ある年の12月24日

作:名無し

 ラジオ局裏手の屋外駐車場。冷たい空気の中、二人はいた。
 三浦あずさと彼女のプロデューサーだ。
 生放送を終え、駐車場の一角での休憩。真冬の寒空の下、
わざわざ屋根のないところでの休憩となったのはあずさの、
『今日は空がきれいですから』
の一言があったからに尽きる。
 実際、夕暮れ時を少し回った空は藍色から赤へのグラデーションを見せてとても美しく、
どこまでも高かった。恐らく普段ならその日の疲れも吹き飛ぶような感慨さえ抱くのだろうが、
今日に限っては逆に滅入ってしまいそうになる彼がいた。
 十二月二十四日。
 今日何の予定もなく仕事をしていると、それだけで何かに負けたような気がするのは
何故だろうか。
――独り身が長いと、こういう日には性格悪くなっていかんな。
 彼はそんな事を思いながら、缶コーヒーを口に運んだ。
そして、空になった缶を五メートル程離れた所にあるくずかごに放る。
 コーン、ガシャン
 くずかごの縁で一度跳ね上がった缶は、そのまま中へと落ちていった。
「あら〜、お上手です〜」
 後からあずさの声がする。
「はは、ありがとうございます」
 別段、何がどうと言う事はないのだが、褒められば悪い気はしないものだ。
 そしてあずさは残りの缶入り紅茶を飲み干すと、彼の隣に歩いて行く。
「私もやってみようかしら」
「くずかごへ?」
「はい」
「どうぞどうぞ」
「でも……うーん……」
 別に、失敗したからと言って何があるわけでもない筈なのだが。
何故かあずさは小首を傾げて悩んでいる。
「うーん……」
「あずささん、別に失敗してもいいんですから。罰ゲームもないですし」
「それは、そうなのですけど……。きっかけというか、踏ん切りと言うか……そう思うと、
失敗できなくて」
「缶を投げるきっかけですか?」
「あ、いえ、そうではなく……」
 あずさは何故か顔を赤くしてばつが悪そうにしている。
「よく分からないですが、一発で成功させなければいけないわけでもないですし。
二、三回投げればどうにかなりますよ」
 ゴミ箱にゴミを投げ入れるのに失敗すると、拾ってわざわざ元の場所から再挑戦したりする。
二、三回もやれば成功しそうなものだ。
「二、三回……そうですね。オーディションも審査は三回に分かれてますし」
 ぽむっと手を叩いて、あずさはほっとしたような表情を見せた。そして、
「では、一回目〜」
そう言って缶を投げてみる。 

 下手で投げた缶は緩く低い放物線を描いて、
 コン、カランカラン……
くずかごのかなり手前で落ちて地面に転がった。
「あら……残念です……」
「もうちょっと、しっかり放ってもよかったですね」
「はい〜」
 とたとたと、小走りで缶を拾いに行き、そしてまた彼の隣――律儀に、
元の場所――に戻ってくる。そして深呼吸をして、
「ふぅ〜。二回目です」
「はい」
 彼には何だかその様子が可愛らしくて微笑みながら見ていた。
「えいっ」
 気合の声と共に、あずさは缶を放り投げる。
 先刻よりも少しだけ高い放物線。ゆっくりとした速度で、
 カシャン、カン、カランカラン……
 しかし缶はくずかごの横腹に当たり、そして地面へ落ちた。
「惜しかったですね」
「はい〜。次で最後ですね……緊張します〜」
 一回目と同じように缶を拾い戻ってきたあずさは、
珍しく一目でそれと分かるほどの緊張した表情を浮かべていた。
オーディションの時よりも力んでいるようにも見える。
「あずささ〜ん、力抜いてください。その調子だと、
くずかごの向こう側まで飛んでいってしまいそうですよ」
「あっ、そうですね。ありがとうございます〜」
「いえいえ。力加減はさっきと同じ程度で大丈夫だと思います。もうちょっとだけ、
上の方を狙う感じで」
「はい、分かりました。それでは……ふぅ〜」
 深呼吸を挟んで、
「えいっ」
賽は……もとい、缶は投げられた。
 今までで最も高い放物線。頂点を越えて重力に引かれ落ちていく。
 ガシャン
 宙を舞った缶は、見事なまでにくずかごのど真ん中へと落ちていた。
「あっ! やりました〜」
 あずさはとても嬉しそうに微笑んだ。小学校の子供が、テストで満点でも取ったかのようだ。
「良かったですね」
 こんなことでも素直に喜べる。それはとても大切なことなのではないかと、
彼女を見ていると彼は本気でそう思えた。
「はい〜。これで踏ん切りが付きました〜」
「ああ。さっきも言ってましたね。何の踏ん切りです?」
「え!? ああ……ええと……」
 また顔を赤くして戸惑ったような、今更、迷っているような。
誰か意中の人を誘うとかそういった事情でもあるのだろうか。
それならきっかけが欲しいというのが彼にも理解できるのだが。
「まぁ、言いにくい事な……」
「あの、プロデューサーさん!」
「は、はい」
 いつもより一回りトーンの高いあずさの声に、彼の言葉は遮られた。
「あ、ええと……」
彼女も自分の声に驚いたようだった。気を落ちつけるように胸に手を置いてから、
「一度行ってみたい場所があるんですが……一緒に行って頂けませんか?」
「はぁ……まぁ、あとは事務所に戻るだけなので、構いませんよ」 

――まぁ……一人で来にくいというのも分からんではないか。
 目的地を聞いた彼はそんな感想を抱いた。
 ラジオ局から車を二十分程走らせ、二人が向かった場所は
毎年恒例のイルミネーションで飾られた並木道だった。この時期のこの場所は
カップルで溢れかえっており――ここをお目当てにわざわざやって来る人たちがいる為に、
気をつけていないと渋滞に巻き込まれる。普段の彼なら毒の一つも吐いていたのかもしれないが。
「きれいですね〜」
「そ、そうですね……」
さすがに今回はそんな考えは吹き飛んでいた。
なにしろ、今日の彼には隣に寄り添ってくれる人がいるのだから。
 彼とあずさは腕を組んで歩いていた。
彼の右側を歩くあずさ本人は多分――と言うか絶対――意識していないのだろうが、
胸が当たって、それが彼を妙に緊張させる。その感触に集中してしまうのも失礼な気がするし、
何より相手は自分のプロデュースするアイドルでもあるし……。
『その……腕を組んでもいいですか? こういう場所ですし、その方が目立たないかと……』
真っ赤な顔で問いかけた、あずさの声を聞いた瞬間が一番緊張していたようではあるが。
「やっぱり、思い切ってお願いして良かったです〜」
「えーっと……友美さんと一緒に来た事はないんですか?」
やっと状況に慣れた、あるいは把握できたのか。彼の受け答えもまともになってきた。
「友美は……あんな場所に女友達と行くのはいや〜って。ナンパがうるさいし、
一人で行くのも危ないからやめなさいって」
「ははっ、なるほど」
 良くできたお友達である。
「プロデューサーさんは……来たことはありますか……その、誰か……」
「ないですよ。むしろ、避けてました」
「え?どうしてですか?」
「人が多いのと、渋滞するのとで。あとはまぁ……一緒に来る様な誰かもいませんし」
 彼は苦笑を浮かべる。
「そうなんですか? プロデューサーさん、いい人なのに……」
「いい人は、いい人だって事ですかね」
「?」
 いい人は『良人』にはなれないそうだ。
「でも、これもある種のイベントですから、今日見に来られたのは良かったですよ」
「そうですか! もし迷惑だったらって思ってしまって……」
「だから、踏ん切りが必要だったんですか?」
「はい」
「そんなに遠慮しなくてもいいんですよ」
「でも、やっぱり……。特別な日、でしょう?」
「いつかはそういう風に思うかもしれないですね。いつになるかは知りませんが」
 やれやれといった風に左手を上げながら苦笑して見せる。
「ふふっ……あっ!」
「?」
「あ、あの……」
「いいですよ、どこへでも引きずって行って下さい」
「はい!」
 あずさは最高にご機嫌な表情で彼を引っ張る。そこには、
アクセサリーの飾られたショーウィンドーがあった。この時期特有の飾りつけがされたそれは、
とてもきらびやかで明るく見えた。 

「素敵です……」
「ですね」
 色とりどりの宝石、ネックレス、ブレスレットに指輪……。そして、
ショーウィンドーの明かりに照らされるあずさの横顔……。
 ぐぅううぅぅううぅ
 雰囲気をぶち壊す、あるいは期待を裏切らない彼の腹の虫。
「あら」
「ははっ……腹が減ってしまいました」
「もうこんな時間だったんですね〜」
 あずさは腕時計を見ながら呟いた。
「ですね。どうします?その辺で食べてもいいですし、事務所に戻っても……」
「うーん、どうしましょう……」
「歩きながら考えますか」
 来た道を戻りながら入れそうな店を物色し始めた。
飛び込みで入れそうな場所があるならよし、なければないで事務所に戻ってもいい。
「あ、あのお店、席が空いてそうですよ」
 あずさが指差したのはファーストフードの店だった。
「あのお店でいいです?」
「はい〜」
「んじゃ、行きましょうか」
 二人は早速その店へと入る。とりあえず席だけ取っておき、
カウンターでオーダーを済ませた。時期に合わせ、チキンも選ぶ。
クリスマスのディナーにしては安上がりに過ぎるかもしれないが、
この店はオーダーを取ってから作り始める。多少時間はかかるが、
その分味は上々。悪くはないと思えた。
 どちらかと言えば問題になりそうなのは座った場所だろう。よりによって空いていたのは
窓際の席。しかし、気にする人も少ないようなのでそのまま陣取りオーダーの到着を待つ。
「いいですね……皆さん、幸せそうな顔をしています……」
「そうですね」
 窓の向こうを通り過ぎる人たちは、家族連れも多かった。
 そんな中、あずさに気がついた小さな女の子が手を振り、あずさも手を振り返す。
穏やかな、暖かな時間が流れる。
 やがてハンバーガーが運ばれてきた。湯気を立ち上らせ、
焼きあがったばかりの肉からはじゅうじゅうと音が聞こえてきそうだ。
「いただきまーす」
 言うが早いか、彼はハンバーガーに齧りつく。
「ふふっ。いただきます」
あずさはそれを見届けてからチキンを口に運んだ。
 クリスマスと言う日が特別な誰かと過ごす日なら、
それが恋人であろうと家族であろうときっと同じ事なのだろう。
恐らく、プロデューサーとアイドルという関係も、また。
 ささやかな奇蹟を拾い上げる二人の時間は、そんな二人の日々は、まだまだ終わらない。 






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