ドロップス

作:名無し

「うさちゃん…、やっちゃった……。」

 事務所のロッカールームの片隅で、水瀬伊織はベンチに腰を降ろしたまま、
ぬいぐるみを相手に独り言を呟いていた。
いつもは勝ち気で、誰に対しても物怖じしない彼女が、こうも落ち込む理由とは。
それは数時間前のオーディション会場に遡る……。

「よしっ!伊織、上出来だったぞ!!」
「ちょっと!いったい誰に向かって言ってるわけ!?
まぁ今回は、アンタの指示もそこそこ的を射てたしね。こんなもんじゃない!?ニヒヒ♪」

 ステージで歌い終えた後、プロデューサーの差し出すタオルで汗を拭きつつ、伊織はいつもの如く
憎まれ口を叩いていた。
もっとも伊織本人はたいして悪気は無く、プロデューサーもこんな物言いには慣れっこで
むしろ、調子の良し悪しのバロメーター程度にしか思っていない。
傍目にはともかく、2人にとっては、ごく普通の会話だった。 


 今回のオーディションも先ほどの会話の通り、プロデューサーの指示と、伊織の歌とダンス、
その両方の歯車がうまくかみ合い、審査員たちに充分アピール出来たと思っていた。
……しかし……。


「ムキ〜〜ッ!!何でよ!信じられな〜い!!」

 帰りのクルマの中で、伊織はプロデューサーに八つ当たりしていた。
合格間違い無しと思っていた2人の前に、思いも寄らぬ伏兵が現れたのだ。
それは、以前とは比べものにならないほどの歌唱力と表現力を身につけた、とあるアイドルの出現だった。

 いわゆる“化ける”というやつだろう。
実際、絶好調の伊織と甲乙付けがたく、僅差で伊織の方が優っていたのだが、その急激な変わりようは、
審査員たちにそれ以上のインパクトを与え、結果、オーディション合格を彼女に掠われたのだった。 


「まぁまぁ、落ち着けって。たまには、こんな日もあるさ。」
「落ち着けって…。アンタ!悔しくないの!?私の方があのコより上手かったのに!
なんで、審査員は…。」
「そりゃオレだって悔しいさ。でもなぁ…。」
「でもって、何よ!こっちは真剣勝負なのよ!!指図するだけのアンタなんかより…」

「伊織!」

 それまで、ノラリクラリと受け流していたプロデューサーが、突然出した大声に、
伊織は一瞬声を詰まらせた。

「今日は伊織の出来も完璧だったし、いつもなら合格間違いなしの出来だったのは認める。
しかし、オレたちが落選した。その理由は1つ。相手がオレたちを上回る、それ以上の出来だったって事だ。」
「そ…それは……。でも、まだ私の方が……。」
「まだ自分の方が、歌もダンスも優っていたのにって言いたいんだろう。けど、今回のインパクトは、
あっちの方が上回っていたぞ。」
「そんなの最初だけじゃない!私が言いたいのは、公平な審査を……。」

「もうよせ!今は何を言っても、言い訳にしか聞こえない。」
「言い訳ですって!アンタまであっちの肩を持つの!?私は事実を言っているだけよ!」
「いいかげんにしろ!見苦しい真似はよせ!!」
「!!!………。」

 プロデューサーの、このひと言を境にお互い何も喋らなくなり、クルマの中は重い沈黙に包まれた。
やがてクルマは、765プロの駐車場へと滑り込み、そこでようやく沈黙が破られたのだった。

「伊織、さっきの続きだけどな。オレたちは……」
「もういいわ…。それより、シャワー浴びたい…。」
「そうか…。この後、雑誌の取材が入ってるが、シャワーを浴びる時間くらいあるだろう。」
「そう……。じゃあ、そうさせてもらうわ。」

 こうして、伊織はプロデューサーと別れ、ロッカールームへと、やって来たのだった。 


「うさちゃん……私、間違ってないよね…。絶対実力じゃないよね。」

 再びポツリと呟いた言葉…。それは伊織がアイドルを目指すきっかけとなったものに起因する言葉だった。
思えば、物心がついてからずっと、伊織には、ある言葉が付いて回っていた。
何かを上手にこなしても、逆に失敗しても、自分自身への評価の前に“水瀬”という言葉が付いて回る。
それは言い換えれば、父親の影響力そのものとも言えた。
最初はただの疑問だけだった。やがてそれをフェアではないと感じ始めた伊織は、
水瀬家という自身以外の力に頼らず、実力で自分の存在を知らしめたいと考え、
その手段として、アイドルの道を選んだのだった。

 しかし、今回の本当の理由は他にあった。クルマの中で、最後に言われた言葉。

“見苦しい真似はよせ!”

 今まで通り、自分の八つ当たりを、受け止めないまでもスルリと躱していてくれれば、それでよかった。
しかし、今回のように、真っ向から否定された途端、何も言い返せなくなってしまった。
それは伊織が今まで築いてきた、プロデューサーへの信頼を揺るがすには、充分なひと言だった。 


「あれ〜!?伊織ちゃん、いたんだ〜。」

 突然掛けられた声に顔を上げると、そこにはニコニコと笑う高槻やよいの姿があった。

「伊織ちゃんも、今日はもう、おしまいなの?」
「う、ううん。これから雑誌の取材。」
「そうなんだ〜。いいな〜伊織ちゃんは売れっ子で。でも、どうしたの?こんなところに座って。」
「う、うん。ちょっと疲れただけよ。」
「ふ〜ん…。あっ、そうだ!いいものがあるんだよ!」

 そう言うと、やよいは自分のロッカーを開け、中から何かを取り出した。
やよいの手の中でカラカラと音をたてるそれは、四角い缶に入ったドロップだった。

「ハイ!伊織ちゃん。疲れた時は、甘い物がいいんだって。」

 やよいの差し出す缶から、伊織の手のひらにコロリと飛び出す小さなドロップ。
同じように、やよいもドロップを1つ手のひらに乗せると、そのまま伊織のとなりに座り、それを口の中に入れた。 


「あ、ありがとう。でも、珍しいわね。今時缶入りドロップなんて。」
「そうかなぁ?でも私、缶入りドロップって大好き!
中身が見えないから、何が出て来るかな?ってワクワクしちゃうでしょ!」
「そ、そうなの?」
「うん!プロデューサーに話したら、『オレもそうだった!』って言ってね、
今日の帰りに、買ってもらっちゃった。エヘヘ…。」

(プロデューサー。)

 そのひと言に、ドキッとする伊織。するとなぜか、プロデューサーの顔が思い浮かんで来たのだった。

「で、でも、中身が見えないんじゃ、欲しくないのも出てきちゃうんじゃない!?」

 伊織は、プロデューサーを思い浮かべた事にドギマギしながら、つい、そんな事を口走ってしまった。 

ってしまった。

「欲しくないもの?う〜ん、私、前はハッカ味が苦手だったの…。」
「で、でしょう!そんな時はどうするの?捨てちゃう?それとも、食べずに缶の中に戻して
もう1回やり直しちゃう!?」
「う〜ん…やっぱり、そうなったらそのまま食べちゃうかな。だって、そうやって後回しにしちゃったら
最後はハッカ味だけになっちゃうもん。」
「そう!?でも、苦手なんでしょ?」
「うん…それはそうなんだけど、やっぱり………。」
「やっぱり!?」

「もったいないから!!エヘヘ……。」

 そのいかにも、やよいらしいひと言を聞いた途端、伊織は思わず吹き出してしまった。

「プッ!あ、あんたはもう!!ア、アハ、アハハハ!!」
「も、もう!伊織ちゃんってば!」

 いきなり笑い出した伊織を前に、プクッと頬を膨らますやよい。
その顔を見た伊織は、ますます可笑しくなり、そのまましばらく笑い転げていた。 


「アハハ……、あ〜、可笑しかった。」
「もう…だけどね、そうやってたら、いい事もあったんだよ。」
「へぇ〜、何なの?」
「うん!最初はガマンして食べてたハッカ味も、段々おいしく感じるようになっちゃって、
今は、この缶の中身全部、何が出て来てもワクワク出来るんだよ!」

(ワクワク!!)

 その言葉を聞き、伊織は最後まで引っかかっていた何かを理解する事が出来た。

(そうよ!ライバルを認められずに、ウダウダ言うなんて、私らしくなかったわ。
せっかくのライバルに、ワクワクせずに、ビビッてグダグダ言うなんて
ホント、見苦しいったらありゃしない!)

「そっか!それもありだよね。やよい、ありがとう。何だかスッキリしたわ。
じゃあ私、これからお仕事してくるから!」

 そう言うと、伊織はロッカールームから駈け出して行った。
1人残されたやよいは、ニコニコしながら、こう呟いた。

「スッキリかぁ。あれ?伊織ちゃんのドロップ、ハッカ味だったっけ?」 


 伊織が廊下に飛び出すと、その先にはこちらを見つめるプロデューサーの姿があった。

「伊織……。」
「アンタね……。この私を見苦しいなんて、よくも言えたもんね。アンタ…すっごくムカツクわ!
でも……1番ムカツクのは、ライバルにビビってた、この私かもね…。」

「伊織…お前……。」
「見てなさい!次にあのコに会ったら、格の違いを見せつけて、誰にも文句を言わせない
ブッチギリで合格してやるんだから!」

「そうか……よく言った。それでこそ、オレの伊織だ!」

(オ…オレ……、オレの伊織!?)

「どうした!?急に立ち止まって。顔も赤いようだけど…。」
「ウ…ウルサイ!もぅ、バカ!バカバカ!!」
「な、何だ?どうした!?」

 こうして、今回の一件は無事(?)幕を閉じた。
ちなみに、この直後の雑誌の取材については………ご想像にお任せしよう。

おしまい 











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