優しすぎる君だから

作:ばてぃ@鬼

 ヴーン・・・ヴーン・・・

携帯が鳴っている。
夕飯を食べ終えてくつろいでいた俺はそれを面倒くさそうに手に取る。
携帯を開き、その液晶画面を見るとそこには「高槻やよい」の表示が小さく表示されていた。
左下には新規メール着信を知らせるアイコンも表示されている。
俺はそのアイコンをクリックし、メールを読み始めた。
そしていつものように返事を返す。
事務所の経費でやよいに携帯を買ってやってからやよいは毎日俺にメールを送ってきていた。
メールを送信し終えると俺は携帯を閉じ、椅子に寄りかかって天井を見上げた。

「ふぅー・・・。」

一日の疲れがあふれ出すように出てくるため息。
そうあれは数日前のこと・・・。


「本当ですか!?」

やよいは目を丸くして俺に聞き返してきた。
その声の大きさに俺は少々たじろいだ。

「本当だよ。今度社長と話し合って、やよいにも携帯を持ってもらうことになった。」

やよいはやっと中堅ランクのアイドルとして世間に認められるようになった。
そろそろ仕事も一気に増えてくるだろうし、
何より本人とすぐに連絡が取れないというのは事務所としても困る部分が多々あったし。
携帯は一応俺の名義となるが、発生した料金は事務所持ちとなる。

「それで、今日はレッスンを中止して携帯を買いに行く。もちろん来るよな?」

やよいは無言でただひたすら頷いていた。
それはまるで餌を探す啄木鳥のように。

「よし。じゃあこのパンフレットから好きなのを選んでくれ。」

俺はそう言うと机の上に置いてあった携帯のパンフレットをやよいに差し出した。
やよいはそれを恐る恐る受け取るとじっと見つめた。

「おいおい、携帯がそんなに珍しいか?」

俺は首をかしげながら聞いた。

「いえ、伊織ちゃんや真さんのを見たことはあります。
 でも・・・まさか私が携帯を持つことができるなんて・・・嬉しいですっ!」

やよいは目を潤ませながらとても嬉しそうにそう答えた。
無理も無い。
やよいの家は一日一日を生きていくので精一杯なのだから。
携帯を持たせる余裕なんてないだろうし・・・。

「どれにしようかなぁ・・・?あ、このピンクのやつかわいいなぁ〜♪
 あ、でもでもやっぱりこっちの熊さんの絵が描いてあるほうが・・・はわわわ、どうしよ〜。」

幸せそうな悲鳴を上げながらパンフレットを隅々まで見ているやよいを見ると、
俺は自然に笑顔になった。

「このままじゃ当分決まりそうにもないな・・・はは・・・。」

結局やよいは午前中いっぱい悩みに悩んだ。 



お昼過ぎ、まだ昼飯を食べてない俺とやよいは携帯ショップへと向かっていた。
冬場だというのに今日は暖かい日差しに照らされてぽかぽかと良い陽気だ。

ぐぎゅるるるる〜・・・

ふいに俺のお腹の音が鳴った。
するとその音を聞いてやよいは申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい、プロデューサー・・・。
もっと早く携帯決めていれば今頃はお昼食べてましたよね・・・。」
「あはは、聞こえちゃったか。やよいのせいじゃないから心配するなって。
 それに今朝は寝坊して・・・朝ごはんも食べ損なっちゃったからな。」

俺は苦笑いを浮かべた。

「朝ごはんはきっちり食べないとだめですよっ!!ちゃんと食べないと元気出ませんよ?」

やよいは怒ったような顔で俺の顔を見つめてきた。
俺は目をそらしつつこう言った。

「ごめんよ・・・。昨日は夜遅くまで事務所にいたからさ。」

本当は夜中まで新作のゲームをやっていたなんてやよいが知ったら・・・
もっと怒るだろうな。
やよいはうちの事務所の中では秋月律子に続いて体調管理、及び健康には厳しい。
前に「アイドルは体と元気が資本ですっ!」とか言いながら
同僚のアイドルだけじゃなく社員にもマムシドリンクを配っていたことがあった。
それを飲んだ萩原雪歩が鼻血出して大騒ぎになったっけ。
気の効く良い子なんだが、どこかそそっかしいというか危なっかしいというか。
そんなことを考えつつ視線をやよいに戻した。
やよいは今度もまた申し訳なさそうな顔で言った。

「そうだったんですか・・・。ごめんなさい、私の・・・せいですよね?」
「やよいがトップアイドルになるまで面倒を見るのが俺の役目だからな。しょうがないさ。
 それにこんなこと今に始まったわけじゃないし、心配するなって。」
「う〜・・・で、でもぉ〜。」

俺はやよいの頭を軽くぽんぽん叩いた。

「じゃあ早くトップアイドルになって俺を楽させてくれよ。な?」

そう言うとやよいはとびっきりの笑顔に戻った。

「は〜い!頑張りま〜っす!」

そうこうしているうちに携帯ショップの前までたどり着いた。
俺はやよいと一緒に中に入った。
やよいは店の中をキョロキョロ見渡している。
何もかもが新鮮なのだからなのだから無理も無い。

「いらっしゃいませ〜。本日はどのようなご用件でしょうか?」

カウンター越しに女性の店員さんが話しかけてきた。

「あ、今日は新規の契約で来ました。」
「はい、承りますのでこちらへどうぞ。」

俺は店員さんに促されるまま椅子に腰掛けた。
やよいもつられて俺の隣にちょこんと腰掛ける。

「それでは今日お買い上げになる携帯電話の種類はもうお決まりでしょうか?」

店員さんは俺がやよいに渡したのと同じパンフレットを目の前に広げてくれた。

「やよい・・・どれに決めたんだ?」
「えっと・・・あ、これですっ!」

やよいが指差したのは薄いオレンジ色の携帯だった。
他の物より若干小ぢんまりとしていて、いかにも女の子が好きそうな物だ。

「こちらの機種になると三件しか登録できないタイプになりますが、よろしいですか?」
「え?そうなんですか?」

俺は驚いてパンフレットを手に取った。
携帯の特徴のところに三件のみ登録可能と書いてある。
どうりで他の携帯より安いわけだ・・・。
更に詳しい説明文を読むとそこにはこう書いてあった。
”携帯電話を取り扱うのが苦手なお年寄り向け。
登録してあるところにワンタッチで通話可能♪”・・・と。
俺はパンフレットで口を隠しつつやよいに小声で聞いた。

「おい、やよい・・・本当にこれで良いのか?三件しか登録できないんだぞ?」
「はい、これで大丈夫ですっ♪」

その自信溢れる表情の根拠は一体なんなんだ・・・。 



「まぁ、やよいがそう言うなら仕方ない・・・か。じゃあこれでお願いします。」
「はい、かしこまりました。では商品の方をお持ちいたしますので、
こちらの書類に必要事項をお書きいただけますでしょうか?」

俺は目の前に出された書類に一つ一つ丁寧に書き込んでいく。
やよいはその様子を隣で嬉しそうに眺めている。
全ての欄に書き込み終わった頃、
店員さんは注文した携帯電話と周辺機器一式を袋に入れて持ってきた。
それをやよいの目の前に置くと書類を手に取り確認を始めた。
やよいは待ちきれない様子で袋の中を覗いている。
そして店員さんは小さく頷くとこう言った。

「では最後にこちらにハンコと、
あと保険証等お客様の生年月日等を証明できるものはございますか?」

俺はおもむろにバッグからハンコと保険証を取り出した。
保険証を店員さんにわたし、書類にハンコを押す。
店員さんは保険証と書類に違いがないか確認すると保険証を返してきた。
俺はそれを受け取ると現金を渡し、領収書を受け取った。

「ではこちらが領収書になりますね。
書類にも不備はありませんのでこれで契約完了となります。
 本日はありがとうございました。」

そう言うと店員さんは深々と頭を下げた。
俺も頭を軽く下げると、やよいも一緒になって頭を下げた。

「よし、じゃあ事務所に戻ろうか。」
「はいっ!」

やよいは嬉しそうに袋を手に取ると勢い良く席を立った。

帰りの道で俺はやよいに訪ねた。

「なぁやよい、なんでその携帯にしたんだ?
三件しか登録できないなら友達にも連絡できないだろ?」
「学校の友達は・・・あんまり遊んだりしないです。」

やよいは少し寂しそうな表情をみせた。

「それに家と事務所と、あとプロデューサーに連絡が取れれば良いかなって!」

やよいはにっこり笑って嬉しそうに携帯を手に取った。
変なことを聞いてしまったかと思ったが、その笑顔に俺は救われた気がした。

「そうか、大事にしろよ?」
「はいっ!」

ぐぎゅるるる〜・・・

また俺のお腹が鳴った・・・わけではなく、今度はやよいのお腹が鳴った。
やよいは照れくさそうにちょろっと舌を出す。

「えへへへっ!お腹すいちゃいましたっ。」
「あはははっ!」

その仕草がたまらなくかわいくて面白くて俺は思わず笑ってしまった。

「じゃあどこかでお昼ご飯でも食べていこうか。俺がおごるからさ。」
「えっ?良いんですか?・・・じゃあお言葉に甘えますっ♪」

やよいはまた嬉しそうに笑った。


ヴーン・・・ヴーン・・・

また再び鳴り出した携帯の音で俺は現実に引き戻された。
携帯を開くとまたやよいからのメールだった。
俺は嬉しさで目を細くしてメールを読んだ。
そこには今日弟と野球をやったこと、晩御飯が肉じゃがだったこと、
俺が何を食べたのか質問する内容が書かれてあった。
やよいとメールすること。
それは俺にとって唯一現実を忘れることのできる時間だった。 







日に日に寒さが厳しくなる。
俺はいつもの黒いコートを羽織り、首にマフラーを巻いて出勤した。
事務所の最寄り駅に降り立ち、仕事へと向かう人の波にもまれながら改札を出る。

「失礼ですが、高槻やよいさんのプロデューサーさんですか?」

俺はその声に反応して振り返った。
そこには細身で背の高い見知らぬ男が立っていた。
俺と似たような黒のコートを羽織り、
そのポケットに右手を突っ込み左手には黒い鞄を持っている。
そして眼鏡の向こうの瞳から、こちらをまるで品定めするように見ている。


「・・・どちらさまですか?どこかでお会いしましたっけ?」

俺は顔をしかめながらたずねた。
相手は微笑みを浮かべて答えた。

「以前オーディション会場で見かけましてね。」

その笑顔はどこか薄気味悪いものを感じさせた。

「申し送れました、私こういう者です。」

その男はそう言いながら名刺を差し出してきた。
俺はそれを受け取ると名前を確認した。
その名刺には「電脳プロダクション 真最強」と書いてあった。
その脇には事務所の電話番号も書いてある。
俺は驚いた。

「まさかあの・・・真最強プロデューサーですか?」

この業界で知らない人はいないとまで言われる、
まさにアイドルマスターの称号がふさわしいプロデューサーだ。
出るオーディションで連戦連勝。
彼のユニットと不運にもオーディションにて対戦してしまったアイドル達は
次々にこの業界から姿を消していってしまう。
またその裏では才能あるアイドルの卵を集めては、
気に入らない者を次々と切り捨てる残虐かつ冷酷な人だという噂もある。

「これはこれは・・・自己紹介の必要もなさそうですね。」
「それで・・・何の用ですか?」

俺がそう言うと彼は薄笑いをやめ、急に真剣な表情になった。
その細い目の間から見つめる瞳は冷酷で、俺はその迫力に気圧された。
そして彼は淡々と話し出した。

「実は・・・今回訪ねてきたのは理由がありまして。
そう、今あなたがプロデュースしている高槻やよい君。
 彼女を偶然テレビ見かけましてね。そこでビビッ・・・と感じたのですよ。
 そう、トップアイドルとしての才能をね。」

俺は嫌な予感がした。
冬だというのに背中を冷や汗が流れる。

「そこで直接プロデューサーであるあなたの元へとわざわざ出向いてきたのです。
 率直に言いましょう。高槻やよいを私に譲ってほしい。」

嫌な予感は見事に的中した。
彼は俺を試すような、半分見下すような表情でこちらを見ている。
俺は一呼吸置いて自分を落ち着かせた。
そして自分の今思っていることを素直に言葉に表した。

「それはできません。彼女は俺が一から大切に育て上げようと考えているアイドルです。
 途中で投げ出して他人に譲るなんて・・・そんなことはできない。」
「ふ〜む・・・。」

彼は顎に手を当てて、まるで俺の返事を予想していたかのように落ち着いた態度を取っている。

「あなたの考えはわかりました・・・が、当の本人の気持ちはどうなのでしょうかね?」
「・・・。」
「こちらでも色々と調べさせていただきましたよ。
彼女の家庭環境、事務所における待遇等をこと細かくね。」

彼はそう言うと黒い鞄から大きな茶色い封筒を取り出した。 



「まさか・・・やよいのことを興信所を使って調べたのか?!」
「まぁ多少卑怯な手だとは思いましたが・・・。彼女、実に家庭環境が面白い。
 定職につかない父親と下に四人の弟と妹。その日その日暮らしがやっとということらしいが。」
「・・・何が言いたい?」

彼は封筒を再び鞄の中に戻した。

「彼女への契約金としてすでに一千万用意してある。
そしてその後の金銭面に対してもこちらは十分にケアする用意が整っている。
 彼女のことを思うのであれば・・・プロデューサーとして何をすべきかな?」

確かに今うちの事務所ではやよいの生活が楽になるほどの給料は出してやれていない。
事務所としても彼女を支えてやりたいのだが、
いかんせん経営が軌道に乗っていない今では今以上の給料を払うことができない。
やよいはトップアイドルを目指すのと同様に家族の幸せを第一に願っている。
常日頃よりやよいの貧困ぶりを見てきた俺にとって、
もし俺がやよいの立場で目の前に契約金一千万をぶら下げられたら・・・。

俺は現実をまざまざと見せ付けられた気がした。
悔しくて悔しくて拳をぎゅっと握り締めた。

「・・・何も返事が無いのはOKと受け取って良いのかな?」

彼はしてやったりという表情でそう言い放った。
俺は冷静を装いゆっくりと言った。

「一度・・・やよいと話をしてみます。」

彼は満足げに頷いた。

「まぁ結果は目に見えてわかると思いますけどね。では吉報を期待してますよ。」

そう言うと彼はくるりと背を向けて駅の中へと消えていった。
俺はその背中を見ることができなかった。





「おっはようございま〜す、プロデューサー♪」

午前のレッスンを行うためにやよいは事務所へとやってきて、
俺の顔を見るなりいつもの挨拶を行った。
その表情は純粋無垢で、いつもと変わらぬ愛くるしい笑顔をふりまいている。

「あぁ・・・おはよう、やよい。」

いつもと違う俺の雰囲気を察知したのか、やよいは心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

「プロデューサー元気ないですぅ。大丈夫ですかぁ?」

やよいの綺麗な瞳が俺を見つめてくる。
俺は視線をそらすと適当に答えた。

「あ、あぁ大丈夫だよ。心配しないでくれ。」
「んぅー、でもぉー・・・。」
「本当に大丈夫だから。な?」

俺はやよいの頭を優しく撫でた。

「わかりましたぁ・・・。」

やよいは渋々納得したようだが、まだその表情は不満そうだ。

「じゃあレッスンを行うから着替えておいで。」
「はーいっ!」

やよいは元気よく返事をするとロッカー室へと足早に向かった。
俺はその後姿を見て一つため息をついた。
今朝のことをやよいに話すべきか否か・・・。
まだ俺の心は迷っていた。

レッスン中も俺はどこかぼんやりとしていて、幾度となくやよいは心配そうに近づいてきた。
回数を重ねる毎に段々と不安そうな顔になっていく。
もう隠していてもしょうがない・・・俺はそう思った。

「やよい、ちょっと大事な話がある。とりあえずここに座ってくれ。」

俺はそう言うと隣の椅子をぽんぽん叩いた。
やよいは黙ったまま言われたとおりに座った。
そしてそのまま俺の顔をじっと見ている。
俺は腹を決めた。

「あのな、実はお前をプロデュースしたいと言ってきている人がいるんだ。
 その人は・・・俺なんかが到底太刀打ちできないほど凄腕のプロデューサーで、
かなりお前のことを気に入ってる。」
「え・・・?それってどういうことなんですか?」

やよいは何がなんだかわからない顔をしている。 



「まぁ話は最後まで聞いてくれ。
・・・その人はお前との契約金として一千万円を用意してくれているらしい。
 実際俺はお前の家の事情を知っているし悪くは無い話だとは思う。
 でもこればっかりはお前の意志を尊重したい。どうする?」
「うぅ〜・・・わけがわからないですぅ・・・。」

まだやよいには難しい話だったろうか。
やよいは頭を抱えて悩んでいる。
俺はやよいにわかりやすく噛み砕いて教えた。

「事務所を移ればお前にお金が入ってくる。
そこで頑張ればお前はトップアイドルになれるんだ。
 わかったか?」
「んー・・・なんとなく。でも一千万円なんて大金持ち歩けないですぅ〜。」
「問題はそこじゃない気がするんだけどな・・・。」

俺は苦笑いした。

「事務所を移ったらもうプロデューサーとは一緒にお仕事できないんですよね?」

見つめてくるやよいの視線をかわす様に俺は視線をそらした。

「そう・・・なるな。」

それから二人とも黙ってしまった。
俺は移籍を勧めることもできず。
一方のやよいも決めあぐねている様子で、足をぶらぶらしている。
しばらく経ってやよいが口を開いた。

「お母さんと相談してみます。」

ぽつりとそう言ったやよいはどこか寂しげだった。

「そうか。・・・そうだな。」

そして最後にやよいはこう言った。

「プロデューサーはどうしてほしいですか?」





俺は自分の家のソファーで横になっていた。
そして今日自分の行ったことを悔やんでいた。
なんであんなことを言ってしまったのか。
そしてなんで最後の問いかけに答えることができなかったのか。

「・・・やよい・・・。」

正直やよいにはどこにも行ってほしくない。
俺とやよいの出会いは事務所で最初のアイドル、如月千早を育てていた時だった。
やよいはアイドル候補生なのにずっと事務所の掃除をしていた。
朝から晩まで自分のプロデューサーが現れるまで、それは毎日繰り返された。
社長に聞くと彼女は好きでやっているということだった。
特に周りも止めることなく彼女は事務所を綺麗に磨き上げた。
他のアイドル候補生が次々とデビューしていく中、最後まで残ったのがやよいだった。
そんなやよいをどこか健気に、まるで童話に出てくるシンデレラのように感じた。
その時俺は思った。

『次は必ずやよいをプロデュースしてみせる。』

そして一年の歳月の後、彼女をプロデュースすることになったのだ。
その時彼女はこう言った。

「はじめまして、私のプロデューサー♪」

初めて交わしたその言葉は、その笑顔は俺だけに向けられたものだった。
その笑顔を何度も何度も思い出す度に涙が溢れそうになった。
俺はそのままゆっくり目を閉じると深い眠りへと落ちていった。
結局、今日やよいからのメールは無かった。 







それから一週間後、やよいのレッスンのある日俺はいつものように家を出た。
いつものように同じ時刻の電車に乗り、いつものように事務所へと向かう。
そして俺は机に向かいやよいが来るのを待っていた。
しかしどれだけ待ってもやよいは表れなかった。
俺が待ちくたびれて時計を見ていたときだった。

「ちょっと良いかな?」

俺は高木社長に呼び出された。
席を立ち促されるまま社長室へと入っていく。

「まぁそこにかけたまえ。」

社長はそう言うとソファーに座った。
俺も社長の向かいのソファーに座る。
高木社長は小さな咳払いをすると話し出した。

「実は・・・やよい君のことなんだが、彼女はおとといここを辞めていったよ。」

俺はその言葉を理解するのに数秒かかった。
理解しても出てくる言葉は思いつかず、やっとのことで出た言葉はこれだけだった。

「どうしてですか・・・?」

高木社長は淡々と話し続けた。

「実はやよい君がほしいという事務所から連絡があってね。
実はやよい君にもその話をしたのだよ。そうしたら彼女自身も事務所を移動したいと言ってきた。
 相手方の事務所からも再三連絡があって契約を早く結びたいということだったから、
平日を押して彼女には契約を行ってもらったというわけだ。」
「俺には何の連絡も無しに・・・ですか?」
「いや、やよい君からは君から先に言われたと言っておったのだが・・・。
それに彼女はこう言っていたよ。
 『プロデューサーには連絡しないでください。きっと悲しむから。』って。」

もうそれからは何も頭に入ってこなかった。
高木社長は何かをずっと喋っていたが、俺は何も覚えていない。
ただ頭の中をエンドレスし続けた言葉。

『プロデューサーには連絡しないでください。きっと悲しむから。』

俺はパートナーを失った。





それから数日後、俺はコンビニにいた。
やよいが俺の下を離れてからというもの、誰をプロデュースするつもりも気力もなかった。
ただ家に引きこもり、腹が減ればコンビニへと買い物へでかける毎日。
ただ何をするわけでもなく、ただ生きているだけの毎日。
俺は半分死んでいるも同然だった。
今日もいつのもように昼飯を買いにコンビニにいた。
立ち読みをしようと雑誌を手に取った時、ある記事が目に飛び込んできた。

『高槻やよい、事務所移転の真相』

「またゴシップか・・・。」

俺はそうつぶやくと記事を読み出した。
そこにはやよいの事務所移籍のことが書かれていた。
プロデューサーとの確執、社長のセクハラ疑惑などなど、
ありもしないことをつらつらと書かれていた。
俺は苦笑いを浮かべてそれを読み続けた。
そして所々に掲載されているやよいの写真を見る度涙が溢れそうになった。
もう俺の届かないところにいるというのに・・・。

「やよい・・・。」

俺は涙を拭うとそっと雑誌を置いてその場を離れた。
やよいからのメールはもう届かなくなった。 







やよいは新しい事務所のトレーニングルームで汗を流していた。
もとから体を動かすのが得意なやよいはそのトレーニングを楽にこなしていた。
汗が目に入ろうとするたびにそれを手の甲でぬぐう。
そろそろ休憩に入ろうとしていたときだった。

「お前はそれでもトップアイドルを目指しているのか!!」

やよいはその声に振り向いた。
そこには新しいプロデューサーの真最強プロデューサーと、
やよいが移籍する前から所属していた三浦あずさがいた。
床に倒れているあずさに向かってプロデューサーはこう言い放った。

「ったく、使えると思って引き抜いたものを・・・。ここまで基礎体力がないとはな!
 もう明日から来なくて良い。消えろ!!」

プロデューサーはトレーニングルームを後にした。
他のアイドル達はその一部始終を見届けると再びトレーニングへと戻った。
誰一人としてあずさに手を貸そうとする者はいなかった。
やよいは軽く汗をふきとるとあずさに手を差し出した。

「大丈夫ですか?怪我とかしてないですか?」

あずさはその手を取るとゆっくり立ち上がった。

「えぇ大丈夫です〜。ありがとうやよいちゃん。」

あずさはにっこり微笑んだ。
そして続けてこう言った。

「やよいちゃん、もし良かったらお昼でも一緒にどうですか?」
「あ、はいっ。私でよければ♪」

やよいは嬉しそうに返事をした。


二人は事務所の屋上で昼食を取っていた。
今日も天気は快晴。
暖かい日差しが街中を包み込むように降り注いでいた。

「やよいちゃん、どうしてこの事務所に来たの?」

あずさの突然の質問にやよいは驚いて箸を落としそうになった。

「えぇ?どうしてですかっ?」
「んーと、なんとなく・・・かしら。
私は元いた事務所で前のプロデューサーさんと二人三脚で頑張っていました。
 毎日レッスンして毎日仕事をして・・・
小さい事務所だったのですけれど一生懸命頑張っていたんですよ。
 ある日、今のプロデューサーさんがやってきてお金で引き抜いて私を連れて行ったんです〜。」
「そうなんですか?」

やよいは弁当を食べながらその話を聞いていた。
ほとんど自分の時と同じ状況に興味が沸いた。

「えぇ〜。事務所には多額のお金が入ったのですが・・・しばらくして潰れちゃったんです。
 そのお金を元手に色々な事業に手を出してしまったみたいで・・・。
 もう今では前のプロデューサーさんもどこで何をしてるのか。
 その時私は思いました。お金って本当に怖いなぁって。」

いつしかやよいは弁当を食べるのをやめ、その話を聞き入っていた。
そして移籍した理由を話した。

「実は私も引き抜かれたんです。」
「あら、そうだったの〜。同じですねぇ。」

それを聞くとあずさはやよいに諭すように話し出した。

「私、やよいちゃんには幸せになってほしいです。お金なんかに人生を操られちゃだめです〜。
 本当に大切な物はお金では買えないんですよ?」

大切なお金で買えない物。
その言葉はやよいの胸の奥に眠っていた感情を呼び覚ました。
プロデューサーが私のためを思ってしてくれたこと。
だから私はここへやってきた。
毎日毎日辛いトレーニングとハードな仕事の繰り返し。
休む暇さえなく体はいつしか悲鳴を上げていた。
ただ、周りに気が付かないように必死にこらえていた。
少しでも根を上げれば今のプロデューサーに捨てられてしまうから。
そうしたら家族にも迷惑をかけてしまう。
・・・だけど、本当は・・・本当はプロデューサーと一緒に最後まで頑張りたかった。
プロデューサーと初めて出会ったときに私はこう感じた。

『きっとこの人なら私を大切にしてくれる。』

だからプロデューサーが私をプロデュースすることが決まった時嬉しくて夜眠れなかったっけ。
いつの間にかやよいの目には涙が溢れていた。
あずさはその涙に気づくとそっとやよいの肩を抱き寄せた。

「やよいちゃんはまだアイドルとしての喜びを忘れてません。だから・・・私の分まで頑張ってね。」

やよいは泣きながらただ頷くばかりだった。
あずさはやよいが泣きやむまでずっと側に付き添っていた。 







俺は社長に呼び出されて事務所へと向かった。
今日まで二週間も事務所に出ていなかった。
さすがにクビを宣告されるかもしれない。
俺はそんなことを考えながら歩いていた。

「まぁ・・・それも仕方ないかな・・・。」

諦め半分で俺は天を仰いだ。
やよいのいない今では何をやっても無理な気がする。
このままクビになったほうがいっそ楽なのかな・・・?
そうこうしているうちに事務所の前に着いた。
俺はドアの前で一呼吸置いて、思いっきりドアを開けた。

ドカッ!!

「んぎゃっ!!??」

ドアに変な感触があり、その向こうから変な声が聞こえてきた。
俺は開いたドアの隙間から事務所の中を覗き込む。

「うぅ〜、痛いですぅ〜。」

俺は自分の耳を、目を疑った。
そこには床に座り込んだ・・・やよいがいた。
俺は驚いて目を丸くした。
なぜやよいがこんなところに・・・?

「やっ、やよい?!なんでお前こんなところにいるんだ?!」

やよいはドアにうちつけたであろう腰をさすりながら答えた。

「なんでって・・・戻ってきたからですよぅ。」
「戻ってきた・・・?」

俺はドアを開けて事務所の中に入った。
そしてやよいのそばに駆け寄ると顔を近づけてもう一度質問した。

「なんで戻ってきたんだよ?だって・・・お前・・・。」

やよいはちょっと困った顔をして舌をちょろっと出した。

「えへへ〜。お金は全部返しましたし、それにあそこだとレッスンが辛すぎて・・・。
 あと、携帯も返してませんでしたから。」

そんなやよいの顔を見て俺は嬉しいやら悲しいやら複雑な気分に包まれた。

「あわわ、プロデューサー?涙・・・。」

やよいに言われて気づいた。
俺はいつのまにか大粒の涙を流していた。
俺は涙を拭うことなくやよいに問いかけた。

「お前・・・家のことどうするんだよ・・・?」

やよいは俺の手をそっと取るとにこっと笑った。

「お金のことなら大丈夫です。私がもっとお仕事できるように頑張れば良いだけですし。
 それに・・・プロデューサーじゃないとトップアイドルになれない気がするんです。
 プロデューサーが私をトップアイドルにしてくれればお金の問題なんてすぐに解決ですっ♪」

やよいは俺を信じてくれていた。
ただ、そのことが嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて、俺はいつの間にかやよいを強く抱きしめていた。
やよいは顔を真っ赤にしてわたわたしている。

「ふえぇぇ〜!ぷ、プロデューサー?!」
「ごめんな。もう少しだけ・・・こうさせてくれ。」

やよいはプロデューサーをちらっと横目で見ると、そっと目を閉じて背中に手を回した。
その表情は嬉しそうに微笑んでいる。
どれだけ抱き合っていただろうか。

「おっほん。」

その咳ばらいで俺とやよいは現実に引き戻された。
そして慌てて体を離す。
俺が顔を上げるとそこには高木社長が立っていた。
そして社長も少し照れているのか頬を赤くしてこう言った。

「うん、あの、そうだな・・・これからもやよい君を頼むぞ。」

俺は久々に笑った気がした。
そして力強く、迷いを断ち切るように答えた。

「間違いなくトップアイドルにしてみせます。もう誰にも邪魔はさせませんから!」

その日から再び俺の携帯はせわしなく鳴るようになった。
前にも増して回数が増えた俺とやよいのメール交換。
だが、俺は面倒に思うことなく楽しく、そして嬉しい気持ちをメールにのせて返した。
あの携帯はいつまでも俺とやよいを繋ぎ続ける。
そう、まるで見えない赤い糸で二人を結びつけるかのように。





完 

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