苦楽を共に

作:名無し

とある日の朝、菊地家にて――

「それじゃ、行ってきまーす」
「真、ちょっと待ってくれ」

 学校へ向かう為、家を出ようとする真を、その父『真一』が呼び止めた。

「あ、おはようございます、父さん」
「少し話が有るんだが」
「え? でも、もう行かないと」
「まあ、すぐに終わるから聞いていけ」
「……はい、分かりました」
 
 しぶしぶ、真一の下による真。
 真一の表情は平然としているものだが、近づく最中、真は何かただならぬ威圧を、真一から感じていた。

「最近、運送屋のバイトはどうだ?」
「えっ!? えーっと……じゅ、順調です! もうバリバリこなして……」

 実の所、真一にはアイドルをしている事を隠し、運送屋のバイトをしていると嘘をついていた真である。

「ふむ、そうか。しかしなんだ、近頃の運送屋は随分とチャラチャラした服を着るもんなんだな」
「えっ!?」

 その瞬間、真は直感した。

「その顔は、俺が何を言いたいか理解したと見るが、あえて聞くぞ。真、『これ』はお前だな?」

 そう言って真一が見せた物は、芸能関係中心の週刊誌だった。
その内の一ページを開き、『これ』と指差した場所には、紛れも無く『菊地真』その人が写っていた。

「あ! な、なんで父さんがそれを……」

 真は、ふと奥に居る母に視線を送った。すると『ごめん』と言いたげな顔で両手を合わせる母の姿が見えた。

(か、母さん……)

 事の顛末は、『週刊誌を買ってきた母が居間に放置してしまったところ、真一が偶々目を通してしまった』、というところであろう。

「母さんには、この事をちゃんと話していたそうだな」
「うっ……」
「まあ気持ちは分からなくも無い。正直に俺に話したところで、直ぐに辞めさせられると思っているだろうからな」
「……」

 重い空気に包まれた空間、暫しの沈黙。
 おもむろに真一が口を開いた。

「真。お前は、俺が何故『真』とお前に名付けたか分かるか?」
「……それは、父さんが本当は男の子が欲しかったから……だから、ボクを男っぽく育てたんじゃないんですか!?」
 
いきなりの問いに何を今更と思い、少し語気が荒くなる真。

「確かに俺は、お前を男に見て育てていた。だが、『真』という名前に関しては、決してそれだけが理由じゃない」
「!?」
「俺はお前に、嘘や偽る事をせず常に真っ直ぐな心を持って育って欲しいと思って『真』と名付けた。
……まあ俺にも『真』の字が入っているから分かり辛かったかもしれん。まあ、信じる信じないはお前次第だがな」
「……」

 思いもしなかった答えに真は動揺し、何も言えなくなってしまった。

「真」
「!? はい!」
「今更と怒るかもしれないが、正直俺も悪かった。俺はお前に、『男』を重ね過ぎてしまっていたな。
これからはもう、そういった類の事を要求はしない」
「え、それって……」
「話はこれで終わりだ。呼び止めてすまないな、早く行きなさい」
「でも」
「言いたいこともあると思うが、それは帰って来てからにしよう……遅れるぞ」
「は、はい……行って……きます」

 釈然としないもの感じながら、真は家を出た。

(父さんがあんな事言うなんて……もっと厳しく「似合わん!」とか「辞めろ!」、て言われると思ってたのに……)

 真一の一言一言を思い返す。

(……真っ直ぐな心を持って、か。でも今更聞かされたって……今更謝られたって!
 ……だけど、父さんを騙していたのは紛れも無い事実なんだ……呆れられちゃったのかな……)

 真の頭の中は、戸惑いと怒りと後悔の念で、ぐちゃぐちゃになってしまった。

(プロデューサーの言ってた事って、こういう事だったのかな……?)

 真は、その時の事を思い返していた―― 

――それはまだ、真と美希のユニットが『ランクE』になった頃の話。

「えっ? ご両親にアイドルの事を話していないの?」

 彼女達をプロデュースする女性――N子は訝しげな顔で真に尋ねた

「はい。特に父さんは、ボクを男っぽくさせようとしてますから、話したりしたらあっという間に辞めさせられちゃいますよ」
「ふーん、真くんがカッコイイのは、真くんのパパの影響なんだ。良いパパだね!」
「いや、良くないって。ボクは女の子らしくなりたいんだから」
「真のお父様、確か『真一さん』だったかしら?」
「はい、菊地真一です。男に育てようとするからって自分の名前から取ってるんですよ、
付けられる娘の気持ち、もう少し考えて欲しかったですよ」
「『真』って名前、嫌い?」
「嫌いまでは行かないですよ。ただ、気持ちの問題です」
「そう……それじゃ事務所に来る時、ご両親には何て言って来ているの?」
「運送屋でバイトしてるって、父さんも『それなら、許す』って言ったから」
「嘘を付いているの!?」

 声を張り上げたN子に、真は少し驚きながら。

「だ、だって本当の事を言ったら……プロデューサーだって困るんじゃないんですか?」
「それとこれは、話が別よ。私はまだ、あなたの家庭環境までは把握していなかったし……
ご両親に話していないとなると、プロデュースの方針も変えるべきかしら……」

 思案に耽るN子に対し、真は慌てて詰め寄る。

「そ、それって、ボクを辞めさせるって事ですか!? 嫌ですよ! お願いします、プロデューサー!」
「ミキも、真くんに辞めて欲しくないな」
「……でもね、隠し通せる嘘なんて無いのよ。
それに、隠していた時間が長ければ長い程、それが明るみに出た時、隠されていた人の受けるショックは計り知れないものになるの。
ましてやそれが、自分の子供にされたとしたら、親にとってこんなに悲しい事は無いと思うわ」

 まるで自分が経験者でもあるかのように真剣に語るN子、聞き入る真に緊張が走った。

「で、でも本当に辞めたく無いんです! 滑り出しも順調で、これから、これからが!
 ボクにとって生まれ変われる時間なんです! だから、お願いします……プロデューサー……」

 瞳を滲ませながらN子にしがみ付く真、そんな真に対しN子は。

「……分かったわ、とりあえずは、このまま続けて行きましょう」
「ほ、本当ですか!?」
「但し、打ち明ける事を先延ばし過ぎないようにね。そんな嘘を抱え込んだままじゃ、やり難いでしょう」
「は、はい! ありがとうございます」
「もぅ……お礼を言われるような事じゃ無いのよ」

 真のおでこにピシッと軽く指を弾かせるN子。

「へへっ」
「良かったね、真くん」
「うん!」
「ミキ、安心したらなんか眠くなってきたの、あふぅ」
「ははは」

 その日はこうして終わった――


(結局、先延ばし過ぎちゃったから、こんな事に……ボクどうしたらいいんだろう……このままアイドル続けて良いのかな……)

 学校での一日、真は授業中も休み時間も上の空であった。
 そんな真の様子を見たファンの娘達の間では、やれ恋をしているだの、芸能界で嫌がらせを受けているだの様々な憶測が流れ、
中には心配し過ぎて泣きじゃくる娘はおろか、気を失って倒れる娘もいたとかいないとか。
 そして、放課後。いつもなら一度家に帰り、身支度を整え直してから事務所へ向かう真なのだが、今日は……。

(今日はこのまま、事務所に行こう……とてもじゃないけど、真っ直ぐなんて帰れないや……)

 重い足取りで事務所へ向かう真であった。 

所変わってここは765プロ。

「ねぇねぇ聞いて、プロデューサーさん」
「何? 美希」
「あのね、この前取材があったでしょ、それでその事パパ達に話したらすっごく喜んじゃって。
そしたらね、発売日にパパとママとお姉ちゃん、三人して同じ雑誌買ってきたんだよ、可笑しいよね。
それでね、その日の晩御飯もお祝いムードでご馳走だったの」
「ふふふ、それだけ美希が有名になっていく事が嬉しいのよ。全国で発売されてる雑誌だもの、知名度もグンッと上がるわ」
「ランクCってそんなにすごいんだ?」
「そうね、アイドルとしてはようやく一人前という所だけど。寧ろ、ここからが正念場ね」
「正念場?」
「ここからが一番大事な時、って事よ。
今までは他のプロダクションに相手にもされていなかったでしょうけど、これからはそうもいかないわ」
「ライバルが増えるって事だね」
「ええ。これからはレッスンも少し厳しくしていくつもりだけど、頑張れる?」
「もっちろんなの! ミキ、プロデューサーさんの為ならどんな事だって耐えてみせる自信あるよ」
「……『私』じゃなくて『ファンの人達』、ひいては『自分』の為、でしょう」
「? プロデューサーさんの為じゃ駄目なの?」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ファンの人に怒られちゃうわ。
私達はファンの皆に支えられているのだから、その頑張りはファンの皆に向けるべきなのよ」
「うー……分かったの」

 美希は以前、あわや車に撥ねられ大惨事となりそうな所をN子に命懸けで助けてもらった事がある。
 それ以来、自堕落気味だった自分を反省し、恩に報いる為にもN子に尽くすと固く決めていた。
それ故に今ひとつ納得出来ない、といった顔をする美希であった。
 そして、丁度二人の話が一段落した時、真がやって来た。

「おはようございます……」

 その表情はやはり暗い。

「あら、珍しいのね、制服のままで来るなんて」
「わー。真くんの制服姿見るの初めてなの。こうして見るとちょっと女の子っぽいね」
「女の子だってば……」

 覇気の感じないツッコミを入れる真を見て、N子はふと尋ねた。

「……何があったの?」
「えっと、その、ですね。実は……」

 真は今朝の出来事を包み隠さず話した。

「ふぅ……」

 話を聞き終えたN子は、溜息を一つ吐く。

「ご、ごめんなさい、プロデューサー……」
「……あれから三ヶ月位経っているわね。その間に言う決心は付かなかったの?」
「母さんにはすぐ言えたんですけど、父さんにはどうしても……」
「そこまで厳しい方なの?」
「は、はい……人気出てきたから余計に言い辛くて……」
「今の自分が壊される事を恐れる気持ちは、分からなくも無いけれど、約束を守って貰えなかったのはショックね……」
「う……」

 真は俯き、黙り込んでしまう。

「あなたを信じていたのに。正直、残念よ」
「うぅ……」
「お父様は、私なんかよりも、もっと大きなショックを受けていると思うわ」
「うっ、うぅ……」

 N子の言葉に、真はただ瞳を滲ませ呻く事しか出来ない。

「あなた、このままばれなかったら、そのまま続けていたの!? 仮にトップアイドルになれたとして、それで本当に嬉しいの!?
 あなたは女の子らしさを身に着ける前に、人としてのモラルを身に着けなさい!!」
「!! ううぅ……っく……グスッ……うぅ」

 厳しい叱咤を受け、真は遂に泣き出してしまった。
その場に居た従業員達も何事かと三人に注目を寄せる。事務所内が緊迫した空気に包まれていた。 

「プ、プロデューサーさん」
「美希は口を挟まないで」
「! は、はい!」

 ピシャリと切られ、美希は押し黙る事しか出来なかった。
 そして、暫く沈黙が続いた。

「ううぅ……っく、うぅ」
「さっき、美希が話してくれたわ。雑誌に載った事を家族に話したら、凄く喜んでくれたって。
……私は、あなたからもそんな話が聞きたかった……子供の成功や成長を……親が知らないなんて……寂し……すぎる……」

 言葉が途切れ途切れになるN子が気になり、ふと顔を上げた真の目に入ったもの、それは。

「! あっ……」

 涙だった。真をじっと見据えながらも、その両の瞳からは涙が流れていたのである。

「プロ、デューサー……」
「……」
「ごめんな、さい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 真はひたすらに謝った。
 そして、何回目かも分からなくなった頃、徐にN子が口を開いた。 

「……H君、ちょっといいかしら?」

 N子は涙で濡れた顔を拭いながら、隣の席に座っている男に声を掛けた。

「!? えっ? 俺ですか?」
「ええ」

 N子が話しかけたのは、765プロのもう一人のプロデューサーであるHであった。
彼は『如月千早』という少女を担当している。

「確か、千早ちゃんも今日はレッスンだったわよね?」
「そうですね」
「申し訳ないのだけど、今日は美希も一緒に見てもらえないかしら?」
「え、美希をですか?」
「ええ! なんで? プロデューサーさん」

 突然の提案に驚く二人にN子は。

「今から真のご両親に会いに行くからよ」
「えっ!?」
 
 今度は真が驚いた。

「な、ならミキも行くの!」
「駄目。あまり多くても迷惑を掛けてしまうわ」
「うー……分かったの」
「そう言う事なの。H君、お願い出来る?」
「了解です、任せて下さい」
「それじゃ、社長に経緯を話して来るから、少し待っていてね、真」
「……」
「真」
「は! はい」

 N子は立ち上がり、奥の社長室へと向かう。
緊迫した空気が晴れていくのを誰もが感じ、そして多少の動揺を残しながらも各々自分の仕事に戻っていく。

「真くん、大丈夫……?」

 心配そうな顔をして真を気遣う美希。

「……プロデューサー、泣いてた……」
「うん……」
「ボク、最低だ……」

 真の顔は、生気が抜け落ちたように暗く、重い。

「……ま、まあそのなんだ。真、そんなに落ち込むなって! らしくないぞ」
「……」
「(Hさん、空気読んで欲しいの)」

 ポンポンと真の肩を叩きながら言うHに美希が耳打ちする。

「す、すまん……俺も真の事は聞いていたよ。
だけどさ、N子さんだって真の事を想っているからこそ、あそこまでの感情を見せたんじゃないかな。
決して、真に愛想が着いたり、呆れたりしたわけじゃ無いと思う。だから落ち込むな」
「そうなのかな……」
「ああ、信じろ! それに、親に言ってないって点じゃ千早も同じだしな」
「え? 千早も言ってないんですか?」
「実はな。まあ、事情は俺の口からは言えないけどね」
「ふーん、結構言ってない人いるんだね。ミキのパパ達、すぐOKしてくれたよ」
「まあ、俺が言うのもなんだが、普通『私、アイドルになりたい』って言って、すんなりやらせてくれる親のほうが珍しいと思うぞ。
親の方が売りに出そうとしてるなら、ともかく」
「でも、千早だって雑誌の取材とか、TVにも出てるから、もうばれてるんじゃないですか?」
「さあ? どうなんだろうな。千早からは何も聞かないし、そういう素振りも見てないけど」
「そんなんでいいの?」
「ははは、俺はできるだけプライベートまでには、首を突っ込まないようにしてるんだよ」
「あくまでも仕事上だけの関係、ですか?」
「とも言い切れないかな。ま、とにかく今日は千早と頑張ってくれよ、美希」
「……うぅ〜」

 少しごねる美希、その時、社長室からN子が戻ってきた。

「社長から許可を貰ったわ。でも行く前に、真のお宅に連絡をしておかないとね。今、家には誰か居る?」
「えっと、多分」
「じゃあ、電話してもらえる?」
「は、はい、分かりました」

 真は携帯を取り出し、自宅へと電話を掛ける。程無くして電話は繋がった。 

『はい、菊地です』
「あ、母さん? ボクだけど……」
『あら、今日は帰りが遅いから心配してたのよ。……今朝のこと気になってるの?』
「う、うん」
『その事なら、あんまり気に病まなくても平気よ。お父さんも少し拗ねてるだけなんだから』
「でも……」
『今、何処に居るの?』
「じ、事務所だよ。それでね、今からプロデューサーが家に行くって言ってるんだけど……」
『プロデューサーさん?』
「真、代わってくれる」
「は、はい。あ、母さん、代わるね」

 N子は真から携帯を受け取る。

「はじめまして、真さんのアイドル活動をプロデュースしている――N子と申します」
『こちらこそ。真がお世話になっているようで』
「はじめてのご挨拶が電話という形になってしまい、申し訳ございません」
『いえいえ、お気になさらずに』 
「真さんから、今朝そちらであった事を聞きまして。
私としても直接出向いてお詫びを申し上げたいと思っているのですが、今からお伺いしても宜しいでしょうか?」
『そんな、いいんですよ。主人も少し拗ねているだけですし』
「いえ、元はと言えば、私が打ち明ける時期を先延ばしする事を認めてしまったのが原因ですから、是非」
『そうですか……分かりました、お待ちしていますね』
「はい、有難うございます、それでは後ほど……。……ふぅ」

 電話を終えたN子は一息吐いた。

「優しそうなお母様ね」
「あ、はは……」
「さて、と。それじゃあ行くわよ、真。H君、美希をお願いね。美希、良い機会だから、千早ちゃんから色々学びなさい」
「はい……」
「了解です!」
「……はぁ〜い」

 N子の言葉に、一人が元気に、二人が沈みがちに返事を返した。
 そして部屋を後にして外へ向かうN子と真は、玄関付近で一人の少女と顔をあわせた。

「あ、おはよう千早ちゃん。丁度良かったわ」
「おはようございます、N子さん、真。あの、丁度良かったとは? ……あ、星井さんは一緒では無いんですか?」
「ええ、その事で少し話があるの……」

 N子は掻い摘んで事情を話した。

「そうですか、分かりました。そういう事でしたらお引き受けします」
「ありがとう」
「ですが、私はあまり星井さんに好まれていない様なので、上手くいくかどうか……」
「大丈夫。貴方の真剣さを見れば、今のあの娘ならきっと心を開いてくれるわ。二人とも、出会った時とは変わったんだし」
「そんな……いえ、そうですね。私は私の歌で、あの娘の心を惹かせてみせます」
「うん、その意気よ」

 二人の会話を聞きながらも今だ沈んだ顔の真に、千早が声を掛けた。

「真」
「なっ、何、千早?」
「元気の無い貴方なんて、貴方らしく無いわ。早くいつもの貴方に戻ってね」
「う、うん、ありがとう千早」

 千早の気遣いに少し驚く真。

「それでは、私は上に」
「ええ、よろしく」

 千早と別れた二人は、車の止めてある駐車場へと足を運ぶ。

「千早って、最初の頃と雰囲気が少し変わりましたよね」
「そうね」
「何があったのかな?」
「まあ、千早ちゃんにも色々とあるのよ、貴方と一緒で」
「そ、そうですね」
「さ、乗って」
「はい」

 N子の車に乗り込む二人。

「それじゃ、ナビ頼むわね」
「はい」
「よし、行くわよ」 

 走り出す車、順調に進む中、車内では真の指示意外は沈黙が続いていた。

「……あ、次の信号を右で」
「右ね」
「……」
「……」

 真は酷く居心地の悪さを感じていた。それは、事務所での事を思い返していたからだ。

(プロデューサーに怒鳴られて……プロデューサーを泣かしちゃって……)

 その時。

「真」
 
 居た堪れない気持ちで一杯の真に、N子が声を掛けた。

「は! はい、何ですか?」
「さっきは怒鳴ったりして御免なさいね。お母様にも言ったけど、決して貴方だけに落ち度があった訳じゃ無いのに……」
「そ、そんなこと」
「あるの。……私はね、『家族』というものを大切にしたい、大切にして欲しいの。
そんな私が、自分の誤った判断で一つの家族を壊してしまったら、って思ったら気が動転しちゃったの。本当に御免なさい」
「……プロデューサー」
「私は、事と次第によってはプロデュース業を辞めるつもりよ」
「ええ!? そんな! そこまでしなくても……辞めるならボクだけで充分です。それに美希だって……」
「もう決めたの。社長にも、そう話してきたわ。美希は……今のあの娘なら、私が居なくなっても頑張れるわ。
『あの時』、そう約束してくれたもの。今はまだ少し、気持ちが一方通行になっているけれど」
「ごめんなさい……」
「ほら、そんな顔しないの、また泣きそうになってるわよ。次の信号はまっすぐで良いの?」
「あっ、はい。まっすぐで」

 こうして二人は、着実に菊地家へと近づいて行くのであった。

 そして――

「ここです」
「ああ、ここね」

 そこは、閑静な住宅街の中に佇む、ごく有り触れた一軒家だった。

「ふ、普通の家ですよね。すみません……」
「え?」
「アイドルやってるのに、家は地味かな、なんて……」
「何言ってるの。そんなこと気にしないわよ」
「はは……あ、今開けますね」

 鍵を開け中に入る二人。

「た、ただいまー、お客さんだよー」

 少しどもりがちな声で言う真、すると奥から母が姿を現した。

「あら、ようこそ。いらっしゃいませ」
「いえ、こちらも突然の訪問で申し訳ございません」

 深々と礼をするN子。

「さあさあ、上がってください」
「はい、それではお邪魔致します」
「ボ、ボク着替えてくるね」

 N子は上がり、真は自分の部屋へと向かって行った。

 真は自室でいつものジャージ姿に着替える最中、ドキドキしていた。

(わぁ……今、母さんとプロデューサーが会ってるんだよなー。
なんか家庭訪問みたいで緊張するなーって、浮かれてる場合じゃ無いよね。……靴が無かったけど、父さんは居るのかな?)

 一方N子達は、リビングのソファに腰を下ろし、紅茶を啜りながら話を始めていた。

「話には聞いていましたけど、本当に女性の方だったんですね。アイドルのプロデュースと聞くと、男性の方だとばかり思っていました」
「そうですね、真さんにも初めは驚かれました」
「ふふ、でもあの娘も随分貴方の事を気に入っているみたいですよ。話を聞かせてくれる時、とても楽しそうですし」
「まあ、そうなんですか?」
「ええ、『美人で優しくて、ボク達の事凄く大切にしてくれて、憧れちゃう』って」
「あの娘ったらそんな事を……」

 穏やかに話す母の言葉に、つい頬を赤らめ照れてしまうN子だった。

「なんでもこの間は、真と一緒にやっている、星井……星井……」
「美希、ですね」
「そうそう、美希ちゃん。その娘が車に轢かれそうなのを助けたって聞いて、私も驚きましたよ」
「あの時は体が咄嗟に反応して、考えるより前に動いていました……正直、こうして無事居られる事に自分でも驚いてます」
「その事を話した時にあの娘が『プロデューサーに一生付いて行っても良い』って興奮気味に話しましてね。
自分が守って貰った訳では無いけれど、いたく感動したみたいで」
「そうだったんですか……」
 

N子は、母の話すその光景が朧気に頭に浮かんだ後、事務所で説教した事を思い返し、心を痛めた。

「あの娘も前にも増して活き活きしてますから、どうかこのままアイドル活動を続けてあげてください」
「あ、それは……」

 丁度その時、真が戻ってきた。 

「着替えてきました。……あれ、やっぱり父さん居ないんだ、出掛けてるの?」
「ええ、けどもう少しで帰ってくると思うわ」
「そ、そっか。あ、母さん、プロデューサーに変な事言ってないよね?」
「ふふふ、どうかしら」
「あー! なんだよそれ。プロデューサー、何か言われたり聞かれたりしましたか?」
「え、ええ……まあ、ね」
「な、何を!」
「秘密」
「そんなぁ〜」
「ほら、真も立ってないで、座って一息つけなさい」
「は〜い」

そして三人で暫く談笑していると、不意に玄関の扉の開く音がした。

「お父さん、帰って来たみたいね」
「! うぅ……」
「真、シャキっとしなさい」
「は、はい!」

 尻込みする真に檄を飛ばし、N子も毅然とした姿勢で待ち受ける。そして……。

「知らない靴が有ったが、誰か来てるのか? ん?」

 リビングに入ってきた真一は見慣れぬ女性と目が合い、立ち止まる。

「あなた、こちら真のプロデューサーさん」
「初めまして、お父様。私、真さんのアイドル活動を担当しています、765プロダクションの――N子と申します」
「えっ、あっ、ああ、プロデューサーさん……ですか? あなたが?」
「はい。ご挨拶が遅れてしまいました事、深くお詫び致します」
「い、いや……こちらこそ、どうも真が厄介になっているようで……」

 真一は明らかに動揺していた。

(はは、父さん焦ってる。やっぱりプロデューサーが女の人だったのが意外だったのかな)
「真、何笑ってる」
 
 クスリと笑う真に睨みを利かせる真一。

「い、いえ! 笑ってません、笑ってません」
「ふん……」
「まあまあ、プロデューサーさんも今朝の話を真から聞いて、わざわざ出向いて下さったんですから」
「ああ、今朝のか……」

 そして真一も腰を下ろしたところで、本題が始まった。

「……という経緯を真さんから聞き及びましたので、是非、弁明をさせて頂きたくお伺いさせてもらいました」
「弁明?」
「はい。お父様は真さんがご自身の判断でアイドルの事を隠していたと、お思いではありませんでしょうか?」
「違うのですかな?」
「実は全て、私の判断で行わせてしまった事なんです」
「!?」
(プロデューサー、何を言ってるんだ!?)

 突然のN子の発言に戸惑ってしまう真。

「私は、真さんへの可能性を感じて、彼女を担当すると決めました。
この娘ともう一人の娘、美希なら、必ずトップに立つことが出来ると。実際の所、二人の滑り出しも順調でした。
そんな折、彼女から両親にアイドルの事を話していないと聞き、どうしようかと悩みました」

 N子の語りは続く。

「我が765プロは大手と比べてもまだまだ弱小……この機を失う訳にはいかないと思い、真さんに黙っておくよう指示を出しました。
無論、いずれはお父様の目に留まる事は承知の上で、私は自分と会社の私利を優先したのです。
ですから今回の件、真さんには一切非は有りません。
お父様の仰られる様に、真さんは確かに真っ直ぐな心を持って、真剣にアイドル活動に取り組んでくれていました。
責任は全て私にあります。
どのような罰でも受ける所存です。本当に、申し訳ございませんでした」

 そう語った後、N子は床に手を付き深々と土下座をした。

「プ、プロデューサー!?」
「ああっ、顔を上げてください。女性が土下座なんてするもんじゃない」

 真一の言葉を受け、顔を上げるN子。
 その瞳は、真っ直ぐに真一を見据えていた。 

「ですが、一つだけお父様にお願いしたいことがあります」
「な、何ですかな?」
「それは、真さんの生き方は、真さん自身に決めさせて欲しいという事。私は彼女の意志を尊重したいんです、同じ女として」
「……」
「親が子供に、自分の夢や理想を重ね、育てたいという思いは分かります。
ですがそれは、お互いの調和が取れてこそ、初めて実現するものではないでしょうか?」
「……」
「私の望みは、それだけです」

 ……暫し沈黙が続いた後、真一の口が動いた。

「真」
「!? は、はい!」
「アイドル、続けたいか?」
「えっ?」
「続けたいか?」
「つ、続けたい……続けたいです!!」

 真一の問いに、真は確固たる意志で返した。

「分かった。――さん、これからも娘が迷惑を掛けるかもしれませんが、宜しくお願いしますよ」
「ですが……」
「いや、いいんですよ。真も貴方のような方に面倒を見て貰っているなら安心ですからな」
「父さん……」
「真、今朝言った事は俺の本心だ。決してお前に呆れたり、突き放して言った訳じゃないぞ」
「ふふふ……」
(母さん、笑ってる?)

 何か含みのある笑みを浮かべる母に真は疑問を感じた。

「ゴ、ゴホンッ! と、とにかく!
 もうお前が女らしくする事を止めたりはしない、その方がアイドルするにも良い影響があるだろう?」 
「ほ、本当に?」
「男に二言は無い! それに――さんのような方の傍に居れば、お前だって憧れるだろう」
「お、お父様……私はそんな大層な人間では……」
「ははは、謙遜なさらずに」
「は、はぁ……」
「ただし! 二人には誓ってもらうぞ。続ける以上、必ずトップに立つ事を」

 真一の言葉に、二人は、
 
「「はいっ!!」」

 声を合わせ、力一杯に頷いた、が。

「でも、父さん、ボク達三人なんだけど」
「うっ……」
 
 真のツッコミに、決まりが悪そうな顔をする真一。

「ふふふ」

 そんなやりとりを見て、N子と母は顔を見合わせ微笑んでいた。
 その後四人は暫し、真達のアイドルとしての活躍ぶりの話で大いに盛り上がり、そして陽も暮れ掛けた頃……。

「……あまり長居してしまうのも失礼ですので、そろそろ私は……」
「あら、もう少し居てくださっても」
「ありがとございます。ですが、事務所に戻って今日の報告もしなければいけませんので」
「あ、じゃあボクも行きます」
「真はいいわ。今日は沢山悩んで疲れたでしょう? ゆっくり休んで、明日からまた元気な姿を見せて」
「はい! 分かりました」
「お父様、お母様、本日は突然の訪問にも関らず温かく迎え入れていただき、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらも色々と話を聞かせて貰って、楽しかったですよ」
「ええ、是非またいらして下さい。今度は美希ちゃんも一緒に」
「本当ですか? それは美希も喜ぶと思います」

 そして玄関先でもう一度礼を述べ、外へ出たN子を追う影が一つ。

「待って、プロデューサー」
「真?」
「へへっ、車が止めてある所までなら良いでしょう?」
「ふぅ……しょうがない娘ね」
「そうです、しょうがない娘なんです。だからこれからも沢山、プロデューサーに迷惑掛けちゃうかもしれません」
「望む所よ。手の掛からない娘より、掛かる娘の方が育てがいがあるもの」
「……美希とか?」
「二人共、よ」
「うへぇ……」

 道を擦れ違うのは学校帰りの学生達や遊び終わり、家に帰る子供達か。どの子達も賑やかに話をしながら歩いている。
 その声をバックに、二人は示し合わせたかの様に歩幅を狭め、ゆっくりと歩いている。
 今日起こった出来事を、一つ一つ、思い返しながら。 

「……あっ、でもプロデューサーも嘘付きましたよね、全部自分の責任だ、って」
「え? ああ。ふふ、大人は嘘を付いてもいーの」
「あー! ずるいですよそんなのー。ボク、本当にヒヤッとしたんですよ」
「御免なさいね、でもお父様も私の言ってる事は嘘だって、分かっていたと思うわ」
「えっ? どうしてそう思うんです?」
「勘よ」
「か、勘ですか……」
(納得して良いのかなー? でもプロデュース業なんてしてるから、勘も鋭くなるのかもしれないな……)

 うーん、と頭を捻る真に、今度はN子が語り掛けた。

「ねえ、真」
「はい?」
「晴れてお父様からの許しが出たけれど、貴方はどんな事をしてみたいの?」
「はい、それはもう決めてます。けど、それにはプロデューサーの許しも必要で……」
「私の?」
「ボク、髪を伸ばしてみたいんです。子供の頃から髪、ずっと短いままで……ちょっとでも伸びると、すぐ切られちゃったんです」
「そう……良いんじゃないかしら」
「本当ですか!? でも、仕事に影響出たりしませんかね?」
「まあ、長髪をだったのをバッサリ切るのと違って、伸ばす方なら一日二日で変わる物でもないし、
目立つようになったらファンの反応を見て、どうするか決めてもいいし」
「じゃあ、伸ばして良いんですね?」
「ええ、OKよ」
「やーりぃ! って、あ……」
「どうしたの?」
「いえ、この男っぽい言葉遣いや仕草も、変えてった方がいいのかなって」
「ふふ、変えれるの?」
「う〜ん、こればっかりは無理かもしれないです、16年間みっちり染み込んじゃってますから……
でもやっぱりそれだと、女の子として違和感有りませんか?」
「無理に変える必要は無いと思う。それが真らしさだし、貴方が培ってきた16年、全てを覆すようなことはして欲しく無いの……
御免なさい、さっき『生き方は自分で決めて欲しい』なんて言った手前だけど」
「いえっ、プロデューサーの気持ち凄く嬉しいです。『ボクらしさ』、大事にしたいと思います」
「ありがとう、それとね」
「はい?」
「その16年があったから……」
「あったから?」

 続きを促す真。
 N子は立ち止まり、少しはにかんだ顔で真を見つめながら言った。

「私と真は、出会えたんじゃないかな」
「あ……」

 真は感じていた。
 自分の目頭がじわじわと熱くなっていく事を。
 自分の顔が急激に紅潮していく事を。
 自分の胸が早鐘のように鳴り響いている事を。

「ひ、酷いですよプロデューサー……いきなりそんな台詞、言われたら……ボ、ボク……ぐすっ……」

 涙が零れだす真を、N子は愛しむ様に抱きしめた。

「だから、お父様にも感謝しないとね」
「へへ……そうですね。プロデューサーに会えたってだけで、今までの不満、全部チャラにしたっていいくらいです」

 改めて、一緒に居られる喜びの余韻に浸りながら、二人は再び歩き始めた、そして。

「それじゃ、行くわね」
「はい、美希達にも、『心配掛けてごめん』って伝えて下さい」
「ええ、もちろん」
「あの、本当に今日はありがとうございました」
「こちらこそね。ところで、明日は可愛い服を着て来るのかしら?」
「そ、それはまだ……まず父さんに没収された分、取り返さないといけませんし」
「そっか。……ねぇ真、今度一緒に服、見に行きましょう。仕事じゃなくて、プライベートの」
「は、はい是非!」
「ふふ、それじゃまた明日。お休みなさい、真」
「お休みなさい、プロデューサー」

 走り去る車の姿が見えなくなった後、ふと空を見上げた真の瞳に映るものがあった。

「あ、一番星……」

 それを見た真は、決意を胸に秘め誓うのだった。

(絶対にトップに立ってみせます……だから、これからも宜しくお願いしますね、プロデューサー)

 おしまい 










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