ある日の買い物

作:名無し

「あら〜、可愛らしい感じになるんですね〜」
「律っちゃん、似合うヨー」
「だねだね、チョーイケてるよー」
「ほらほら、律子さん、大好評じゃないですかぁ!」
「え、えっと……」
 彼はドアの向こうが騒がしいのに気づいて、ノブに伸ばしかけた手を止めた。
そして、ちょっと聞き耳を立ててみる。
「も、もういいですから!みんな、レッスンとか仕事とかあるでしょ?」
「大丈夫ですよ、律子さん。私のお仕事は午後からですから〜」
「亜美はまだ兄ちゃんが来てないの〜」
「そうなの〜」
「もうちょっとお披露目しましょうよぉ。今日は、もうすぐ千早ちゃんも来るはずだし……」
「いや、いいから!本当にもう……」
 アイドル達が集まっている時、大騒ぎになるのはいつもの事だ。
今回はどうやら律子が生贄になっているらしい。比較的――文字通り――墓穴を掘りやすい
雪歩や、常に目立ちたがる伊織が話の中心になっている事はよくあるが、
律子がいじられるのは珍しい。
 彼は少し逡巡したが、回れ右をする訳にもいかずドアを開けた。
こういう時に突っ込んでいけば嵐に巻き込まれるようなものなのだが、
騒いでいる場所が出入り口の側らしい雰囲気の為、逃げ道はなかった。
「おはよう、みん……」
「あー! 律っちゃんのプロデューサーだー!」
「ほらほら! 見てあげてくださいよぉ! 律子さん、いつもと違うでしょ?」
 彼は春香に背中を押され、律子の真正面に立たされる。
「おはよ」
「お、おはようございます……」
 いつになく落ち着きがないというか、戸惑った様子の律子がそこにはいた。
 そして、ふと感じる違和感。
「ああ、あの時一緒に選んだ眼鏡だな。早速かけて……」
「ええ! 一緒に買いに行ったんですか! それって、でででデーt」
 春香はかなり驚いたらしく、語尾が言葉になっていない。
「あら〜、プレゼントなんですか〜?」
「え〜、いーなー。真美も何か買って欲しいよ〜」
 サラウンドで響くアイドルたちの声は、いよいよ勢いを増す暴風雨のようだ。
「ちょ、ちょっとプロデューサー……そ、そうだ! もう出かけましょう! 
遅刻なんてしたら大変です!」
 嵐に巻き込まれまいと、律子は彼の腕を掴み早足で出口へと歩いていく。
「あら〜律子さん、そんなに急いで〜。転ばないで下さいね〜」
「律っちゃーん、ちゃんと後でみんなにお披露目しよーねー」
 彼は律子に引きずられるようにしてその場を離れた。とりあえず二人は駐車場に逃げ込み、
社用車の中で一息つく。
 彼はふと思い出したように、
「今日、午前からの仕事ってあったか?」
と律子に問いかける。
「ないです。けど、あのまま盛り上がられても収拾がつかないので」
「ああ、そういうことか」
 納得したように何度か頷いた。
「まったくもう……軽率な発言は謹んでくださいよ……」
 しばらく彼の横顔を眺めていた律子は、呆れた声でそんなことを言う。
「すまん……って、何かおかしな事言ったか?」
「私とプロデューサーが、その……デートでもしたんだと思われてますよ」
「眼鏡買った時の事か? うーん。それなら、逃げずに説明すれば良かったんじゃ?」
「言い訳できる雰囲気じゃなかったですから」
 わざわざ言い訳などしようものなら、尚更泥沼に嵌っていただろうとも思える。 

「まぁ……分からんでもないが」
「どうします? しばらく事務所には戻れそうにないし」
「仕方ない……ドライブでもするか?」
「さらに誤解を招きたいと?」
 いつの間にかその手に握られていた、紙でできているはずのハリセンがギラリと光った。
「いいいいいいや、冗談……」
「ですよね」
「に、しても……」
「ふぅ……」

「これで全部だな」
 車の後部座席一杯になった荷物を見ながら、彼は律子に声を掛けた。
「はい。意外と早く済みましたね。最初からこのペースで行ければ良かったのに」
「いや、やっぱり腹が減っては何とやらと」
「ふふっ」
 事務所の備品を買い出しに出かけた二人は、山のような荷物を見ながら微笑みを交わす。
 彼は、ぱんっ、ぱんっと手をはたきながら、
「んじゃ、行きますか」
と切り出した。
「どこへです?」
「眼鏡」
「あぁ……本当に行くんですか?」
 遠慮しているのか、何なのか、少し上目遣いで問いかける。
「そのつもりだよ。いいのがあれば、衣装にも使えるだろ? それにほら、
誕生日に何もしてやれなかったからな」
 彼は律子の誕生日の数日前から多忙が続き、顔を合わせるタイミングがなかったのだ。
無論、プロデューサーとしての仕事ではあるのだが、現場に立ち会えない事が律子の負担に
なっていたことは想像に難くない。
「別に気にしてませんよ。スタッフにはお祝いしてもらいましたし。
大体、そんなこと気にして仕事に支障が出ても困ります」
「言うと思った。ま、今回は俺の我儘をきいてやるんだと思ってくれ」
「本気ですかぁ? 眼鏡って、結構するんですよ?」
 律子は少し驚いたような表情で彼を見上げた。
「目玉が飛び出る程じゃないだろ?」
「ふ〜ん……それじゃ、お言葉に甘えて。ちょっといいのを選ぼうかな」
「て、手加減はしてくれよ。で、店はどの辺り?」
「場所は――」
 しばらく車を走らせると、大規模な商業施設が見えてきた。
最近オープンしたばかりのショッピングモール――ワイドショーでも度々取り上げられる程の
メジャーな施設だ。
 パーキングに車を停め、モールの中を歩く。
「しかしまぁ」
「どうしました?」
 二、三歩先を歩いていた律子は何か言いたげな彼に振り返る。
「でかいなぁ。ライブができそうだ」
言いながら彼は忙しなく目線を移動させる。
 いつの頃からか彼の身に付いた癖。初めて行った場所ではとにかく歩きまわり、
隅々までその記憶に収める。そのお陰で、律子のPVに限らず、他のプロデューサーからも
ロケ地候補の助言を求められる程だ。 

「実績はありますよ。確か、オープンセレモニーの時に……えーっと、『天使』が歌ったはず」
「げ。よりによって、あの人たちに先を越されたか」
「仕方ないですよ。うちらはドラマが先に入ってたんですから」
 5階まで吹き抜けのエントランス、それを取り囲む回廊。音響効果はともかく、
ヴィジュアル的なインパクトはこれ以上を望むべくもないだろう。
「むぅ。まぁ、いいか。営業先が増えたんだと思っておこう」
「そうそう。何事も前向きにね。あ、見えてきましたよ」
 しばらく歩いて辿り着いたそこは所謂チェーン店の類ではなかった。
ブランド品からオリジナルデザインまで。野暮ったいのぼりも、余計なポスターもなく。
ただひたすらに眼鏡という物への愛着に溢れた店だった。
「目当ての物はでもあるのか?」
「いえ。ただ、良さそうな店がオープンしたのは知ってたから見に来たかったんです」
言いながら律子は楽しげな表情で店の中を練り歩く。
 薄いクリーム色の内装で統一された店内は、ただ真白であるよりも目に優しく、
長く見て回っても疲労など感じずにいられそうだった。
「あら」
 その一角。虹がかかっているのを律子は見つけた。
「こりゃ壮観だ」
そこには、同じフレームの色違いが並べられていた。暖色から寒色へ、虹を意識するように
緩いアーチを描いて。
「いいですね、これ」
 律子は一つ手に取ると、感触を確かめる。
「軽いし……うん。ふふっ」
「一目惚れ?」
「あははっ。そうかも」
 宝物を見つけた子供のように目を輝かせながら、律子は様々な色のフレームを手に取っている。
「ここのオリジナルかな……Nao……ナオミ?」
 彼は、眼鏡の弦の部分に白く彫り込まれたアルファベットを読み上げた。
「そうみたいですね。えーっと……」
 傍にディスプレイされた透明のアクリルプレートには、このブランドの紹介文が載っていた。
 曰く。
 この眼鏡のデザイナー、Naomiは言います。
 眼鏡は、表情を彩る重要な要素だと。
 だからこそ、あなたのパーソナリティーを最大限に……。
 云々。
「だからこんなに色が用意してあるのか」
「迷っちゃいますねー。ふふっ」
 そんな言葉を呟きながら、律子は笑顔のままで眼鏡の試着を始める。
 そして色を変える度、
「これはどうですか?」
だの、
「こういうのも変化があって面白いかも」
だのと言いながら彼に様々な表情を見せてくる。
 彼は彼で、眼鏡一つでくるくると変わる律子の印象を楽しんでいた。
「さて。大体の色は試着しちゃいましたね」
「どうする? ずいぶん気に入ってるみたいだけど」
「えーっと……一つ、ですよね?」
「そ、そうしてくれると有難い……」
 色合いによってはステージでも使えそうではあるし、数ある中から一つだけ選ぶというのも
酷かもしれないが、さすがに今日は複数買える程の持ち合わせはない。
「これだけあれば迷うのも分かるけどなぁ」
「そうでしょう、そうでしょう。あ!」
 律子は小さく声を上げた。 

「どうした?」
「い、いいえ……何でもないです!」
 問題は、あった。
 問題は、『問題』をどうするかということだった。
 気に入ったものなら、いつでも着けていたい。
だが、それではあの時刻んだ『問題』をどこかに置いてきてしまう――。
「へぇ、こんなサービスもやってるんだ」
 思索に入った律子の横で、彼は呟いた。
「サービス?」
「ほら」
 彼が指さした先には、弦の部分のデザインサービスについての記述があった。
「名前と……簡単な記号とか模様なら彫ってもらえるみたいだな。Naomiってのは、
その見本も兼ねてるみたいだ」
「問題解決!」
「は?」
「こっちの話です! さて、じゃあ、決めちゃいましょう!」
「ん? あ、ああ……」
 腑に落ちない様子の彼を尻目に、律子は再び眼鏡選びに没入していった。

 車の中でぼんやりと、律子はこの間の事を思い出していた。
『ええ!もしかして一緒に買いに行ったんですか!  それって、でででデーt』
『あら〜、プレゼントなんですか〜?』
 ――あの雰囲気だと、誤解でもないのかな……って、何考えてるのよ、私。
「そうだ、律子」
「は、はいっ!?」
 裏返りそうな声を抑えながら応える。
「どした?」
「い、いえ!何でもないですっ」
「そうか……」
 不自然さは拭いきれなかったが。
「何……ですか?」
「ああ、新しい眼鏡かけたとこ、じっくり見てないなぁと思って」
「じっくりって……この間、散々見たじゃないですかぁ」
「散々って。何かデザイン頼んでたじゃないか。完成品は見てないぞ」
「う……ま、まぁ、別に良いですけど」
 律子は、少し恥ずかしそうにしながら彼の方に顔を向けた。
「ふむ……うん」
 そのフレームは、律子のイメージに良く合っていた。
ともすれば距離を感じさせがちな彼女の聡明な眼差しを、穏やかで柔らかな物に変えている。
「良く似合ってる、可愛いよ」
「かっ、かっ、かわっ……いきなり何を言うんですか! まったくもう、
やめて下さいよ……そういう事言われるの、慣れてないんですから……」
 律子の顔が文字通り火を噴くような勢いで赤くなっていった。
「ファンレターに良く書いてあるぞ?」
「……面と向かって言われるのは苦手なんですっ」
「そうか」
 彼は思わず苦笑を漏らした。事務所であれだけ落ち着きがなかった理由に合点がいく。
「そうですよぉ。それが嫌で、さっきだって逃げ出したんですから……」
「成程。ところで、内側は何が彫ってあるんだ?」
「え?」
「弦の内側。外は、名前だろ。『Ritsuko』って」
「ななななな、何も彫ってないですよ、ええ」 

 その言い方は、露骨に見せたくない事があると示している。
「嘘つくな。ちょっと透けて見えてたぞ」
「う」
「普段掛けて歩くんだから、見られて困るものじゃないだろう?」
 それは、見る相手による。見られてはいけない相手がいるということに、
彼は気づくべきだ。だいたい、普段は朴念仁のくせにこういう事だけ気づいてしまうのは
いかにも間が悪い。
「うう」
「さあ、律子」
「ううう。わ、分りましたよ!」
 律子しぶしぶ眼鏡を外し、彼に手渡す。
「どれどれ……ふ、はははっ」
「な、何で笑うんですかぁ!」
 それを見て笑う彼に、律子は真っ赤な顔をしながら抗議を口にする。
「いや、隠すようなものじゃないと思って。ふ、ふふ」
 彼は笑みを抑えきれないまま眼鏡を返した。
「まだ笑う〜。いいじゃないですか、別に」
それを受け取り、律子は眼鏡を着け直す。
「ああ、うん。律子らしいと思うよ」
「どういう意味ですか」
 表情こそいつものままだが、耳まで赤くしながらまだ抗議の混じった声を上げる。
「イニシャルと、上向き矢印だろ。飽くなき上昇志向。律子そのままだ」
「え? あ、ああ……そ、そうです! ほら、こういうのって、見る人によっては
意味が変わるかもしれないじゃないですか。だから」
 律子は思い切り安堵していた。今回ばかりは、プロデューサーの鈍感さが有難い。
「そっか。そうだな」
 彼はまだ少し笑いながら、車のキーを回した。
「さて、ドライブにでも行くか」
「は? ……プロデューサー、さっき言ったこと、もう忘れました?」
「ロケハンだよ。次のPVに使う場所、当たりをつけてあるんだ。『仕事』さ」
「『仕事』ですかぁ?うーん……。うん、なら……いいですよ」
 返事を聞くと、彼はゆっくりとアクセルを踏み込む。車は滑らかに動き出した。
 律子は流れていく街を眺めながら、少しだけ早くなった鼓動を落ち着かせようとしてみる。
――恋を夢見る……
 いつの間にかついていたラジオから律子がついこの間リリースしたばかりの新譜が流れていた。
――いつか、素敵な……
 巡り合える……。
――早くそんな日が……
 ……。
――そっと、瞳を……
 なんとなく、彼の横顔を見てみる。
――魔法をかけて!
「魔法を……かけて……」
 思わず、口ずさんでみた。
「ふふっ」
「何だ?」
「何でもないです」
「???」
 律子は、事務所に戻った時の言い訳を考えながら――それでもどこか、嬉しそうだった。 


上へ

inserted by FC2 system