書類を作っていたとは言わない。小学生が横断歩道を渡り終わる。歩行者用信号が点滅を始める。
「む〜。夜はちゃんと身体を休めないと、めっ、ですよ?」
そう言って人差し指を立てるあずさは実にかわいらしい。
大人のおねーさんに向かって可愛らしいとはどうかと思うが、そう感じてしまうものは仕方がないではないか――あれ?
ぴんと伸びた指先、逆ハの字になった形のいい眉、むー、としまった唇。
そして、ピン、とボンネットを指す前髪。
…さっき、垂れてなかったっけ?
信号が青になる。小学生が再び横断歩道を渡り出す。プロデューサーさん、青になりましたよ〜、という隣からの声。
気になる…! 


収録が無事に終わり、事務所に戻ってきた時には既に日は沈んでいた。
帰社報告を済ませ、アイドルランクを聞き、ファンからのプレゼントを確認し、
「あ、あずささん、ファンレターが届いてますよ」
「まぁ、うれしいです〜」
そう言うあずさの表情は本当にうれしそうだった。
見ているこっちもつられて幸せになってしまいそうなその笑顔にプロデューサーは一瞬見とれ、すぐに首を振った。
何考えているんだ、自分の担当しているアイドルに――あれ?
にこやかに微笑むあずさの表情のちょっと上、あの特徴的な前髪。
実にパタパタと揺れている、あの特徴的な――

小学校のときの記憶。
もうおぼろげにしか覚えていない、しかしセピア色の記憶の中に確かに存在する、実に不細工な顔をしたあいつ。

電撃的に、ある考えがプロデューサーの頭の中を席巻した。
そう考えれば、少なくとも起きている現象は説明できる事になる。
世の中の科学とは、全て事実を認める事から始めるのだ。
起きている事を認めようと思う。何が起きても。何が起ころうとも。
「あの、あずささん」
「? なんでしょう〜?」
「つかぬ事をお伺いしますが…」
ゴクリ、とつばを飲む。すさまじいまでの緊張が襲う。手にいやな汗を感じる。背中が空寒い。
それでも。

この瞬間、プロデューサーは、確かに、漢であった。

「前髪、ワザと立ててます?」

瞬間、事務所が凍った。
事務員が一斉に机の下に潜る、社長室のドアの鍵が閉まる、窓からすぐ見える電線に止まっていたカラスが一気に飛び立つ。
「あ、朝はいつも直してくるんですけど〜、いつの間にか立ってきちゃうんですよ〜」
あずさはそう言って、実に困ったような表情を見せた。
同時に前髪がほんのちょっと萎れる。
それを見て、確信した。
うれしくてパタパタ振る。怯えて垂れ下がる。怒ってピンと立つ。
あれは尻尾だ。絶対そうだ。
得心がいったようなプロデューサーの表情を見て、あずさは再び困ったような表情を見せた。
…表情は。
「あら〜…。また、ばれちゃいましたね〜」
「い、いやでもその、いいんじゃないですか!? ほら、特徴的だし可愛いし」
可愛いだなんて〜、と身をよじるあずさ。表情だけを見れば幸せそうだ。
…表情だけを見れば。
しかし、あずさは、
「ところで、プロデューサーさん、」
その特徴的な前髪は、
「相手を襲うときって、」
緩やかに揺らしてタイミングを計り、
「尻尾がどう動くか、ご存知ですか?」

「え?」



ふりだしにもどる。 



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