りれーしょんず

作:550

「じゃあねなんてい〜わないで〜」
「…………」
「またねって言って〜」
「…………」
「わたしのものにならなくていい〜」
「…………」
「そばにいるだけで――」
「はい、ストップ」
「はわっ!?」
 プロデューサーの言葉に、やよいはぎょっとしたように目を丸くした。
「プ、プロデューサー。どこかダメでしたか……?」
 悲しそうな瞳でプロデューサーを見上げるやよい。
 まるで捨てられた子犬のようなその目は……なんと言うか、反則である。
 そんな目で見られては、なんともこの先の言葉が言いにくいわけなのだが……。
「――なんか違う」
「えぇ〜!?」
 言いにくい、と思っていたわりにはバッサリとした彼の言葉に、やよいはそんな声をあげた。

 新曲「relations」のレコーディングまで一ヶ月を切った頃。
 現在中学生アイドルとして波に乗りかけているやよいを、
ここいらでさらにもう一段階成長させるべく選んだ新曲relationsのレッスンは困難を極めていた。
「なんだかお花畑が見える感じというかなんというか……」
「あのぅ……私、ダメダメでしょうか……?」
「ダメというか……なんだろう、歌詞の意味が理解できてないのかな?」
 確かに今回の歌は少々大人向けの歌詞であるし、13歳のやよいがこの歌詞にあるような燃える恋をしたことがあるとは……
「…………」
 ちらりとやよいを見る。
「うっうー、もっともっとがんばりまーす!」
 ……到底思えない。
 しかし元気で無垢なアイドルというイメージが世間で固まりつつある今、
この歌を歌いこなすことで世間の注目度は上がるはずだとプロデューサーは思っていた。
 意外性、というものを利用することは戦術としても有効である。
「やよい、ちょっとボーカルのレッスンはお休みして、歌詞レッスンするぞ」
「え? 今日はもう歌わないんですか?」
「歌自体は悪くないわけだし、ちょっと内面的なレッスンといこう」
 彼が言うと、やよいは気負ったように拳を握り、
「たっ、高槻やよい、一生懸命がんばりますっ!」
 うっうーと気合を入れるように両手をあげた。 


「いいか、付き合っていた彼氏が、他の女の人のところに行っちゃうわけだ」
 レッスンスタジオでふたりは向かい合って座り込んでいた。
 あぐらをかいたプロデューサーと、体操座りのやよい。彼らの間には一枚の紙切れが置かれている。
「は、はい」
「でな、その人はその彼氏が大好きだったから、すっごく辛いんだ」
 紙に三角形を書きながら説明する。
「それで、自分だけを見て欲しいって思うんだけど、既に彼氏の気持ちは別の女の人に向いてしまっている」
「はい……」
「そばにいられなくなるくらいなら、それでもいいから近くにいて欲しいと願う」
「うぅ……」
「もちろん彼氏が自分だけを愛してくれるのならそれが一番いいわけだけど、
その女の人にとっては彼氏と一緒にいられなくなる方が辛いんだ」
 三角形に矢印を書き足して、歌詞の状況を説明する。
 プロデューサーがやよいにちらりと視線を向けると、彼女は食い入るようにその紙を見つめていた。
 彼はそのまま続ける。
「私だけのものにならなくてもいい、あの子を好きでもいい……それでも、そばにいて欲しい」
「…………」
「とはいえ、当然のことながら本当の願いは自分だけを見てくれることだし、
相手の女のことは忘れて欲しいっていうのが本当の気持ち。
だけど、それを言ったら彼氏は離れていってしまうという…………やよい?」
 だんだん相槌が弱々しくなってきていたのは気が付いていたが、ついに無言になる。
 プロデューサーが紙に向けていた視線をやよいに戻すと、
「プ、プロデューサー、なんだかフクザツで、私……」
 めまいを訴えるようにやよいは自分の額に手を当てる。
 ぷすぷすと頭から煙が出ているのが見えるようで、思わず苦笑が漏れる。
 少し説明が分かりにくかったか、とプロデューサーは小さくため息をついた。
 彼は腕を組んで、うーんと少しの間唸っていたが、やがて何か思いついたようにポンと手を叩いた。
「やよいの大切な人って誰だ?」
「ほえ?」
 突然の質問に、やよいは間の抜けた返事を返してくる。
「私の大切な……えっとぉ、やっぱり家族ですっ」
「その家族がやよいを置いてどこかに行ってしまったらどうする?」
 じっとやよいの目を見つめると、彼女はやや緊張したように体をこわばらせたが、すぐににっこりと満面の笑みを浮かべた。
「私も一緒に連れてってもらいます」
 ゴン。
 あぐらをかいたまま後ろに倒れこむ。後頭部を打った。少し痛い。
「そ、そーだよな。やよいの家族がやよいを置いていくわけないよな……」
「はい! うち、みんな仲良しですから」
 これは前途多難である。プロデューサーは手足を伸ばして大の字になると、深いため息をついた。


   ◆


「あの子をわ〜すれてぇ〜」
 午前中のレッスンを終えてから、やよいは事務所のソファで歌の練習をしていた。
 プロデューサーに「なんか違う」と言われ、そのあとに歌詞の意味を丁寧に
説明してもらったわけなのだが、「ピンとこない」というのがやよいの正直な感想であった。
(プロデューサー、大人のれんあいって難しいです〜……)
 はぁ、とため息をついてこてんとソファに転がる。
 時刻は午後三時になろうとしていた。
 まだまだ人員不足の765プロの事務所は静かである。
 きっとみんな出払ってしまってしるのだろう。
 プロデューサーもお昼を食べてすぐに、テレビ局での打ち合わせに出かけてしまった。

 ちなみに、今日のやよいの午後のスケジュールはオフ、つまり半休である。
 しかし歌のことが気になってまっすぐ帰る気にもなれず、こうしてひとり事務所に残っているのだ。
「私のことがすきなら、あの子を忘れて……」
 譜面を眺めながら、歌詞を朗読する。
 状況は理解できる。やよいだって異性が付き合うということがどういうことかは知っているし、
付き合うことの反対が別れであることだって分かっている。
 しかし彼氏どころか恋心というものを経験したことのない身としては、心変わり、浮気、別れ……
そのどれもがまるで別の世界のことのように感じてしまうのだ。 


(プロデューサーはこういうれんあいしたことあるのかな)
 少しだけ硬いソファに頭を預けながら、そんなことを思う。
 彼もそれなりの年齢であるし、自分に比べれば人生経験も豊富だろう。
 それならば、こうした恋愛というのも経験済みなのかもしれない。
「プロデューサーの彼女さん……」
 口に出してみると、なんだか妙な感じがする。
 プロデューサーが彼女と一緒にいる姿というのはどうも想像しがたい。
 事務所での彼を見る限りでは、それなりに女性に人気があるようには思えるのだけれど。
(事務所の外だと、やっぱり普通に好きな女の人とかがいるのかも……)
 そんなことを考えると、ちょっとだけ胸のあたりがもやっとした。
 いつも自分に向けてくれる優しい笑みも、頭を撫でてくれる大きな手も、包みこむような広い背中も、
事務所の外に行けば別の人のものだったら。
 それは、ちょっと……いや、すごく嫌かもしれない。
(私、よくばりになっちゃったのかも〜……)
 アイドルとして、それなりに売れてきて。お金だって手に入るようになった。
 だから、調子に乗ってこんなことを考えてしまうのかもしれない。

「ただいまー……って誰もいないな」
「っ!」
 事務所の出入り口の方でプロデューサーの声がした。
 ソファで横になっていたために、やよいの位置は死角になっているのだろう。
 彼はやよいの存在に気が付いた様子もなく自分のデスクに戻った。椅子がキィ、と音を立てている。
 なんとなく出て行くタイミングを逃してしまったやよいは、どうしたものか、と身動きができないでいた。
 さきほどまでの思考のせいもあってか、なんだか彼の顔を見るのが少々気恥ずかしいという気持ちも少なからずある。
(ど、どーしよう……いち、にの、さん、で飛び出しちゃおうかな)
 やよいはタイミングを計るように深呼吸をすると、
「あ、あの――」
「おお、帰っていたのかね」
 やよいの言葉は、事務所に戻ってきた社長の言葉にかき消されてしまう。

「あ、社長。ええ、ついさっき戻りました」
「打ち合わせはどうだったかね」
「まぁ、順調ですね。やよいもそろそろテレビ慣れしてきてますし、これからはどんどんテレビ出演させていこうかと」
「ほう、それはいいね。ぜひとも頑張りたまえ」
 ソファの向こう側でそんな会話がなされる。
 なぜか再び背もたれの向こう側に頭を引っ込めてしまったやよいは、息を潜めてふたりの会話に耳を傾ける。
 盗み聞きをするつもりはなかったが、決して広くはない事務所だ。聞かないようにする方が難しい。
「どうだね、やよい君はメジャーアイドルにはなれそうかな?」
「そう……ですね。このまま順調にいけばいけるんじゃないかと……ってこれは俺の願望に近いですけど」
 照れくさそうに笑う。彼の姿は見えないが、どんな表情をしているかはなんとなく想像がついた。

 と、社長がわずかに言いにくそうに声を潜めた。
「君たちが一緒に活動できるのもあと半年を切ったが……これからが正念場だね」
「……ええ。土台はもう出来たと思いますし、あとは突き進むのみです」
「…………」
 ふたりのやりとりに、やよいは息を飲んだ。
(あと、半年……?)
 確かにあと半年……そう言った。一緒に活動できるのも、というのは一体どういうことなのだろう。
 引退? それともプロデューサー交代? 考えても分かるはずもない。
「なんかあっという間ですね。もう折り返し地点、か」
「時間が早く感じるのは、一生懸命にやっている証拠だよ。君たちは本当に頑張っているからね」
「そう言ってもらえると」
 穏やかな調子で言葉が交わされる。
 ふたりともその事実はずっと前から分かっていたのだろう、ということを推測するのは難しいことではなかった。
(プロデューサー、いなくなっちゃうんですか……?)
 その声は彼に届くことはなかった。 



   ◆


「よし、そんじゃ今日もレッスンがんばろー」
「が、がんばろー……」
「ん? なんだか調子出てないみたいだな。体調でも悪いか?」
 心配そうにプロデューサーはやよいの顔を覗きこむ。
「い、いえっ、平気です!」
 先日の歌詞レッスン(あまり効果があったとは思えないが)を終えて、ふたりは再びボーカルレッスンに取り掛かっていた。
 しかし、元気の塊であるやよいの様子が、今日はなんだかおかしい。
 お腹でも空いてるのか?
 プロデューサーはそう思って彼女に尋ねてみるが、やよいは大丈夫ですと首を振るばかりだ。
「それならいいけど……」
 彼は不思議そうに首をかしげながら、機材にCDを入れた。



「おー、なんか今日のrelationsはいいね」
「ほんとですか!?」
「うん、なんか悲しい感情がこもってて、ちょっと大人っぽい感じだったよ」
「…………」
 褒めたつもりだったのだが、やよいはなぜかしゅんと肩を落としてしまう。
 何かまずいことを言っただろうか、とプロデューサーは自分の言葉を頭の中でリピートするが、特に変なことを言った気はしない。
「でも悲しいだけじゃなくて、切なさ、それに必死さも欲しいかな」
 若干13歳の少女にそれを求めるのは難しい話であるとは思うが、
歌の完成度を高めるためにはやはり複雑な感情も表現して欲しいというのがプロデューサーの本音である。
 やよいは彼の言葉に、はい、とやはり元気なく答えた。
(何かに執着する心を表現するのはやっぱり難しいかな……。特にやよいは我侭を言わない子だし)
 長女ということもあってか、やよいは他人の気持ちを押しのけてまで自分の欲求を通そうとする子ではない。
 そんな子に、こうした執着心、必死さというものを表現させるのはやはり難しいのかもしれない。
 こういうのは経験がものを言う。
「まぁでも、昨日よりはかなり良くなっているからね。ここからは徐々に直していこう」
「はい……」

「…………」
 プロデューサーはため息をつくと、やよいの頭に軽く手を乗せた。
「プロデューサー?」
「自分なりに、勉強してるんだよな?」
「でも、よく分かんなかったです……」
「んー、ちょっと難しい内容だからね。だけど、そうやって知ろうとすることはいいことだよ。実際上手になってるし。偉い偉い」
 わしわしと頭を撫でる。頭をぐらぐらと揺らされてやよいはうぁーと鈍い声をあげたが、その顔はなんだか楽しそうである。
 その様子がなんだかおかしくて、プロデューサーはついつい笑いをこぼしてしまう。
「ったく、やよいは――」
 言いかけて、プロデューサーはぴたりと動きを止める。
 スーツの内ポケットに入れていた携帯電話が震えている。
 取り出して画面を確認すると、着信は「水瀬伊織」となっていた。
「はい」
 電話を耳元に持っていくと、すぐに伊織の特徴のある声が聞こえてくる。

『ちょっと、水道が壊れたわよ!!』
「は?」
『だからぁ、給湯室の水道が壊れたって言ってるのよ! 水が止まんないんだけど、あんたなんとかしないさいよ』
「無茶に捻ったりしたんだろ、まったく。というか、何で俺が……」
『ゴチャゴチャ言ってないで、早く何とかしにきなさい!』
「わ、分かったから叫ぶな。とりあえず、俺がそっち行くまでに水道修理会社に電話しておけ。電話帳に載ってると思うから」
『それじゃ5分以内に来なさいよ』
「無茶言うなっての。まぁ、とにかく急ぐから」
 それじゃ、と電話を切ってポケットに戻す。 


「ごめんな、やよい。ちょっと事務所に行ってくるから待っててくれるか」
「今の電話……伊織ちゃんですか?」
「なんかトラブルがあったみたいでね。それじゃあ――」
 そこまで言って、プロデューサーは言葉を止めた。
 やよいの手が、プロデューサーのスーツの裾を掴んでいたから。

「やよい……?」
 突然のことに驚きながら、呼びかける。
 やよいはそのままじっと固まっていたが、やがて自分の行動に気がつき、
「はわっ!? ご、ごめんなさい!!」
 慌てて頭を下げると、裾を掴んだ手をそっと離す。

「…………」
プロデューサーは引っ込められそうになったやよいの手を掴んだ。
「プ、プロデューサー……?」
「何か、あったか?」
 そう言う彼の眼差しは真剣そのものである。
 意識的か無意識かは分からなかったが、やよいがこんな行動を取るなんて何か理由があるとしか考えられなかった。
「えっと、平気です! だから、早く事務所に――」
「俺はやよいのプロデューサーだ。やよいがそんな顔してるのに、やよいの側を離れるわけにはいかないよ」
 水道に関しては、すぐに水道会社が駆けつけるから平気だろう。
 伊織はああ見えてもしっかりしているし、なんだかんだ言いながらも上手く対処してくれるはずである。
 だから、今はこの子の側にいることを優先する。
 この笑顔の少女――その裏側に、悲しみの顔を隠している少女の側に。

「歌が上手くなったのも、やよいが本当に悲しい気持ちを抱えてるから、だったのか?」
「…………」
「何があったのか、俺に教えてくれないかな?」
 できるだけ穏やかな声で言う。
 やよいはしばらくの間黙ったままでいたが、やがてしゅんとした表情を浮かべてプロデューサーを見上げた。
「私、この間――」


   ◆


 事情を話し終えると、プロデューサーはなるほどねぇ、と呟いた。
「聞いちゃったわけか……」
 しまったなぁ、と頭を掻くプロデューサー。
 やよいはそんな彼をちらりと見て、すぐに視線を落とした。
「ほんとう……なんですか?」
 そう尋ねると、プロデューサーは優しげな笑みをやよいに向けた。

「うちの事務所の方針でね。一年間で活動はひと段落することになっているんだ」
 その言葉にやよいがぐっと拳を握ると、プロデューサーはだけど、と続けた。
「引退を勧めるわけじゃないんだよ。あくまでもひと段落ってことだから、
やよいがアイドルを続けたいと思うのなら続けることは出来る。だから、心配しなくてもいいよ」
「…………」
 アイドルは続けることが出来る。だから安心してもいい。
 彼のその言葉には、やよいが一番聞きたい言葉が入っていない。
「そのとき、プロデューサーは……いないんですか?」
「……俺は、新人の担当を任されているからね。
でも、俺の他にも優秀なプロデューサーはいるし、何よりもやよいは最初に比べてずっと成長しただろ? 俺がいなくても――」
「そんなのっ……」
「やよい?」
 珍しく声を荒げたやよいに、プロデューサーは驚きを隠せないようだった。
 どうしたんだよー、と冗談交じりにやよいのほっぺをぷにぷにと突いてみても、やよいの表情は曇ったままだ。

「私……」
 言いかけて、やよいは口を閉じてしまう。
 プロデューサはその様子を見ると真剣な表情を浮かべた。
「やよいが、いま思ってることをそのまま言ってごらん。我慢しなくていいから」
「……私、プロデューサーが私のこと忘れて、他の子とずっと一緒にいると、いやです……」
 ぽろりと涙が零れた。
 歯を食いしばって限界まで我慢していたようだったが、結局その努力もむなしく温かい涙が頬を濡らした。
「あ、あの……ごめんなさいっ」
 涙を拭うこともせず、やよいは勢いよく頭を下げた。

「なんで謝るんだ」
「だ、だって……プロデューサーはお仕事だし、そんなこと言っちゃいけないって……」
 途切れ途切れにそう言う姿は、彼からはどう見えているのだろう。
 ワガママな子だと、弱い子だと、そう思われているかもしれない。
「言っちゃいけないなんてことはないよ」
 彼は穏やかな笑みでやよいの頭を撫でた。 


「やよいが悲しいと思ってるんだったら、俺はその気持ちをぶつけて欲しい。
だから今、やよいがそういう気持ちを言ってくれて嬉しいって思う」
「怒って……ないんですか?」
「怒るわけないだろ。それから、やよい」
 彼はコホンと咳払いをすると、
「俺がやよいのことを忘れるはずがないだろ。確かにずっと一緒に活動していくのは無理かもしれないけど、
それでも、俺がやよいのことを忘れるなんてことはありえないぞ」
「ほんとですか……?」
 不安そうな瞳。プロデューサーは力強く頷くと、
「ほんとですよ」
 やよいの口調を真似してみせた。それがなんだかおかしくて、やよいは小さく笑いをこぼした。
 ようやくやよいの顔に笑顔が戻り、プロデューサーは安心したように息をつく。

「だって、俺たちは友達だから」
「ともだち……プロデューサー、私のこと友達って思ってくれてるんですか!?」
「むしろ家族、に近いかもな。俺はやよいのこと、それくらい大切に思ってるから」
「…………」
 あっさりと言ってのけたその言葉が、やよいにとってどれだけ嬉しいものだったか。彼は知るはずもない。

「relationsは少しだけ悲しい歌かもしれないけど、でも、それだけ誰かを大切に思えるってことはすごいことだと思わないか?」
「私も、プロデューサーのことすっごくすっごく大切ですっ!!」
「やよいはまだこの歌の意味はよく分からないかもしれないけど、その気持ちはきっと大人も子供も関係ないよ。な?」
 プロデューサーはにっと歯を見せて笑うと、やよいの頬をぐにぐにと両手で挟み込んだ。
 やよいは頬を朱に染めて、照れくさそうに肩を揺らす。
「っふ、えへへ、くすぐったいです〜」
「ひょっとこ」
「ふ、ふろりゅ〜さ〜」
 ぐにっと顔を挟まれたやよいは、尖がった口をもごもごと揺らす。
 と、プロデューサーの携帯電話が再び振動した。
「さて、と。そろそろ伊織がぶち切れるころだな。やよい、事務所に戻るぞ。やよいにも掃除を手伝ってもらおう」
「はいっ! お掃除は得意なんで任せてください、いぇいっ!!」
 ふたりは顔を見合わせて笑い合うと、すっかりおなじみとなったハイタッチを交わした。


   ◆


 それからレコーディングが終わり、新曲の発売日を迎えた。
 やよいの歌はと言うと、
「じゃあねなんてい〜わないで〜」
 相変わらずだった。けれど最初と違うのは、その歌声に色が出てきたということ。
 まっすぐな思いが、ダイレクトに心に伝わってくる歌になっていた。

 やよいの歌は、全国の悲しい恋をした経験のある人たちから、
『なんだか励まされる』
『別れが悲しいばかりじゃないことが分かった』
 などと好評を博して、売れ行きも上々である。

「いい感じに売れてるな。歌番組のオファーも結構来てるし」
 プロデューサーがスケジュール帳を確認しながらそう言うと、やよいはうっうーと小さく跳ねた。
「私、この気持ちをもっともっとみんなに伝えたいです!」
 誰かを大切に思う気持ち。プロデューサーを大切に思う気持ち。
 それが友達としてのものなのか、はたまた家族を想う気持ちに近いのか、それとも――
 その答えが出るのは、もうしばらく先のことである。 




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