ボーナストラックCONTINUE++

作:426

「……ごめん、やっぱり違うみたいです。一旦止めて下さい」

二人の顔に、落胆の色がはっきりと見て取れる。
それもそのはずで、すでにリテイクの回数は40回を越え、これ以上のレッスンは
歌手の命ともいえる喉にダメージを与えてしまいかねない。

「うっう〜……ごめんなさい。結局今日は成果が出ませんでしたねっ……」
「気にするなって。1週間やそこらで成功するほど甘いレッスンでも無いし。
それに二人とも、ソロで歌うなら充分なボーカル力を持ってるんだから」

アイドル【ユニット】……その意味と存在価値を、プロデューサーはまず認識しなくてはならない。
ただ、可愛い女の子の頭数が増えるだけとか、レッスン補正値が伸びたりとか、
ギャラが二分されるとか……そんな表面だけの問題で済むのは架空の話だ。
「あずささんも聞いてください。今回、やよいとユニットを組むにあたって普段より厳しい
ボーカルレッスンをしているのは、デュオで歌うという意味から強さまでを、理解して欲しいんです。
ただ、別々に仕事をこなすのみでは【人間】がそこにいる必要は無いんです。
それこそ今は録音機材が充実してますし、素人が聞く分には問題ないレベルの歌になるでしょう」
ボーカル、ダンス、ビジュアル……数ある評価基準のうち、まだ未知の領域であり、
人はそれを【オーラ】とか【雰囲気】とか呼んでいる、具体的能力値以上の、何か。

その、何かを手に入れるために組んだ、今回のボーカルレッスン……というより、特訓。
息遣い、感情の込め方、阿吽の呼吸……挙げればキリが無いが、
デュオで歌う事、そしてファンを感動させる事。
その領域まで、まだ何かが足りなかった。少なくとも、プロデューサーはそう判断していた。

新曲のリリースが遅れれば、イメージは下がるし、世間にも忘れられるというリスクはある。
しかし、手を抜いた仕事をすればイメージの減衰どころか即死に繋がるというのも、
芸の世界の特徴でもある。
必ずしもこうであると断言できないのが、この世界の恐ろしいところでもあり、面白いところでもあるのだ。

「大丈夫……かならず良いものに仕上げて、ファンをあっと驚かせましょう。
二人で頑張れば、きっと出来るはずですから。
とりあえず、スタジオ借りられる時間も終わりますし。今日はもう上がりましょう。着替えてください」
「はい……」
「は〜い……」

元気を売りにしているやよいですらテンションが低く、今日は美味しい晩御飯、
とはとても無理な雰囲気がスタジオ内に漂っていた。
上手くいかない時もある……そんな事は分かっていながらも、精神的に辛い事は変わらない。
「まぁ、悪い方に考えるな。ランナーは溜まっているがタイムリーを打たれたわけじゃない。
来週までに仕上げれば、6・4・3のダブルプレーで一気にピンチ脱出と思え」

やよい限定の野球話で例えて、何とかテンションの下降を食い止め、この場を収める。
隣であずさが無数のクエスチョンマークを出しているのが気になるが、
スタジオの使用時間も迫っているので、とりあえずは切り上げて二人に着替えてもらいたかった。 


「……じゃ、俺は車を出してきますから。着替えたら鍵を返却して、表に来てください」
この時点で、彼はまだ予想していなかった。
まさか、あんな奇怪な事件が起こるなんて。



■


「うっう〜あずささんっ、いったい私たち、何が足りないんでしょうか……」
繰り返すが元気が売りのやよいといえど、ここまで結果が出ないとさすがにテンションは下降している。
こんな時に強いのは大人のあずさだが、彼女とて落ち込んでいるのは変わらない。
それでもパートナーのやよいに心配を掛けまいと、精一杯の笑顔を見せた。
「ん〜……わかりませんけど、それを見つけるのがわたしたちのお仕事ですよ。
誰にでも出来るような事をしているわけではありませんから……難しいのは当たり前だと思うんです〜
だから、プロデューサーさんを信じて、明日も頑張りましょう」

苦楽を共にしているからこそ、彼女の励ましは説得力を以てやよいに力を与える。
デュオとして組んでいるあずさはやよいにとって憧れの人であり、
同時に兄や姉のいないやよいにとって頼れるお姉さんでもあった。
「あずささぁん……ありがとうございます!!うん、元気でてきましたっ」
母性を象徴するかのような大きな胸に顔を埋め、
やよいは【この人がパートナーで良かった】と心から思う。
頬に当たる柔らかな感触と、わずかに感じるお化粧の匂いがやよいの心を安心させるも、
ニットの毛糸部分が鼻をくすぐり、くしゃみの神経が刺激された。

「ふぇ……ぇ、ふえぇ……あぅ、だ、ダメですっ……あずささん離れてっ!?」
抑えきれない衝動を、一歩でも遅らせるためにあずさの胸から顔を離す。
鼻水をかけてしまわない様にとの配慮だが、そんな事を知らないあずさにとって、
やよいを心配している以上、言われていきなり離れる事など出来なかった。

「……くちゅんっ!!」
招かれざる爆発は、限界を超えてやよいの鼻と口からかわいらしく飛び出した。
どうにかして被害を食い止めようと後ろに飛ぶが、そこにあるのはスチール製のロッカー。
ごつんと音を立てて後頭部をロッカーにぶつけながら、綺麗にバウンドしてあずさの方へ戻る。
「やよいちゃんっ!?」
慌ててやよいの身体を抱きとめるが、勢いのついた37キロのボディプレスは
さすがのあずさも体勢を崩す。
そのまま二人はもつれ合うように、更衣室の床へとお互いをかばうようにして倒れこんだ。 


■


「……おかしい。いくら着替えでも時間がかかりすぎるぞ」
プロデューサーが車の中で彼女達の帰りを待っているが、仮にトイレに行っているなどと仮定しても、
スタジオを借りられる時間は過ぎているし、これ以上かかると後のスケジュールにも影響が出る。
更衣室の扉をノックするというのはいささか男にとって抵抗はあるが、
ここまで遅くなってはそうも言っていられない。
決心したプロデューサーが車を停車させてレッスンスタジオ内に入ろうとしたその時、
二人はやっと帰ってきた。

「お待たせしましたっ、プロデューサーさん」
「うっう〜、おまたせしましたー〜プロデューサーぁー」
とりあえず二人の無事を確認するも、何だか妙な違和感が残っていた。

「随分遅かったけど……何かありました?」
プロデューサーの質問に、軽くアイコンタクトを取るやよいとあずさ。
どう見てもそのリアクションだけで、何かがあったことだけは明確だ。
が、彼女達は問題を起こしても黙っているような正確では無いし、
後ろめたくて何も言わないというより、お互いを気遣って黙っているように見えた。

「……まぁ、無事なら問題ないです。でも、何かあったのなら本当に言ってくださいよ」
プロデューサーは、これ以上は彼女達の自主性に任せようと判断し、
二人を車に乗せて事務所へ向かうべく、アクセルを踏む。
そして、例の違和感が発覚するのは思ったよりも早かった。

「多分、更衣室で上手くいかないことを相談してたんだと思うけど……
俺は、これ以上のものが二人なら絶対にできると思ってるんです。
そして、二人が本気で頑張って出来なかった時は、俺が責任を取りますから、
頑張るというより……俺に騙されたとでも思ってやってくれるくらいでいいんですよ。
厳しいレベルを要求している事には、申し訳無いと思ってますから」

「それは違います、プロデューサーさん!」
「え!?……やよい?」
目を点にするプロデューサーを尻目に、やよい……の姿をした彼女が話を続ける。
「私たちは、プロデューサーさんを信じてついて来ているんです。
正直、これ以上のレベルというのはよく分からないんですけど……
プロデューサーさんが『きっと出来ますよ』って言ってくださったから、
辛いレッスンも厳しいダイエットも、乗り越えられるんですっ!!
騙されたと思って真剣なレッスンはできません……だから、もう少し自信を持ってください。
あなたは、私たちにとって大切な人なんですから」

凛としたやよいの醸し出す雰囲気に圧倒されながらも、一つ決定的な違和感があった。
「す、すまん……でも、やよいにダイエットを命じた記憶は無いんだけど」
「あ!?」 


ユニット二人が見つめ合って、『どうしよう?』というアイコンタクトを交わしているように見える。
こんな時……勘のいい彼が気付いた見分け方は的確なものだった。
「そうだ、やよい?」
「は……っ」
何かを発音しかけたあずさが慌てて口を押さえ、代わってやよいがワンテンポ遅れて反応した。
「え〜と……うっうー!なんでしょうプロデューサーさ……あ、いや、プロデューサー」

「5年前の助っ人外国人……ミンチーとシコースキー、あと誰だっけ?」
「え?え……!?そ、その……う〜……モスビー?」
「ボーリックですよ、あずささんっ……モスビーは、クロマティ引退後に巨人に入った助っ人で、
わたしもよく知らないくらいパッとしなかった選手で……はうっ!?」

反射的に答え、しまったという顔をしてあずさは肩を強張らせる。
どうみても、そのオーバーリアクションはあずさ特有のものではないように見えた。
プロデューサーは路肩に一旦車を止め、何かを覚悟するような顔つきで二人の方を向いた。

「……正直に答えてくださいね。もしかして、何かの事故で入れ替わったりとか…」
「うぅ……」
「その……はい。入れ替わっちゃいました……ごめんなさい」
「あずささんが謝る必要ないですよっ!?元はといえば、わたしがくしゃみを我慢してっ……」

やはりか、と嫌な予感を的中させ、プロデューサーは車の天井を仰ぎ見た。
以前にも、CDの収録中に春香以外のアイドル達が、事故で身体を入れ替えたという
話を聞いたことがあるが……前回に比べて入れ替わりが癖になっていたのかもしれない。

漫画のような話だが、あずささんとやよいは嘘がつけるタイプの人間でもない。
それは、担当プロデューサーである彼もよく分かっていた。
「脳系の病院はもう、全部やってませんしね……明日朝イチで駆け込むにしても、
今日はそのまま何とかしてもらうしかない、か……しかし、困ったね……」
「うーっ……そうですね……パート分けとか、入れ替えた方がいいのでしょうか?」
「いや、そっちはひとまず置いといて、だな」

プロデューサーは一呼吸置いて、二人を見る。
この二人に分かりやすく説明できる自信は無いが、とりあえず知っていることは話そうと、
何とか詰まりながらも説明を始めた。
「入れ替わりって、実はけっこう怖いんですよ……自我と身体が分かれているわけですからね。
身体的にダメージは無くても、できるだけ早くなんとかしないと危険と言われているんです。
【身体】がハードで、脳……えっと、この場合【心】がソフトと考えてください」 


神妙な面持ちで応える二人を確認して、プロデューサーは説明を続けた。

「人間、心の方が存在が強いように思いますが。人のスペックはハード以上にはならないんです。
つまり……今、あずささんの身体に入ってるやよいは、野球に関する知識と経験を持ってるはずだけど、
いざ、はじめてみると思ったように身体が動かないようにできているんだ。
仮にやよいが遠投のコツを覚えていたとしても、それは身体による部分が大きいって事さ。
今は車の中にいるから試す事は出来ないけど……時間が合ったら試してみるといい。
要は、長い事そのままだと、だんだんとソフトがハードに適応していくから……
あずささんはやよい化して、やよいはあずささん化することになります」

二人とも、声にならない悲鳴を上げる。
お互い、イヤと言うわけではないのだが、それなりに愛着もある自分の身体を失うと思えば
心中穏やかではいられない。

「……つまり、このままだとわたしたち、どうなるんでしょう?」
「お互いの良い部分が発揮できず、イメージも落ちるだろうね……
やよいが得意としているダンスもあずささんの身体ではやりにくいと思うよ。
重心が違えば、ステップのコツも違う……逆にあずささんの長身に振り回されるだろう。
さらには声紋も違ってるから、あずささんの得意なボーカル力も落ちるでしょうね」
「ど、どうしましょう〜このままでは私たち、タイヘンな事になってしまうのでは……」

「落ち着け、やよい……じゃなくて、えーと…今はあずささんでしたっけ。
短時間でどうなるものでもないから、悪い方に考えない事が大事です。
明日の朝イチで病院を手配しますから、今日は二人ともゆっくり休んでください」

現状で有効な手段が見つからない限りは、慌てず騒がずじっと待つ。
それが今できる最大限の努力であり、二人は頷くしかなかった。 


■


「そうか……分かった。私の方からもみっちゃん……いや、水瀬会長のつてを借りて、
優秀な脳学の医者をあたってみるよ。キミは二人の事をよろしく頼むよ」
「はい……このままだと一大事ですからね……頑張ります」

あれから3人は事務所に帰った後、社長に事の次第を報告した。
話を聞いた社長は人脈を使って優秀な医者を手配してくれることになったので、
今日一日はそのままお互いの家で休み、落ち着く事と言われ、それぞれの帰路につくが……

「うん…やっぱり自分の家へ帰った方がいいよな。やよいのご家族にはちゃんと説明するから」
「ほへ?わたし、この身体で帰っていいんでしょうか?」
「長年一緒に暮らしてきた家族を誤魔化しきれるものでも無いだろう。下手な事をするより、
事情をしっかり説明して、リラックスして休むことが一番さ。
……とは言っても、やよいの身体をしたあずささんを一人で帰すわけにいかないから、
まずはあずささんをマンションまで送っていきます。そのあとやよいの家へ行こう」
「うっうー…すみませ〜ん、よろしくお願いします〜」

早くもやよいの口癖に適応しているあずさとやよいを車に乗せ、プロデューサーの車は
あずさが最近引っ越した最新鋭セキュリティのマンションへと向かう。
本人から聞くに、食べ物もあるし一日過ごすには特に問題ないと聞いたプロデューサーは安心し、
高級マンションの地下駐車場へ向かった。

「……じゃ、携帯電話も交換したし、忘れ物は無いですね」
「はい。どうもお手数をかけましゃ……っ、かけましてっ……もうし……あら?」
「無理しないで下さい。やよいの喋りとは回転数が合ってないんだから」
「うっうぅ〜ごめんなさいぃ〜……わたし、せっかちだから〜おしゃべりも早くて……」

やよいはやよいであずさの身体による制限を受け、口調が心なしかゆっくりになっている。
あまりのんびりと構えてもいられない、というある種の危機感が3人の間に漂っていた。 


「では、お疲れ様でした。俺はこれからやよいを送っていきますが、
明日は朝の8時に迎えに行きますから……今は何も考えず、ゆっくり休んでください」
「は〜い。お疲れ様でした」

一度このような現象を経験すると、身体が慣れてしまうという話を聞いたことがあるが、
もしかすると他の女の子とユニットを組んだりすると、ダンスアクシデント一つでまた
入れ替わってしまうかもしれない。
あの時は、春香だけがそのままだったから、それ以外のメンバーと組んだら……

そんな妄想を必死に打ち消し、プロデューサーの車を見送ってから、やよいの身体をしたあずさは
自宅へ向かうためエレベーターに乗った。
「ただいまです〜」
誰に言うとも無くただいまを言ってしまうのは彼女の癖だが、今回は何だかおかしい。
「あれ……あれ?」

数度、指紋認証キーを開けるために手をかざすあずさだが、身体が違っているために
ロックの解除を受け付けないと知ったのは、たっぷり10分手をかざしてからだった。

「ど、どうしましょう〜忘れてました……」

プロデューサーに再び電話して、身体があずさのやよいを自宅に泊める手もあるが、
やよいにはリラックスして休んで欲しいという気遣いもあり、電話する気にはなれなかった。
「数分間迷った彼女が電話をかけたのは、登録しなくても番号を覚えている親友だった。

「もしもしっ……友美…たすけて〜」


一瞬間が開いて、

「あの……失礼ですがどちら様ですか?」

と、当たり前といえば当たり前のリアクションが帰ってきたのだった。 


(うぅ……そうでした〜声も変わっているから電話じゃ分からないですよね…)
唯一頼れる親友を前に、落ち込む暇は無い。
あずさなりに脳を回転させ、必死に事情を説明しながら助けてほしいという旨を伝えてみる。

「あ、あの……声は変わってるけど、わたしです、三浦あずさです〜
お願い、助けてほしいの……わたしの家まで来てくれるとありがたいんだけど…」
「あずさ……ってえぇっ!?どうやったらそんな声になるわけよ?」
「話せば長くなるんだけど〜とにかく助けてほしいの……お願い、友美……」

涙声になりながら話すその声を聞いていると、本当に困っているのは間違いない。
そうでなければ親友とはいえそうそう新婚の家に電話できるものでもないから。
「わかったわ……で、あずさの新しいマンションまで行けばいいの?」
「うん、お願い……頼んでおいて悪いんだけど、できれば急いで欲しい……」

高級マンションに、小さな女の子が一人。
管理人にでも見つかれば、また事が大きくなってしまう。
プロデューサーや社長に電話するのは最終手段にしたかった。
それから友美が到着するまでの25分は、あずさにとってたっぷり3時間分くらいの長さに感じられた。

■

「友美〜うっう〜……ありがとう来てくれて〜」
「え?……え!?」

あずさの家のドアの前。
泣きながら抱きついてきたのは、確か彼女と一緒に活動していると言う女の子。
まだ小さいのにとてもしっかりした娘だと聞いたことがある。
「えっと……あずさと同じユニットの、やよいちゃん……だっけ?あずさに何かあったの?」

できればしばらく泣かせて落ち着かせたほうがいいとも思えたが、
あれほど慌てるような事態なら、まずは話を聞きたいと友美は子供をあやすように語り掛けた。
「うぅ……ぐすっ、あの、えっと……わたしがあずさなんです〜ちょっと事情があって、
やよいちゃんと身体が入れ替わっちゃったけど、三浦あずさ本人なんです〜」
「はぁ!?」

さすがにこの非科学的な現象をどう理解したものかと迷ったが、あまりに本人が一生懸命
話しているので、とりあえず信じることにして話を聞いていく。
「……と言うわけで、身体が違うから鍵がが開かなくなっちゃって〜このままじゃ、寝るとこ無いし、
補導されちゃったら大変なことになるから……新婚の親友に頼む事じゃないのは分かってるんだけど、
お願い……今夜、友美の家に泊めてほしいの〜」
「まぁ、そんな事情があるんならいいけど……本当にあずさなの?」
「はい〜」
「じゃあ、わたしとあずさ本人しか知らないことを質問するわ。全部正解なら信じてあげる。
第一問、わたしとあずさがはじめて出会ったのは、何年の何月何日?」 


突然の質問に面食らう、やよいの格好をしたあずさ。
本人なら知っているはず、というプレッシャーも相まって、嫌な緊張感が全身に走った。

「え、えぇ……えーっと……」
「じゃあ、第二問、学園祭でたこ焼き屋さんをやった時、あずさがつまみ食いしたのは何パック?」
「うあぁ……うーっ……いくつだっけ……」
「第三問、わたしたちのゼミで、顧問の早川教授がノーベル賞候補の選に漏れたとき、
悔しさのあまり教授が取った珍奇な行動は何だった?」
「あ、あうあぅ……ごめんなさいぃ〜全然わかりません……」

やよいの身体に入っているためか、普段なら覚えていそうなことすら忘れている。
絶望感と共にコンクリートの床にへたり込み、泣き出すやよいに友美は一度、
大きな声で笑ったかと思うと優しく手を差し伸べた。
「ごめんごめん……冗談よ。あずさがそんな記念日とか出来事系を覚えているわけ無いでしょ?
そのリアクションだけで十分よ。試すような事をして悪かったけど、確信できたわ。
間違いなく、あなたは私の親友で、トロくて危なげで天然で……わたしの大事な親友、三浦あずさだって」


差し伸べられた手を取ると、ほんのり暖かい。
それは、あずさが感じた温度的な暖かさではなく、心の暖かさと言うべきものに感じられた。
正直、彼女が結婚してからは先を越された気がして、なんとなくうらやむ気持ちがあったが、
この笑顔を見ていると、彼女が親友で本当に良かったと思う。
「う……うあぁーん……友美ぃ……ありがとう、ありがとぅー……」
「ちょ、ちょっと……泣かない泣かない。目、赤くなっちゃうよ。大事なメンバーの身体なんでしょ?
旦那には親戚の子とか何とかごまかして泊めてもらうから。
あの人、芸能界まったく疎いから絶対気付かないし。ね、だから立って泣き止みなさい」

人間、ピンチの時には今まで築き上げたあらゆるものが鍵になる。
彼女の大切な親友は、結婚しても親友だった……



■

「本当に、我らの落ち度のせいで娘さんにはご迷惑をおかけしてしまい……」
「いえっ、プロデューサーはその場にいなかったから全然悪くないですっ!!
原因は、わたしがくしゃみしちゃってあずささんに迷惑を」

「……そんなに畏まらないで下さい。私たちはやよいをお世話してもらっている以上、
たとえ何かあっても責任の一端は私たちにもあると思っています。だからお気になさらず……」
「そうですとも。765プロさんはうちのやよいを誰もが知るような有名人にしてくれた
恩人なんですから。あ、でも……脳のお医者さんって、いくらくらい治療費が……ぐおっ!?」

旦那の方が悲鳴を上げてうずくまった。プロデューサーからはよく見えなかったが、
尻か足のあたりをつねられて、黙らされたように見えた。
こんな構図から考えて、この家は典型的な子だくさんのかかあ天下なのかもしれない。

「レッスン中の事故ということで、医療費に関しましては全額、765プロで負担させていただきます。
ですが、お金ではすまない事を今夜、ご家族にお願いしなければなりません……
身体こそユニットメンバーのあずささんですが、人格は間違いなくやよい本人なのです。
ですから、できるだけいつもと変わらぬように……やよいが落ち着けるように接してやってください。
それだけは、俺だけではどうにもならない事なんです。やよいと長い年月を過ごした、
御家族の人にお願いするしかないんです……どうか、よろしくお願いします」



「大丈夫ですよ。こういうときは悪い方に考えた方が負けです。
確かに娘の身は心配ですが、泣いたって事態は好転しないなら、ラクに考えましょう。
……ときに、やよい。仮にあなたが本人なら家族の事、分かってるわよね?」
「ほえ〜?」

どうやら、まだあずさの身体に慣れてないらしく、返事のテンポが遅い。
本人かどうかは、きっとこういう微妙なタイミングなどでわかるんだろう。
彼はそんな事を考えながら、家族のやりとりを聞いていた。

「お父さんの前の仕事、覚えてるかい?」
「うっう〜……マッチ工場で社長さんを殴って辞めちゃったのが、2ヶ月前だから……
二つ前の仕事ですよねっ……うーん、チョコレート工場でつまみ食いがばれてクビになったのは、
もっと前だからぁ〜そうだ!!警備の会社で可哀想なドロボーさんを見逃してクビになったのは……
あ、あれれ?それは去年だから……うーんっと、前回、前回……」

「……」
彼女の回想を聴きながら、だんだん心理的に小さくなっている人が一名。
「勘弁してください……もう疑いません、間違いなくやよい本人ですから」
「ま、こういう感じですから……心配しないで下さい。要は、いつもと変わらず過ごすだけです」
うなだれる父に、笑顔で答える母。
きっと普段の高槻家もこんな感じなのだろう。
プロデューサーは安心すると、どうかよろしくお願いしますともう一度礼をして、
明日の朝、迎えに来ますと言って帰っていった。

「ま、大変だろうけど大丈夫でしょ。お天道様はまっすぐに生きてる人間を、悪いようにはしないものさ。
ほら、お腹すいたでしょうからご飯にしようか?」
一時はやよいの姿に戸惑う兄弟達も、ご飯と聞いて笑顔が戻る。
普段は当たり前と思っていたが、やよいは改めてこの人たちが家族でよかったと心から感謝した。 


「……せまい……」
「しょうがないでしょ。お姉ちゃんの身体、ちょっと……いや、かなり大きくなってるんだから」
「どうだろう?ここは一番身体の大きい父さんとやよいが別のテーブルでふたりで……ぐはっ!?」
漆塗りのお盆が綺麗に高槻(父)の後頭部にヒットし、企みは阻止される。
しかしながら、オーバーアクションで動くやよいの様子は男の目線から見れば危険極まりなく、
箸を動かす間にも揺れる胸を見ていると、それだけでどうにかなってしまいそうですらあった。
その証拠に、腹ペコ状態の父親がほとんど茶碗の米を減らしていない。

高槻家の晩御飯は、いつもおかずを奪い合っての戦争になるのだが、不思議と今日は
静かな雰囲気で食事が進んでいた。幼い子供達も、ここにいる姉が他人にしか見えないため、
綺麗なお姉さんが来たという認識はなかなか抜けるものでもなかった。
「みんな、今日はお行儀いいよね〜♪今日はお肉が入るから、もっとドタバタすると思ったのに」
「分かってないの、おねーちゃんだけだよ……みんなキンチョーして、それどころじゃないんだって」
「ほえっ?」

母譲りの度胸が成せる業か、次女のカスミだけは物怖じせず姿の変わった姉にツッコミを入れる。
おそらく、高槻(母)同様、将来は肝の据わった強い女性になるであろう。
「だって、考えてみてよ……うちみたいなビンボー長屋にいきなりお客さんが来るんだよ。
本当はおねーちゃんでも、姿が超!美人のおねーさんなんだもん……あ、そうだ。
写メ撮って、あとでおねーちゃん、見直してみるといいよ。すっごい驚くから」
「うーっ……そんなもんなのかな」

人間、鏡でも無いと自分の姿は分かりづらい。
江戸時代、鏡と言うものが無かった農村を舞台にした落語があるように、
自分の姿が見えないとなかなかに物事は噛み合わないものである。

「……どうしたの?やよい」
「うーっ……もうちょっと食べたいかも……あ、でもでもっ……あずささん、ダイエット中だし
勝手に必要以上食べたら悪いし……」
「大変ね……他人の身体を借りるって……でも、やよい。今は食べておきなさい。
栄養不足で元に戻れないなんて事になったら取り返しがつかないでしょう?
あずささんには悪いけど……食べられる時は食べる。それがうちの家訓です」

食事の目的は、ただの栄養補給だけではない。
心からリラックスできる家族と、楽しい時間を過ごすことに意義がある。
姿は変わっても心から心配してくれる母親に感謝しながらも、
やよいは茶碗の胚芽米を美味しそうに口に運んでいた。 


■

「〜♪」
夕食の後は各自宿題やお手伝いなどを済ませ、入浴となるのが高槻家の生活である。
この日も、一番風呂の父親の後に、冷めないうちにと続く子供達であったが、
流れに乗ってやよいが服を脱ぎ始めたとき、ふたたび混乱が訪れた。
「ちょっとやよい!!あんたいきなり何するつもりさ!?」
「ほぇ?みんなお風呂入るから、わたしも……」

言葉と共に、一家の主である父親に目隠しをする妻の行動は素早く、
あずさ(性格はやよい)の下着姿が彼の目に触れることは無かった。

「だったら前もって言いなさい!!うちは脱衣場なんてないんだから、
この唐変木を外にたたき出さなきゃいけないでしょうに」
「おいおい、一家の主になんて事を言うんだ!!それに、家族とあらばやましい事なんて……ぐおっ!?」
反論虚しく、背中を蹴りだされて野外に出る父を見ながら、やれやれといったかんじで彼女は溜息をついた。

「今から、この甲斐性無しと買いもの行ってくるからさ。わたしの下着じゃ安っぽいし、
サイズも合わないし……子供達をよく見といてね。30分以内にもどるから、さ」
「あ、うん……いってらっしゃい」
キッチンを兼ねた、狭い板の間。そこにドア一枚隔てて二畳にも満たない風呂場がある。
玄関の戸を閉めて、ねじ式の鍵を確認したらやよいは少し戸惑いながら服を脱いで風呂に入った。

「カスミー、コウジのこと、ちゃんと洗ってあげた?」
「ひっ!?」
4人が一斉に、異なる反応を見せる。頭で分かっていても、見慣れない女性が入ってきては
混乱するのも当然といったところだった。
「おっ……お姉ちゃん、カラダくらい隠してよっ……」
「ほえ?どうしたのよカスミ……いつもはそんなの気にしないのに」
「ユニットの三浦さんに悪いでしょ!!みんな恥ずかしくて下向いてるし!?」

いわれて見れば、慣れない裸体を見下ろすと自分の体とは全然違う。
視点の高さはいいかげん慣れてきたつもりだったが、かつて真に【いろんな意味でスゴイ】と
言わしめた抜群のスタイルは、幼少の男の子でもなにかを感じさせてしまうようだった。
「だいたい、お姉ちゃんともう一人が入ったらお湯があふれて勿体無いでしょ?そのカラダだと」
「あ……そっか、そうだよね、うん……じゃ、わたしはカラダ洗っちゃうから、
みんな100まで数えたら出ちゃっていいよ♪一緒に入れなくてごめんね」

頷きながらも、まともに変貌した姉の姿をまともに見れない子供達(特に男の子)
「あれ……あれ?胸が邪魔でタオルが通らない……?」
「!?」
「いちいち言わなくていいの!?もうっ、コウジたち、何処まで数えたか忘れちゃったじゃない!!」
「あぅ……ご、ごめん」

もはや、やよい本人ではなく家族全員が振り回されていた。


「ごめんね……やよい。結局大きなサイズの服が無くてさ。買ってきた下着と、お父さんのYシャツで我慢しておくれ。
その代わり、わたしが洗濯屋に行ってこの服は朝までに何とかしておくからさ」
見方によればそっちの服装の方が余程危険なのだが、高槻家からすれば妥当な選択だった。
一家の主である父親は唯一の6畳間から追い出され、玄関の板間で寝ることになり、
さらにはインスタントの南京錠まで掛けられるという徹底ぶりだった。

気のせいか、泣いているような声が聞こえる玄関を背にしながら、高槻家の面々は眠りに就く。
いつもとどこかズレた、家族の団欒は一端終了した。 

■


距離的にはそんなに離れていない、友美の新居。
一緒のベッドで寝たのはサークルの合宿以来だが、今隣にいるのは、小さな女の子。
「お肌の張りが綺麗だな……こんな娘が、あずさと一緒にお仕事してるんだ」
今やメジャーの地位を確立し、TVで見ない日のほうが少ない親友と、その仲間。
だからこそ、今回の事件が人目に触れたら大変なことになるだろう。
「……もっとも、あずさの様子じゃ世間の目より、この子の心配の方が先だろうけど」

隣で静かに寝息を立てる女の子を見ていると、とてもあのテンポの遅い親友とは思えない。
「うにゅぅ……」
「うっ……か、かわいい……って、いけないいけない!!親友相手に何考えてるの私ったら」
いつもなら嫌味に取れる反則的な胸も、日本女性の象徴のような黒髪も今は無く、
そのかわりに天使のような愛らしい顔と寝姿が彼女のそばにあった。
「抱きつき癖、直ったんだね……あずさ」
綺麗な姿勢で寝ている親友を見ていると、少しずつアイドルとしても人間としても、
成長しているのかもしれない。
あずさは、先に結婚したことで自分のほうが先に幸せを手に入れたと言ったが、
こんなに可愛い子とユニットを組んで、誰もがうらやむスターとして活動している彼女とて
不幸とは言えないだろう……むしろ、これで結婚でもされたら大逆転だ。
無論、それは世間的な評価でしかなく、幸せの尺度は比べるようなモノでは無いと分かっているが。

「ふん……わたしの旦那だって、素敵な人なんだからね。だから……早く元に戻って、
活動を再開しなさいよ。そして、あんたも【運命の人】を見つけなさいよね。
昔っから面倒見てきたんだから、きっちり最後まで見届けさせてよ」

ここにいるあずさの心。
どこかにいる、あずさの身体。
その二つに届くように……友美は微笑みながらも真剣な眼差しで、月に祈った。
「見届けさせてよね……あずさが、幸せになるまで……運命の人を見つけるまで」 


■


「んぷ……っつ!?」
寝静まった高槻家。
部屋の外から、追いやられた主人のすすり泣く声が聞こえるが、それはおいといて。
上の弟が突然の襲撃者に声を出せずにいた。

「むぅ……んぐぐ、ね、ねーちゃんっ……?」
「んふふ〜……」
普段なら寝相の良い姉が、何故か隣で寝ている自分に抱き付いてきた。
しかも、普段とは比べ物にならない身長差と、母親をはるかに凌ぐ胸で。

「△@%#!?……※†$д」
やわらかな腕と、それ以上にやわらかな胸に締め付けられ、彼の意識は混乱していた。
未だ経験の無い程いい匂いと、締め付けられながらも嫌な感じ一つしない大きすぎる胸に挟まれ、
もはや寝るどころではない高槻家の長男。
まだ幼いながらも、彼がはじめて女性を意識したのはこの時となる。

「あったかくて、やわらかい……それに、いいにおい……」
Yシャツの胸元に顔を埋め、彼女の抱擁を素直に受け止める。
記憶はたしかに生まれてからずっと一緒に暮らした姉のものかもしれないが、
どことなくやわらかで、なおかつ母親より女性を意識させるその寝顔は、
彼にとって不思議な魅力とともに、姉以外の誰か……多分、この身体の持ち主を思わせる。

「この人……多分、今はねーちゃんじゃなくて、あずささんって人みたいだな……」
根拠は無いが、彼にはそう確信できた。
しかし、確信すると困る事が一つ。

「……ドキドキして、眠れない……」
女性という存在に対して、確実に何かを刻み込まれる夜となった。 


■

「……見え……もの……だから……を……見てれぅ……」
「あずさ!?」

深夜、うわごとのように何かをつぶやく親友……いや、多分違う。
意識が眠っている以上、今の彼女はやよい本人なのだが、彼女がそんな事を理解するはずも無く……
ただ勘だけで、今ここで寝ているのは、親友のあずさではなく、彼女がプロデューサーとやらの次に良く話す、
大切なユニットメンバーの高槻やよい本人なのではないかという気にさせている。

人間、寝ている間に夢を見るのは記憶のデフラグ(情報整理)を行なっているからだという説がある。
よって、例えば歌に打ち込んでいるときには自分が歌っている夢を見やすく、
レッスンをくりかえすやよい、あずさも例外ではなかった。

(あれ……あずささんが歌ってる。でも……あまり上手く行ってないみたい)
身体が入れ替わっているせいかは分からないが、やよいの見た夢の中では、
自分ではなくあずさが歌っていた。そして、レッスンが全然上手く行かないため、泣きそうな目をしている。

(……いつも、おっとりしてて物事に動じないあずささんなのに…)
一度、身体を入れ替えたためか、不思議とあずさの心が分かる。
(……それなのに、わたしを励まして……がんばりましょうって、言ってくれて……)

いつもなら見逃していた、わずかな挙動の違和感や口調の変化。
それを感覚で捉えたやよいの脳……というより神経に、あずさにとってベストなダンスの重心が、
ボーカルにおける間の取り方が、ビジュアルにおける感情表現が満ちてゆく。

剣道における師範クラスの達人は、竹刀を身体の一部とするべく神経を【通し】、
自分の間合いを1ミリと狂わず認識するように……
プロのドライバーが自分の乗る車のタイヤやボディに神経を【通し】、
細い溝にタイヤを乗せたり、車幅ギリギリの壁を高速で抜けるように……

【メンバーの気持ちになる】ではなく、【メンバーそのものになる】感覚を有した二人は、
自分のイメージとメンバーのイメージを、同時に紡ぎだし、
最高の曲となるべくそれぞれのパートを脳内に作り出していった。
自分が出るべきところ、パートナーに譲るべきところ。
それはすでにパートエディットをした時点である程度のイメージが出来上がっているが、
その真意を理解したうえで完全にこなす、或いはそれ以上のものを仕上げるのは意外と難しい。

プロデューサーが目指した【一歩上】のイメージ……いや、さらにもう一歩上の表現が、
同じ時間の、二人の夢に同時に流れていた。
(あずささんっ……オトナの歌声で、もう少し溜めを作ってっ……ランナー進めるようにっ!
わたし、サビの入りからホームラン、かっ飛ばしますっ!!)
(やよいちゃんの、溢れるようなパワー……でも〜このままでは疲れてしまいますから……
わたしの声で、収束させて……間奏までに流れを変えます〜
2コーラス目からは、もういちど落ち着いて……やよいちゃんのために、また力を溜めましょう〜)

ボーカル、ダンス、ビジュアル全てのイメージが二人の脳内で完全再現されている。
ステージの壇上で、腕を交差させくるりと回り、ファンにアピールしながら、
二人の意識は溶けて、曲の完成形を象る一部となっていった。 


■

「……うにゅぅ……ありがとー、ファンのみんな……」
「いい夢みてるところ悪いんだけど、そろそろ起きて電話する時間じゃないの?あずさ」
「はにゃ……むぅ、おかーさん……ちょっと痩せたね……」
「……あずさ?」

反応に対する違和感。
伊達に彼女の親友を名乗っていない友美は、寝ぼける姿一つで何かを感じ取った。
そして、察しの良い彼女も落ち着いて自分と周りを見回し、
昨日と違う場所にいる自分を認識した。

「ここ……おうちじゃない?あの……すみません、わたし高槻やよいって言いますが、
お姉さん、どなたでしょう……?」
「え、えっと……」
一瞬、手の込んだ悪戯かと思ったが、あずさは騙される事はあっても騙す人間とは程遠い。
純粋に、身体と心が元に戻ったと考えるべきだろう。
元々根がしっかりしている二人だけに、現状認識は早かった。

「やよいちゃん……よね。わたしは、あずさの親友の友美って言うの。
昨日はあずさ、自分のマンションに泊まれなくなってわたしのうちに来たのよ。
とりあえず鏡見て……体調はどう?気持ち悪かったりしない?」
「うっうー♪平気ですっ!朝ごはん3杯おかわりできちゃいそうですよ
うあーっ、本当に元に戻ったんだ……身体が早く動きますっ」
「うふふ……あずさが話してくれた通り、元気一杯な子ね。すぐ用意するから待っててね。
その間に、連絡取ってみたら?」

元の身体に戻れた感動はあるが、それ以上に心配な事がひとつ。
パートナーのあずさは無事、元通りになったのだろうか?
やよいは慣れない携帯電話で、まずは彼女の番号を一つ一つ押してみた。

■

「ふあぁ……おぁようございますぅ〜」
「うあぁっ!ね、ねーちゃんっ!!ふ、服っ……」
「あら〜可愛らしい子ね……おはようございます〜」
「ねーちゃんらしくないな……まだ寝ぼけてる?」
「大丈夫ですよ〜寝ぼけてなんていませんし〜今日のスケジュールもカンペキです……
さぁ〜まずはレッスンに向けて、シャワーを浴びてすっきりしましょう〜」

幸か不幸か、両親が出掛けている中彼女は服を脱ぎ始め、自宅の風呂へと歩いていったが、
当然高槻家の間取りと合うはずも無く、壁にこちんと頭をぶつけ、うずくまった。

「ひん……痛い」
「もうっ、何やってんのよお姉ちゃん!!身体が違うからって寝ぼけすぎ!!
まず、ちゃんと服着なさい!コウジ達がおろおろしてるでしょっ……って、あれ?
なんか、お姉ちゃんじゃないみたい……やよいお姉ちゃん?」

そして、幸いにも事態を収拾できるしっかりした人物が一人だけ存在した。

「あらら……ここ、どこでしょう〜【田舎でお泊り】の収録って、今週でしたっけ……」
「……あの、もしかして……お姉ちゃんのユニットメンバーの……三浦さん?」
「あ、はい♪そうですよ〜ここのお嬢ちゃんかな?ずいぶんと子だくさんのおうちに
お世話になってるんですね〜今週は」

「あの……とりあえず服を着て、座ってください。推測が多いけど、私から説明しますから」
高槻家の次女、カスミが朝から疲れた表情を隠せなかったところに、この家に不似合いな
携帯電話が鳴り響いた。
「はい、もしもし……あら〜やよいちゃん、おはよう〜……え?元に戻れた?
あ、はい、はい……あらら?そういえばわたしも……ええ、そうみたいですよ〜」

まだ気が付いていなかったのか、とカスミは再び溜息をつく。
しかし、根は良い人であるのだろうがここまでリズム感の違う人がメンバーで大丈夫なのかと、
彼女は要らぬ心配を抱かざるを得なかった。

かくして、関係者全員を混乱させながらも、ようやく事態は収束を見せた。 


■


「……しかし、びっくりしましたよ。やよいの家に迎えに行ったらあずささんがいるんだもの」
「わたしも〜目が覚めてからやよいちゃんから電話してもらうまで気が付きませんでした」

「……それは、さすがに遅すぎかと思いますけど」
言われて、彼女を送り出した高槻家の面々を思い出す。
何だか上機嫌な父親。(……もう9時を過ぎているのにのんびりしているということは、
多分夜勤の仕事か何かなのだろうが、詳細は不明)
【しょうがないね】という半分困った顔をしながらも、娘のパートナーを送り出す母親。
疲れた顔をしながら、手間のかかる姉を見送るように見えた、妹。
手を振ってはいるが、赤くなってうつむいている弟たち。
大騒ぎになるほどではないが、ひと騒動あったのはなんとなく分かる。

「とにかく、お互いの身体が戻ったったからって、油断は出来ませんよ。
今日は約束通り、医者で精密検査を受けてもらいますから」
「は、はい〜でもプロデューサーさん、そのあとやりたい事があるんですけど……」
「あ、ちょっと待ってください。電話で指示されたマンションの前に……いた、やよいだ」

「うっうー!プロデューサー、あずささん!おはようございます!!すぐレッスンしましょー!!」
元気一杯に手を振る姿は間違いなくやよい本人であり、
友美ともすっかり仲良くなった様子が、立ち位置からも判断できる。

「おはよう、やよい……二人とも元に戻ったんだね。本当に……」
車を止め、ドアを開けると同時にやよいが彼の胸に飛び込んでくる。
良かった、と言いかけてプロデューサーは少し言葉を止めた。
「プロデューサーさん!?」
「すみません……やっぱり俺も夜中は二人が心配で、ろくに眠れなくて……
二人が無事元に戻ったと思ったら、ちょっと気が抜けちゃって」
「プロデューサーぁ……」
「そう……ですよね。昨日は、いったいこれからどうなるのかと、不安で……」
「あうぅ……嬉しいはずなのに、泣かないで下さいよぅ……わたしまで、
何だか泣いちゃいそうですっ……うぁーん」

(もう泣いてるし……あずさと違って、行動の早い娘なのね……)
人気の少ない朝とはいえ、3人で泣きながら抱き合っている姿を見ると
昨日のあずさの話しが、疑っていたわけではないが現実味を帯びて聞こえる。
ただ、仮にもメジャーアイドルが路上で泣いていて良いとは思えず、
友美は邪魔と知りつつも3人をいったん止めて自宅の新居へと招き入れる事にした。

「……主人は先程仕事に出ましたから、落ち着くまでゆっくりしてくださいね、太郎さん」
「あ、はは……どうも、ご丁寧に」
「……太郎さん?」
「うふふ……いいからやよいちゃん、改めて夢のお話の続きをしましょう〜」

やよい、あずさの話を聞くと、不思議な事に二人は今朝、同じ夢を見ていたという。
内容から自分の取った行動、思ったこと……全部が共通しており、
お互いと溶け合うように踊っていて、目が覚めたら元に戻っていた、と。

「というわけでっ、わたしたち、夢で見たように踊りたくてうずうずしてるんですっ!!」
「ですから〜病院で検査が終わったら、早速レッスンを入れていただきたくて〜」
「……じゃ、リハビリを兼ねてひとつやってみる?ここで」

『えぇ!?』

友美の、思いがけない提案に3人は驚いた。
「うち、一軒家だからある程度ドタバタしても平気だし……
ふたりともうずうずしてるのを見たら、アイドルとしてのふたりを見たくって…ダメですか?」
プロデューサー以外の3人が揃って【お願い】するような目でプロデューサーを見つめた。
その迫力に押されたのか、彼も

「わかりました。……でも、ダンスは軽めで1コーラスだけですよ。
またもつれあって倒れたりして……振り出しに戻る、なんて御免ですからね」

『やったぁ♪』
どちらからともなく、ハイタッチする二人を見ているプロデューサーは、半ば気付いていた。
二人のテンションも、調子も絶好調である事に。 


■

「じゃあ、いってらっしゃい……あずさも、やよいちゃんも頑張ってね」
「うっうー!ありがとうです友美さんっ♪」
「ありがとう、友美〜今度のコンサート、招待するから来てね〜」

家族同然にあずさを支えてくれた、かけがえの無い親友に一礼し、
プロデューサーは車を出した。社長が予約を入れてくれた病院に向かって。

「……しかし、驚きました。一日であそこまでレベルアップルするとはね」
「えへへー」
照れくさそうに笑うやよいの顔には、確かな自信が満ち溢れている。
大切だったのは技術や体力ではなく、お互いの事をさらに思いやる心。
反復練習を要する技と違い、心というものは【分かってしまえば】もう二度とミスをしない。
プロデューサーの狙い通りのダブルプレイ……いや、
逆転満塁サヨナラホームランと言ってもいい最高の曲が出来上がった朝。
病院へ向かう3人の心は、場所柄に合わず晴れ晴れとしていた。


■

「……というわけで、精密検査でも問題無しでした」
「うむ、御苦労……今度の新曲もよろしく頼むよ!!」
朝の挨拶と流行情報の確認を済ませ、プロデューサーは二人を迎えた。
「さて、今日は新曲を携えての営業だ!!二人とも準備はいいか?」

「はい、バッチリです!!」
「わたしも〜」
まばゆいばかりに光が溢れる二人を見ると、テンションは最高潮。
今ならどんなオーディションにも無敵状態に見える。
今日のスケジュールが営業であるのがちょっと勿体無いような気もしたが、そこはそれ。
これだけやる気を見せる二人なら、営業先の人たちも彼女達の凄さを分かってくれるに違いない。

「それじゃ、もう一つテンション上げるためにパワーをためてから行くか。
あずささん……今日は暑い中歩き回るし、美味しいピザレストランに案内しましょうか?」
「え……えぇえっ……今日、あの……食べて良いんですか?」
「はい。……もちろん好きなだけとは言えませんが、ある程度なら解禁です。
好きなものを食べて、良い気分で仕事したほうがいいですからね。
やよいも、普段食べ慣れないだろうけど遠慮するなよ。肉でもポテトでも好きなのを乗せなさい」
「うわー♪ピザですよっ、外人さんの食べ物です!!凄いですー」

その解釈はどうかと思うが、無理に突っ込んでテンションを下げるのも憚られるので
プロデューサーは黙って二人が喜ぶのを見守っていた。
そこに、ドアをあけて入ってくる二人の姿。

「おはようございます、プロデューサーさんっ♪営業ですか?」
「おはようございますプロデューサー。あら……二人とも、早速新曲の営業ですか?
あの歌……とても素敵でした。二人にしか出来ない魅力がいっぱいで……
わたしも、あれくらい表現力が欲しいですね。そのためにはもっと頑張らないと」

彼が担当するもう一組のデュオユニット、春香と千早だった。
「ああ、おはよう二人とも……ジョギング、終わったのかい?」
「はい。これから軽く食事をしてから歌詞読みに入りますので」
「えぇ〜千早ちゃん、少し休もうよぉ。いきなりごはんは辛い……」
「ちゃんと鍛えていかないと、いつまでたっても肉体レベルは上がりませんよ。
スポーツ選手は、必要とあらば食べるのも仕事のうちです。
だいたい、春香……ご飯を残してデザートをおかわりするのはどうかと思いますけど」
「うぐっ……」 


傍から見れば多少険悪にも見えるが、千早が文句を言うのは信頼の証でもある。
春香もそれを納得しているからこそ、痛いところを突かれて困った顔をしていた。

「まぁまぁ……今日は営業に勢いが欲しいんで、あずささんの大好きなピザレストランに行くんだけど、
千早たちもどうかな?大勢の方が食事も楽しいし、新曲の前祝いで俺が奢……」
「行きますっ!!うわぁい♪プロデューサーさんとごはんだー!!」
プロデューサーの言葉が終わらないうちに、速攻で返事を返す春香。

「……さっきまで行ってた事と違うわよ」
「まあまあ千早。今日は特別な日だし……どっちかというとみんなで食べたいんだよ。
だからさ、助けると思って付き合ってくれる?千早はカロリー的な問題は無いし」
「そうですね……春香やあずささんを止める役としてはお役に立てそうですし、お供します」

「やったぁ!!ほら、千早ちゃん、着替えに行こう!!早く」
「引っ張らないでよ、春香……あの、ではすみません、少々お待ちいただけますか?」

ゆっくりでいいぞ、と言い残し、3人は春香と千早を見送った。
「……いずれ彼女達も、お互いを思いやるパート作りを目指してほしいな。
デュオで歌うことで、曲の魅力を2倍どころか10倍以上に膨らませるくらいに……」
「うっうー♪きっと出来ますよっ!春香さんと千早さんなら」
「そうですね〜春香ちゃんの明るさと、千早ちゃんのひたむきさが上手く溶け合えば……
もし、ダメな時はわたしたちみたいに……うふふ♪」

「カンベンしてください」
確かにお互いの身になる、という点ではこれ以上無いやり方かもしれないが、
こんな未知の領域にある方法で胃を痛めるのは彼はもうこりごりだった。
今回はたまたま結果オーライだった可能性もあるし、
人間の身体の神秘に触れてしまいそうで怖くもあったから。

「まぁ、春香たちにも頑張ってもらいますけどね……お、早いな」
プロデューサーが事務所の玄関で見上げると、着替えもそこそこに
上着を羽織りながらかけていく二人の姿があった。
「ちょっと……春香、急ぎすぎ」
「だって楽しみなんだもーん♪プロデューサーさん、ピザですよピザ……きゃっ!?」

「春香、千早っ!?」
階段で躓く二人を見たプロデューサーは、咄嗟にあずさとやよいを避難させる。
また入れ替わられでもしたらたまらないと思いつつ。
そして、何とか春香と千早の体重を受け止めようと身を挺して二人の前へ出た。

「きゃっ!?」
「……っ!!」
「おうっ!!」
派手な音こそしなかったが、下敷きにされたプロデューサーを気遣ってあずさとやよいが寄ってくる。

「いたた……ご、ごめんなさいプロデューサーさん……大丈夫ですか?」
お尻に敷いていたプロデューサーから退き、春香が助け起こす。
幸い、春香は春香のままでいたらしい。が、

「もう……春香っ!!急ぐと危ないってさっきあれほど言ったじゃないですか!?」
スーツ姿の広い背中が、変な口調で怒っていた。そして。
「あいたたた……大丈夫か春香?千早も……あれ?千早、どこだ!?」
一人芝居をしているような、やけに挙動が男らしい千早の姿があった。


……この後、春香と千早のユニットイメージが進化したかは、また別の話である。



■END 






上へ

inserted by FC2 system