ある日の事務所

作者

「ふんふんふんふふーん♪」
 春香は上機嫌で、今日のおやつ作りに取り組んでいた。
 今日はホットケーキ。育ち盛りが多いので、市販のものを二箱焼くつもりでいる。
なんだ、市販かと思うなかれ。春香マジックで、その味は一回りも二回りも変わる。
「ふんふふ・・・ん?」
 卵を取り出そうと、開けた冷蔵庫には・・・
「鶏肉・・・」
(・・・)
(・・・)
(・・・)

「おはようございます」
 業界流の挨拶と共に、千早がやってきた。鼻をいい香りがくすぐっていく。
「春香、今日のおやつは・・・親子丼?」
「え、えへへ・・・。鶏肉見たら、食べたくなっちゃって」
 既に亜美、真美、やよいがお世辞にもアイドルには見えない様子でがっついている。
「そ、そう・・・」
「千早おねーちゃんも食べようよ!おいしいよ!」
「おいしいよ!」
「そ、そうね。頂こうかしら」
 今日も事務所は賑やかだ。





 ダンスレッスンを終えた千早は、汗を拭いながらレッスンルームを出る。
事務所を横切って、簡易キッチンへと足を進める。
「あ、千早。水、買い足しといたから、飲んで良いよ」
「ありがとう、真」
丁度仕事に出かけるところだった真に声をかけられた。
 千早が冷蔵庫を開けると、そこには765プロ所属アイドルの好みの飲み物がずらずらと並んでいた。
 定番でスポーツドリンクはもちろん、水、果汁100%のオレンジジュース、緑茶・・・
(牛乳・・・)
 千早は、その一点に目が釘付けになる。そして、素早く辺りを見回した。誰もこちらは見ていない。
 文字通り、目にも留まらぬ速さでグラスに牛乳を注ぐ。手を腰に当て、目は真っ直ぐ前。
 ゴクゴクゴク・・・
 一気に飲み終えると、一息ついてまた辺りを・・・
「あら、千早ちゃん。おひげが生えてるわよ♪」
「あ、あずささん・・・」
「うふふ、ちゃんと洗っておいた方がいいわよ〜」
 言いながら、あずさは立ち去っていった。
 その後姿をいつまでも、いつまでも見つめる千早・・・

(・・・くっ)





 あずさは窓際で文庫本を読んでいた。
日差しも麗らかな昼下がり、これがオープンカフェなら道行く誰もが振り返っただろう。
「あー、やっぱりあずささんは素敵だなぁ」
 そんな様子を見ながら真は呟いた。
「そうですねー。私も将来、あんな女の人になりたいですー」
やよいも憧れの目であずさを見ている。
「あ、いっけない。もう行かないと。プロデューサーが待ってるよ!」
「は、はいー」
真とやよいは仕事のため事務所を後にした。

「たっだいまー。あ、あずささん、まだ本を読んでたんですね!」
「あら、おかえりなさい、真ちゃん、やよいちゃん。
そうねぇ、私、本を読むのもゆっくりだから〜」
「あ、でももうすぐ終わりそうじゃないですか。
読み終わったら、貸してください!
ボク、あずささんみたいになりたいから今から参考になるものはどんどん吸収したいんです!」
 真の言う通り、文庫本は残り五分の一程度を残すのみだった。
「そうねぇ、でもしばらくかかりそうよ?今日だって、一生懸命読んだけれど・・・」
ページを繰って数えてから、
「6ページがやっとだもの〜」
「え?えーっと・・・」
 真は時計を見上げた。自分たちが仕事に出てから、優に5時間は過ぎていた・・・
「え、えと。、いいですよ。あずささんのペースで、読み終わってからで・・・」
「そぉ?なんだか待たせちゃうみたいで悪いわね〜」

(こ、ここまでのマイペースは・・・見習わなくてもいいよね・・・)
 真はそんなことを思っていた。 


「よっ」
「ほっ」
「こんな感じかな?」
 真は、鏡の前でポーズレッスンの復習をしていた。
「うーん、どうもなぁ・・・」
 ふと、真美がとっていたポーズを思い出す。
「せくしぃぽ〜ず」
 その時の掛け声まで真似をしてみた。
「おっ!」
 なんとなく吹っ切れたのか、他のアイドルのグラビアで見たことのあるポーズもとってみる。
「お、おお!ボクも結構いい感じじゃない!」
「ん、んふ。次のポーズレッスンで、プロデューサーを悩殺しちゃおうかなぁ・・・」
 テンションが高くなったのか、次から次へと、手を変え品を変え、様々なポーズをとっている。
 と、不意に視線を感じた。
「あ、伊織!練習に来たの?」
「・・・真。」
「ん?どうしたの?」
「大丈夫だから!」
「え?」
「まだ10代だもの!まだまだこれからよ!」
「え、ええと・・・」
「絶対、努力は無駄にならないから!」
 何故か伊織は涙ぐんでいる。
「う、うん・・・そうだよね・・・」
「そ、それじゃ、私・・・」
「あれ?もう行くの?練習はいいの?」
「うん。今日はいいの。頑張ってね、挫けないでね、真!」
「う、うん・・・」
 足早に立ち去る伊織を、真は見送る。
「・・・な、なんか・・・うーん。納得いかないなぁ・・・」





「んー・・・痛っ」
 伊織は人差し指の先を見た。じわ〜っと、血が出てきている。
「うー・・・もうっ。何で上手くいかないのかしら・・・」
 なにやら熱心に裁縫をしているようだ。
「も、もうちょっと・・・できた!」
 伊織の手元では、やや不恰好だが可愛らしいリボンができあがっていた。
「ふふっ。待ってなさいねー。今付けてあげるからねー」
「はい!あら!やっぱりよく似合うわー」
「その生地はね、私のステージ衣装と同じ生地なのよ。
このリボンを付けてれば、一緒にステージにだって上がれるんだから。にひひっ♪」
 伊織は、いつも肌身離さずにいるパートナー・・・ウサギのぬいぐるみに向かって話しかけていた。
「ん、んふっ。嬉しい?そう!うん、素直が一番よねー」
「い、伊織ちゃん・・・」
 ビクッ!
 伊織は、椅子から30センチ程も飛び上がるほど驚いていた。
「や、やよい・・・」
「今、誰とお話してたですか・・・?」
「え、えーっと・・・」
 伊織の額には冷や汗が浮かんでいる。今まで、事務所の誰にもばれていない(はずの)秘密が・・・。
「も、もしかして・・・」
 やよいの瞳には怯えの色が浮かんでいる。
「み、見えない誰かとお話できるんですか!?」
「へ?」
 自分が想像した事の斜め上の言葉に、思わず間の抜けた返事になってしまう。
「こ、この間テレビでやってましたー・・・。い、伊織ちゃんもそういう人だったんですね・・・」
「ち、ちょっと待って、やよ」
「うわーーーん!怖いですー」
 やよいは、脱兎の如く逃げ出していた。
「え・・・えーっと・・・とりあえず・・・」
 こほん、と一つ咳払いをして
「待ちなさい、やよいーーー!」
 言い訳しつつ、なだめつつ、誤解を解くのに小一時間ほどかかったという・・・。





 やよいの前には、化粧道具が並べられていた。
 難しい顔をして、一つ一つ手に取っては、
「うっう〜・・・」
 と、言いつつまた元の位置に戻す。
(で、でも、アイドルになれたんだし、お化粧くらい自分でできないと・・・)
そうは思うものの、どうにも踏ん切りがつかないのか、手にとっては置き、を繰り返していた。
「やよいっち〜、なにしてるの→?」
 亜美が興味津々といった様子でやってきた。
「お化粧の練習をしようと思ってー。でも、なかなか勇気がでないのー」
「お化粧?かんたんだYO→!今から教えてあげるョ!」
「ほんと!亜美!よかったー」
 化粧を教われるのが嬉しいのか、とりあえず共犯が欲しかったのか
、やよいは心底ほっとしたような声をだしていた。
「まずねー、ここにこれを→」
「ええ!こんな濃い色で!」
「これがイケてるんじゃ→ん!そうだ!亜美もやるからオソロにしよ→」
「うん、しよーしよー」
 だんだんとノリにノッてきた二人は、湯水の如く化粧品を消費していく・・・。

「ぶ、ぶはっはっはっはー」
 およそ30分後、事務所に派手な笑い声が響き渡った。
「あ、律っちゃ→ん」
「律子さんだー」
「は、はぁ、はぁ・・・あーっはははははは」
「何がそんなにおかしいの?律っちゃん?
「うっう〜、何か変ですかー?」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
 やっと平静を取り戻した律子は、開口一番、
「アイドルがガングロメイクなんてするなーーー!」 


「うーーーーーーんっと」
 律子は、椅子の背もたれを利用して思いっきり伸びをした。
 既に3時間近くもデスクで作業をしていた為に、筋が強張っていた。
「律子さん、お疲れ様ですー」
 春香がカフェオレと、チョコレートを持ってきた。
「ああ、気をつけてね。その辺り、まだコードが出たままだから」
 今の事務所に引っ越してしばらく経つのだが、人手不足は昔のまま・・・
まだダンボールの中に入ったままの荷物もあるくらいなのだ。
最低限、業務に支障が出ないようにとパソコンの類は設置されているものの、
コードは床でとぐろを巻いたまま。
足でも引っ掛けようものなら貴重なデータがさようなら、というわけだ。
「大丈夫ですよぉ。私、何もないところでは転ぶけれど、何かあるところでは転ばないんです♪」
「いや、胸を張って言うことじゃないと思うけど・・・」
「でも、律子さんも大変ですよねー。アイドルと事務仕事の二足のわらじなんて・・・」
「もう慣れちゃったけどね」
 チョコレートを口に入れつつ、律子が答えた。
「雪歩にフリーアクセス加工頼んだんだけどなぁ・・・
ここの床、掘っちゃまずいみたいなのよね・・・」
「え、ええと・・・そうですか・・・」
 春香には、なんだかよく分からない言葉だったが適当に相槌を打ってみる。
「かといって、今更床を上げるのも・・・」
「ほら、真美ー。これ、これ!」
「うっわー、すごいね、これなら使えるね!」
「ああ、亜美も真美も気をつけてよ。その辺のコード、下手にいじると・・・」
「律っちゃ→ん、この紐借りてくね→」
「借りてくね→」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!亜美、真美!そんなに引っ張ったら・・・」
 ゴトンッ!
 何か、重いものが床に落ちる音・・・。
「あ・・・」
「あ、あぁ・・・」
「あれ?なんかまずいことしちゃったかな?」
「うーん・・・そうかも。律っちゃん凍ってるし・・・」
「あぁ・・・律子さんが・・・真っ白に、燃え尽きて・・・」
「真美、知ってるよ!律っちゃんの口から出てるあれ、えくとぷらずむってゆーんだよ!」

 結局、データ自体はバックアップのおかげで大きな損害にはならなかったが・・・
「パソコン一台分、余計な出費よ」
だ、そうである。 


「ぜーったい、ゆきぴょんだって!
「あずさおねぇちゃんだよ→!」
「あずさおねぇちゃんは、もうそういうの卒業してるって!」
「それを言うなら、ゆきぴょんはまだそういうお年頃じゃないよ→!」
 珍しく、亜美と真美が言い争っている。
「亜美ちゃん、真美ちゃん、どうしたの?」
「あ、ゆきぴょん!丁度いいところに!」
「ねぇゆきぴょん、どんなぱんつはいてるの→?」
「え、ええ!?」
「昨日読んだ、ママのつーはんざっしに、
せくし〜らんじぇり〜のとくしゅ→がのってたの!」
「でねでね、うちのジムショだったら誰がそういうのはいてそ→かな〜〜って!」
「え、えーっと・・・」
「そうだ!言いにくいなら見せてくれればいーYO!」
「そうだよね!ゆきぴょんスカートだし!」
 いいながら、既に亜美と真美の手は雪歩のスカートにかかっていた。
「ちょ、ちょっと待って、亜美ちゃん、まみちゃ・・・」
「ゆきぴょん、動いちゃだめー」
「すぐにすむから→!」
「そ、そうじゃなくて・・・うぅ」
 雪歩は必死の抵抗を試みているが、陥落は時間の問題に見えた。
「こら!亜美、真美!」
「あ、律っちゃーん♪」
 亜美の攻撃の手が緩んだ。
「何してるのよ、二人とも・・・」
「あのね、ゆきぴょんがどんなせくし〜らんじぇり〜はいてるか、
見せてもらおうとしてたの→♪」
「わ、私、せくし〜らんじぇり〜なんか・・・」
「亜美、真美。だからって無理矢理はやめなさい・・・」
「ううーん・・・あ、そうだ!ごーいのうえならいいんだよね!」
「そういう問題じゃなくて・・・って言うか、根本的に何か間違ってるし」
「ねー、ねー、ゆきぴょん、ぱんつみせて→」
 また、亜美と真美は雪歩にまとわり付き始めた。
「ふぅ・・・じゃあ、亜美と真美はどんなのはいてるの?」
「え」
「え」
 動きが止まった。
「そ、そんなのいくら律っちゃんでもいえないよ〜。ねー、真美」
「そうだよね、亜美」
 二人とも、顔を赤く染めている。
「でしょう?雪歩だって困ってるんだから、やめなさい」
「うー」
「うー」
 そして、綺麗なユニゾンで
「ゆきぴょん、ごめんなさーい」
「う、うん・・・。分かってくれれば、いいから・・・」
「あ、もうこんな時間!」
「春香おねぇちゃん探さないと!おやつの時間だYO!」
 あっという間に駆け出していってしまった・・・。
「まるで嵐ね」
「は、はいぃ・・・」
「雪歩」
「は、はい?」
「あのねぇ、いくら雪歩の気が弱いっていっても・・・」

 なし崩し的に始まった律子の説教から雪歩が開放されたのは30分ほど後のことだった。





「もうそろそろ帰ってくるかしら〜」
「そうですねー」
「買出しくらい、私が行っても良かったのにね〜」
「あ、で、でも・・・道に迷っちゃうと困るし・・・」
「あら。雪歩ちゃん、意外と厳しいお言葉ね♪」
「あ、わ、私そんなつもりじゃ・・・」
「うふふ」
「ふぅ〜、ただいま〜〜」
 出入り口の方から、プロデューサーの声がした。
「おかえりなさい〜」
「お、おかえりなさいー」
 雪歩は駆け出して、迎えに行く。
「あ、ゆきぴょん、そこ通っちゃだめー!」
「え?」
 次の瞬間、雪歩の足は何かに取られていた。そして、綺麗に足が跳ね上がる。
「きゃぁああぁぁあぁぁ!」
「雪歩!」
「雪歩ちゃん!」
「ゆきぴょ→ん!」

「い、いたたたあ・・・」
 雪歩はお尻をさすりながら、体を起こした。そして、自分に向けられている視線に気づく。
「わー、すごいよ亜美!だいせーこーだよ!」
「ほんとだ!こんなにちゃんとめくれるとは思ってなかったよ!」
「めくれる・・・?きゃああぁぁああぁぁ!」
 雪歩は、自分のスカートがしっかりとめくれ上がっていることに気づいた。そして・・・。
「あ、ああ・・・ぷ、ぷろでゅーさー・・・」
「い、いや、大丈夫!見えてない!」
「そうよ、雪歩ちゃん。お似合いの、かわいい下着だったから大丈夫♪」
「あ、あずささん、そうじゃなくて」
「う・・・うぅ・・・もうお嫁にいけないですぅーーー!」
「ちょ、ちょっと待て、雪歩!」
「にいちゃん、えっち→」
「なっ!元はといえばお前たちが」
「あら、プロデューサーさんはえっちな人だったんですか?」
「いや、あずささん、そういうことでは」
「あぁーん、お嫁にいけないですぅー!プロデューサーのばかー!」
「な、何で俺!雪歩、おちつ」
「今日も賑やかですね〜」
「亜美、もうこれ片付けよ♪」
「そうだね、真美♪」

 765プロは、今日も平和である。 





高木順一朗は、夕焼けに染まる部屋の中、窓際に立っていた。
 ブラインドに手を伸ばし・・・そして、そのブラインド越しに街を見つめる。
 左手にブランデーグラス。中には琥珀色の液体が入っている・・・。
それを一口、口に含むと・・・まるで懐かしいものでも見るように、また街を見つめた。
「社長、話しかけても・・・いいですか?」
「むっ!い、いつからそこに・・・」
「つい、さっきなんですが・・・」
「そ、そうか」
「一応勤務時間中に、お酒は・・・」
「これは、ウーロン茶だ」
「は、はぁ」
「ゴ、ゴホン・・・。さて、今日のりゅ」
「何を・・・されてたんですか?」
「む。いや、私の世代では、裕次郎がヒーローでな」
「それでですか・・・西向きの部屋が良いだの、
ブラインドは必要だの・・・。律子がぼやいてましたよ」
「そ、そうか」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「さ、さて、今日のりゅう」
「それじゃ、今日はもう上がりますので」
「そ、そうか。お疲れ様だったね。明日もよろしく頼むよ」
「はい。失礼します」

「・・・」

 高木順一朗はまた、窓の外を見つめた。

(南夢子・・・。裕次郎の魅力は、最近の若いものには分からんようだよ・・・) 



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