フタリの記憶

作:さいふぉん

   フタリの記憶



 空を舞う翼。時折、ソレに気付く人もいる。
「あれ、羽……かな」
 でも見えない。きらきらと輝く残滓のみを目に留めておけるだけ。

 空は青く、どこまでも広がっている。



01
 平日の街は、いつもより沈んで見えた。
「ふぅ……」少し草臥れたトレーナーを着た少女は、思わずため息を吐く。
「ううう〜。また、オーディション落ちちゃいました……」
いつも元気が取り得の少女には似つかわしくない言葉。そしてまたため息。
 少女の名は高槻やよい。芸能事務所765プロダクションに所属するFランクアイドル。
「やっぱりアイドルになるなんて、私には無理だったのかなぁ」
つい先ほど受けたオーディションを思い出す。
あんなに練習したのに、本番では何度も躓いてしまい、ろくに踊れなかったダンス。
途中で歌詞を忘れてしまった歌。緊張で顔が強張って、ろくに笑うこともできなかった。
『呼ばれなかった方は帰って頂いて結構です』審査員の無情な言葉が耳に木霊する。
「アイドル……か」空を見上げる。
そこに広がるのは、憎らしいほどの青空。
「もう、無理かなぁ」
「なんだ、まだ落ち込んでるのか。やよい?」
「プ、プロデューサー!?」
突然、背後から声を掛けられ、驚いて振り返る。
そこには一人の青年、彼女を担当するプロデューサーが首を傾げて立っていた。
「なんだ? そんなに驚くことか?」青年は不思議そうに問いかける。
「それより、先に帰るなら帰ると言っておいてくれないと。探したじゃないか」
 青年の恨めしい言葉に、やよいは慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ! 私、ちょっと考え事してて それに、何も言わずに帰ってすみませんでしたっ!!」 
「いや、そう何度も謝ることはないよ。こっちもちょっと別件で、すぐに顔をだせなかったからな」
お互い様さ、とにこやかに笑う青年。
「別件、ですか?」
そう言った時、やよいは青年の隣に誰か立っているのに気付いた。あれ? 今まで誰もいなかったのに。
「ああ、ちょうど良い。紹介するよ」青年は自分の隣に立つ人物に視線を向ける。
「この子が、さっき言ってた高槻やよい。ついこの前デビューしたばかりの新人だ」
 青年の隣に立っていたのは、一人の少女だった。
長い黒髪をお洒落なリボンで留めて、前髪をアップにした髪型。
一見して高級そうと分かるドレス風のワンピース。そして何故か腕には、ウサギの人形。
「そう。あなたがやよい、ね」その顔に浮かんだ笑み。
見るものを魅了する、自信と気高さに満ちた、それでいて暖かな笑み。
 その笑みを見た瞬間、やよいの脳裏に何かがよぎった。
忘れかけていた、遠い思い出? それともただのデジャブ?

「やよいには以前話したかもしれないが、やよいは本来ならユニットでデビューするはずだったんだ。
でも相手のスケジュール調整がうまくいかなくてな。それで仕方なくソロでデビューしたわけだが」
 そんな青年の言葉を聞いたやよいは首を傾げた。え? そんな話、聞いたこと……。
そこまで思った時、唐突に蘇る記憶。
『すまないな。本当なら君はデュオでのデビューだったんだが、相手の子が……』
いつのことだったか、青年に言われた言葉。
ああ、確かにそんなこと言われた。でも、何故今まで忘れていたんだろう?
「そういう訳で、この子がやよいのパートナーだ」
 やよいは青年の言葉にはっと我に返る。いけない、ぼぅっとしてた。
「よろしくね」そう言って右手を差し出す少女。
「は、はいっ。よろしくお願いしますっ!」慌ててその手を握り返すやよい。
「私、高槻やよいですっ!!」
ぎゅっと握った手は、とても暖かかった。自然と、このところ忘れていた笑顔を浮かべるやよい。
 そんなやよいを、少女も笑みを浮かべて受け入れる。
「私は、水瀬伊織よ」
 いつの間にか、街は活気を取り戻していた。 


02
 伊織とやよいのデュオは、瞬く間にその売り上げを伸ばした。
歌唱力は元より、見るものを魅了する伊織のビジュアル面は猛烈な勢いでファンの心を虜にする。
そんな伊織に引かれる様に、やよいも本来持つ明るさと表現力の豊かさを取り戻した。
「行くわよっ! やよいっ!! 着いてきなさいっ!!」
「うんっ! 伊織ちゃん!!」
 ある時は、オーディション会場で。
「この伊織様に心意気を聞かないで、誰に聞くってのよっ!!」
「い、伊織ちゃん、ダメだよぉ。暴力はダメ」
 ある時は大学際のコンサートで。
「アンタたち!! この伊織様とやよいの歌よっ! 正座して聞きなさーい!!」
「「「「「ヤー! すべては伊織様のためにっ!!」」」」」ザザザッ。
「……ちょっと怖いかも」
 その後、屋台での買い食い中でも。
「ほら、やよい。わたあめよ。一緒に食べましょ」
「えへへ。ありがとう、 伊織ちゃんっ!」
「んで、下僕はちゃっちゃと写真を撮る」
「誰が下僕だ、誰が」 パシャ!
 またある時は武道館の前で。
「いいわね、やよい。いつか、ここをアンタと私でいっぱいにしてやるわよ」
「うう〜。私、こんな大きなところで歌うなんて……、自信ないかも」
「だーいじょうぶよっ! 私とやよいなら、ちょー盛り上げれるに決まってるわ自信持ちなさいよ。」
「伊織ちゃん……」
「ほら。なんていうの? やよいも最近は歌もダンスも良くなってきてるんだしね。」
「うん。伊織ちゃんのおかげだね。……ありがとう」 パシャ!
「お、お礼なんかいいわよっ! って、下僕! アンタ何勝手に写真撮ってんのよ!」
「いやあ。恥ずかしげなやよいとテレな伊織も良いなあ、と」 パシャ!
「だから撮ってんじゃないわよっ!!」
 またある時は録音スタジオで。
「アルバムのジャケットはこれに決定だ」
「ふ〜ん。下僕にしては、いいセンスしてるじゃない」
「うっう〜! なんかおしゃれって感じです」
「このデザイン、何か意味があるの?」
「よくぞ聞いてくれました! 全体を斜めに横切っている色は上がピンクで伊織、
下がオレンジでやよいを表していて、それぞれの上下に伊織とやよいの顔写真を振り返ったときの表情で」
「ああ、もう。やよい、髪が跳ねてるわ。直してあげるからこっち来なさい」
「あう。ありがとう伊織ちゃん」
「って、聞けよお前らー!!」
 着実にトップへの階段を登る伊織とやよい。この一年、どこへ行くのも一緒のフタリ。
その胸には、数え切れないほどの思い出ができた。ロケ地の旅館では一緒の布団で寝た。
花火大会の司会もフタリでやった。幾多の歌番組にも出た。
ラジオの生放送でフタリして失敗した。
落ち込んだときも、泣いたときも、喜んだときも、笑ったときも。
 
 いつもフタリは一緒にいた。
 
 そして、時間は過ぎてゆく。 


03
「……分かってる。もう時間がないことは」
「分かってるって言ってるでしょ!」
「何よ……。もう、お説教ばっかり」
「しょうがないじゃない。これが私の性分なんだから」
「聞き飽きた。アンタいっつもそれじゃないっ!」
「あの子も……。ううん、何でもない」
「あと少し。あと少しで夢に手が届くの」
「違うわ。あの子の実力よ。私は少し手を貸しただけ」
「アンタは、いつもみたいに準備してて」
「多分、最後まで歌えないから……」
「……夜、明けちゃった、ね」


04
 満員の客席はフタリのファンで埋め尽くされていた。
1万五千の人々が、今や遅しとフタリの出番を待ち望んでいた。
ファーストアルバムの発売に合わせたコンサートツアーも、この武道館が最後。
ファンにとっては待ちきれない一瞬が、今、訪れる。
 客席の照明が落とされ、さざ波のようにうねり広がってゆく歓声。
フタリの名を呼ぶ声が最高潮に達したとき、ステージにスモークが立ちこめ、イントロダクションが流れ出す。
まずは静かに。徐々に重なってゆくリフレイン。
繰り返し繰り返し奏でられるメロディが音圧を上げて会場全体に広がってゆく。
そして、唐突にステージを照らすスポット。
その下には、フタリの姿が。絶叫にまで昇華した歓声に答える、
少女たちの言葉。


「いくわよっ! みんな着いてきなさいっ!!」「うっう〜!! いえい!!」


「よし! 良いステージだったぞ!」
袖に戻ったやよいを、青年は満面の笑みで迎え入れた。そして外を眺めながら言う。
「アンコール、すぐいけるな?」
「はいっ!」
当然です! とばかりに大きく頷くやよい。
「ねっ! 伊織ちゃん」
「……」
「えへっ。伊織ちゃんのおかげだよぉ! さあ、行こう!!」
「……」
 再びステージへと走って戻るやよい。その手は、何かを掴む仕草をしていた。

 アンコールに答え、歌っている最中のこと。やよいは何か大切なものを失くした気がした。
そして耳に残る言葉。
『……やよい。アンタと出会えて、すごく嬉しかったわ』
 握り締めた手の中には、今は何もなかった。
 でも、悲しくはなかった。だって……。きっと、私も嬉しかったから。
『バイバイ、やよい』
 バイバイ、伊織ちゃん。

 アンコールを終えたやよいを迎えた青年。だがその顔をみてぎょっと驚く。
「ど、どうした、やよい? そんなに感動したか?」
「え? 何がですか、プロデューサー?」
「何がって……、泣いてるじゃないか、そんなに涙流して」
 自分の頬に手を当てるやよい。確かに濡れている。
「あれ? おかしいな。感動はしてますけど……、あれ、おかしいな」
拭ってもぬぐってもあとから流れてくる涙に、やよいは困惑した。でも……。
「ヘンですね、プロデューサー。悲しくないんですよ、ちっとも」
涙を流しながら、笑顔を浮かべるやよい。

 その笑顔を見て、青年は頷いた。
「うん、そうだな。悲しくないんなら、それでいいんだ」
 
 会場からは、いまだにやよいの名前を呼ぶ声が聞こえた。
 
 それは、ずっとずっと、どこまでも聞こえていた。 


05
 武道館コンサートを終えたやよいは大勢のファンを獲得したこともあり、ついにアイドルランクAへと到達。
夢のトップアイドルとなった。
「うっう〜! すごいですよプロデューサー、見てください! シングル、アルバム、両方売り上げ一位!」
原宿にある大型CDショップの新譜コーナーの前で、やよいははしゃいでいた。
「いや。嬉しいのはわかるが、なにも直接見に来なくても……」
青年は周りを見渡した。
思いっきり目立っているため、幾人かには高槻やよい本人であることがばれているようだ。
「信じられません……。ランクAになると、こんな奇跡まで、起きちゃうんですね!」
「いや。だから人の話を……」
「ほら! 見てください、私のCDですよっ!!」
やよいは心底嬉しそうに、自分のCDを両手で掲げて見せた。
ジャケットは斜め上下に色分けされ、上がピンク、下がオレンジ。
オレンジ地の上にやよいの肩越しに振り返った顔がコラージュしてある。
 それを見た青年は、微かに首を傾げる。あれ? このジャケット、こんなデザインだったかな? 
だが自分がデザインに依頼したものであることは間違いない。気のせいだったか。
気を取り直して、ふとやよいを見ると、なにやら俯いている。
「やよい?」
「……プロデューサー」
ぎゅっと自分のCDを抱きしめて、やよいはぽつりと言った。
「このCDの曲を聴くと、私、また泣いちゃうんです。自分の声なのに、なんでかな、泣いちゃうんです」
そして顔を上げ、ふわっと笑う。
「おかしいですね」

「つらかった時、楽しかった時、悲しかった時、うれしかった時。誰かがそばにいてくれた、そんな気がするんです……」


06
 〜♪
「……何よ。私はこれでもプロの歌手なのよ」
「うっさいわね。わかったわよ、言い直すわよ。元、プロの歌手なのよ!」
「ったく、いちいち細かいんだから」
「はいはい。んで? 次の目的地……、あら?」
「うっさいわねっ! 前にも言ったでしょ、これが私の性分なのっ!」
「アンタは黙って、いつもみたいにやってくれりゃいいのよ」
「さ、行くわよ。迷える子羊の背中を押してあげるためにねっ!」


 空を舞う翼。時折、ソレに気付く人もいる。
「あ、羽……なの」
 でも見えない。きらきらと輝く残滓のみを目に留めておけるだけ。

 空は青く、どこまでも広がっている。 



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