白き聖なる夜に

作:ばてぃ@鬼 画:菘

「こ、これが良いかなぁ・・・。それともこっちの色かなぁ・・・?」

雪歩は手芸店の店内で一人何やらぶつぶつとつぶやいている。
今日はレッスンが早く終わり買い物のために来ていた。
何の買い物かというと・・・。

「やっぱりプロデューサーさんには白が似合うかなぁ・・・。
あ、でも私も白好きだからなぁ。
ん・・・?そ、それだとお揃いのセーターになっちゃう〜・・・。うぅ、どうしよう・・・。」

季節はもうすっかり冬の色を街中に落としていた。
透き通る空気の中映し出すイルミネーションが街を艶やかに、
まるでそこが夢の国であるかのようにライトアップしている。
そう、間もなくクリスマスがやってくる。
雪歩はプロデューサーにクリスマスプレゼントとして
手編みのセーターをあげる予定を立てていた。
いつもお世話になっているせめてもの恩返しと雪歩が考え出したのだ。
今年は例年より寒くなることが予想されると天気予報のお姉さんが言っていたのもあり、
セーターが一番良いと思ったようだ。
ただ、いつもの通り優柔不断な雪歩だからずっとこの調子である。

「うん、やっぱり白にしようっと。プロデューサー・・・喜んでくれるかなぁ?」

雪歩はセーターをもらって喜ぶプロデューサーの姿を想像した。
それだけで雪歩は嬉しくて笑顔が止まらなかった。

「『ありがとう雪歩』・・・って言ってくれるかなぁ?
も、もしかしたら『愛してるよ、雪歩』なんて・・・。
 そ・・・そしたら私どうすれば?はうぅ〜、恥ずかしいよぅ。」

雪歩は顔を真っ赤にして一人もじもじしている。
端から見ればそれは変質者に見られないかと心配になる。
雪歩は二人分の毛糸を胸に抱えるとそれをレジに持っていった。
会計を済ませると雪歩は浮かれた足取りで店を出て行った。

少し遠く離れた場所からその様子を伺う一人の男がいた。
全身黒いコートで覆われた彼は建物の影から、
駅へ向かって歩いていく雪歩をずっと見つめている。
ふいに男はにやりと笑った。
雪歩は建物の角を右に曲がり姿は見えなくなってしまった。
それを見届けると男も建物の影へと消えていった。 







俺はあまりの寒さに天を睨んだ。
今朝は今年に入って一番の寒さだ。
吐く息はいつもより白さを増し、空気が肌に突き刺さる。
毎年この季節になると外に出たくなくなる。

「これだから冬は嫌いなんだよ・・・。」

俺はそうつぶやくと手をこすり合わせ、息を吐きかけながら家を後にした。

三十分ほどかけて事務所に着いた。
事務所に入ると暖房が効いていて救われた気分になった。
俺は自分の椅子にコートをかけるとそのまま座り、今日のスケジュールを確認した。
今日は午前中にレッスン、午後に写真撮影となっている。
俺は自分の腕時計を確認した。
午前九時五十分。

「そろそろ雪歩が来る頃だな。」

俺はそう言うと席を立ち、事務所に備え付けの温水ポットの残量を確認した。
まだ十分お湯は入っている。
中のお湯をきゅうすに注ぎこむと、棚からお揃いの湯のみを二つ取り出す。
それに熱いお茶を注ぎ込むと自分の机へと持っていった。
すると丁度雪歩が出社してきた時だった。

「おはようございます、プロデューサー。」
「おはよう雪歩。今朝も寒いな。」

雪歩はにこっと笑って答えた。

「そうですねぇ。でも私この季節は結構好きですよ。
この季節じゃなきゃできないこともありますし。」
「雪歩は寒いの大丈夫なのか。良いなぁ・・・。あ、お茶入れたんだけど飲む?」
「はい、ありがとうございます。」

雪歩は俺の手から直接湯のみを受け取り、ふーふーと息を吹きかけている。
そして気持ち冷めた頃に一口飲み込んだ。
俺もそれに習って飲み込む。
猫舌なので一気に飲めないのが辛い。
雪歩は湯のみを口から離すと「ふぅ〜」と小さく息を吐いた。

「おいしいですぅ。プロデューサー、ありがとうございます♪」

雪歩はにっこり笑って言った。
雪歩は笑った顔が一番何より一番可愛い。
最近俺は妙に雪歩を意識してしまう時がある。
雪歩と一緒にいると俺の心は季節が冬であるのを忘れてしまうからかもしれない。

「喜んでもらえて何よりだよ。じゃあ着替えておいで。
今日は雪歩の苦手なダンスの確認をするからね。」

それを聞くと雪歩は眉をしかめて嫌そうな顔をした。
湯のみで口を隠して俺をじっと見ている。

「ダンスかぁ・・・はあぁ・・・。嫌だなぁ。」

俺は雪歩の頭を軽くぽんぽんと叩いて言った。

「俺がついてるから・・・頑張ろうな、雪歩。」

その言葉に励まされたのか、それとも安心感からか雪歩の表情はまた元に戻った。
そして一気にお茶を飲み干して嬉しそうに言った。

「プロデューサーがついててくれるなら・・・私、頑張ります。じゃあ着替えてきますね。」

雪歩はくるっと振り向くとそのままロッカールームへと歩いていった。

「じゃあ俺は先にレッスン室に入っておくか。」

俺も席を立ち、振り付けの資料を右手に持つとお茶をまた一口飲み込んだ。
湯のみを机の上に置いてレッスン室へと向かう。
その時、事務所の入り口から誰かが入ってきたように見えた。
俺は半身振り返り入り口を見た。
だが、そこには誰もいなかった。

「・・・気のせいか。」

俺はそうつぶやくと、またレッスン室へと向かって歩いていった。 








午前中のレッスンは無事に終わった。
雪歩のダンスもプロデュースし始めた最初に比べれば十分様になってきた。
まず失敗をしないように心がけて動くように指導したのが効果があったようだ。

「今日も良く踊れたな。良くやった雪歩。」

俺は雪歩の頭を優しくなでながらそう言った。
雪歩も自分の踊りに満足したのかとても嬉しそうだ。

「でもプロデューサーのおかげですぅ。ありがとうございます。」

雪歩はにっこり笑った。
汗で濡れた肌がなんだか色っぽく見えて、
ちょっと恥ずかしいやら嬉しいやらで目の置き場が無い。

「じゃあ着替えておいで。風邪引かないようにちゃんとシャワー浴びるんだぞ?」

俺はそう言うと雪歩をシャワールームへ促した。


シャワールームのドアを閉めると、私はそれに寄りかかった。

「まだ・・・ドキドキしてる。」

私は胸の上に手を置いて「ふぅ。」とため息をついた。

「プロデューサーに触られちゃうと・・・。顔赤くなかったかなぁ?」

誰に聞くでもなくそうつぶやく。
いつからだろうか、私の想いがプロデューサーへと向けられたのは。
何をしてもダメだった私をここまで大事に大事に育ててくれた。
今はもう何をしててもプロデューサーのことしか考えられない。

「プロデューサーは・・・彼女とかいるのかなぁ?」

私はジャージを脱ぎながらそんなことを考えた。
きっと素敵な彼女さんがいて・・・。
私のことなんか眼中にないんだろうなぁ。
そういえば少し前に大人な女性が好きとか言ってたような・・・?
そこで私ははっとした。

「な、何考えてるのよ私ったら。だめよ、雪歩。前向きに前向きに・・・。
 ・・・でも、もし彼女がいたら・・・。うぅ・・・。」

私は半べそをかきながら体にバスタオルを巻いた。
風邪引く前にシャワー浴びなきゃ。


俺が昼飯を買って戻ってきた時、丁度雪歩もシャワールームから出てきたところだった。

「あ、プロデューサー今からお昼ご飯ですか?」
「あぁ、そうだよ。雪歩も買ってくるか?それとも何か注文する?」
「えへへ、実は・・・。」

雪歩はそう言いながら肩に下げたバッグから小さな弁当箱を取り出した。
ピンクの弁当風呂敷に包まれたそれはなんとも雪歩らしいかわいい大きさだった。

「自分で作ったのか?」
「はい、ちょっと早起きして頑張ってみました。」

雪歩は弁当を机の上に置くと自慢げに広げてみせる。
中身はなんとも雪歩らしい純和風な感じで、
鮭の切り身にきんぴらごぼう、玉子焼き、ほうれん草のおひたし、
そして白米にちょこんと梅干が乗っかっている。
他にも名前の知らないおかずがちょこちょこ入っている。
色とりどりでとても美味しそうだ。
これを見た後だと、俺の買ってきたからあげ弁当はまるで油の塊にしか見えなくなってくる。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「うまそうだなぁ・・・。」
「あの、プロデューサー?もし良ければプロデューサーの分も作ってきたんですけど・・・。」

雪歩はもう一つ同じ弁当を取り出した。

「あ、でももう買ってきちゃったから・・・食べませんよね・・・。うぅ・・・。」

そう言うと雪歩は悲しそうに視線を落とした。
俺は自分の持っている弁当と雪歩の弁当を何度も見比べた。
そして一度「うん。」と頷いた。

「いや、せっかくだから雪歩の弁当をもらおうか。」
「えぇっ?!本当・・・ですか?」

雪歩は驚いた顔で俺の顔を覗き込んできた。

「本当だよ。まぁ本当言うとさ、この弁当も結構食い飽きたし・・・。」

俺は苦笑いを浮かべて買ってきた弁当をぷらぷらとぶら下げた。
実は真っ赤な嘘。
今度新発売されたばかりの新作から揚げ弁当はちょっと興味があったのだ。
ただ、何より雪歩の手作り弁当のほうが大事に決まっている。
これは嘘でもなく本当の気持ちだ。

「じゃあとりあえずこれは冷蔵庫に入れてくるから。
雪歩はあっちのソファーで待ってて。」

俺はそう言うと給湯室に向かった。 


「良かったぁ・・・。」

雪歩はそっと胸をなでおろした。
今朝早起きした努力が報われた気がする。
雪歩はプロデューサーの後姿を見ながらそう思った。
ふと視線をプロデューサーの机に戻す。
そこには本と資料と・・・今朝の飲み残しのお茶があった。

「ちょっと喉渇いたかも・・・。」

雪歩は湯のみを手に取ると顔の前まで持ってきた。

「プロデューサーの湯のみ・・・。
はっ!これじゃあまるで、か、か、か、間接キスになっちゃうぅ!?
 どっどうしようぅ〜・・・。でも・・・ちょっとだけなら・・・。」

雪歩は心の中で「ごめんなさいプロデューサー。」と謝ると口をつけた。

「・・・?!」

何か舌先にピリッとした痛みを感じて思わず口を離してしまった。
雪歩はまじまじと湯のみの中を見た。
すると湯飲みの底に何か解け残ったように白い粉が沈んでいるのを見つけた。

「プロデューサー何かお薬でも飲んでるのかなぁ・・・?」

まだピリピリする舌をちょろっと出して雪歩はそう思った。

「雪歩?何やってるんだ?」

ふいに後ろから声をかけられ、雪歩は驚いた。
その拍子に思わず中身を全部飲んでしまった。

「・・・!?げほっ、ごほごほっ!!」

咳き込んだ雪歩を見てプロデューサーは呆れた顔で笑った。

「何やってるんだか。」

そう言うと雪歩の背中をさすりながら湯のみを受け取った。

「ごっ、ごめんなさいプロデューサー。あの・・・中身全部飲んじゃいました・・・。」

雪歩は咳き込んだせいで涙目になっている。
喉が痛いらしく、そこを抑えて苦しそうだ。

「大丈夫か、雪歩?」

雪歩は膝をついて座り込んでしまった。
そしてそのまま横に倒れこんだ。
雪歩は顔を真っ青にして変な汗をかいている。
俺は湯のみを捨てて急いで雪歩を抱き起こした。

「雪歩っ!おい、雪歩!?雪歩!!」 








俺はずっと雪歩の右手を握り締めていた。
雪歩は倒れてから未だ昏睡状態で目覚めない。
左手に打たれている点滴の落ちる音が静かな病室に響いていた。
一体何故こんなことに・・・。
俺はまだ現実に起きたことが信じられないでいた。
あの後社長が救急車をすぐに呼んでくれたおかげで雪歩はなんとか助かった。
現在採血検査が行われている。
担当医の話だとおもそらく見た限りでは薬物反応ではないかということだ。
薬物・・・。
一体どこから摂取したのか・・・?
事務所に来てから何かを口にしたとは思えないし。
その時唯一雪歩が口に入れたものを思い出した。

「俺の飲み残しのお茶か・・・?」

もちろん自分の見ていないところで何か別のものを食べた可能性もある。
だが、一番可能性が高いのは・・・。

「・・・プロデューサー・・・?」

雪歩がようやく目を覚ました。
まだ自分の現状がわかっていないらしくきょろきょろ首を動かしている。

「良かった・・・気が付いたか?今先生を呼ぶからな?」

俺がナースコールを押そうとすると雪歩は弱弱しい力でそれを制止した。

「雪歩?」

驚く俺を無視するかのように雪歩は俺に優しく抱きついてきた。

「プロデューサー・・・怖かった・・・。喉がものすごく熱くて、痛くて。
 そしたら急に目の前が・・・。プロデューサーさんが見えなくなって・・・ぐすっ。」

雪歩はよほど恐怖心を感じたらしい。
その体の震えは一向に収まる気配がない。
俺はまるで子供をあやすかのようにそっと抱きしめた。

「もう大丈夫だから・・・。大丈夫・・・。」

しばらく抱き合っていると徐々に雪歩の震えは収まっていった。
大分落ち着いた頃に俺はゆっくり雪歩の体を離した。

「落ち着いたかな?」
「はい・・・。ごめんなさい、急に・・・その、抱きついたりなんかして・・・。」

雪歩は顔が真っ赤になっていた。
どうりで伝わってくる体温がしばらく前から暖かいと感じるわけだ。
そんな雪歩を見てるとなんだかこっちも恥ずかしくなってしまった。
俺はナースコールを手に取りボタンを押した。

「もうすぐナースさんが来るだろうから。俺はちょっと社長に連絡してくる。」

俺はそれっぽい理由を口にして部屋を出ようとした。
すると雪歩は俺の小指をしっかりと掴んで、上目遣いで見つめてくる。

「大丈夫だよ。すぐに戻ってくるからな。」

俺はそっと雪歩の手をほどくと笑顔を見せて部屋を後にした。
ドアを後ろ手に閉めると俺は大きなため息を吐いた。
それは雪歩が無事だったという安堵感で自然と出てきた。

 ヴーン・・・ヴーン・・・

突然俺の携帯が鳴り始めた。
慌てて携帯を開くと液晶にはには「非通知」の文字が出ている。
俺は通話ボタンを押した。

「もしもし?」

返答は無い。
もう一度問いかける。

「もしもし?誰?」
「・・・なんでお前が電話に出るんだ?」

電話の向こうから聞こえてきた声はまったく身に覚えの無い声だった。
お前と言われてちょっとムッとした俺は強い口調で聞き返した。

「あんたこそ誰だ?」
「そうか・・・あれを飲んだのは雪歩か。ふっ、お茶好きも度がすぎるとこうなるわけだな。」

続けて笑い声が聞こえてきた。

「飲んだって何だ?・・・もしかして。」
「ははっ、そうだよ。俺がお前の湯のみに薬を入れてやったんだよ。
本当ならお前が病院に担ぎ込まれるはずだったんだけどな。失敗失敗。」

こいつのせいで雪歩は・・・。
そう思うとふつふつと怒りの感情が湧き上がってきた。
俺は怒鳴るように問いかけた。

「俺になんの恨みがある!?お前のせいで雪歩は・・・っ!」

電話越しの相手ははるか高みから見下すような話し方でこう言った。

「まぁまぁ落ち着けよ。正直俺の雪歩がお前なんかと一緒にいること事体間違っているんだ。
 いいポジションに着いてうまいこと雪歩を自分のものにしやがってなぁ・・・。」
「誤解だ、それは。」
「黙れ。いいか、お前に雪歩は渡さない。・・・絶対にな!」

そう言い残すと電話はそこで途切れた。
電話からはもう何も聞こえない。
間違いない。
こいつは雪歩の・・・

「ストーカーだ。」

俺は推理を確信にするかのようにつぶやいた。
携帯を握り締める手に力が入った。 




その後時間を置いてから雪歩の元へ戻った。
ドアを開けると雪歩はちょうど点滴を外したところだった。
ナースが点滴の管をくるくるまとめている。
雪歩はベッドに寝転んでその様子をじっと見ている。

「もう、点滴外しても大丈夫なんですか?」

俺の質問にナースは笑顔で答えた。

「もう大分顔色も良いですし、さっき脈拍とかも調べましたけど正常ですので。」

ほっと一安心といったところか。

「もう少ししたら血液検査の結果が出ますので、もう少々ここでお待ちいただけますか?」
「わかりました。」

俺はナースに頭を下げた。
向こうも俺に軽く頭を下げると病室を後にした。
頭を上げて雪歩を見ると顔を半分だけ出して布団に潜っている。
目が合うと恥ずかしそうに笑った。
俺はゆっくり雪歩の側に寄ると置いてあった椅子に座った。

「良かったな、すぐによくなって。」
「はい・・・。あの、プロデューサーにはご迷惑をおかけしました。すいません・・・。」
「良いよ。」

あのストーカーのことは今はまだ言わないほうが良いだろう。
今は雪歩の笑顔を消したくない。

「あと、さっきは思わず抱き付いちゃって・・・その・・・。」
「あ・・・あれか。」
「は、はい。」
「気にしてないっていうか・・・俺もちょっと抱きしめちゃったからな。」
「あれは・・・!プロデューサーに抱きしめられてちょっと・・・嬉しかったですぅ。
 あ・・・私ったら何をどさくさにまぎれて・・・。」

顔を真っ赤にした雪歩は布団に潜ってしまった。

「失礼します。」

声の方に振り向くとそこには担当医が立っていた。
眼鏡をかけていて、髪を七三分けにしている。
まさに真面目を絵に描いたような外見の人だ。
俺は軽く会釈をした。
担当医は部屋に入り、ドアを閉めると雪歩をはさんで俺の反対側に回りこんだ。
そして血液検査の結果を話し出した。

「検査の結果ですが、複数の毒薬の反応がありました。
ただ、どれも致死量に至るまでにはほど遠い量だったので運が良かったですね。
 特に後遺症等も心配する必要はありません。
とりあえず様子を見るためにも今晩だけ入院という形を取っていただきますが、
大丈夫ですか?」

担当医はそこまで言うと俺のほうを見た。
俺が小さく頷くのを確認すると担当医は雪歩の方を向いて話を続けた。

「もし、まだ何か体に異常がある、
もしくは異常が発生したら遠慮なくナースコールを押してください。
 良いですね?」

雪歩もまた小さく頷いた。

「体の中の毒素を外に出すための薬と、調子を整える薬を出しておきます。
 明日お帰りになる際に窓口にて受け取ってください。では、失礼します。」

そう言い終ると担当医は軽く会釈をして部屋を出て行った。
俺と雪歩もつられて会釈をした。
担当医が出て行った後で雪歩と話をした。

「親御さんには俺から連絡しておくから。今夜はゆっくり休め。」
「はい・・・。本当にすいません・・・。」
「うん。じゃあそろそろ俺は帰るから・・・。」

その言葉を聞くと雪歩は驚いて上半身だけ飛び起きた。

「えぇっ!?帰っちゃうんですか?!」
「あ、あぁ。・・・ダメなのか?」

雪歩は肩を落として明らかにがっかりしている。

「その・・・プロデューサー、一緒にいてもらえませんか・・・?」

雪歩はとても不安そうだ。
確かに無理も無い。
今日一日でいろんなことがあったからな。
俺はしばらく考え込んだ後結論を出した。

「わかった。じゃあ泊まってくよ。今晩はずっと側にいるから。」
「あっ・・・はい!ありがとうございます。」

雪歩はまた嬉しそうな顔で笑った。 








窓から差し込む月明かりで俺は目が覚めた。
まだ完全に開ききっていいない目であたりを見回す。
ここは・・・そうだ、病院に泊まったんだった。
ベッドに突っ伏したままのかっこうで寝ていたので腰がやけに痛い。
ふと、左手に暖かい感触を感じて視線を移した。
俺の手は雪歩の両手で優しく包まれていた。
よっぽど昨日のことが不安だったのだろう。
雪歩の寝顔はまるで天使のようで、その薄いピンクの唇の間からかわいい寝息をたてている。

「ねぇ雪歩・・・キス・・・していい?」

俺は思わずそんなことを寝ている雪歩に聞いていた。
もちろん反応が返ってくるわけでもなく・・・。

「・・・馬鹿だな、俺って。」

そうつぶやくと時間を確かめた。
まだ午前4時。
俺はもう一度眠りについた。





その事件から一週間が経った。
雪歩はすっかり元気を取り戻し何事もなかったかのように仕事に取り組んでいた。
あのストーカーもあの一度だけ連絡があったきりそれ以降は音沙汰がなかった。
何もしてこないのであればそれはそれで安心なのだが。
しかしそんな思いとは裏腹に奴は再び動き出した。

いつものように俺は事務所の机に向かって新聞を読んでいた。
のんびりとくつろいでいると雪歩がやってくるのが見えた。

「あれ?今日はオフのはずなのに・・・。」

雪歩はそのまま事務所のあるビルに入ってくる。
しばらくするとエレベーターから雪歩が出てくるのが見えた。
雪歩はそのまま事務所に入るとわき目もふらずこちらへと歩いてくる。

「おはよう雪歩。」

雪歩は挨拶を返す代わりに黒い一通の手紙を目の前に差し出してきた。

「プロデューサー・・・今朝うちのポストにこんなものが・・・私・・・私・・・。」

雪歩は今にも泣きそうだ。
俺はその手紙を受け取ると中身を読んだ。

『俺の雪歩へ
 お前にあいつはいらない。
 今お前に必要なのはこの俺だ。
 あいつを始末して、二人で一緒に死のう。
 お前が望むなら俺はなんでもしてやる。
 待っていろ。
 すぐに迎えに行く。』

手紙を読み終わった瞬間、脳裏に浮かんだのはあのストーカーしかいなかった。
まさか雪歩の家までも突き止めてくるとは・・・。
俺は雪歩に視線を戻した。
困った顔をしてまださっきより泣きそうな顔になっている。
俺は腹をくくった。
向こうが何をしてこようと、何があろうと・・・。

「俺が雪歩を護る。」
「え・・・?プロデューサー?」
「俺が雪歩を護ってみせる。何があろうと手出しはさせない。」

俺はその場に立ち上がると手紙を破り捨てた。

「だから雪歩は安心しろ。多少頼りないと思うけどさ・・・。」

雪歩は首を大きく横に振って否定した。

「そんなことないです・・・!その・・・すごく、嬉しいですぅ・・・。」

雪歩の笑顔は消させない。


ストーカーに対処するために
その日から雪歩と一緒にいられる時には極力一緒にいるようにした。
仕事の最中も常に周囲に目を配り、事前に下見ができる場所であればそうした。
移動の際も運転手にあれこれ細かい注文をつけ、
テレビ局で出る弁当は全て指定したものにしてもらった。
この行動が功を奏したのか、あの手紙以降ストーカーは何をするわけでもなく、
ただ静かなまま時が過ぎていった。
だが運命とは何が起こるか予測できないものだ。
変えることのできない流れがその時に向かって収束していった。 







クリスマスの朝を迎えた。
雪歩は自分の部屋の机の上で目を覚ました。
その傍らには編みあがった大きさの違う白いセーターが二つ。
夜中までかかってようやくぎりぎり間に合ったらしい。
雪歩はそれを手に取ると机の脇に置いてあった紙袋の中へと入れた。
眠い目をこすりながらセーターを眺める。

「プロデューサー、喜んでくれると良いなぁ・・・。」

ちょうどその頃俺ははドームにいた。
今日はそこで雪歩のクリスマスライブコンサートが行われる予定だったからだ。
ほぼ泊りがけでの確認作業を終えた後、俺は一度事務所へと向かった。
準備に抜かりがないようにタクシーの中でも何度も企画書に目を通す。

「よし、完璧だ。」

俺は企画書を鞄に戻すと車外の風景に視線を移した。
朝焼けが美しく街をオレンジ色に染めていた。
その美しさにしばらく見とれていた。

「今日は良い日になりそうだな。」

街はゆっくりと目を覚まし、活動を始めた。


「おはようございます、プロデューサー。」
「おはよう雪歩。」

俺はいつものように挨拶を交わすとこう付け加えた。

「今日は一生懸命頑張るんだぞ?応援しているからな。」

そう言い終わると俺は軽く雪歩の頭をぽんと叩いた。

「なんせ初めてのクリスマスコンサートだ。絶対成功させよう。」
「はいっ!私頑張ります。」

雪歩は強く、しっかりとした口調で答えた。
雪歩の調子も万全らしい。
全てのお膳立ては整った。
あとの出来は全て雪歩にかかってくる。
俺と雪歩は事務所を後にしてドームへと向かい、一足早く楽屋へと向かった。


楽屋の外では大勢のスタッフが行ったり来たりしている。
最後の確認に余念が無いらしい。
俺と雪歩は楽屋のソファーに座ってゆったりとくつろいでいた。
ここまで来たんだ。
あとはどれだけリラックスして本番に臨めるか。
気持ちの問題だ。
当の雪歩は見た感じとても落ち着いていた。
まるで何度も同じ舞台を経験しているかのように。
このときばかりは俺は雪歩をとても頼もしく思った。
ふと時計を見てみると開演時間まであと一時間になっていた。

「じゃあ雪歩、そろそろ着替えようか。俺は外で待ってるから。」
「はい、わかりました。」

俺は鞄を持つと部屋の外に出た。
丁度俺と入れ違いで女性のメイクスタッフの人が入ってきた。
お互い会釈をすると楽屋のドアを閉めた。

「頑張れよ・・・雪歩。」




ドームはまだコンサートの余韻が残っていた。
雪歩はまさに完璧と言えるほどの結果を残したのだ。
俺と一緒に見ていた高木社長も

「すばらしい!さすが萩原君だな!」

と、手放しで喜んでいた。
実際俺も嬉しくて嬉しくて今にも叫びだしそうだったのだが、
極めて平静を装っていた。
雪歩を褒める言葉は直接言ってあげたいからだ。
全ての客が帰るのを見届けると俺は楽屋へと向かった。
誰もいない通路を一人歩いていく。
俺は今日のコンサートを思い出す度に小さくガッツポーズを繰り返した。
そのたびに誰かに見られてないかきょろきょろしていたが。
しばらく歩いてやっと楽屋の前にたどり着いた。
コンコンとノックをすると俺は楽屋のドアを開けた。
楽屋の中では普段着に着替えた雪歩が待っていた。
俺は雪歩の顔を見ると留めていた想いを言葉に変えた。

「雪歩、お疲れ様。コンサート大成功だったな!おめでとう!」
「はい、私頑張りました!ありがとうございますぅ。」

雪歩もよほど嬉しかったらしくとびっきりの笑顔で答えた。

「今日は本当によくやった。今までで一番のできだな。」
「はい、私もそう思います。
今日は・・・なんていうかすごく心が弾んで調子が良かったですから。」

俺は納得するように小さく頷いた。

「よし、じゃあ帰ろうか。あまり遅くなるのもあれだからな。外に車を待たせてある。」
「わかりました。じゃあ行きましょう・・・あ、ちょっと待ってください!」

そういうと雪歩は備え付けのロッカーに向かい、それを開けて紙袋を取り出した。
雪歩はそれを大事に抱えながら俺の側に戻ってきた。

「お待たせしましたぁ。じゃ行きましょう、プロデューサー。」 





雪歩と一緒に外に出ると夜の空気は一段と冷え込んでいた。
俺は小さく身震いすると手をこすり合わせて暖めた。
ふいに雪歩が足を止めた。
俺はそれに気づき雪歩を振り返った。
何やら紙袋の中からごそごそ取り出そうとしている。

「あのー、プロデューサー?これ・・・。」

雪歩はそう言うと白いセーターを取り出した。

「あの・・・クリスマスプレゼントです。もし良かったら受け取ってもらますか?」

雪歩は俺の顔をじっと見つめて、両手でセーターを差し出した。
そのセーターはどこか妙に糸が曲がったり、形が歪んだりしている。

「もしかして・・・手編みのセーターなのか?雪歩、お前が編んでくれたのか?」

雪歩は頬を赤らめて黙って頷いた。
雪歩が俺のために・・・。
それが分かりものすごく嬉しかった。
俺はおもむろにその場でジャケットを脱ぎ始め、
その代わりに今渡されたばかりのセーターを着た。
雪歩は緊張した面持ちで俺を見ている。
サイズはぴったりだった。

「ありがとう雪歩、このセーターは大事にするよ。」

俺はそう言いながら雪歩の頭を優しく撫でた。
雪歩は緊張した顔から一転、ものすごく安心しきった表情へと変わった。

「良かったぁ・・・。頑張って編んだ甲斐がありましたぁ。」

雪歩は嬉しそうに微笑む。
するとその時空から雪が降り始めた。

「わぁ・・・!」
「ホワイトクリスマスか。」

雪歩は舞い降りてくる雪を両手の手のひらで集めている。
その姿を見てとても優しい気分になれた。
雪歩には本当にこの季節が似合う。


 ザシュッ


・・・何かが俺の体を貫いた感触がした。
少し遅れて体を引き裂くような熱い痛みが右わき腹から広がっていく。
自分でも顔が苦痛に歪むのがわかる。
俺は痛みに耐えかねて思わず膝をついた。
痛みを感じる部分に手を当てると何か生暖かいものに触れた。
震える手でそれを確認する。
血だ。
俺はゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには全身を黒いコートで覆った、どこかで見た男が立っていた。
その手には血をたっぷりと吸ったナイフが握られている。
ゆっくりと感じる時間の中でその顔を思い出す。

「お前・・・あの・・・病院の・・・。」

そう、俺を刺したのはあの病院で雪歩を担当した医者だった。
そいつは震える声でこう言った。

「お前がいなければ雪歩は俺のものなんだ。お前さえいなければ・・・!」

こいつがストーカーだったのか。
そいつはそのままナイフを捨てるとどこかへと逃げていった。
俺はわき腹を押さえたまま前のめりに崩れ落ちた。
寒さと痛さで意識が朦朧としてきているようだ。
体のどこにも力が入らない。
雪歩が何かを叫んでいるようだが・・・何も聞こえない。
俺の側に膝まづいて俺の体をゆすってくる。
その瞳からは涙が流れ出しているのがかろうじてわかる。
俺は優しく雪歩の頬をなでると声にならない声で何かを伝えた。
何かを伝えなきゃいけないと感じたから。
そして・・・俺の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。

雪歩・・・。 

俺が意識を取り戻したのは病院のベッドの上だった。
白い天井がなぜだかまぶしい。
俺はゆっくり部屋を見渡した。
左手に点滴が打たれている。
顔のすぐ左には心電図等を調べる機械が一定のリズムを刻みながら機動している。
そして右手には・・・雪歩が手を握ったまま眠っていた。
俺の耳にすぅすぅと小さな寝息が聞こえてくる。
その顔には涙の流れた跡が残っていた。
ずっとつきっきりで看病してくれていたのだろうか・・・?

「ん・・・むにゃ・・・プロデューサー・・・。」

雪歩はそんな寝言を言った。
さすがにドキッとした。
一体どんな夢を見ているのだろう。
右手は当分動かせそうにない。
まだ傷口からはピリピリした痛みが伝わってくる。

「・・・生きてる・・・。」

その言葉と共に俺は涙が止まらなくなった。
怖かった。
さすがにもう俺は助からないとばかり思った。
そして何より・・・雪歩をもう愛せないのかと思った。
俺は声を上げずただ涙を流した。
そしていつしか泣き疲れてまた眠ってしまった。





あれからまた数日後、ストーカーは逮捕されたとの知らせが来た。
高木社長が警察に被害届けを出してくれていたのと、
雪歩が犯人の顔をしっかりと覚えていたためにすぐ捕まったそうだ。
これでようやく一安心ということになる。
ただ、俺は全治二週間との診断のせいで一向に病室から出れないでいた。
一度高木社長が報告ついでに見舞いに来てくれたが、雪歩は来なかった。
泣き疲れて眠った後、再び目を覚ました時にはもう雪歩の姿は無かった。
ただ一枚、書置きがしてあった。
そこには「早く元気になってください。雪歩より」とだけ書かれてあった。
俺はそれに目を通すたびに胸が辛くなった。

「会いたいな・・・。」

そう何度つぶやいただろうか。
雪歩の笑顔が見たい・・・。
その時誰かがドアをノックした。

「はい、どうぞ。」

ドアがゆっくりと開くと・・・そこには雪歩が顔を覗かせてきた。 


「お、お元気ですか?」

妙に他人行儀なその挨拶に思わず笑ってしまった。

「ははは。こっちにおいで、雪歩。」

雪歩はドアをゆっくりと閉めるとベッドの脇にあった椅子にちょこんと座った。

「元気そうだな。安心したよ。」
「プロデューサーも、もう傷のほうは大丈夫ですかぁ・・・?」
「うん・・・まぁまだ傷は塞がってないけどね。見る?」
「ひゃぁ!え、遠慮しておきますぅ・・・。」

雪歩は驚いた顔をしてのけぞった。

「ははは。あ、そういやストーカー捕まったらしいな。」
「はい、良かったです。」
「うん、良かった。これでもう雪歩が不安に過ごさなくてよくなるもんな。」
「・・・私が言ったのは・・・そういう意味じゃないですぅ。」

少し困った顔で見上げてくる。

「じゃあどういう意味?」
「もうプロデューサーが痛い思いしなくて済むから・・・です。」

雪歩は少しうつむいて話し出した。

「プロデューサーが刺された時、私どうすることもできなくて・・・。
プロデューサーがこのまま死んじゃったらって思ったら・・・涙が止まらなくて・・・。
 私のせいで誰かが死ぬなんて・・・耐えられないです・・・。」

雪歩の頬を涙が伝っていた。
俺はものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
雪歩をここまで悲しませる結果になってしまって・・・。

「すまない。」

俺は頭を下げて謝った。

「謝るのは私のほうです・・・!
プロデューサーは私をちゃんと護ってくれましたから。ごめんなさい・・・」

雪歩も俺に向かって頭を下げて謝った。
そして顔を赤くしながらこう言った。

「今なら・・・この前の夜のお願い・・・聞いてあげられます・・・よ?」
「この前の・・・お願い?」
「あの・・・プロデューサーさんが『キス・・・しても良い?』って・・・。」

俺はびっくりした。
あの時てっきり寝ていたとばかり思っていた雪歩は実はおきていたとは。

「あ、あれは・・・その、だな・・・。あれはじょうだん・・・んっ。」

言い終わるより早く俺は唇を塞がれた。
ほんの一瞬。
でもそれは俺の記憶に永遠に刻まれるキスになった。
そして、ゆっくりと名残惜しそうに唇を離す。
あまりの恥ずかしさに二人とも目を合わせることができなかった。
しばらく無言の時間が続いた。
沈黙を破ったのは俺のほうだった。

「・・・今度一緒に初詣行こうか。」

これがやっと出せた言葉だった。
その言葉に雪歩はまたいつもの笑顔で答えてくれた。



積もりに積もった雪は街中を覆い尽くしていた。
でも、凍える寒さも今はどこか心地良い気がしてならない。
それはきっと君がいるからなんだね、雪歩。




完 

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