律っちゃんのメガネ

作:名無し

【パキッ!!】

 布団の中から聞こえた、その小さな音は、久し振りのオフの朝を
温々とベッドの中で迎えた秋月律子を、一気に目覚めさせるには充分だった。

 慌てて飛び起き、今まで自分の肩があった辺りを、恐る恐るまさぐる律子が
見つけたもの…。それは見事に折れ曲がった、愛用のメガネだった。

「あ〜っ!やっちゃったか〜…。」

 昨夜、翌日がオフという気楽さから、ついついベッドで小説を読みふけってしまい
うっかり、メガネを掛けたまま眠ってしまったのが原因だった。

「まいったな〜、お気に入りだったのに…。」

 折れ曲がったメガネを手に、律子が頭を抱えていたその時、
突然、自分の携帯から、『魔法をかけて!』が流れ始めた。 


♪鏡の中 ため息がひとつ 「教科書がボーイフレンド?」♪

「んもぅ、誰よ?朝っぱらから……。」
「もしもし!?律子か?朝早くから悪い!起きてたか?」
「起きてなかったら、電話に出られるわけないでしょう!落ち着いて下さい。プロデューサー!」
「す、すまん。実は言いにくいんだが、今日のオフ、取り消しにしてくれないか。」
「えっ!?いったい何があったんです?」
「何がって…お前、ニュース見てないのか?まあいい、急いで外を見てくれ。」

 プロデューサーに言われるまま、律子が部屋のカーテンを開けると…。
そこには、メガネを掛けていない律子でさえわかるほど、一面の銀世界が広がっていた。

「うわっ…すごい…。いつの間にこんなに積もったんですか?」
「気象庁でも、予想外なほどの大雪だそうだ。おかげで、春香の乗っていた電車も、
途中で止まってしまってな…。春香のプロデューサーが、迎えに行ってるんだが、
どうやら、ラジオの本番には、間に合いそうにないらしいんだ。」 


「そうなんですか…。」

 律子は少し前に、春香からラジオの仕事について相談された事を思い出した。
初めてのメイン・パーソナリティに戸惑う春香に、

「最初から聞いてくれる物好きは、春香のファンばっかりなんだから、
まずは春香らしさを、前面に出してやっちゃいなさいよ。
♪迷わずに進めよ。行けばわかるのさ♪ってね!」

ヒット曲の『ボジティブ!』を引き合いに、アドバイスした所、

「律子さん!この間は、ありがとうございました。
アドバイス通りにやったら、すごく評判良くって…。これも律子さんのおかげです!!」

と、嬉しそうに報告してくれた、春香の笑顔を思い浮かべていた。

「律子…聞こえてるのか?」
「えっ!?あ、はい!」
「それで、今から迎えに行くから、春香のピンチヒッターをやってくれないか?
律子なら、ラジオの経験もあるし、どうだろう!?」
「そんな…。事務所側のケアレスミスを、うちらに押し付けるんですか!?」
「それはそうなんだが…。やっぱりダメなのか…。」
「ウフフ、冗談です。他ならぬ春香のためです。私、やります!」
「そうか!じゃあ、後30分くらいで、そっちに着くから。悪いな!律子。」
「はい。それじゃ!」 


 そう言って、携帯を切った途端、律子は思わず吹き出してしまった。

「たった30分って…。いったい事務所からうちまで、どれくらい掛かるのかしらね…。
それじゃ、アテにしていたのがバレバレですよ。まったく…。さてっと!」

 勢いをつけて、ベッドから立ち上がった律子は、まずは自分の机に向かうと
引き出しを開けて、予備のメガネを探し始めた。ところが…。

「あれ?おかしいなぁ。確か、ここに…。あ〜っ!!しまった……。」

 数日前のジャケット撮影で、メガネを掛け替えて何パターンか撮影した際、
その中で私物のメガネも使ったため、それ以来、予備のメガネを
事務所に置きっぱなしにしていたのを、たった今、思い出したのだった。

「どうしよう…。せっかくやりますって言ったのに、こんなんじゃ……。」

 先ほどまでの勢いは何処へやら、すっかり落ち込んでしまった律子だった。
しかし、約束した時間は、刻々と迫って来る。
ともかく急いで身支度を整えると、律子は玄関から表へソロソロと出掛けて行った。 


(結局、よく見えないから、三つ編みも結えなかったなぁ…。
それより、こんな歩くのだってやっとの状態で、プロデューサーに何て言えば……。)

「キャッ!!」

 視界がぼやけている上に他の事を考えていたせいで、注意力が散漫になっていたのか、
ただでさえ雪で滑りやすい路面に足を取られてしまい、律子は後ろにバランスを崩してしまった。

「ダメッ!転んじゃう!!」と、思った瞬間、突然後ろから差し出された
腕に支えられ、律子は、かろうじて転ばずに済む事ができた。

「オットット!」
「す、すいま……その声、プロデューサー!?」
「律子だったのか!?どうしたんだ、その髪、メガネも…。まぁ、話はクルマの中だ、急ごう。」

 促されるままに、クルマに向かいかけたその時、律子は再び雪に足を取られて
今度は前に転びかけ、またもやプロデューサーに支えられたのだった。

「うわっ!!」
「オット!大丈夫か?…お前、ひょっとしてよく見えてないんじゃ……。」
「はい…。すいません!プロデューサー!!」

 律子はその場で、思い切り頭を下げて謝った。 


「ま、待てって…。ともかく乗ってくれ。話はそれからだ。」

 その場で、メガネを掛けていない理由を話そうとする律子を、何とかクルマに乗せ、
2人は、ラジオ局へと向かった。
その道すがら、律子は今までの顛末を、プロデューサーに話していた。

「……というわけで…。すいません!せっかく来てもらったのに…。

 後ろの席で俯いたまま話す律子は、肩を落とし、普段の勢いは微塵も感じられなかった。

「こんなんじゃ、ハガキも読めないし…。春香のピンチヒッターなんて…。」
「そうだな。確かに今の律子じゃ、無理かもな。」
「すいません…。あの、今からでも、他の誰かに…。」

「ほら、そこだって。いつもの律子らしくないぞ。
普段ならこんな時でも、もうちょっと機転を利かせられると思ってたんだがな。」
「機転…ですか?」
「いいか!?律子たちがラジオのブースに入った時、いつも連絡用に付けるアレがあるだろ。
アレをうまく使えば、何とかならないか?」
「連絡用のアレ?…、そうか!ヘッドフォン!!
それを使って、向こうからハガキを読んでもらえば、読めなくても…。」
「それだよ!ただし、同時通訳と言うか、聞いた言葉をそのまま喋って、
さらに、それにコメントも付けなきゃならないけどな。」
「そうですよね…。これは結構……いえ、大丈夫!絶対やってみせます!」 


 胸の前で腕を組み、片方の手でメガネのフレームをいじる
(と言っても、肝心のメガネが無いので、こめかみの辺りを押さえているのだが。)
いつものポーズが出た所で、律子自身のテンションも上がって来たようだ。

「よし!だんだん調子が戻って来たな。これなら…。」
「プロデューサー!ちょっと集中したいんで、黙って運転してもらえます!?」
「そ、そうか!?」

 こうして、後ろの席で腕組みをしたままの律子を乗せたクルマは、
雪の中をひた走り、ラジオ局の駐車場に滑り込んだ。

「さて、やっと着いたな。それじゃ、行こうか!?……ほら。」

 先にクルマから降りたプロデューサーは、後ろのドアまでまわり、
律子の側に立つと、片方の腕を差し出した。

「えっ!?あ、あの、大丈夫ですって…。」
「何言ってる。さっきの様子じゃ、相当危なっかしかったぞ。
ホレ、文句言わずに、つかまってろって。」
「す、すいません…。こう…ですか?」

 律子は赤い顔をしながらも、素直にプロデューサーの腕に自分の腕を絡ませた。

「そうそう。なぁに、今の律子なら、大歓迎さ!」
「えっ?何ですか?」
「いや、何でも…。じゃあ、行くか。」

 もし、律子が普段通りなら、プロデューサーが自分を見る視線が
いつもより微妙に違う事に気付いたかもしれない。
中に入った2人は、そのまま番組のスタッフルームに行くと思いきや、
プロデューサーの足は、楽屋の方へ向かって行った。

「その様子じゃ、歩くのもキツイだろ。オレだけ、スタッフに顔を出して来るから
律子は、少しここで待っててくれ。」 


 そう言い残すと、プロデューサーは楽屋を出て行ってしまった。
メガネがなくて、イマイチ周りが見えない律子は手持ちぶさたのまま
じっとしていると、しばらくしてドアがノックされ、前に一緒に仕事をした事のある
知り合いの女性スタッフが入って来た。

「律っちゃ〜ん、久し振り〜!」
「あっ!どうも、お久し振りです。どうしたんですか?」
「ウフフ。私、今は春香ちゃんと、お仕事してるのよ。
さっき、プロデューサーさんから、話を聞いてね…。それじゃ、パッパッと、やっちゃいましょうか!?」
「えっ!?な、何をですか?」
「やだぁ、メイクよ!災難だったわね。来る途中で、メガネを壊しちゃうなんて。」
「は、はぁ…。すいません。お願いします。」

 一応、メイクも見えないなりに、やってきたつもりだったが、
プロデューサーの目から見れば、アイドルとしてはイマイチだったらしい。

「律っちゃん、今日の髪型って…。」
「あっ、やっぱり変ですか!?うまく結えないんで、ブラシで撫でただけなんです。」
「ううん…。これはこれで、似合ってるわよ…。よしっと、これでOKよ!
プロのメイクさんじゃないけど、一応、お化粧の年季だけは入ってるからね。(笑)」
「またまたぁ、ありがとうございました…。と言っても、よく見えてないんですけどね(笑)」

(やっぱりこれは、自覚してないみたいね…。)

 律子のメイクをしながら、女性スタッフは、何かを確信していた。
やがて、メイクも仕上がった頃、再び楽屋のドアがノックされ、
外からプロデューサーの呼ぶ声が聞こえた。 


「お〜い律子。そろそろいいか?打ち合わせが始まるぞ。」
「は〜い。プロデューサーさん、もういいわよ。」

 女性スタッフの返事で、楽屋に入って来たプロデューサーは、
ひと目律子を見るや、その場に固まってしまった。

「り…律子…!?」
「ウフフ…。さ〜て、私も打ち合わせに出なくっちゃ!それじゃ、お2人さん!お先にね〜!!」

 そう言うと、女性スタッフは、2人を置いてさっさと出て行ってしまった。
2人だけになった楽屋では、律子を見たまま、一言も話さないプロデューサーと
状況が読めない律子との間に、妙な空気が漂っていた。

「プロデューサー…あの、何か、変ですか?」
「えっ!?い、いや、何でもない!何でもないぞ!!」

 そう言った後、プロデューサーは、いきなり両手で自分の頬をバシッと叩くと、
少し早口で、こうまくし立てた。

「よしっ!気合いを入れて行こう!り、律子も準備OKだな。
打ち合わせの後、すぐに本番だから。じゃ、じゃあ、行こうか!?」
「は、はいっ!よぉし!」

 すると、律子もいきなり両手で自分の頬をバシッと叩くと、
プロデューサーを見上げ、ニッコリと笑ってこう言った。

「これで私も気合いが入りました!とは言え…、ちょっと痛いですね。ウフフ。」
「オイオイ…。無茶するな、赤くなってるぞ。」
「平気ですって。さぁ、行きましょう!プロデューサー。」

 そう言うと、律子は今度は自ら進んで、プロデューサーの腕に自分の腕を絡めた。
その後、スタッフルームに2人が現れるや、その場にいた男性スタッフ全員から
一斉にため息が漏れたのは、言うまでもない。 


「こんにちは〜、律っちゃんですよ〜!今日は大雪のせいで、春香の到着が遅れています。
そんなわけで、ピンチヒッターとして、やってまいりました。
春香がやって来るまで、皆さんヨロシクね〜!!」

 こうして本番が始まり、律子はプロデューサーとの連携で、そつなく番組を進めていった。
その後、何とか間に合った春香が合流。ここから、2人の息のあった掛け合いにより
番組はより一層の盛り上がりを見せ、そのまま、無事エンディングを迎える事が出来たのだった。

 番組終了後、恐縮しまくりで何度も頭を下げる春香を、何とかなだめた後
クルマに乗り込むと、2人はホッとため息をついた。

「ぶっつけ本番だったけど、何とか切り抜けられたな。」
「そうですね。でも、もう一度やれって言われたら、考えちゃいますよね。」
「あぁ。実際、春香が間に合って、正直ホッとしたよ。
さて、今日はこれで終わりなんだが、どこか行きたい場所はあるか!?」

「そうは言われても、この目じゃ…。とりあえず、事務所まで送ってもらえますか?
予備のメガネを取って来なくちゃ。」
「それならこの際、1つ新調したらどうだ!?
さっき社長に相談したら、いい店を紹介してもらったんだが。」
「えっ、そうなんですか!?」
「しかも、今回のごほうびって事で、費用は事務所持ちでいいそうだ。」
「へぇ〜、それじゃ思いっきり高いのに、しちゃおうかな?」 


「ハハハ。やっぱり律子には、メガネがないとな…。でも、今の律子も捨てたモンじゃないぞ。」
「んもぅ!来るまでは、私らしくないって言ってたのに、
今度は、そんな事を言って…。いったいどっちなんですか!?」
「それは…その、今の律子は、捨てたモンと言うより、捨てがたいと言うか……。」

「何なんですか、それ!?……わかりました。私、今日はこの後、全く予定は
ありませんから。納得できるまで、じっくりと聞かせていただきます!」
「オ、オイオイ…。全くって、今日だけは若い女の子が言うセリフじゃ…。」
「また、意味不明な事を…。何で今日は言っちゃいけないんですか!?」
「何でって…。今日は12月24日、クリスマス・イブだぞ。」

 それを聞いた途端、今までまくしたてていた律子の口が、ピタリと止まってしまった。
いや、何か喋ろうとはしているものの、それは言葉にならず、
唯々、顔が赤く染まっていくだけだった。
やがて律子は、俯いたまま小さな声でポツリとつぶやいた。

「だって……本当なんだもん…。」 


「ス、スマン!そんなつもりじゃないんだ!!
そ、そりゃ、しょうがないよな。忙しくて休みも不定期だし、その休みさえ
こうして、ツブされたりするんだし…。
そ、そうだ!メガネが出来たら、その…オレと食事に…行かないか!?」
「えっ!?」
「ほ、ほらっ!オレも実は、予定もないし、相手もいないし…。
イブの夜に、このまま帰るのも何となくシャクにさわるし…。だから、なっ!?」

「でも…いいんですか?私なんかで…。」
「バッ、バカヤロ!遠慮なんかするガラじゃないだろ!」
(そんな上目遣いで、オ、オレを見るな!ドキドキするじゃないか…。)
「えっ!?何ですか?」

「い、いや。それじゃ、まずはメガネだな。」
「はい!ところで、プロデューサー。食事するお店ですが、大丈夫ですか?
今日はイブで、どこも予約でいっぱいなんじゃ…。」
「そ、そうか!?まぁ、任せろって。律子のメガネが仕上がるまでに
バッチリ押さえてやるから。」
「ウフフ。期待してますよ。プロデューサー!」

 こうして、2人の乗ったクルマは、雪の残る街へと走り出して行った。
そして、翌日。いつもの通り、メガネと三つ編みでやって来た律子の新しいメガネは、
なぜか、事務所のみんなの注目の的だった。
でも、みんなメガネを手にとって見たがるくせに、
みんなは、律子の顔ばっかり見つめていたとか、いないとか…。

いったい誰のせいなんだろう!?

「えっ!?わ、私は、何にも知らな……う、うわぁ!!」

どんがらがっしゃ〜ん!!!

おしまい。 




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