世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

作:北

 ――最近、やよいが変だ。
 何もしないときにはずっとぽーっとしているし、俺が話しかけた途端にあたふたと慌てだす。
 常に駆け回り、笑っているのがやよいだというのに。一体どうしたのだろう。
 でも、番組に出たりオーディションを受けたりするときは、Aランクまで上りつめたトップ
アイドルの顔に戻ってくれる。
 決してスランプというわけではなさそうなのだが。
 そして、どこかプロデューサーである俺を避けている節が、感じられなくもないのだ。
 俺と目を合わせようとしないし、会話を早く打ち切って、どこかに行ってしまう。ちゃんと
指示は聞いてくれるのだが、俺が雑談をしようとすると、やよいはあたふたしてしまう。
 ……何か悪いことしたっけ、俺?
 いや……心当たりは、なくはない。

 とある番組の収録のとき。その番組の収録中に大きなトラブルがあり、予定が大幅に狂って
しまったのだが……そんな中、やよいは実にきびきびと動いてくれた。おかげで、特に後の時
間に影響はなかった。
 番組終了後、「偉かったな、やよい」と褒めると彼女は、「兄弟が多いからトラブルにはな
れっこなんですっ!」と誇らしげに言った。
 でもその後、「私は長女だから、誰かに頼ることできなかったです……」と、どこか寂しそ
うに言った。
 ……だから、「俺が兄貴になってあげよう」と返した。
 それで、頑張ってあげたから、やよいの頭を撫でてあげたのだが……

 あれ、まずかったんだろうか。
 というか、よく考えればまずいよなぁ。
 あのときのやよいの顔が嬉しそうに見えたから、ついつい長い間撫でてしまったけど……
 ……やよいだって一応、年頃の女の子なのだ。それを子ども扱いしたら、普通なら怒るだろ
う。
 やよいが俺を避ける原因としては、それしか考えられないのだが……
 むぅ。女の子って難しいな。
 頃合を見て謝っておくか。

* * *

 ――最近、私はちょっと変かもです。
 自分でも分かるほど変です。
 プロデューサーの顔を見るたび、なんだか顔が熱くなっちゃうんです。
 頭がくらくらして、目がふにゃふにゃして……もう、まともに目なんか合わせてられなくて。
 私、病気なのかなぁ?
 私がこうなっちゃったのは……えと、そう、あの日です。
 ある番組の収録のあとで、プロデューサーが、頑張ったご褒美に私の頭を撫でてくれて……
 プロデューサーのこと、お兄ちゃん、って呼んでみたりして……
 ……すごく、幸せだったんです。
 でも、幸せだったはずなのに、その次の日から何故か、プロデューサーの顔をきちんと見られ
なくなってしまったんです。

 プロデューサーから離れると、とっても安心します。頭がふにゃふにゃしないから。
 だから最近は、もっとたくさんお仕事がくればいいのにな、と思ってます。
 だけどそれと同時に、ちょっと寂しいんです。
 プロデューサーと一緒にいたくないはずなのに、もっとプロデューサーといたいんです。
 なんでだろう? なんで、こんな真反対のことを考えてるんだろう?
 うう、分からないです……。 

 ――今日は、午後からやよいがオフだ。
 今、やよいと俺は、765プロに向かうロケバスの中にいる。今日の仕事はもうおしまいなので、
同乗するスタッフの間にもゆるやかな空気が流れている。
 ……ちらりと、俺の横に座っているやよいに目をやる。やよいは……やっぱり、俺の隣にいるとそ
わそわしてしまうみたいだ。
「やよい、今日はこれからどうする? 頼んでやよいの家まで送ってもらおうか?」
 精一杯優しげな笑みを作って、何気なくやよいに話しかける。
「え゛っ! あ、あのあの、えと、その、うう、じ、事務所に寄ってみることにしますかもですっ!」
 何言ってるのか分からん。やよいってこんな子じゃなかったよなぁ。
 ……ちょうどいい機会だ。やっぱりこれを機に、話し合うことにしよう。
「あのさやよい。何か、悩み事でもあるのか?」
 まっすぐやよいを見ながら言う。
「え、な、悩みなんて……」
 ぶんぶんぶんぶんとオーバーリアクション気味に首を横に振るやよい。……それで信じるほうがお
かしいぞ。
「やよい。ちゃんと俺を見てくれ」
 じっと視線を送る。ただ、威圧的にならないように口調は柔らかくして。
「あ、う、そ、その、わ、私……」
 きょろきょろ泳ぐやよいの瞳。
 その頬は、どんどん真っ赤に染まっていく。……真っ赤に?
「……やよい、ちょっといいか?」
「へ、プロデューサー、な、」
 ぺたり、とやよいの額に俺の手を当てる。
「熱っ! ちょ、やよい、熱あるのか!?」
 やよいの額は驚くほど熱くなっていた。体中の血液が顔に集まってるんじゃないかと思うくらいだ。
五秒後に噴火しても不思議ではない。
「やよい、風邪だったのか? ここずっと、体調悪かったのか? それとも仕事のしすぎで疲れたの
か!?」
 ま、まずいぞ……明日からスケジュールがつまってるっていうのに、体調なんて崩されたら!
「あ、ぷろ、でゅー、さー、く、くる、し、」
「……あ、ご、ごめん!」
 気づくとやよいの肩に両手を置いて、がくがくと揺さぶっていた。慌てて手を離すと、やよいは勢い
よく咳き込んだ。
 ……彼女を観察すると、やっぱりどこか息苦しそうだ。さっきまでは大丈夫そうだったのに。
 俺が話しかけたからか? ああ、バカバカバカ! 俺のバカ!
「ごめーん! ちょっと、このまま近くの病院行ってくれるー!? やよいが風邪みたいだから!」
 車を運転しているスタッフに向けて声を張り上げる。OK、と声が返ってきて、車が進行方向を変えた。
「ぷ、プロデューサー、だ、大丈夫ですよ! 私、元気ですから!」
 やよいが慌てて俺に言うが、顔を真っ赤にして、目を回しながら言われても説得力ないって。
「バカ。大丈夫なわけあるか。俺を心配させないためだったのか? ここんとこ、避けてたの」
「え……ん……、と、」
 やよいは答えづらそうにしている。まずいこと聞いちゃったかな。
「もういいよ。……お金がもったいない、とか言うなよ。ちゃんと経費で落とすから。気にしないで休ん
でおけ、な?」
「あ、……はい……」
 こういうときにうるさいやよいがやけに素直だ。やっぱり、風邪のせいだろうか。
 ああ、くそう。自分のアイドルの体調管理ができてないなんて、プロデューサー失格だ。アホ。間
抜け。とんま。

* * *

 しかし――
「特に風邪の症状はありません」
 と医者に一蹴されてしまった。
「おそらく、風邪に見えた症状は心因性のものでしょう」
 とまで言われた。

 心因性。つまり、やよいの精神がきっかけとなって引き起こされたということだ。
 ……心因性、ねぇ。
 俺のせいだよなぁ、やっぱり……
 765プロへ向かうロケバスの中、俺はやよいから離れた位置に座って、考え事をしていた。
 やよいに嫌われちゃったのかなぁ……よく考えてみれば、俺が話しかけたりしなけりゃあんなことにはな
らなかったんだから。
 どちらにせよ、しばらくやよいの仕事を減らすことにしよう。こんな状態で仕事に望ませたらそれこそ酷
というものだ。
 ちらりとやよいを見る。俺から離れたやよいは、緊張の糸が切れたのか、すぅすぅ寝息を立てていた。
 ああ……落ち込む。
 結局俺には兄貴なんて無理だったのか。やよいみたいな妹がいれば、毎日やる気になるのになぁ。 


 765プロについて、オフィスに向かう。
 と……中に入ったとたん、心配そうな顔をした三人の女の子たちが駆け寄ってきた。
「高槻さんが、風邪で病院に行ったとお聞きしましたが……」
「やよいは大丈夫なの? だから言ったじゃない、無理させすぎだって……」
「まぁまぁ〜、律子さん。それで、どうなんですかプロデューサーさん?」
 千早、律子、あずささんと三人の女の子(一人女の子と言うには語弊があるが)が俺に詰め寄る。
「ああ、うん。勘違いだったって。やよい、元気にしてるよ」
 と、俺の後ろをついてきたやよいも、オフィスにやってきた。
 その元気そうな姿を見て、三人が安心した顔をする。
「よかった。高槻さん、元気そうね」
「ええ、よかったわ〜。やよいちゃん、無理はしないようにね〜」
「……あ。ご、ごめんなさい。心配かけちゃったみたいで……」
 やよいは萎縮しているようだった。
「ちょっと待って。プロデューサー。“勘違いだった”、といいましたか? 勘違いってなんです?」
 と、律子が、何かに気づいたように言った。
「……ん、俺が、やよいが風邪なんじゃないかって勘違いしただけだったんだよ」
「そ、そうなんです、律子さん。な、なんでも……し、しんいんせー? の風邪だったんですっ!」
 やよい、意味分かって言ってるんだろうか。
 しかし、その言葉を聞いた律子の瞳が鋭く光った。
「“心因性”……? やよい、何かあったの? やっぱり仕事疲れ?」
 律子はやよいに聞いた。
「え……違いますよ、ただ……」
「ただ?」
「…………ぇ、と……」
 やよいは答えづらそうにしている。
「……ちょっとプロデューサー。こっちに来てください」
「え? ちょ、千早?」
 突然千早に引っ張られて、俺はやよいと引き離される。
「ち、千早? なに?」
 ミーティングルームにまで連れて行かれる。当然、やよいの声は聞こえるはずもない。
「プロデューサーがいると話しづらいかもしれないじゃないですか。高槻さんだって、女の子なんです。少しは
理解してください」
「……すいません」
 怒られてしまった。
「……ふぅ」
 しばらくして、ミーティングルームに律子も入ってきた。
「あれ、律子。やよいは?」
「あずささんに任せたわ。そういうの、一番得意だしね」
 なるほど……男の俺が、女の子であるやよいに踏み込もうとすること自体、間違ってたのかもなぁ。
「……で。プロデューサー。やよいに何をしたんです?」
「え?」
「あんなに元気なやよいが、心因性で熱を出すわけないじゃない。よっぽど大きな悩み事があるんだわ。そして、
アイドルとしての活動中に熱を出したということは、仕事中一番身近にいる人……プロデューサーについての悩み
に違いないわね」
 う……やっぱり鋭いな、律子は。
「プロデューサー? 高槻さんに、何か、したんですか……?」
 う、千早が無表情で怒ってる。すごく怖い。
「さぁ、白状しなさい、プロデューサー!」

* * *

「実は……その、自分でもよく分からないんです」
 あずささんが、優しい目をしながら、うんうんと頷いてくれてます。
 私は深呼吸をして、気持ちを鎮めてから、言います。
「分からないことは、無理して言わなくていいのよ。話せることだけ、あったことだけ話してくれればいいの」
 あったこと……?
 話すことはたくさんあるけれど、それで分かるんでしょうか?
 でも、あずささんなら分かるかも……。私より、ずっとずぅっと大人だし。
「その、私……」

* * *

「……ってなことがあってさ。最近、やよいがすごく変で……」
 ピンからキリまで白状させられた。俺がやよいの頭を撫でたことも。
「どうだ? これで、なんか分かる?」
 人に頼るしかない自分の情けなさに呆れながら、律子と千早に問う。
 が、その二人は、
「……………………」
「……………………」
「ん? どうした、二人とも?」
 律子は眉間を押さえながら深くため息をつき、
 千早はどこか頬を朱に染めながら、怒った表情をしている。
「プロデューサー殿。もしかして……それ、真面目に言ってるの」
「む。なんだよ。そりゃ、確かに軽率なことをしたとは思ってるけど……」
「そういうことじゃありませんっ!」
 だんっ、と千早が机を叩いた。
「そ、そういうことに疎い私だって、分かるっていうのに……! プロデューサー、酷すぎます!」
「え、ひ、ひどいってなんだよ!」
「あーあー、千早。駄目ね、手遅れよ。気づいてないわこの朴念仁は」 

「それはね〜、やよいちゃん。女の子が、一度は通る道なのよ、ふふっ」
「え……女の子が、ですか?」
 あずささんは、どこか恥ずかしそうに笑いながら言いました。
「あ、あずささんは、私のこの気持ち、なんだか分かるんですかっ!?」
「ええ」
 あずささんは、ぽん、と私の肩に手をおいて、ほほえみました。
「それはね、とっても大切な気持ちなの……だから、大事にしてあげてね?」
「そ、それで、原因はなんなんですかっ!?」
 私が聞くと、あずささんはどこか答えづらそうにしました。
「んー、えーっと、その、そういうのは、自分で気づいたほうがいいと思うわ〜」
「わ、私、自分が子供だって分かってますからっ! その、遠慮なんかしないでも大丈夫です!」
「……そういうことじゃないんだけど……」
 ぐっ、とあずささんの目をまっすぐ見つめます。
 しばらく見詰め合ったあと、あずささんは、ふっと笑いました。
「それじゃ……驚かないでね? 混乱するかもしれないけど、ゆっくり、落ち着いて、ね?」
「は、はい……」
 どきどきする。一体、どんなことなんだろう?
「やよいちゃんはね、プロデューサーさんのこと――」

* * *

「――好きなのよ。分かりますか? この唐変木さん」
「―――――――――――ッ!!」
 がつん、と頭を殴られたようだった。
 信じられないけれど、信じるしかなかった。
 そうか、そういうことだったのか!
 くそ、俺のバカっ!
 ミーティングルームを飛び出した。
「ちょ、プロデューサー!?」
 後ろで千早が呼び止めるが構っていられない。
「やよい!」
 オフィスに駆け込んで、やよいに一直線に向かおうとした。
「きゃっ!」
 その瞬間、誰かとぶつかった。
「あ、ごめんなさ……って、やよい!?」
 向こうであずささんと話していたんじゃなかったのか?
 やよいは、慌ててこっちに来たらしく、息を切らしながら俺に言った。
「ぷ、プロデューサー!」
「な、なんだ!」
「わ、私、その、今までずっと分からなかったんですけど、あずささんに聞いて、分かりまし
たっ!!」
 まっすぐに俺の目を見て、やよいは勢いよく言った。
「ぷ、プロデューサー! 大好きですっ!」
 ばっ、と頭を下げ、

「私の家族に、お兄ちゃんになってくださいっっっ!!!」

「……っ、」
 少し……驚いた。
 けれど、すぐに嬉しさがこみ上げてくる。
「やよい、俺のことをそんなに慕ってくれてるなんて、気づかなかったよ……ごめんな。俺が、もうちょ
っとやよいのことを分かってやれてればよかったんだな……」
 やよいの頭を、ゆっくりと……優しく、撫でた。
「よしっ! 俺、兄貴になるぞ! だから好きなときに甘えてくれ! やよい!」
 俺は言った。
 するとやよいは頭をあげ、その顔が太陽みたいにぱっと輝いて、
「う……うっうー! お、おにいちゃーん!」
 俺に、飛びついてきた。

* * *

「………………」
「……つまり、やよいの中の最上級の“好き”=家族愛なのね……未成熟ってレベルじゃないわ……」
「ふふっ、ほほえましい家族ですね〜」
「しかも、プロデューサーも家族愛だって思ってる……もう、見てられない……」
「……くっ……」
「ま、まぁ、二人とも幸せそうだから、いいんじゃないかしら〜」 


――――後日談



「やよいー! 今日も元気に仕事に行くぞー!」
「はーい! プロデューサー!」

「やよい! オーディション、頑張れよ!」
「はい! うっうー、気合入魂ー、ハイ、ターッチ! イェイ!」

「仕事お疲れ様、やよい」
「……あの。プロデューサー……き、今日はどうでした、私の、歌……」
「……誰もいないな。よし、もういいぞ、やよい」
「え、えへへ……お、おにいちゃん。ど、どうだった?」
「うん。すごくよかったよ。新曲のダンス、可愛かった」
「あ、ありがとう……ねぇ、おにいちゃん……」
「うん、よく頑張ったぞやよい。いい子、いい子……」
「ん……えへへ……♪」
「あ、でも、もう少しはきはき喋る練習したほうがいいかもな。“さぁ虹ができる”の部分、“タニシ
ができれぅ”って聞こえたぞー」
「えー!? た、タニシ!? それはひどいかもです……」
「ま、これから直せばいいさ」
「うう……頑張ります……」
「でも、やよいが頑張ったことには変わらないからな。今日、これから二人でご飯食べに行こっか?
やよいの好きな店でいいぞ」
「え? あ、でも……私だけいっぱい食べておうちに帰るのは……」
「もちろん、家族の分のおみやげも、な?」
「……! うん! おにいちゃん、大好きー!」

* * *

「……なんだか見てて腹立ってくるわね」
「まったくだわ、律子」
「うふふ……でも、なんだかんだ言って、あの二人……」



“まるで恋人同士ね” 






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