無題

作:名無し

「すみません。さっきのギターリフ、もう少し機械的にやってもらえませんか? ただしCメロからは感情入れてもらって」 
「ドラム早いです。調和を乱してますよ」 
「私の声に合わせてください。キーはもう一段階高くても結構です」 
 千早が不遜とも取れるほどの言い方でバックバンドに指示を出す。
それも自分よりはるかにプロとしてのキャリアを積んだ先輩たちにだ。 
 確かに衝突やトラブルもあった。小娘が偉そうに! それは傍で見ている俺も同感だ。
実際にやってられないと抜けていくスタッフも少なくはなかった。 
 しかしそれも千早のリハーサルでは一種の名物になりつつある。
我を通すだけの実力があると、その指示が的確であると、認められ始めてきたのだろう。 
 幼き女王。 
 スタッフたちから影で囁かれる千早の渾名である。うまいことを言ったものだ。
確かにステージの上では千早は女王様。バンドも演出も観客も、そして音が千早の前に跪く。 
「いいですね、アンサンブルがしっかりしてきました。過剰な自己主張がなくなって耳に馴染みます」 
 ようやく千早が満足げな笑みを浮かべる。 
 俺もホッと胸を撫で下ろした。この間のように千早の態度にキレたベースと取っ組み合いをしなくてもいいようだ。 
 だがその笑顔も次の曲のリハが始まる頃には消えていた。また女王様の手厳しいアドバイスが飛ぶ。 
「今日の千早嬢は機嫌悪いですねえ」 
 ステージ袖からリハを眺めていた俺に安井が声をかけてくる。照明や音響の責任者だ。
まだ二十代半ばと歳は若いが、いい仕事をする。千早の試練を潜り抜けた、通称『千早組』のひとりである。 
「そりゃ初全国ツアーの最終日だ。緊張のひとつもしてるんじゃないか」 
「千早さんが緊張? 面白い冗談ですね。
俺はデビューしてすぐの頃から彼女を見てますけど、最初からサバサバしたもんでしたよ。
心臓に毛が生えてるってのはああいうのかと驚いたもんです」 
「そうかねえ。外面だけはよくて内弁慶ってやつなんだがな」 
「お。さすが真田プロデューサー、うまいですね」 
「いや、半分は本気なんだけどな」 
 そうだ。最初から千早も今のようなクソ度胸を持っていたわけではない。
最初のステージを踏んだ時は、演奏中はなんともなさそうにしていたが、緊張のあまり控え室に帰ってきて早々吐いた。 
それは上着を吐瀉物で汚された俺が一番知っている。ただそういった弱さを外に出さなかっただけだ。 
 弱みを見せたくない。魅せるのは歌だけでいい。 
 千早はそんなセリフを吐く女だった。 
 だから俺もそれに従い、彼女のイメージを作り上げたのだ。 
「おっと、いけね。あんまりダベってもいられないな。女王様がお怒りだ」 
 慌てた安井が咥えていたタバコを足元のバケツに落とし、そそくさとバックステージへと消えていった。
ふとステージに目をやると千早がこちらを睨んでいる。 
 といっても俺はプロデューサーだから、今となっては特にやることはない。千早とスタッフに気を使うぐらいのものだ。
ステージ袖でタバコを燻らせていようと、千早にとってはどうでもいいことのはず。 
 千早が俺にだけ分かる緊張の面持ちでこちらにツカツカと歩み寄ってきた。その硬い表情が凛々しい美貌によく似合ってはいる。 



「リハは終わったのか」 
「ええ、一応は。控え室で休みます」 
「ご苦労さん」 
 軽い労いの声をかけられた後も千早はその場を動こうとはしなかった。 
「ん、どうかしたのか」 
「……プロデューサー、お話があります」 
「ふうん。ここではできない話か」 
「はい」 
「オーケイ、じゃ場所を移しますか」 
 控え室にはメイクとスタイリストがスタンバっていたが、
俺が「ちょっと女王様はご機嫌斜めなんだ」と耳打ちすると、
彼女たちは「大変ですね」と心底気の毒そうに控え室から出て行ってくれた。 
 千早はメイク台の大きな鏡に向かってイスに座り、俺はその後ろにあるソファに寝転がった。 
 鏡の向こうから千早が睨んでくるが、俺は気が付かない振りをする。 
 タバコを咥えた。 
「歌手の控え室ですよ」 
「だから火は点けてないよ」 
「そういう問題ですか?」 
「そういう問題だな」 
 大きな溜息を吐く千早。それにも気が付かない振りをする。 
「で、話ってのはなんだ。怖気付いたってのはナシだぜ」 
「……わかってるくせに」 
 背もたれに肩肘を乗せ、半身になった千早の目が俺を見る。世の中の男の心を掴んで離さない氷の眼差し。 
 今はそれが融けたように潤んでいた。 
「その話はもう終わった」 
「終わってません!」 
「終わった。そもそもがあり得ない話なのさ」 
 俺は薄汚れた天井の汚れを、何とか意味のある形に見えないものかと頭を使った。千早のことを考えないように。 
「あり得ない話、ですか」 
「ブレイク中のアイドルが恋を激白か、陳腐すぎて涙が出るね」 
「恋に陳腐も何もありません」 
 プロデューサーの俺がまったく気が付いてないうちに、千早は恋をしていた。
アイドルのプロデューサーとしては痛恨のミスと言っていい。そして相手が最悪だ。 
「おまえは勘違いをしてるぞ。確かに俺とおまえは一緒に修羅場を乗り越えてきた。親近感も湧くだろう。
だけどな、それは恋じゃない。恋に似た錯覚ってやつだ」 
「錯覚じゃありません」 
「俺はおまえの担当プロデューサーで歳も十以上違う。そしておまえは今をときめくトップアイドルのひとりだ。
そのうち若くてイケメンなお相手がゴロゴロ現れる。だから錯覚ってことにしとけ」 
 天井の汚れはただの汚れにしか見えなかった。 
 イスの足が地面に擦れる音がし、千早の気配が近付いてくる。 
「錯覚じゃありません」 
 天井に向けた視線が、千早の泣きそうな表情に阻まれた。 
「プロデューサーはそうやっていつも誤魔化すんですね。でも私は本気です。歌に対する想いと同じくらい本気です」 
「よせ。その大切な歌が歌えなくなるぞ」 
 千早の瞳が、鼻が、唇が迫ってくる。俺の意思とは反して身体は動こうとしなかった。いや、果たして意思もそうなのか? 
「歌はいつでもどこでも歌えます。大きな舞台で歌って気付きました。小さなライブハウスでも路上でも、歌はいつも同じです」 
 熱い吐息を肌に感じる。どうした、俺よ。抗え。 
「プロデューサー……」 
 千早の唇が俺のと重なった。柔らかな弾力、微かな震え、千早の香り。彼女の何かが俺に流れ込んでくるのを感じた。 


とりあえずここまで。
続く可能性有。 



上へ

inserted by FC2 system