オンナノコハ、ナニデデキテル?/i want.

作:或忍

「プロデューサーさん。女の子って、何で出来ているか…知ってますか?」

 初めてのソロアルバム用の新曲「i Want」のダンスレッスンの休憩時間に、今日のスケジュールを
ノートPCのスケジューラーで確認しているプロデューサーの隣の椅子に、
チョコンと腰を下ろした春香が聞いて来たのは、この年頃の少女らしい可愛らしいナゾナゾだった。

「確か、砂糖とスパイス。それに…素敵な物だっけ?」
「うっ…正解です…プロデューサーさんなら知らないと思ったけどなぁ」
「ハハハ。マザーグースだったら、ある程度は知っているよ」
「そうですかぁ?…残念…」

 スポーツドリンクのペットボトルに口をつけながら「あ〜あ」と言う風の表情をした春香を、
横目でチラリと見たプロデューサーが苦笑いしながら言葉を続けていく。

「でも春香の場合は砂糖とチョコ。それにハチミツで出来ているかも知れないね」
「むぅ〜?…どういう意味ですかぁ?…プロデューサーさん」
「いや、天海春香は『お菓子大好き』なアイドルだろ?…だからさ」
「うぅ…それって子供扱いされた気分…ちょっと傷ついたかも」
「ハハハ、やれやれ仕方ないな。今日のランチは俺が奢るとするか」
「えっ?…本当ですか!?…やったぁ!!」

 気遣い半分なプロデューサーの敗北宣言の一言に、泣き顔寸前だった春香の表情に笑顔が戻ってくる。
しかし敵も百戦錬磨のツワモノらしく反撃を忘れる事は無かった。

「そのかわり、ケーキバイキングは無し…だけどね」
「あぅ…やっぱりプロデューサーさんは意地悪だぁ〜」
「子供扱いは嫌なんだろ?…ホラホラ、休憩時間は終わりだ」
「うぅ…はぁい、わかりましたぁ〜」

 渋々と言った表情で立ち上がった春香が、デモテープの演奏に合わせてステップを踏み始める。
息を弾ませながら踊る表情は、さすがに中堅アイドルといったところか。

「もう少し、指先まで表情をつけるように」
「はいっ!!!プロデューサーさん!!」
「膝が下がってる。もっと高く!!」
「はいっ!!!プロデューサーさん!!」
「曲のテンポに置いていかれているぞ。もっと速く!!」
「は…はいっ。プロデューサーさん!!」

 1コーラス終えた所から、徐々に曲のテンポに置いていかれつつある春香の表情に焦りの色が浮んでくる。

「わっ!?…わわわっ!!!」
「っ!?…春香!!!」

 2コーラス目の中盤。曲のテンポに遅れまいと、必死に踊っていた春香の両足が絡み合い、
バランスを崩した春香の身体が背中からフローリングの床に向って倒れていく。

「春香っ!!!」
「プ…プロデューサーさん!?」

 無意識に差し伸べた手と手が結ばれて、本能的に互いの身体を引き寄せる。
春香の視界とプロデューサーの視界が逆転して、そして…。

バターン!!!!

「…………」
「…………」

 その腕に春香を抱きながら安堵の息を漏らすプロデューサーと、
逞しい腕に抱かれながらダンスを踊っていた時よりも早い鼓動を打つ心臓に戸惑っている春香との間に、
何とも形容し難い沈黙が訪れる。
その沈黙に耐えられなくなった春香が、恐る恐る言葉を選びながら自分を守ってくれたプロデューサーに声をかける。 


「プ…プロデューサー…さん?」
「だ…大丈夫かい?…春香」
「は…はい。えと…大丈夫…です」
「そうか…良かった」
「あの…プロデューサーさんも…大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと背中が痛いけどね」
「そうですか…あの、ごめんなさい。それに、ありがとうございます」
「気にする事はないさ。とにかく、今日のレッスンは終わりにしよう」
「は…はい。お疲れ様でした…プロデューサーさん」

 挨拶を交わしてから、上半身を起こした春香だったが何故かプロデューサーの上から退く事は無かった。

「あの…プロデューサーさん?」
「ん?…どうしたんだい?」
「あの…ですね…その…」

 努めて冷静を装っている筈なのに、何故か喉の渇きを感じたプロデューサーが、
春香に悟られない様にしながらゴクリと唾を飲み込んだ。
ようやく落ち着いて見つめた春香の瞳には、小さな決意の光が宿っていた。

「春香?…やはり、どこか怪我をしたのか?」
「あ…いえ、違います…けど…」
「そうか…じゃあ、そろそろ後片づけをしないといけないな。それに…」
「プロデューサーさんっ!!!!」

 場の空気を誤魔化そうとしながら起き上がろうとしたプロデューサーの両肩に、
春香の小さな掌がフワリと舞い降りる。
そこから伝わってくるのは怯えているような、助けを求めるような微かな震えだった。

「…て…くれ…せ…か?」
「…え?」
「確かめて…くれませんか?」
「確かめるって…何を?」

 それを聞いたらどうなるか判っていた筈なのに、
反射的に聞き返してしまった事に後悔しながら『大人の対応』を続けるプロデューサーを見下ろす春香の顔が近づいてくる。

「女の子が…いえ、私が何で出来ているか。確かめて…くれませんか?」
「何を言ってるんだ、春香。バカな真似は止すんだ。大人をからかう物じゃ……」

 真剣な春香の瞳に気圧されて言葉を失い、身動きを取る事の出来ないプロデューサーの顔と、
泣き出しそうな表情の春香の顔の距離が縮まっていく。

「春香…まだ、間に合う。止めるんだ」
「嫌です。私、止めません」
「春香っ!!」
「プロデューサーさん。私…プロデューサーさんなら…」

 二人の身体が磁石で引き合うように近づいていく。二人の間にある『境界線』を超えるまで…

あと少し…あとちょっと…。 


ピリリリリ!!!…ピリリリリ!!!

「「…っ!!?」」

 不意に鳴り響いた携帯電話の着信音に、弾かれる様に起き上がった二人の距離が一気に遠ざかる。

「はい。もしもし?…あ、音無さんですか。」

 ホッとした表情で電話に出たプロデューサーが、
テーブルの上に置き去りにしていたノートPCを操作しながら会話を続けている。

「はい。はい…判りました。春香にも伝えておきます」

 事務所からの連絡でスケジュールの変更を終えたプロデューサーが、
レッスン場の隅で借りて来た仔犬の様に小さくなっている春香のところへと歩いていく。

「あ…あの…プ…プロデューサー…さん?」

 怯えた様な表情の春香が見上げたプロデューサーの顔は、一見すると冷静沈着な様に見えたけれど、
今の春香の精神状態では、彼の胸の奥底にある感情を読み取る事まで出来る筈も無かった。

「今日の14時から予定していた雑誌のインタビュー
 先方の都合で15時からに変更だそうだ」
「は…はい、判りました。プロデューサーさん」
「下のロビーで待っているから、シャワーを浴びて来なさい」
「はい…プロデューサー…さん。失礼…します」
「あ…っと、ちょっと待った」

 罪悪感とか後悔の念とか、いろいろな表情が混ざり合った表情でレッスン場のドアを開けて、
トボトボと出て行こうとする春香を呼び止めたプロデューサーが小さく手招きをする。

「言い忘れていた事があるんだが…」
「な…何ですか?…プロデューサーさん」

 もしかしたら怒られるんじゃないかとか、今回の件を社長に報告した上で、
自分の担当を他のプロデューサーに換えるとか言われるんじゃないかと
アレコレ想像してしまった春香の表情が急激に曇っていく。
そんな様子に溜息ひとつ吐いたプロデューサーの両手が、ゆっくりと持ち上がり、春香の目の前で止まったかと思うと…。

ぺちっ!!!

「イタッ!!!」

 手加減気味のプロデューサーの掌が、泣き出しそうになっていた春香の両頬を優しく打った。

その突然の痛みに、唖然呆然となった春香が抗議の声を挙げる。

「何するんですかぁ〜!…プロデューサーさ〜ん!?」
「バカな事をした罰だよ。生意気な事を言うのは10年早い!!」
「うぅ…そんなぁ…でも…ごめんなさい…もう、こんな事はしませんから…」
「そうしてくれると助かる。それに今も言っただろ?『10年早い』ってね」
「えっ?…それって…!?」
「10年経って俺が覚えていたら、ちゃんと確かめてやるから…な?」
「プ…プロデューサーさん…」

 春香の雨降り寸前だった表情が、プロデューサーの優しい言葉で春の太陽の様に晴れ晴れとした表情へと変わっていく。

「ホラホラ、早くシャワーを浴びておいで、ランチタイムが終わっちまうぞ?」
「はっ…はいっ!…判りましたっ!!…プロデューサーさんっ!!!」

 クルリと身を翻してロッカールームに向って駆けて行く後姿を見送りながら、「やれやれ」と

安堵の表情をしたプロデューサーがDATテープやらノートPCを鞄に収めていく。

「砂糖にスパイス…素敵な物で…出来ている…か」

 既に「砂糖とスパイス」を手に入れた春香が「素敵な物」を手に入れるのは、いつの事になる

のかは判らないけれど、それを確かめてみるのも悪くないなと思いながら、レッスン場を立ち去

るプロデューサーの表情は、愛娘を見守る父親のような、想い人を待つ恋人のような、そんな優

しげな表情をしていたのだった。 



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