夢見る頃を過ぎても

作:となめし

 社長室に無機質な着信音が鳴り響いた。
あまり関心がないのか着信音は携帯内蔵音で、一昔前の黒電話のような音だった。
あまり深くない椅子にどっかりと座り、使い古されたデスクで書類に目を通している人物。
765プロの父であり、社長。高木順一郎は背広の内ポケットから携帯を取り出した。
携帯に興味がないのかと思えば、それには可愛いストラップがついていた。しかしこれははずせない。
事務所の双子アイドルからの贈り物であり、付けてないとうるさいのだ。
そして、そんな携帯のサブディスプレイには新着メール一件の文字。
差出人は古い馴染みで、最近事務所に出入りの多いあの敏腕記者を鍛え上げた人物。『大久保 光』からだった。高木とは年齢も近い。
彼からメールが来る事自体が稀であり、高木は、どうしたのかと思いながら携帯を開き本文を読んだ。
そして高木は目尻に少ししわを寄せて微笑んだ。
もう初老と言っても差し支えない年齢(本人はまだまだ現役のつもりだが……)の割に若々しい高木だったが、
目尻や口の端にしわが最近増えてきた。
さらに、これまた双子アイドルが以前そのことを的確に、しかし悪意なく指摘したため本人は最近かなり気にしているのだった。
そんな最近新しく発生したコンプレックスを気にするでもなく、

今日は仕事を早く切り上げることとしよう。

そう心に決め、手短に返信をし、再び書類に目を通し始めた。
しかし、その目は書類ではなく遠い過去を思い出しているかのように、セピア色に染まって見えた。



高木は音無小鳥に後の事を任せ、事務所を出た。
そして車で向かったのは都心部から離れた田舎町。片道一時間半ほどだろうか。
周りが山並みに覆われているほどの田舎町で、着いた頃には六時を回っていた。 

未だ肌寒いこの季節。空気は澄み渡り、しんと静まり返り、太陽は早々と姿を消すため頭上には星が瞬いている。

事務所から見える空と同じとは思えないな……

しばらく高木は夜空を眺めていた。
彼にとってこの雰囲気の全てが懐かしかった。

やはり変わらないものだね……

すぅ、はぁ、と深呼吸。
肺に、耳に、目に、身体に、余すとこなく『この場所』を刻み込む。
高木にとって『この場所』自体が大切な思い出の一つだから。忘れないように深く深く、息を吸い込んだ。



少しして、高木は目的地に到着した。
目の前には古ぼけた家屋が建っており、表札には大久保と銘打ってある。
それをちらりと確認した高木は玄関ではなく、真っすぐ庭へ歩いて行った。
すると、縁側に誰かが座っていた。その人物は高木に気付いたらしく、軽く手を挙げて
「やぁ、カギ」
と、にこやかに呼び掛けた。
高木もそれに倣って
「お待たせしたね、コウ君」
そう言って手を挙げた。
彼がメールの差出人の大久保光。 

「一年ぶりってところか?」
「そうだな、それくらいだ」
高木は彼の隣へ腰を下ろした。
「お、カギ、ちょっと皺増えたな」
「なにを、お互い様だろう」
「ま、俺はしょうがあるまい。気苦労の多い仕事なもんでな……」
軽く肩をすくめてため息をつく大久保。白い息が口から舞い上がり消えていく。
「気苦労が多いのは君ではなくて東奔西走している記者達だろう?」
「はは、俺はもう取材はしない立場になったからな……」
「私も直接のプロデュースはしない立場でね……」
そして今度は二人で肩をすくめてため息をつく。二人分の白い息が消えていく。

「「現場が恋しくなるよ」」

二人の言葉と気持ちが重なる。
しかし重なった言葉は気持ちだけじゃなく、昔からの二人の信念が未だ曲がっていないことの表れでもあった。

その昔、高木はプロデューサーを志し、今は強豪プロダクションの社長。
その昔、大久保は雑誌記者を志し、今は某一流アイドル雑誌の編集長。

「……やっとここまで、きたんだな」
「お互い目標は達成……なのかもしれないな」
しかし二人の表情には達成感も満足感も見られない。
「“あいつ”がいなくなってから、俺達がむしゃらに突っ走って来たもんな」
「ああ、あまり実感が沸かんな」

“あいつ”か…… 

と高木は心の中で呟いた。
その人物を思い出すだけで胸が熱くなり、若い頃の記憶が蘇る。

「本当はこうして三人で集まりたかったな」
大久保が少し明るい口調でそう言ったが
「叶わない願いだがな……」
と高木が変わらない口ぶりでそう告げた。
二人の間に沈黙が訪れる。 

高木も大久保も遠くを見つめたままなにも話さない。
しんと静まり返って物音一つしない夜空の下、二人は何を考えているのだろう……。

先に動いたのは大久保だった。懐から煙草を取り出し、ライターを擦った。
「煙草、まだ吸ってたのかね」
あぁ、と相槌を打ちながら大久保は煙を吐いた。
澄んだ空気に濁った煙が漂う。

『あ、環境汚染発見!』

高木はそんな声が聞こえてくるような気がして、口元が緩んでしまった。
“あいつ”と高木、大久保の三人でここに遊びに来たときの夜。
大久保が今のように澄み切った空気の下、煙草を吸った時の“あいつ”の言葉だ。
ちらりと大久保を見ると、彼もまた口元が綻んでいる。
「まるで昨日今日のことみたいだな」
「あぁ……死んでからもう何十年も経ったはずなんだがね」
「光陰矢の如し……か」
「だが、たくさんの思い出は……変わらないだろう?」
大久保が再び煙草をくわえて煙を吐く。しかし今度は、濁った煙よ、空まで届け。と言わんばかりに勢いよく噴き出した。
だがそれは当然空まで届く訳無く、澄み切った空気に染み込んでいく。その様を見守ってから懐かしむように言った。 

「……なぁ、カギ。覚えてるか?俺達の出会ったころ」
その質問に、高木は軽い微笑をたたえて再び肩をすくめた。

そんなの、もちろん。覚えてるに決まっているだろう?

そんな当たり前のことなど口にすることなく、高木は夜空を見上げた。それにつられたかのように大久保も顔を上げる。

“君”もこの満天の星の一つとなって、私たちを見守ってくれているのかい?今の私達を見たら、“君”は何て言うのだろう?

「なぁ、星華?」

高木が夜空へ向けてつぶやく。
大久保は二本目の煙草を取り出し、ライターを二度擦った。 

暗い夜の帳に小さな明かりが灯った。
そして二人の昔話が始まった。



笑わないでねと、もじもじしながら彼女は、「星華」は、
「……私、アイドル目指してるんだ」
自分の夢を恥ずかしそうに語った。
大学のキャンパスの中、高木と大久保は必死に笑いを堪えていた。
「あー、もう!やっぱり笑った!」
まるでぷんぷんという擬音がぴったり当てはまりそうな勢いで彼女は怒った。
「だってお前、いきなり……」
くっくっくっ、と大久保が堪え切れずに笑ってしまった。
「コウちゃんの嘘つき……」
星華が口を尖らせてうぅー、と唸り始めた。
「やっぱりカギに頼む!」
そう言って星華は高木に一枚の紙を渡した。
「なんだい?これは?」
と高木が聞くと、人差し指で頬を掻きながら
「夢への第一歩、かな」
と、はにかんだ。
高木は受け取った紙の内容を読み始めた。
まず最初に彼の目に入ったのは赤い文字で 
「合格……?」
「そ、合格よ、ご・う・か・く」
と嬉しそうに星華は言う。
「カギ、こいつ何に合格したんだ?」
大久保が高木の肩越しに用紙を覗き見てきたので、高木は内容を声にだした。
「あなたが一次審査を見事通過したことをお知らせします……二次審査での健闘を楽しみにしております……」
そして最後には某プロダクションの文字が踊っていた。
「星華、君はもしかして……」
今度はにっこりと笑って 
「うん、だから夢への第一歩」
ブイサインを高木と大久保の前に突き出した。 

「おいおい、ホントかよ?」
大久保が高木から合格通知を引ったくり、目を皿にして読み直した。まじだよ……彼がそう言うと、今度は星華が用紙を掠め取った。
「一応、本気なんだよ?」
星華の真面目な顔に、二人はさっき笑ってしまった事への罪悪感が募った。
「あ、それでね、カギに頼みたいこと何だけど……」
「手伝えることがあるなら何でも言ってくれて構わないよ」
「さっすがカギ!じゃ、早速……」
そして星華は、はい、と通知とは違う用紙を高木に渡した。
「二次審査から付き人みたいな人が必要なんだって」
高木が用紙を黙読しながら星華の説明を聞く。
つまり私にその役を頼みたいってことか、と高木は納得した。
「あー……そのオーディションの日、最初から俺無理だわ」
大久保の発言に星華がきょとんとする。
「万年暇なコウちゃんに用事があるなんて……」
「う、否定はできないが……言うなれば俺もその日は夢への第一歩ってやつだな」
少し自慢げな大久保に、高木が思い出したと言わんばかりに、あぁ、そうかと言う。
「今度はどこなんだい?」
高木が聞くと、大久保の口から誰もが知っている会社の名前がが出て来た。 

「あ、私そこで出してる雑誌買ってるよ」
「そうか……見てろ、いつかその雑誌に記事を載せてみせるからな」
へへ、と鼻をこする大久保。そう、彼は記者を志している。二人は現在、夢へのレールを走っているのだ。

そんな二人が高木はどこか眩しかった。自分にはない情熱を持ち、目標へ向かって走っているその姿。見ているだけで応援したくなる。
しかし、応援すればするほど二人は遠くへ、夢へ向かって速度を上げる。
高木はいつかそんな二人に置いていかれるのではないか、という焦燥感を感じていた。
しかし、それは頑張ればどうなるという問題ではない。だから高木は焦っていたのだ。
夢のない、自分に。一歩踏み出したいのに、そこには足場がないという事実に。



「カギ、緊張してきた……」
二次審査のステージ袖で、星華は顔が強張っていた。高木は無理もないと思った。
二次からは本格的なステージでの演技になる。彼はいつもとは違う星華に何と声をかけたものか……などと考えていた。
しかし、すぐに審査員から星華の順番を知らせる声がした。
「……行ってくるね、カギ」
強張った顔でそう言って、スポットライトの下に向かう星華。
その顔を見ていた高木は思わず
「せ、星華!」
と呼び止めてしまった。
高木の方に首だけで振り向く星華。
しかし、高木は気の利いた一言など言えるわけでもなく

「が、がんばれ!」

としか、咄嗟に言えなかった。 

しかしそれを受けた星華は、きょとんとした後、ぷっと吹き出した。
そして唇だけで高木に話しかける。

ア・リ・ガ・ト・ウ

その顔にさっきのような緊張感はなく、逆にリラックス出来たかのようだった。高木はほっと一息ついた。
そして星華の審査が始まった。

「ありがとう……か」
と、今の星華の笑顔と言葉を反芻する。
その言葉は高木に「何か」を与えていた。しかし彼には、その「何か」の正体はわからなかった。
そして、彼がふとステージに視線を動かした。

高木の視界には、

一体どれほど練習したのか彼にはわからない程のキレのあるダンスを踊る星華が、

何度も何度も、飽きる程歌いこまれているだろう歌を歌う星華が、

いつも以上に輝く笑顔の星華が、

「アイドル」の星華が、そこに存在していた。

その存在は高木が持て余していた何かの正体に輪郭を与え、豊かな色彩すらも与えた。

そして高木は想う。 
彼女の支えになりたい。
彼女の力になりたい。
彼女と共に歩んでいきたい。
彼女の笑顔をもっと輝かせたい。


あぁ、ティンと来た! 


そして、星華が審査を終えてステージ袖に戻ってくると、高木は労いの言葉をかけるでもなくこう言った。

「私を君のプロデューサーにしてくれ」

これが高木もまた、大久保や星華のように夢への第一歩を踏み出した瞬間。

そう、それは七月六日午後五時の出来事だった。 


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