一番セカンド高槻さん

※注意 このSSにおける物理法則は正しくありません。 フィクションと割り切ってお楽しみいただきますようお願い申し上げます。

作:426


「お疲れ様、千早。球場全体に響くいい声だったよ」

ドーム球場からの拍手はまだ鳴り止まない。
開会セレモニーとして君が代を歌った千早を讃える拍手であり、
本日のイベント、【ファン感謝デー】のはじまりを喜ぶ拍手。
俺たちは、惜しくもクライマックスシリーズで敗れた、とある東京の球団に呼ばれ、仕事を依頼された。
千早に開会セレモニーで流れる【君が代】のヴォーカルを務めてほしい、と。

球団の偉い人から花束を受け取った千早が、ホーム側のベンチを通って俺たちの控え室へと戻ってくるのを、
俺はタオルと水を差し出しながら迎え入れた。
「どうでしたか?プロデューサー。国歌の独唱というのはさすがに緊張感いっぱいで……」
「心配ない。聞いただろう?あの歓声を。普通はここまで盛り上がらないよ。千早の歌が素晴らしい証拠だ」

球団の広報さんからは【ぜひ如月千早さんで】という指名が来ていたが……さすがの人選だと感心する。
声の大きさなら、真やあずささんもこういう仕事に向いているんだが、千早の持つ凛とした雰囲気と歌声が、
厳粛なセレモニーの場に似合うんだこれが。
ざわついていたお客さんたちが、一瞬で千早の歌に飲まれるように静かになったんだから。

「さて……この後は球団のチアコスチュームに着替えて、花束を渡す仕事な。
確か、広報さんが用意してくれたやつが……うん、これだ」
丈夫なナイロン袋に包まれたその服は、白地に黒とオレンジのラインが映える、ユニフォームを模した
チアガール衣装だった。うちのチア服とちがって袖があり、背中には【KISARAGI】の文字と、
ご丁寧に背番号もついている。が……
その服を見て、千早が何ともいえない不満げな顔をしたのに、俺はドキリとした。

「プロデューサー……衣装はいいのですが、何故わたしの背番号が72なのでしょうか?」
「!?」
うわぁ、あの球団広報さん……困った気の利かせ方をしてくれた!!
聞けば、わが765プロのアイドルが好きだからという理由で仕事をくれたらしいが、
そんなところにまで気を回さなくていいのに!……ていうか、普通その番号にこめられた意味が分かったら
怒るぞ。普通の人ならだれでも。間違いなく!! 


「あ、あー……その番号はだな、伝説の左ストッパーがコーチだった時の番号なんだ。
当時は彼が登板したら、もう勝ったようなもんでな……【職人】とまで言われたそのピッチングが、
千早のひたむきな姿勢に重なるからという理由で贈られたんだよ、うん」
「……では、ここにいる高槻さんも同じ背番号なのはどういう理由ですか?」
「はうっ!?」

千早のゆさぶりに、俺の背中から冷たい汗が流れた。
そう。今この控え室には俺と千早……そして、やよいがいるんだ。
最初、広報さんから3枚の関係者入場証を渡されたことがきっかけで、彼が言うには
【奥様や上司の方を誘うなり、ご自由に】と、サービスの意味合いを含めてくれたらしい。
が、悲しいかな俺は嫁さんなんているわけないし、この小さな会社で上司といえば社長くらいしかいない。
そこで、野球が好きなやよいを連れて行ったわけなんだが……

「うっう〜……そういえば【72】って何かかんけいあるんでしょうか?共通点といえば、わたしと千早さんのむ……」
「もちろん理由はある!!その背番号は、今でも有名な【絶好調男】のコーチ時代の番号でもあるんだ。
やよいにはそっちのイメージがピッタリだろう?いつでもパワフル、絶好調、ってね」

一応嘘は言ってない。【72】の背番号は由緒正しいコーチの証でもあるのだから。
ただ、もしも真にお呼びがかかった場合【73】の背番号に対してどううまく答えれば良いか分からないぞ。
こういう計らいはありがたいけど、千早との仕事だと怖くて仕方が無い。
……まぁ、一番大事な歌の仕事は完璧にこなしてくれたので、あとは比較的安心していられるのは助かるけど。

ちなみに、何故つきそいで来たやよいにもユニフォームが渡されているか、だが……それは2時間ほど前、
俺たちを迎えた広報さんが、やよいを見て【是非、彼女にも出て欲しい】と、急遽仕事をくれたためだ。
急な話で俺も戸惑ったが、やよいの稼ぎが増えるのは正直ありがたいし、野球が好きな彼女にとって、
プロ野球選手と一緒に仕事ができるなんて、一生ものの思い出になるだろう。
怪我をしそうなものだけは避ける、という条件で俺は承諾し、やよいも快諾してくれた。
そして、彼女に振られた仕事は【球団グッズ販売の売り子】として、売店に立つという内容だ。

数学に弱いやよいでも、一つ300円のものしかないから計算を間違えることも無いだろう。
……多分無いと思う。
無いんじゃないかな?
……まぁ、ちょっと覚悟はしてもらおう。少しくらいの誤差なら。 



■

  
「うっうー!!プロデューサー、ドームですよっ、ドーム!!」
どこかで聞いたような台詞なのはおいといて……案の定テンション上がりっぱなしのやよい。
アイドル活動をしていると、こんな仕事の一つや二つはあるもんだが……
こんなに喜ぶなら、東京ではなく彼女が好きな千葉の球団に連れて行ってやるのもいいかもな。

まぁ、この球団のサードは千葉から移籍してきた選手だし、やよいは野球好きだけあって、
スタープレイヤーの集うこの球団を前に、うずうずしないわけがない。
そのテンションを、いい方向に導くのが俺の仕事であり、生き甲斐なんだ。

そんなやよいに引っ張られるように、千早も売り子を引き受けてくれ、グッズ売り場は大いに賑わった。
昔は歌以外の仕事にまったく興味を示さなかった千早も、今は人のあたたかさに触れる楽しさを
少しづつ分かろうとしているのが感じられる。
「うっう〜……えっと、全部で6点ですから、さぶろく……16?」
「18よ、高槻さん。合計1800円」
「はうっ!?す、すみません千早さんっ……えっと、1800円です。ありがとうございまーす♪」

こうして見ると、やよいと千早はデュオとして組んでもいい感じになるかもしれない。
歌唱力は残念ながら歴然とした差があるのだが……何と言うべきだろうか、
性格的にお互いがいい感じに作用して、テンションの乱高下を防いでくれると思う。
さっきみたいに、千早が上手い具合に暴走するやよいにブレーキをかけるが、
やよいの元気が千早を引っ張る事もあるだろう。
野球イベントということで一緒に連れてきた二人だが、機会があればコンサートなどで
歌わせてみるのもいいかも知れない……そんな事を考えていると、
にわかに主催者サイドが慌ただしくなってきた。

……といっても、イベントに参加してるお客さんたちに分かるレベルじゃない。
裏方として現場に慣れてきた俺の、第六感に近い感覚だ。

「あの……すみません、何かトラブルでも?」
やよいたちを見守るのが仕事の俺だが、裏方の一人として、依頼主のピンチは放っておきたくない。
何か力になれないかと聞いてみたが、どうやらこの後控えているイベントのゲストが、
交通事故で収録に間に合わないと言う事で、急遽代役を手配するのに慌てているようだ。

開会セレモニーから少年野球教室、間にマスコットやチアのダンスショーを挟んだ紅白戦。
選手たちを交えたお弁当タイム、球団グッズ販売……その後は、アレだ。
【プロの業を感じろ!!芸人が挑戦】コーナーだ。 


TVの珍プレー特集とかでやる、150`をカメラで捉えてその怖さを感じるとか、
そんな企画がいつからか放映されるようになったが、元はといえば間近でプロの凄さを
知ってもらおうと、客席より近い位置でファンに見てもらおうと、感謝デーに端を発した企画なんだ。
……さすがにファンのお客さんをバッターボックスに立たせるのは危険だから、
お笑い芸人さんにリアクション込みでその凄さを表現してもらうという手筈だった。

感謝デー自体はたくさんのイベントで構成されているので、一つくらい欠けても成立はできる。
しかし、これは後にニュース素材などにもなるし、人気企画なのでできるだけ中止は避けたいんだろう。
だが、悲しいかな……芸人さんが来れない以上、お客さんに代わってもらうわけにはいかない。
なぜなら一般の人にはこういう、もしもの怪我に対する保険が掛けられていない為、
責任の所在が取れないことをさせてはいけない決まりがあるのだ。
ましてはこの球団は日本一の知名度とお金があり、嫌なニュースは絶対出したくないと思っている。
確かに、野球好きで保険にも加入している芸能人……そんなの急に手配できるわけが……


「あ、あのっ……それ、わたしじゃダメですか?」

いた。今、ここに。
慣れない計算に戸惑いながら必死にグッズを売っている娘が、まさにドンピシャのタイミングで、
広報さんに名乗りを上げた。

「やよい……気持ちは分かるがそれは許可できない。デッドボールでも受けたら、
取り返しのつかない事になるぞ。数ヶ月の活動停止……いや、最悪の事態もあるかもしれない」
「そうよ高槻さん。そんな無茶はやるべきではないわ」

最低でも130`以上の硬球が飛んでくるこの種目……
相手がプロのピッチャーなのは承知している。だが、万に一つでも大怪我の可能性があるような
仕事をさせるのは、プロデューサーとして認めるわけにはいかなかった。
一応やよいも芸能人である以上、765プロがその身体に保険を掛けている。
しかし、だからといって危険な目に逢わせて良いかと言えば、それは絶対ノーだ。
この企画がガチの対戦である以上、相手ピッチャーに手を抜いてもらうわけにも行かないし。

「うー……でもでも、みんな困ってます。危険なのはたしかにそうですけどっ……
ドームで打席に立つって、すごーく憧れてたから……」
「ああ、分かるさ……プロのピッチャーが投げるわけだからな。でも……」
「プロデューサー、おねがいしますっ!!わたし、どうしてもやってみたいです」

俺をまっすぐな瞳で見つめるやよい。
使命感と……大部分は野球好きとしての興味なんだろう。
確かにやよいの身体は大事だが、それは彼女が夢を叶えるためだ。
こんなイベントでもなければプロと対戦するなんて事はもう無いだろう。

【どうしてもやってみたい】そう彼女が言うなら、これも一つの夢なのだろう。
「分かった……その代わり、やばい球が来たらしっかり避けろよ。
プロの球なんだから、逃げてもぜんぜんおかしくないんだから」

「は……はいっ!ありがとうございますプロデューサーぁ!!」
そう言いながらも、逃げる気をあまり感じない。
後方の人に話を通しながらも、うずうずしているやよいを見ると、
夢を叶えてやれてよかったと思う反面、やはり怪我だけは避けてくれ、と祈る自分がいた。 


■

「おお……印象が変わって、ずいぶんと新鮮に見えるな。しかしこんなに可愛い打者を
ドームで見るのは初めてだ。よく似合うぞ、やよい」

今度は下がスカートでない、正式なユニフォームに着替えたやよいを見て、
俺は感嘆の声を上げた。
いつものツインテールはメットをかぶる時邪魔になるから、おさげスタイルで下方にまとめている。
145センチの小柄な少女が金属バットを構える様は、ある種かっこ良くも感じる不思議な魅力があった。

「決まった以上はやよいに任せるけど……怪我だけは気をつけろよ」
「はいっ♪がんばって打ちますから、見ていてくださいね、プロデューサー、千早さん!!」
相手側のピッチャーは、数年前20勝をあげて新人王となり、球団の守護神として信頼の厚いあの人だ。
ここまで8人の芸能人をことごとく三振か内野ゴロに打ち取っていて、
多少野球をかじったお笑い芸人の人たちを、難なく捻じ伏せている。
現状で、やよいが打てそうな要素は皆無に等しかった。
ヒット賞の自転車も、ホームラン賞のハイビジョンTVも、彼が投げれば絶対に取られないと思わせるほど。

この企画趣旨である【プロの力を見せ付ける】事は、ほぼ成功していると言っていい。
キャッチャーの後ろに設置されたカメラからは、ズドンと落ちるフォークの凄まじさや、
轟音とともにミットに収まるボールの音など、迫力ある映像が球場の大型ビジョンに映し出されて、
感謝デーに集まった3万人ものお客さんたちにまじまじとアピールしていた。

『9番……765プロ所属アイドル、高槻やよい選手』
ウグイス嬢に名前を呼ばれ、客席からは励ましの声が上がる。
勢いよくベンチから飛び出したやよいは、観客に手を振りながらバッターボックスへと走り、
打席に入ると同時にメットを取り『お願いしますっ!!』とキャッチャーおよび審判に挨拶した。
高校球児を思わせる爽やかさと元気のよさで、客席の声援はさらに強くなった。

若干、オープンスタンス気味に構えたやよいに向けて、第一球が放たれる。
「!!」
それだけでもう俺は顔を背けそうになるのを必死でこらえた。
普段家でTVを見ていたときは、よく分からなかった130キロのフォークボール……
いざ、間近で見るととんでもないものだと思い知らされた。
あれだけのスピードで向かってくるだけで怖いのに、間近で消えたように落ちる球筋。
それは素人が多少練習したところで、絶対に打てるものでは無いと言われているようだった。 


『ボール!!』
審判の声を聞き、ふと我に返る。
やよいの身長が低いため、ストライクゾーンが極端に狭いのか…プロでも簡単にはストライクが
取れないみたいだ。そりゃそうだよなぁ……あんな小さな選手、プロにはいないもの。
だが、そんな事は俺にとって比較的どうでも良い事だった。
凡打で良いから早く終わって欲しい。
これ以上怖い気持ちを味わいながらの投球なんて、絶対見たくない。
それは千早も同じようで、投げるたびに顔を背けてしまっている。

だが、やよいはというと……ボールに反応は出来なかったものの、臆した様子が欠片も無い。
むしろ、集中して球筋とタイミングを読んでいるようにも感じられた。

そして、第二球。
鞭のようにしなる腕から放たれたその球は、またしてもフォークボール。
今度は真ん中のコースに綺麗に決まり、審判はストライクを宣言した。
打席から離れて、2、3回素振りをしたやよいは呼吸を整え、また打席に立つ。
俺はあまり野球に詳しくないが、そのスイングは妙に綺麗に思った。
弟さんたちに交じって野球をしていたと聞くが、下半身が安定して、腕の振りもコンパクトで素早い。
その点を考えると、まったくの素人では無いのだろうな。
せめて、危ない球が来たらしっかり避けてくれるほど慣れていると思いたい。

カウント1−1からの第三球。
比較的内角気味に飛んできた球に、やよいのバットが動いた。
空振りなのだが、怖がってのスイングじゃない。明らかに狙っている。
俺がまず驚いたのは、やよいがあの内角攻めを怖がらず振りぬいた事だ。
野球が好きだとは聞いていたが、ここまで打つ気満々だと、心配を押しのけてでも応援したい。

「やよい!!いいぞ、その調子だ!タイミング合ってきてるぞ!!」
そうだ。オーディションのときと同じで、俺に出来るのは応援することだけなんだ。
不安げな顔で、怪我の心配をするよりも、やよいのためを思えば、今は不安を押し殺してでも、
自信を持ってやよいを応援してやったほうが、彼女にとっても嬉しいはずなんだから。
「高槻さーん!!頑張って、レッスンの時みたいに、身体でタイミングを取って!!」

俺の心が通じたのか、千早も大声でやよいに声援を贈る。
すると何処からか、『おはよう!朝ごはん』のサビ(さあいっぱい食べようよ〜の部分)が
トランペットと大太鼓に乗って、客席から聞こえてきた。
多分、野球ファンでもありやよいのファンでもある応援の人が、即興で作ったのだろう。
その音はだんだん大きくなり、お客さんたちを巻き込んで本物のプロ選手を応援しているような
うねりとなって、球場全体がペナントレース中のように沸き、揺れた。

客席からの応援歌が、まるでオーディション時の曲のように聞こえ、アピールのタイミングを計るように、
やよいの身体がリズムを取りつつ、わずかに揺れる。
ピッチャーの4球目が放たれるのと、俺がアピールを指示するタイミングが、丁度重なった気がした。

そして、彼女のジャストアピール……ではなく、ジャストミートと言っていい当たりが球場に響いた。 


■

皆、まずはその光景を素直に信じられなかった。
それもそのはずで、快音を響かせたボールは、左中間へ、強く高々と上がっていたのだから。

「ぷ、プロデューサー!!当たった……当たりましたよ高槻さん!!」
普段冷静な千早も興奮気味に俺の袖を掴んで揺すっている。信じられないものを見たという表情で。
俺も最初は信じられなかったさ。プロの生きた球を、アイドルの女の子が弾き返すなんて。
だが、一つ一つの要素を考えてみると、実は意外と不可能とは言い切れない。

まず、彼女が打ったのはフォークボールだ。激しい変化はものすごく打ちにくいが、
的を絞れば野球経験者なら不可能とは言えない。そしてフォークの回転の凄さは、球質の軽さにもつながる。
回転が激しい球は、当たると反作用で大きく飛ぶのだ。
さらにやよいの持っているのは金属バットであり、さっきの下半身が安定したスイング。
そして、全球フォークボールという配球。
本気でバッターを打ち取る気なら、カーブやストレートなど、緩急を織り交ぜていくものだが……
素人相手のファン感謝デーにそれはしないのがこの球団の方向性らしい。
その代わり、分かっても打てないほどの凄い球が飛んでくるのだ。プロとしてのプライドと共に。
多分、あそこに立っているのが俺だったら、球種が分かってても怖くて打てない。
だが、そんな凄い球もボールの芯を捉えて振りぬけば……
それら全ての要素が合わさって、こんな事になる。もっとも、奇跡としか呼べないほどの確立だが。

「入れ、入れー!!」
そんなやよいの会心の一打だが、それでも文句なしのホームランにはならない。
打球はまだ空中にあり、比較的狭いドーム球場でもスタンドにギリギリで入るか入らないか。
俺が叫んでどうなるものでもないが、それでも叫ばずにはいられなかった。
ボールの弾道が上昇から下降に転じ、スタンドに吸い込まれる。
あと2メートル、1メートル……ライブカメラでも早すぎてくっきりと捉えられていない。
半分以上わけが分からなくなっている俺に感じられたのは、ゴツンと言う音だった。
フェンスの上段にボールが当たって外野にボールが落ちた、その音だ。

「くそっ……届かなかったか!!」 


「高槻さん、走って!!」
「!?」
俺はボールだけを追っていたが、千早はやよいの様子をずっと見ていたのかもしれない。
やよいに視線を戻すと、打った後の打球を見ることなく必死に走っているやよいが、
セカンドベースを回っているのが見えた。
そうだ。まだ終わったわけじゃない。
バックの守りはやよいの体格にあわせて極端な前進守備を敷いていたので、予想外の打球に対応できてない。
レフトがボールを掴んだと同時に客席も事態を理解したのか、一気に盛り上がった。

ランニングホームランが、狙える。

真なら間に合うが、やよいの足だと正直わからない。
むしろ、クロスプレーでまた怪我をする確立が増えたと思うと、胃が痛む。
だが、事態はもう止められなかった。
純粋に野球での勝負。真剣勝負だからこそ、見ていてドキドキワクワクする瞬間。
やよいの怪我を心配しながらだが、俺もぞくりと背筋が震えた。

正面からヘッドスライディングで飛び込むやよい。
レフトからサードへ中継され、矢のようなボールがホームへ飛んでいく。
土煙が上がり、バッターとキャッチャー両者が接触する。
そこから数秒間、球場の時間が止まった。


「どっちだ!?」
「セーフか、アウトか!?」
ほんの数秒が、数分に感じられるほどの静寂。
やよいが土にまみれた顔を上げたと同時に、審判は両手を広げ『セーフ』を宣言した。
そして、次に片手をグルグル回してランニングホームランを現す。
3万人の観衆が、一瞬間を置いてから乱舞した。
元気が一番のとりえの、小さなアイドルに感動の拍手が雨あられのように降り注いだ。 


マスコットであるうさぎのぬいぐるみを受け取り、ベンチへと戻ってくるやよいを待ちきれず、
俺は球場へ飛び出してやよいを迎えた。
「やよい!!怪我は!?」
まずは、それだけが知りたかった。
「うっうー!大丈夫ですプロデューサー♪どこも痛くないし、血も出てません」
「そうか、よかった……無事で良かったよ。そしてやったな、やよい!」
「ひゃうっ!?」
彼女の手を取ってベンチへ引き上げ、カメラに映らない位置まで誘導すると、
そのままやよいを抱きしめる。土にまみれてはいるが、本当に怪我はしていないようだ。
「ぷ、プロデューサーっ……わたし、汚いですよ、そんなに抱きついちゃダメ……」
「そんなの構わないっ!!凄いぞやよい、プロの球をホームランにしたんだからな!!」

無事に帰ってきてくれた喜びと、凄いことをしてしまったという達成感。
きっと今日球場に来てくれたお客さんは、この感動を忘れないだろう。
どんなに褒めても足りないくらい、俺はやよいを抱きしめながら頭を撫で続けた。
「あの、プロデューサー……向こうで球団の人が呼んでますけど」

「あ、ああ……ありがとう、千早」
気がつけば、さっきの広報さんがやよいをマウンドに招こうとしている。
彼の手には、ハイビジョンTVの贈呈プレートがあり、ピッチャーの人が半分持っている。
とりあえず濡れたタオルで顔だけ拭いて、やよいがマウンドへ走っていった。

『では、見事ランニングホームランという奇跡を起こした高槻やよいさん、おめでとうございます!!』
客席からの大きな声援とともに、ハイビジョンTVのプレートと、さっきのホームランボールが渡される。
『今のお気持ちを一言、お願いします』
『うっうー!なんか、ステージに立ってるときみたいに、ぶわって来るのをスパーンって返すような感じです。
みんなの応援を聞いてたら、やるぞーって感じでワクワクしてきて、だから打てたと思うんです。
みなさん、ほんっとーにありがとうございましたっ!!いえいっ♪』

特に教えたわけじゃないんだが……100点満点のインタビューだな。
素直な気持ちと、応援してくれたお客さんへの感謝にあふれ、聞いていてとても爽やかで気持ちいい。
100%の本気を出したからこそ生まれたドラマでもあるだろう。
「仕事の主役……喰われちゃったかな?千早」
「ふふっ……そうですね♪でも、高槻さん幸せそう……見ていてこっちまで嬉しくなります」

予想もしなかった展開だったが、俺個人としてはもうこんなハラハラするのはこれっきりにしたい。
でも……またこんな場面になって、やよいが頑としてやりたいと言ったときは……
きっと、また俺が胃を痛めることになるだろう。でも、それでもいいや。それが俺の仕事なんだから。
「それじゃ千早、広報さんに頼んでシャワー室を借りておくから、やよいを頼むぞ」
「はい、任せてください」

その後、球団の人からはかなり色のついたギャラを貰い、次回もよろしくと何度も言われ、帰路についた。
今日の事は多くのスポーツ紙に取り上げられ、TVにもちょっとした感動エピソードとして紹介された。
本気の全力疾走とヘッドスライディングは、野球ファンにも高く評価され、話題になった。
本当に、何がどう作用するかは分からない……そんな事を思い知らされた俺は、
山のように来た野球関係の仕事依頼FAXを前に、嬉しさの交じった溜め息をついた。 


■

それから数ヶ月……世間には完全に、やよいは野球好きのアイドルとしてイメージが定着した。
何度かゲスト解説に呼ばれる中でも、にわかファンとは明らかに違うコメントと、
野球と選手たちを愛する姿勢が評価され、やよいのイメージレベルは急速に伸びた。

まぁ、言いたかないが昔、野球ニュース番組でこれでもかとばかりに自分の存在ばかりアピールして、
野球のことをまったく伝える気が無い女子アナ……いや、タレントだっけ?そんな奴がいたんだ。
やよいに限ってそんな事はしないだろうが、ああいう真似をすると一気にファンが減る。
やよいや真は適任だが、亜美真美や伊織にはこの手の仕事は向かないかもしれない。
それだけ【好き】というパワーは怖い。ニセモノは瞬時に見抜かれてしまうから。

「うーん……始球式だけでも3件依頼が来てるな。お!?これは春のセンバツアナウンスだって……
光栄だし、本人は絶対やる気になるだろうが、いくらなんでもこれは……」
「無茶かもしれませんねー、やよい、漢字苦手ですから……あ♪プロデューサーさん、
そのお仕事、わたしがやっちゃダメですか?」

いつの間にか来ていた春香が後ろからFAXを覗き込んでいた。
「だめだめ、春香はまだ野球好きなオーラが出てないし、だいいちアナウンスって難しいんだぞ」
「むー、ひどいなぁプロデューサーさん。わたし、スポーツ大好きだっていいませんでした?」
「それはミーティングで聞いて知ってるさ。でも、好きと出来るは別の話なんだ。
特にアナウンスなんて仕事、ドジな春香が出来るわけ無いだろう」

「ひ、ひどすぎるっ!?プロデューサーさん……わたし、そこまでダメじゃないですよぅ!!
国語はわりと成績良いほうなんですからねっ」
「じゃあ、ためしにこの原稿、読んでみな。3ページ分ミスしなければ考えてもいい」

俺から原稿を受け取ると、春香は得意そうに笑った。
「よーし、見ていてくださいね……えー、コホン、あ、あー……では、只今より第81回
全国高等学校、【野球拳大会】をはじめますっ!!」 


全員が、綺麗にコケた。
律子は絶望的な表情になり、雪歩は必死に笑いをこらえようと穴を掘っている。
千早にいたっては、気の毒な人を見る目に変わっているのが痛々しいが、
さすがにこれは俺も同情できないミスだぞ。

「春香……いきなりアウトだ。【野球選手権大会】って書いてあるだろ?
全国から集まった高校生が【野球拳大会】って何だー!!お茶の間ドン引きだぞ!!」
「はうっ!?」

「あー……うむ、適材適所……と言うべきかな。天海君はやはり歌で頑張りたまえ」
社長のなぐさめを聞きながら、俺は春香の仕事欄に【アナウンス×】と表記した。
ペナントレースが終わり、野球シーズンはこれで一旦静かになるが、俺たちの仕事はこれからだ。

芸能界だって、厳しい勝負の場。
彼女たちをステージで輝かせるために、俺たちは今日もレッスンに仕事にと打ち込む。
監督……なんて偉いもんじゃないが、俺がしっかりしないと彼女たちにも影響が出る。
彼女たちを鍛え、見守り、導くのは本当に大変だが、やはり楽しいし、やめられない。
「よーし、やよいに千早、今日はボイスレッスン行くぞ。一段上のレベルを求めるから、ついて来いよ!!」
「はい、遠慮なくお願いします」
「うっうー!わたし、頑張りますっ、いぇい♪」


765プロの朝は、今日もこうしてにぎやかに始まっていく……


■おしまい。 



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