疑惑

作:籠原

原作ストーリー:人間交差点-ヒューマンスクランブル-『疑惑』(第26巻収録) 

「はい、社長。これを吹いて……」
泡の中にはあの頃がある……。
その中を自分が走っている。
病院の屋上で、俺はストローを吹いていた。10数個のシャボン玉が、夕暮れの空に飛んで行く。
「プロデュ……いや、社長。そろそろ中に入りましょう。冷えてきましたからね」
俺の乗った車椅子を、律子が静かに押した。


「ギャラ上げろだあ!?あいつまだペーペーのくせに、調子こかせてんじゃねえよ、調子をよ!!
お前マネージャーになってもう2年だろ?タレント一人思うように動かせなくてどうすんだ!!」
「は、はあ……すみません……」
俺の怒鳴り声に、若手マネージャーはまごついている。
「ただのバカ女子高生を誰がここまでにしてやったんだよ、え!?文句あるならいつでも辞めろって言っておけ!!」
まさに絶好調だった。わずか半年前には、別人の俺がいた。
急死した社長の跡を継いで、俺が765プロの社長になった。
それから10年。
社長とプロデューサー業の両立は過酷だったが、充実した日々だった。
気がつくと、自分でも信じられないほど765は芸能界で幅を利かせるようになっていた。
そして、俺の増長もピークに達していた……。
「律子、立て!!」
俺は経理の女の襟首を掴むと、無理矢理立たせた。
「いいか、こいつが生き証人だ!15年前のこいつを知らない奴は誰もいないくらいだったんだぞ!
そうだよ、スターだよ!!トップアイドルだよ!!ドル箱だったんだ」
経理の女……律子はうつむいたまま、抵抗しない。
「世の中なめてるとな、こうなるんだ!!……うっ……ううっ……」
次の瞬間、俺の視界は真っ白になった。続いて、全身の力が抜けていくのを感じていた。
「しゃ、社長!どうなさったんですか!?」
事務員の叫び声が響く。体は支える力を失って倒れていく。
「社長!社長!」
「脳卒中らしい!大変だ!」
「救急車を呼べ!」
意識が消える寸前、律子の顔が目に映った。
笑みを浮かべたような顔が……そして俺は意識を失った。 

「はあ!?バカ言わないでよ!こんな格好できるわけないでしょ!」
「いや、しかしだな、今回の客は……」
「い、や、だ!」
「はい……」
15年前、俺は新人アイドル、秋月律子のプロデューサーになった。
律子は天才だった。事務員から、あっという間にトップアイドルにまで上り詰めた。
彼女はここまでのし上がれると、信じていた俺の目に狂いはなかった。
だが、気がつくと彼女は完全に天狗になっていた。プロデューサーである俺を虫けら同然に扱った。
俺は奴隷だった。
「コーヒー!」
「あ、待っててくれ、すぐ買ってくる」
まるで付き人のように俺をこき使った。こうした雑役に少しでも間違いがあれば、怒声、平手が飛んでくる。
「誰にもの言ってるわけ!?誰のおかげでご飯食べられて、女抱けるわけ!?ふざけないで!」
だが、そんな地獄のような日々は、あっけなく終わりを告げた。
ある歌番組の収録で……。
「はい、秋月律子さんでした。ありがとうございました。どうぞ、こちらへ」
司会者に促されて、舞台の上手に歩いて行こうとしたその時。
「り、律子ちゃん!?」
「きゃあああ!!」
突然、崩れるように律子は倒れた。
俺はあわててスタジオに飛び込んだ。
「救急車だ!救急車を呼べ!!」 

律子はすぐに病院に運ばれ、翌日意識は戻った。過労だったのだ。
だが、思わぬ後遺症が律子を待っていた。
それは、失語症だった。なぜ過労から失語症になったのか、医者にも原因はわからなかった。
回復の兆しが見えないため、しばらく律子は入院することになった。
だが、社長は冷たい判断を下した。
『解雇』だった。もう使い物にならん、ということだ。
俺は嬉しさを押し殺して、「まあ、しょうがないでしょうね」といかにも残念そうに言った。
解雇を告げに、俺は律子の病室を訪れた。
「お前、クビだってよ……」
律子は驚いた顔をする。
「そりゃそうだよな、売れっ子アイドルのお前がしゃべれなくなっちゃおしまいだよな。
ずいぶんいじめてくれたけど、これでお別れだ」
何か言おうと、律子は必死に口をパクパクさせるが無駄だった。全く声にならない。
まだ体の自由が利かないので、平手も飛ばせない。
「はっきり言わせてもらうよ。俺はお前が大嫌いだよ。お前をスーパーアイドルに育てたくて、
身を粉にして必死に働いてきたけど、その俺にお前がしたことを考えれば、当然だろ?」
律子は口パクパクをやめた。
「何度殺してやろうと思ったか。でもお前は自分でだめになった。まあ、自業自得だよな」
律子の顔がこわばる。
「では改めて……今日限りを持って、765プロダクションは秋月律子との契約関係を解消します。
つまりあなたは、今日限りうちのタレントではなくなりました。
今までの未払い分のギャラは、全て清算済みですので、銀行口座のご確認をよろしく。以上!
……あ、俺の心配はいらない。別の新人アイドルのプロデュースをすることになったから。
いずれ独立するか、次期社長になるから、食えなくなったらおいでよ、
経理のおばさんくらいならさせてやるからさ。あ、昔に戻るだけか。ははは……じゃあね」
俺は捨て台詞と嘲笑を残して、病室を後にした。
去り際、律子の目に涙が少しにじんでいたのが見えた。
「……フン!お前が悪いんだ」
誰に言うでもなく、俺は吐き捨てて、病院の廊下を歩いていった。


しかし、まさか本当に来るとは思わなかった。
むしろ不思議だった。あれだけいた律子の友人たちは、誰も面倒を見なかったのか?
「プロ……いや、社長!!お願いします!私を使って下さい!!」
社長になった俺の前で、律子は土下座して頼み込んだ。俺は驚きを通り越して呆れた。
あのプライドの固まりのような律子が、なんと俺に土下座とは。
「おいおい、マジかよ!?」
「はい、がんばります!」
「いくら仕事にあぶれたからって、俺んとこに来ることはないだろう。冗談抜きに、
経理しかさせられないぞ。それに、食ってくのがやっとの給料しか出せないぞ」
「はい!それで十分です!」
昔言った言葉の手前、俺は律子を経理として使ってやることにした。
どういう経緯かはわからないが、失語症は治っていた。
一度はカムバックしたとは聞いていた。もっとも、世間は一々消えたアイドルなんて、覚えちゃいない。
もうすでに、律子は『過去の人』になっていた。どこのテレビ局も使ってくれず、職を転々として俺の所に来た、
というわけだった。 


律子は良く働いた。
アイドルの頃と比べたら、ただ働きのような給料なのに、文句一つ言わない。
俺は、初めは昔の仕返しにいじめてやろうと思ったが、あまりに変わり果てた律子の姿に、
いじめる気は失せてしまった。
ゴチャゴチャ理屈をこねることも、まして俺に楯突くこともなく、別人のようにおとなしくなっていた。
「しかし、あれだけの跳ねっ返りが、信じられねえな。こんなに素直になるなんて。
それに、俺だったら絶対来ないぜ。自分を切り捨てたプロデューサーのところになんか」
「感謝してます、使っていただいて」
俺の皮肉たっぷりの言葉にも、律子は平身低頭するばかりだった。
しかし、わからなかった。
どうして俺のところに来たのか。
あれだけ頭がいいんだから、芸能界を離れてもいくらでも再スタートのチャンスはあったはずだ。
何度聞いてみても、「他に行くところがなかったんです」などと、言葉を濁されるだけだった。



そして、今……。
俺は病院にいる。
入院して2ヶ月。右半身が動かず、左手が少し動く程度で、口もきけない。
思えば皮肉だ。
あの時の律子そのものに、俺はなってしまった。いや、もっと悪いかも知れない。
ベッドのそばには、その律子がいる。
入院当初は、見舞客はたくさん来たが、今は律子だけしか来なくなっていた。
「あ、そうそう。事務所は畳みますけど、いいですね?」
畳む?どういうことだ?
「タレントも事務員も、みんなよそに移ってしまいましたから、続けられないんです。
タレントがいない芸能事務所なんてナンセンスですから」
何?誰もいなくなった?タレントも、事務員も?
「そういうものですよ、人間なんて。会社の清算手続きは、私の方でしておきます。
社長は体を動かして、しゃべれるようになることだけを考えて下さい」
しかし、どうしてお前は残ったんだ?
どうしてお前はよそに行かなかったんだ? 


その後も、俺の入院は続いた。
「では、今度の金曜にまた来ます」
面会時間が終わって、律子は帰っていった。
律子は週に3回ほど見舞いに来たが、俺の所へ来た理由を話そうとはしなかった。
……まさか、俺がこうなることを見越して来たのでは?
そうか、復讐だ!
あの時に吐いた捨て台詞、あれを根に持って復讐するつもりで!

その次の金曜日、俺は律子と屋上にいた。
「はい、社長。これを吹いて……」
律子はシャボン玉のストローを差し出すが、俺はかすかに首を横に振る。
「あ、嫌ですか? ……そうですか、やっぱり見えましたか」
何? どういうことだ?
「不思議なんですよね、泡の中に元気な頃の自分が見えるんですよ。
走り回ってしゃべりまくって失ったものの大きさを痛感するんです」
律子はハハハと笑うと、俺の顔に向けてシャボン玉を吹いてきた。
5、6個のシャボン玉が俺の顔に当たって弾けた。
「どうして自分がこんな目に合うのかって、悔しくって涙が出てくるんです。情けないもんですよね」
こ、この野郎……!!
「社長、怒ってるつもりでしょ? ところがそう見えないんですよ。口元が笑っているように歪んでいるだけです。アハハ」
とうとう、本性を現しやがったな……!
殺してやる……!!

そして、面会時間は終わり、律子は帰っていった。
やっぱりそうだ、復讐に来たんだ。
そうはさせてたまるか。
そうなる前に、首を絞めて……律子を……殺してやる……!!
でも、右手が動かない。左手がかすかに動くだけだ。
この右手が……右手さえ動けば……!
俺の死に物狂いの挑戦が始まった。
孤独なリハビリだ。律子はもちろん、医者にも看護婦にも気づかれないようにしなくてはならない。
気づかれたら止められる。だから俺は一人、病室で必死になって右手を動かそうとした。
最初の3日は、わずかに指が動くだけだった。
1週間目、右手がわずかだが上に上がった。
半月後、右手の開き閉じに成功した。
でも、これではまだだめだ。首を絞めるどころか、箸を持つことすらままならない。
その後はしばらく、先に進めない時期が続いた。
だが俺はあきらめなかった。
律子をこの手で絞め殺す。殺意はいつか、生き甲斐と同化していた。
もう俺には何もない。金もない、仕事も、栄光も……何もない。
もう俺には失うものはない。黙って死を待つか、それとも……
そして、1か月半後。
……やった、やったぞ!!
俺の右手は、ベッドのパイプをしっかりと握り締めていた。

そして、3ヶ月が過ぎた。
律子が俺の顔に向けてシャボン玉を吹いた。
……今だ!!
俺は両手を、律子の首にかけていた。
律子は驚いたのか、避けられなかった。
……殺してやる、殺してやる、殺してやる……!!
自分でも信じられないくらいの力が出ていた。
律子は動けない。
殺してやる……殺して……!? 


……笑ってる……律子が、笑ってる!?
首を絞められながら、苦しそうにしながら、律子は微笑んでいた。
俺は驚いて手を離した。
律子は手と膝を地べたについて息を切らせている。
……どうして、どうして笑えるんだ!? 殺されそうになったのに!
「よ、良かった……全然良くならないから、もしかしたら本当にもうだめかと、あきらめかけていたんです」
律子はフラフラと立ち上がると、息の上がった声で言った。
……何を言ってるんだ? 俺に復讐するんじゃなかったのか?
「私は、社長に二度も助けて頂いています。一度は、今の社長と同じです。
入院して、事務所を解雇された時に社長に言われた言葉が悔しくて、それで失語症から立ち直れたことです。
こんなこと、感謝されたくはないでしょうけどね」
そ、そうだったのか……! こいつ、わざと……!
「二つ目は、あの時私を追い返さずに雇って下さったことです。
芸能界から足を洗って就職して、そこそこの成績は上げましたが、人間関係でトラブルを起こして退職する、
その繰り返しで、ついには全く食べられなくなりました。
そんな時に、思い出したんです。社長がいなかったら、今の私はなかったと……。
だから、私は765プロに行ったんです。追い返されるのはまだいい方で、
もしかしたら殴られるかも、と思っていました。でも、社長は殴りませんでしたよね。
あんなひどいことをしたのに、どうして私を許せるの? どうして約束を守れるのって。
あの時、私は心の中で泣いていました。そして、決意したんです。今までの全てを捨てて765プロ、
そして社長に尽くそうって」
こいつ……そんなに大事に思ってたなんて……。
「こんないい恩返しができて、本当に良かったと思っていますよ……」
「うっ、ううう……」
俺の口から、嗚咽が漏れた。
「次は言葉ですよね。大丈夫、すぐしゃべれるようになりますよ……」
俺の目から涙がこぼれた。律子も泣いている。
涙に濡れた手で、律子は俺の右手をしっかりと握った。
「(本番、スタンバイ! 思い切り歌ってこい!)」
俺は口をパクパク動かした。
「……! はい、プロデューサー! 秋月律子、思い切り歌います!!」
俺の声にならない言葉をしっかりと聞き取った律子は元気良く答えた。

ありがとう、律子……。

おわり 



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