きっとこんな日も

作:名無し


「ふぅ……」

自室で一人、長い黒髪の女性が溜息をついていた。
彼女の名前は三浦あずさ。今をトキメクアイドル……のはず。
彼女の溜息の原因は目の前の一つの包み。彼女の両掌ほどの大きさのそれは、女性なら誰しも、一度は考えたことがあるだろう。
言わずもがなチョコレート。それも手作りだ。

そう。今日は2月14日、聖バレンタイン。
幸い、彼女の本日の仕事はオフ。オファーした仕事は昨日までに終了していた。
そして、溜息の理由。それはチョコレートを渡す相手に問題がある。

「プロデューサーさん……。忙しい、ですよね」

そう。日頃の感謝といつも迷惑を掛けている謝罪とそして……淡い恋心に囃され作ったのだ。
おっちょこちょい、というよりどこか間が抜けている彼女である。
チョコレートの本を片手に、四苦八苦している姿は想像に難しくない。

「でも…。渡さないのはもったいないですし。今からでも事務所にいきましょうか…」

時間は午後3時。
今日のプロデューサーは事務仕事だけだといっていた。
なら、仕事場である765プロダクションにいるはず。
そう思い、彼女は真っ白な生地と同色のファーがついた暖かそうなコートを着て、家を出た。
だが、十秒もしないうちに戻ってくる。

「チョコレート忘れちゃいました。まったく、私ったらだめですね…」

苦笑いと共に再び出発。……前途多難である。


        ■


さて、その頃の彼女のプロデューサーはといえば。
予定通り事務の仕事をせっせとこなしている。妙に熱い、仕事に打ち込む姿は大変そうだがどこか生き生きとしている。
彼は、自分がアイドルを育てていることに生甲斐に近いものを感じていた。

「………」

書類とパソコンと交互に睨めっこを繰り返すその姿から察するに、彼は今日が何の日か知らずにいるのだろう。
三浦あずさというアイドル候補生から担当を続けてきた彼女との仕事は、日を増すことに充実していく。
月日は一段と早く流れ、今日も仕事のせいで何の日か気にすることは無かった。

「お疲れ様」
「あ、ありがとうございます。小鳥さん」
「どういたしまして。それにしても災難だったわね。今日みたいな日に仕事なんて」

事務員である音無 小鳥に淹れて貰ったコーヒーを飲んで、彼は暫く思考をめぐらす。
だが、彼の脳内にバレンタイン、もしくはチョコレートという文字が浮かぶことは無かった。

「今日、何かありましたっけ?」
「え?バレンタインデーじゃない。もしかして忘れてたの?」
「…。えぇ、まぁ。最近忙しかったんで」

そう。あずささんはいまやトップに立つのも夢ではなく、月によってはトップと同じくらいの仕事をこなすこともある。
今日だって、彼女にとっては一ヶ月ぶりに朝から何も無い休日なのだ。

「あずささんから貰ってないの?」
「貰ってませんよ。朝からあってないですし…。それに、プロデューサーの俺なんかが貰ったらファンに殺されますよ」

正直に言えば欲しい。
誰からでもなく、彼女からと言うのは大きな魅力があった、
どこか、プロデューサーとしてではなく。人として、彼女に惹かれているのは事実である。
彼女の笑顔を見ていると心が和む。できれば、彼女には笑っていて欲しい。そう思う。
そして、できれば隣には自分が立っていたな、などとも。

「あら、残念だったわね。じゃあ私が上げましょう」
「え?いいんですか?」
「義理でよければね。社長にも上げたから、君だけ上げないのもかわいそうだし」

そういって小鳥さんは自分のバックを探し、そこから彼女の掌にも乗るような小さい箱を取り出した。
ターコイズブルーの包装紙と白いリボンで装飾された小さな箱。たしかに、義理といわれれば納得できる。

「今日駅前で売ってたのよ。本当はあずささんから貰いたいでしょうけど」
「いえいえ。コレでも嬉しいですよ。ありがとうございます」

丁度コーヒーもあることだし、早速と彼は包みを開けて小さな…
指先に乗るくらいの色とりどりのハート型のチョコレートの一つを口に放った。
甘い。なんだか甘いものを食べると幸せになれるんですよねー。あずささんの言ったその言葉を、彼は少しだけ理解した。 

自分のプロデューサーが自分以外からチョコレートを貰っていることをしらないあずさは……道に迷っていた。

「ここ…どこでしょうか。あ、なんだかあそこは見覚えがありますね。あれ?でもさっきも通ったような…」

道に迷う王道にはまっていた。さっき通ったのなら見覚えがあるのは当然である。
いや、あずさだって事務所に通うようになってもう何ヶ月も経つ。
最初は自宅から事務所でも迷ったが、いい加減道は覚えた。なぜ迷ったか、といえばいつも使っている道が工事中だったのである。
そんな中、「道に迷ったら電話してください。いつでも迎えに行きますから」プロデューサーが優しく言ってくれた姿が脳裏を過ぎる。

「すみません。また迷惑掛けちゃいます……あら?もしかして私…携帯置いてきちゃったんでしょうか…」

その通りだった。ちなみに、あずささんの携帯は自宅のテーブルにぽつんと置かれている。
服のポケットを全部探せど携帯電話は見つからない。

「どうしましょう…。私、このまま帰れないんじゃ…」

そうしたら益々迷惑を掛けることになってしまう。
彼女の顔が曇った。しかし、くよくよしたり下を向いていては何も変わらないのは今の仕事も何事も同じだと、また歩き出す。
財布はあるけれど、小銭が無い。これでは公衆電話も使えない。
焦る彼女の頭に、何かを買って小銭にするという考えは微塵も浮かばなかった……。

「プロデューサーさーん………」

コートから僅かにはみ出すチョコーレートの箱を握り、もう一度決意を固める。
なんとしても事務所に…彼がいるうちにあそこにたどり着くのだと。

「あっ……。ここも工事中ですかー」

果たして、彼女は無事にたどり着けるのだろうか。
なんせ彼女は自分のプロデューサーを呆れさせるほどの方向音痴っぷりであるゆえ。

方向音痴の典型として、勘で進む、来た道を戻らない、地図を見ても判らない、と三拍子そらったら目的地たどり着けるほうが珍しい。
いや、戻ってもその戻る道がまた違うのか……。


   ■
そんなことになっているとは露知らず、時間は過ぎていった。


気が付けば既に午後六時。定時にはまだ時間があったが、本日は書類が全て終わり次第帰ってよいとのことなので荷物をまとめた。
まだ仕事が残っているのか、小鳥さんはパソコンになにやら打ち込んでいる。

「お先に失礼しますね。チョコ、ありがとうございました」
「お疲れ様。チョコは三倍返しが基本よ」
「ははっ…。考えておきます」

外は既に暗くなり始めていた。
そして、未だ二月。まだこの時間は肌寒い。
自分が今済んでいるところはここから歩いて通える距離にある。
最初は車を使ってじゃないと遠い場所だったが、社長の手配で随分楽になった。

「ぅっ……。ひっうぅ……」
「ん?」

公園の近くで、誰かが泣いている様な嗚咽が聞こえた。
迷子でもいるのだろうか?流石にこんな時間にそれに気付いて放っておくのは、まずいよなぁ。
公園の中に入ると、ベンチに人影があった。自分の膝を抱えるように、その人影は座っている。
子供ではない。

「プロデューサーさん……。えぐっ。ひっく。プロ、デューサーさん……ぁう」
「もしかして……」

プロデューサさん。その声と呼ばれ方には覚えがある。いや、毎日の様に聞いている。
近づいてみると、シルエットはやがて色彩を帯びてきた。
そこにいたのは子供の様に泣きながら俺を呼び続ける……あずささんだった。

「あずささん?」

びくり、とその影が反応し、顔を上げてこっちを見る。
それはやはり、彼女だった。

「やっぱり、あずささんですね。どうしたんです?こんな時間にこんn―――うわっと!」
「プロデューサーさん!プロデューサーさーん!!」
「え、えっと。その、なにがあったのか判りませんけど……」

泣き縋り、抱きついてくるあずささんの頭を撫でてやった。 

しばらく……十分ほど泣いたあずささんが落ち着き始めたところで、二人でベンチに座る。

「それで、どうしたんです?また道に迷ったんですか?」
「はいー…。そのとおり、です」

項垂れるあずささん。
どうにもそんな表情まで可愛く見えてしまうのは、本人には内緒だ。

「でも、今日はオフですよね?あ、それとも散歩ですか?」
「いえ、事務所に行こうと思って…。あっ、そうだ。プロデューサーさんにプレゼントがあるんですー」

渡されたのは真赤な包装紙と藤色のリボンでラッピングされた箱。
これは、もしかして。

「チョコレート、ですか?」
「はいー。今日は、これを渡そうと思ったんです。私ったら、プロデューサーさんに迷惑掛けてばかりですからー」
「そんなことないですよ。それに、あずささんに迷惑を掛けられるのは満更でもないです」
「そ、そうですかー?なら安心ですー」
「だからって、迷子になるのは控えてくださいね。心配ですから」
「は、はい。気をつけますー」

とりあえずこの場であけるのもなんだからと。食べるのは家に帰ってからにした。
少し肌寒いけれど、あずささんが帰ろうとしないので俺もそれに付き合う。

「そういえば」
「はい?」
「いきなり抱きついてくるなんて。あずささんって意外と大胆なんですね」
「そ、それは!〜〜〜……わ、わすれてください〜……」
「いえいえ。そんなもったいない」
「もうっ。意地悪するプロデューサーさんにはチョコ上げません!」

ばっ、と普段のあずささんからは考えられないスピードでチョコを取り戻すあずささん。
俺はそれに反応できず、あっさり持っていかれてしまった。
すぐに取り戻そうとしない俺を見て、あずささんは少し悲しそうな顔をする。

「……。私みたいな人から貰ってもプロデューサーさんは嬉しくない、ですよね…」
「そんなことないですよ。ていうか、すごく欲しいです。
今日も、バレンタインって気付いたときあずささんからもらえたら嬉しいなって…」
「そ、そうですかー。なら、やっぱりあげちゃいますー。手作りなんですよ?」
「本当ですか?でも、これはファンの人たちに申し訳ないですね」

といいつつ笑顔で受け取る。
あずささんはそんな笑顔で安心したようだ。
たしかに、ファンの人には悪いと思うけど。欲しいものは欲しい。あずささんのチョコを俺は要らないとはいえなかった。

「さて。もう時間も時間ですし、また迷子になられても困りますから。送りますよ」
「いいんですかー?」
「はい。今日はもう暇ですし、明日は俺も休みですから」

明後日からはあずささん共々、再びの仕事の山だ。
休めるうちに休んでおくのは正しい選択と言えよう。

「それじゃあ、よろしくおねがいしますー。プロデューサーさん」
「任せてください。あずささん」

そうして、二人であずささんの家に向かった。
今日はバレンタイン。来月は三倍返し。そこで俺は、このチョコに感じた三倍以上の愛情を、彼女に伝えることになる。



「ところで、どうして泣きながら俺のことを?」
「そ、それは〜……。い、一番、安心できます。プロデューサーさんといると…。オーディションのときとかも…だから、です〜」


   了    

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