勇気のでる歌

作:或忍

朝の天気予報では一日快晴の予定だった秋空は鉛色の雲に覆われてしまい、
昼休みを過ぎた頃から静かに降り始めた雨が校舎や校庭を濡らしている。
幸運にも傘を持つ者も、不幸にも傘を持たなかった者も、
一様に冷たい雨から一刻も早く逃れたい一心で放課後の校舎から雨空の下へと飛び出して、
体が雨に濡れるのも構わずに急ぎ足で家路へと向っていた。

「うーん…雨が降るなんて、想定外だよぉ…」

一世を風靡した、どこかのベンチャー企業の元社長みたいな事を言いながら、
校舎裏の自転車置き場の屋根の下で小さく溜息を吐きながら、
制服姿の春香が恨めしそうな表情で雨雲の空を見上げている。

「明日はレッスンだからなぁ…風邪をひいたらプロデューサーさんに怒られちゃう」

デビューしてから半年が経過して、全国規模のオーデションに参加できるようになった春香だったけれど、
流石に合格する為の条件は地方ローカル局より厳しかった事もあり、
ここ数ヶ月は足踏み状態な活動を続けていたのだった。

「仕方ない…急いで帰って、お風呂に入れば大丈夫だよね…多分…」

自信無さげに自問自答して、走り出そうとした瞬間。
ふと何かの気配を感じた春香が、その気配の正体を探そうと辺りを見回すと、
いつの間にやって来たのかビロードの様な黒毛の仔犬が、寒そうに蹲っているのが見えた。

「こんにちは。キミも雨宿りしたいのかな?」

警戒させない様に、ゆっくりとした動作で近づいた春香が手を差し伸べて、仔犬の小さな頭を撫でてやると、
頭を撫でられた仔犬は心地良さそうな表情でピスピスと鼻を鳴らしてから、
春香の掌をペロペロと舐め始める。

「アハハハ…くすぐったいよぉ。ねえ、雨が止むまで、一緒に待っていようか?」

鞄を傍らに置いてから、制服を汚さない様に注意しながら仔犬を抱き上げて、再び空を見上げてみる。
ヒュンヒュンと流れ飛んで行く雨雲には、徐々にではあるが切れ間が見え始めてきて、
あと少しすれば、澄んだ秋の青空が見えて来る筈である。

「雨…もうすぐ止みそうだね…」

春香の腕に抱かれながら、空を見上げていた仔犬が小さく「わん」と鳴いた。
春香の言葉を理解して鳴いたのかどうかは怪しいのだけれど…。

「キミは強いんだね…ひとりぼっちで頑張っているんだもの…」

仔犬の頭を撫でながら、自嘲したような、泣き出しそうな表情をした春香が呟く。
それはプロデューサーに守られているだけの存在である自分に対する責めの言葉の様だった。

「ねえ…どうすれば、私も強くなれるのかな?
 このままだと、私…プロデューサーさんに迷惑をかけるだけのオンナのコになっちゃう…よ」

プロデューサーの期待に応える事の事の出来ない自分の不甲斐なさに涙が溢れそうになって、
ふと空を見上げると秋風に運ばれてきた雨粒が、春香の頬を濡らし始めた。
急に落ち着きの無くなった仔犬が、何度か鼻を鳴らしてから、
抱かれていた春香の掌をペロリと舐めると、抱かれていた腕からヒラリと飛び降りて、
小雨の降り続く中を校門へ向って小走りに駆け出していく。

「そっか…キミには行かないといけない場所があるんだね」

涙と雨で濡れていた頬をハンカチで拭いてから鞄を手に立ち上がり、
バイバイと小さく手を振る春香に向って振り返った仔犬が、
別れの挨拶をするかの様に「ワン」と一声吠えてから、
校門を通り抜けて町の中へと消えていく。

「そうだよね…いつまでもクヨクヨしていても始まらないよね」

仔犬の後姿を見送る胸の中に産まれた『何か』の正体を微かに感じながら、家路へと向う為に歩き始める。

「進もう毎日…夢に向って…漠然とじゃなく…意図的に…か」

昂ぶっていた感情を静める為に軽く深呼吸をしてから、
無意識に「THE IDOLM@STER」の歌詞を口ずさむ春香の瞳から迷いの色は消え去っている。

「よしっ!!!」

少し足が縺れて転びそうになりながら駆け出した春香を見下ろす空では、
既に雨は止んでおり、雲の切れ間からキラキラと射して来る陽の光が金色のベールの様に輝いていたのだった。

−完− 



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