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作:(´-`)

 僕は赤信号につかまると、飲みかけの缶コーヒーを最後まで干した。
口の中に甘い味が広がる。それはいつまでもしつこく残りそうなだった。
 ハンドルを切る。土曜日の午後にしては通行量は少ないといえた。
けれども、あと三十分もすれば、前も後ろも車だらけ、にっちもさっちも行かなるのだから落ち着いてもいられない。
東京という大都市に根付いたビルの林、
その大空洞から大量の車が蟻の労働さながらの行列を作る。そんなのに巻き込まれるのは真っ平御免だった。
 しばらく流れるままの道路に流され続け、都心と郊外のちょうど中間といったところで、僕はハンドルを切った。
基幹道路から急に狭い路地に乗り込むので、僕はいつもここでかなりの注意を払う。
臆病な性格なのだった。車の運転にもそれが良く出る。
シートベルトを締め忘れはしないし、常に標識を探す。そのくせ、警察にも敏感になったりする。
 裏方が合う性格だということには十分に自覚があって、表に出たり人目にさらされるのは苦手だった。
というより、必要以上に注目が集まると何もできなくなる。けれど華々しさに憧れたりもする。
そんな不器用な自分のことを、十二分に理解したうえで、この仕事を選んだ。灯った赤信号に従って、ブレーキをしっかりと踏みつけた。
 信号は赤だが、横切る車は一台もなかった。横断歩道を渡る人もいない。
それにかこつけて、ぼんやりと仕事のことに頭をめぐらせた。社長は一体何を考えているのだろう。
 君に、アイドルを一人プロデュースしてもらう。
「マジかよ……早いよ」
 前の会社をやめ、765プロダクションに入社して三ヶ月。
三ヶ月で一人を全て任されるというのは、平均的に見てどうなのだろう? 早すぎはしないか?
そもそもプロデュースといったってどうすればいい。
歌はどうする。テレビの出演はどこからアポを取っていけばいいのか。
ラジオなどから始めたほうがよいのか、雑誌は、ドラマは……
 考える種はいくつもあるが、それらを芽生えさせるための土壌も肥料も今はない。
結局、考えは考えだけで終始して具体的な行動には結びつかない。けれども僕は奇妙な満足感を覚えていた。 


 信号が青に変わったのでアクセルを踏んだ。車はのろりと動き始めた。
遠くまで続く直線上にはいくつもの信号が立ち並んでいるが、その全てに青ランプが灯っている。
気持ちがいい眺めだった。この先の自分の運勢がこうであれば、と思うとなおさら気持ちがよかった。
前を走っていたタクシーを抜き、もう一台乗用車を抜いてみた。
 路地をいくつか曲がると、ようやく事務所だった。もうすぐいくとすぐに小平である。
アイドル事務所にしては相当に辺鄙なところだった。
テナントとして入居しているビルも地区二十年を超えている。
駐車場も月極めだし、それも専用というわけじゃない。
 修理中のエレベータを無視して、階段で昇った。
「おはようございます」
 言いながら入る。事務員の音無小鳥さんが笑顔で返事をしてくれた。
いつものヘッドフォンをかけている。もう一人の事務員の、秋月律子さんはいないようだった。
「あ、おはようございます」
「社長は」
「昼から出かけてらっしゃいますよ」
 知っていたけれど、何となく聞いてしまったのだった。音無さんはすごい勢いでキーボードを叩きながら答えている。
PCの前には書類がどっさりと積まれており、世間話を振っても邪険にされてしまうがおちだろう。
まだ事務員を増やす余裕がこの事務所にはないのであった。
「ところで」
 ぱたりと、キーボードを叩く手を止めて、音無さんはいった。
「先週分の経費の計上報告がまだなんですけど?」
「ああ……」
 思い出す振りをしながら、目をそらした。まずいにしても、いかにもまずい。
毎週月曜に必ず先週分の経費を持参して、
またエクセルに打ち込んでメールも送らなければならないという決まりだったのが、今日はもう水曜日だった。
「すいません、すぐにやりますんで……」
「今日中ですか?」
 無邪気な笑顔が怖かった。
「……はい」
「よろしくお願いしまーす」
 人の良さそうな笑顔が時に何より怖いときがある。身の危険を感じる。
 今はお願いしまーす、で終わりでも、このあとさらに遅れでもしたら。と考えるだけで頭が痛くなってくる。
今日中に全部メールにして送らなければ、色々とアレであった。やばいのであった。自腹になってしまう。 


「ところで、面接室には誰か?」
 いたたまれない雰囲気を何とかしたくて、話題を変えた。
 さっきから電気がついているのが見えるし、人の気配もする。というよりさっきからうるさいくらいだった。
「春休みですから」
 答えはそれで十分だった。僕は溜め息を何とかこらえた。
「春休みに暇があるアイドル、というのも、どんだけ、って感じですけどね」
「焦らずいきましょうよ」
 自虐的な響きに聞こえたのだろう、小鳥さんが何気ない風にいった。
 彼女の言うとおり焦ってどうなるものでない。若干の情けなさを噛み締めながら、面接室のドアノブに手をかけた。
「あ!」
 部屋には五人の女の子がいた。
 天海春香に高槻やよい、水瀬伊織。そして双子の双海亜美と真美。
 この中で世間でしっかり認知されていて、ちゃんとファンもついているいっぱしのアイドルは、残念ながらいない。
アイドルの卵が五つ、暇を持て余して事務所の一室でくつろいでいたというわけだ。にしても……
「うわあ」
 暴風一過! 応接室としても使うので普段細かく生理整頓していたものが片っ端から散らかっている。
春香がばつが悪そうな顔をしている。
「だめじゃないかあ、こんなに散らかしちゃ」
 ちょっと呆れた。テーブルの上にはお菓子とジュース、それにトランプにオセロ。オセロのチップは床にまでばら撒かれている。
「す、すいませーん!」
「あはは! はるるん怒られてるっ!」
「かっ、片付けます! 片付けます!」
 春香が慌てて頭を上げる。が、勢いよく下げすぎたようで。
「はあう!」
 テーブルにぶつかっていた。びっくりするほど派手な音が鳴る。
 ガラスの机とかだったらと想像するとあんまり笑えるものでもなかった。
「わあすご! あっはははは!」
「だ、大丈夫ですか春香さん!?」
 双子の姉妹はそのとなりで指をさして笑っていた。
やよいがあせあせとテーブルの下を片付け始めるが、
水瀬伊織だけが、興味なさそうにソファーに寝転がってヘッドフォンをつけたまま雑誌を広げている。
腕の中で抱かれている人形はじっと天井を見ていた。
「うういたいたた……」
「だ、大丈夫かい?」
「は、はい……ってわ!」
 おでこをさすって、立ち上がろうとした拍子に、肘が花瓶を小突いた。
花瓶は倒れて中の水がテーブルに零れ落ちる。
水は床を掃除てしていたやよいの頭にぶっかかる。双子が笑う。
伊織は一言いちゃもんをつけると途端に無視を決め込む。うわあと叫ぶ春香と、やややとよくわからない声を出すやよい。
 放っておくと一生やってそうだった。
「ええと、みんな」
「ぅぅ、はい……」
 涙目のまま春香が答える。
「もうすぐここでお客さんとミーティングがあるから」
「は、はい……」
「とりあえず、片してくれないかな。今すぐ速攻で」
「はいっ……ほら、亜美ちゃんも真美ちゃんも! 手伝おっ!」
 やよいがせかす。あんたは先に水を拭きなさい。
「へへーい」
「ほほーい」
 バタバタと直し始める五人に、僕は呆れ笑いをこらえきれないまま手伝う手を伸ばした。
「なるべく綺麗にしないとな」
「え?」
 やよいがこちらを見る。僕は首を振った。
 僕が始めて担当する、アイドルの子と会うんだから。 



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