雪が溶けて、春が舞い込む

作:名無し

『……続いて関東地方。関東地方は雨、強い風を伴い降る見込みです。午後からは次第に……』

机の上にあるラジオは、最早音を垂れ流すだけの置物と化していた。何とは無しにスイッチを入れただけで、
多少なりとも気が紛れてくれればと思っただけだ。机に投げ出した腕を枕に、顔を乗せて窓から外を見る。
なるほど雨だ。予報通りの強い雨は、1年かけて咲いた桜を無残にも散らしている。花見を心待ちにしている者
にとっては、悪魔の様に映っているだろう。
ここ最近取り留めの無い事ばかり考えている。暇だった。ふ、と口の端が歪む様につり上がる。半年程前の
自分なら、暇があると分かれば両手を挙げて喜んでいただろうに。

――春香、雪歩…。HaruYukiは――

不意にあの時の事を思い出しそうになり、顔を埋める。
HaruYukiとは、半年前までトップアイドルの座に君臨していた天海春香、萩原雪歩のユニット名だ。
初めにこのユニット名を聞いた時は、なんと安直なのか、と2人で怒りを露にした。が、「それなら好きな名前を
考えてくれ。まだ変えられるから」と言われ、2人で知恵を振り絞ったのだが、結局納得のいくものは思いつかず、
プロデューサーさんを苦笑いさせるだけに終わった。ファンにそう呼ばれている内に愛着も湧いてきたというのは、
反対していた手前、ついぞ言い出せなかったが。
「雪歩、どうしてるかなぁ……」
1年半を共にした親友の名を呟く。簡単な話だ。ポケットにある携帯電話で確かめればいい。ともすればメール
でも構わない。今どうしてる?の7文字で事足りるのだから。そうしないのは、また、そうしてこないのには
理由があった。いや、雪歩の方は憶測にすぎないのだが、まず間違いないだろう。
――辛い事を思い出したくないから。
といっても、別に辛い記憶だけではない。運動音痴な2人――特にバランス感覚が絶望的な自分――にとって、
複雑怪奇なステップを踏むダンスレッスンは確かにきつかったのだが、その後の反省会と称した夕食の席は、
とても楽しかった。プロデューサーさん行きつけの定食屋は、清潔感溢れるとは言い難かったけれど、早い・
安い・美味いの謳い文句通りで、2人で舌鼓を打った。周りからは到底受かるわけがないと囁かれていた
オーディションも、プロデューサーさんに発破をかけてもらったら受かることができた。初めてのTV出演では、
ガチガチになっていた私達に、「あんまり力んでいると不細工に映るぞ」とおちゃらけて、緊張を解してもらった。
……その後女性スタッフに、女の子になんてことを言うんですか!と怒られていたらしいけど。
そうだ。楽しい事、嬉しい事はたくさんあったのだ。そして近くにはいつも――― 

〜〜♪〜♪

ビクッ!と体が震える。回想の海を漂っていた思考回路はすぐには浮上してくれず、携帯電話が鳴っていると
気付いたのは数秒後だった。ポケットに入っているそれは、座ったままの体勢ではどうにも取り出しにくく、
慌てて立ち上がろうとして派手にこけてしまう。痛みに顔を顰めるが、どうにか携帯電話の取り出しに成功した。
7色に点滅するランプの下で、煌々と輝くディスプレイには懐かしい名前。
「もっ、もしもし!雪歩!?」
ああ、みっともない。少々声が裏返ってしまった。いや、今の情けない姿を見られないだけでもいいか。
「ふふっ、久しぶりだね、春香ちゃん」
……笑われてしまった。ギクシャクするよりいいんだけど……。
話は弾んだ。何しろ半年ぶりなのだ。話す事はそれこそ積もる程ある。勉強にはついていけてるだとか、
カラオケへの誘いの上手い断り方を教えてだとか、美味しいお茶のでるお店だとか、どこの調理器具が安い
だとか。気付けば通話時間は1時間を越えていた。
けれども私達は、共有した思い出には一切触れようとはしなかった。
(やっぱり雪歩も……)
次第に話題は尽き始め、無言の時間が増えてゆく。受話器越しに息をのむのが分かった。先ほどよりもトーン
を落とした声音が響く。
「春香ちゃんは……あの頃に戻りたい?」
……そう、だよね。雪歩からの電話がなければ、いずれ私の方から訊いていたかもしれない質問。雪歩はもう
答えを出したのだろうか?卑怯と知りつつも、私は質問で返す。
「雪歩は、またアイドルになりたい?」
一縷の希みに縋る様に、肺から声を絞り出す。すると、予想以上に鋭い声が返ってきた。
「あっ、あたりまえだよ!ぐすっ、春香ちゃんは違うの!?」
でも涙の入り混じったソレは、確信に満ちたというよりも、進むべき道を見失った迷子の叫びに聞こえた。
「私は………まだ迷ってる」
戻りたい、戻りたいに決まってる!目の前が歪むほどの熱気。反響で耳鳴りがするほどの声援。2人のため
だけに照らされるスポットライト。魂が震えるような一体感を生む歌。どれも忘れられる体験じゃない。
けれども、その先に待っているのは……。
「…そっか。やっぱりそうだよね」
雪歩も予想通りだったのだろう。諦めを多分に含んだ呟きは、痛々しかった。なんとか、またね、とだけ言い、
通話を切る。
立っているのも億劫になった私は、そのままベッドに倒れ込んだ。 

「――HaruYukiは来月のコンサートを最後に、解散が決まった」

淡々とした言葉は、まるで明日の連絡事項を伝えているみたいで、現実味が無かった。ミーティングにと
呼び出された会議室で、かちかちと時計の音だけが響く。
「な、んで」
どちらが発した言葉だろうか。それすらも分からないくらいに狼狽していた。
「事務所の規則でね。1つのユニットの活動期間は1年間と決まっているんだ」
プロデューサーさんの説明は続く。が、台詞の万分の一も頭には入ってこなかった。
「なんとか半年は引き伸ばせたんだけど……」
「ぷっ、プロデューサーはもう私達が必要なくなったんですか!!?」
まるで聞きたくないとばかりに、雪歩が遮る。突然の大声にも怯まず、プロデューサーさんは続けた。
「雪歩、言ったろう。活動期間が決まってるって。辞めろっていうわけじゃない。一旦活動休止ってカタチに
なるだけだ」
「それじゃあ、復帰したらまた一緒に……」
安堵するかのように呟く雪歩を、今度はプロデューサーさんが遮った。
「俺は新人の担当を任されているんだ」
……モウ、イッショニイラレナイ?
いや、ショックを受けている場合じゃない!私も雪歩に続かなきゃ!泣き落としでもなんでもいい!いきなり
残り1ヶ月だなんて理不尽すぎる!
「で、でも半年は伸びたんですよね!だったら私達からも何か言えば…!」
そこまで叫んで、途切れる。プロデューサーさんが頭を下げていた。顔が見えなくなるほど深く。
「春香、雪歩。すまない。本当にすまない」
それを見て、いや正確にいうなら、プロデューサーさんの足元に落ちる水滴を見て、私達は言葉を失った。
おそらくこの半年間も、相当の無茶を通したに違いない。もう無理なんだと、納得せざるを得なかった。

約束の時間はあっさりと訪れた。コンサートは無事成功したのだが、その後はよく覚えていない。いつのまにか
自分の部屋に辿り着いており、そのまま泣きながら眠った。涙は涸れず、翌日も体調不良を理由に泣き続けた。 

 
プロデューサーさんが好きだ。
最初は、年上の男性への憧れだったかもしれない。でも、一緒に過ごす時間が増えていく内に変わっていった。
自分の作ったお菓子を食べて笑ってくれると、こちらも幸せな気持ちになった。絶対大丈夫だ、と言ってもらえれば、
誰にだって勝てると思えた。失敗をフォローしてもらっている時、申し訳ないと思う反面、凄く嬉しかった。
いつからか、歌が好きだから歌うのと同じくらいに、プロデューサーさんに褒められたいから歌うようになった。
それから、隣にいる友人の目が、誰に向いているのかに気付くのにも、そう時間はかからなかった。
そうだと感じ始めたのは、Cランクに上がったぐらいの頃だ。もしやと思い鎌を掛けてみたところ、見事大当たり
だった。
こちらも本音を曝け出し、気まずい空気が漂う。それを破ったのは、雪歩の方からだった。
「それじゃあ……正々堂々と勝負だね」
――驚いた。私の知っている萩原雪歩は、こんな大胆不敵な台詞を言う娘だっただろうか。いや、それだけ本気
なんだろう。その気持ちはとてもよく分かる。私だって、負けるつもりは毛頭無い。少し固めの握手を交わす。
とまれ、これで友人から親友の間柄にランクアップを果たしたのだった。……その単語の前には、「油断の
ならない」とつけなければならないのだけれど。

Bランクになっても、念願のAランクになっても、二等辺の三角形はあまり形を変えることはなかった。
そういった駆け引きなど、ドラマや漫画でしか知らない自分と、元来奥手な雪歩。それに、恋愛事には疎そうな
プロデューサーさんとでは、そうそう距離が縮むはずもない。
次第に、このままでもいいかと思い始めていた。ぬるま湯の様な関係だと揶揄されてもかまわない。三人で
いることが、とても心地よかった。
けれどもそれには時間制限があって、あっけなく終わりを迎えることになった。活動休止の事実よりも、
プロデューサーさんと離れ離れになることの方が、何倍も心を痛めた。
アイドルに未練はある。だけど復帰すれば必ずプロデューサーさんの事を思い出してしまうだろう。それを
考えると、続けるにしろ辞めるにしろ、二の足を踏んでしまう。

……堂々巡りだ。結局答えは出ない。 

〜〜♪〜♪

かるい既視感。短めの着メロでメールだと分かる。いや、それよりも今の着メロは……。
ドクン
逸る気持ちを抑え、携帯を開く。Fromの横には想い人の名前――
『春香、雪歩へ
大事な話がある。いつもの駅前に来れるか?』
2人分の宛て先に、用件だけを伝える文。それで十分だった。ジャケットを羽織り、財布と傘を手に取る。
母に「出かけてくる」とだけ告げ、家を飛び出した。
傘を片手に走りながら、先ほどの着信履歴から雪歩へと電波を飛ばす。向こうも手に持っていたのだろう、
1コールもせずに繋がった。
「はっ、はぁっ、雪歩!メールっ!見た!?」
上手く喋れない。だけど呼吸を整える時間も惜しかった。できるだけ簡潔に、訊ねたい事だけを発する。
「うん、うんっ!駅前にっ、はっ、来てくれって!」
どうやら向こうも同じらしい。苦しげな息遣いが聞こえてくる。
「先にっ、駅で待ってて!」
なんとか声に出し、返事を待たずに切る。
走っているせいか横殴りにくる雨は、傘を無意味なものにしていた。しかし、ディスプレイに映っていた時間が
本当なら、悠長な事はしていられない。この次の電車を逃せば、大幅なタイムロスだ。水溜りを弾きながら、
街を駆け抜ける。その甲斐あって、電車に乗り込む代償は、周りの乗客に睨まれるだけで済んだ。

荒い息を落ち着かせ、漸く考える時間が出来る。一体何の話なんだろうか。この半年連絡はなかった。突然の
ことでそのまま家を出てきたが、直接会わなければならない程大事な話なのか。芸能界復帰への催促?それとも、
もしかしたら……。ダメだ、想像の域を出ない。会えば分かる事だけれど、如何せん目的地まで遠い。家から
事務所まで距離のある私の為に、次善策として、事務所に直接用の無い時の集合場所を、駅前に決めていた。
それでも、雪歩との合流地点まで3駅。プロデューサーさんの待つ場所まで、それから1駅。時間が経てば
経つほど、色んな考えが渦巻き頭と心を痛める。考えるだけ無駄だ、と頭を軽く振って、ゆっくり目を開く。
窓の外は雨で煙っていて、遠くまで見渡せない。けれども、アイドルをやっていた頃に何度も見た風景だ。
見えなくとも鮮明に思い出せる。それにこの半年の間にも、学校の友人からの誘いで乗ることがあった。ただ
その先に待つ人はおらず、空虚さに囚われた私は生返事を繰り返し、友人を心配させていた。
結局ネガティブな思考は止まらず、雪歩と合流するまで、暗澹たる思いに縛られていた。 

半年ぶりの再開だというのに、雪歩とのやりとりは、久しぶりの一言だけだった。気の利いた会話をできるほど、
頭は回転してくれない。雪歩の顔を見ると似たり寄ったりな感じで、そのまま1駅分の時間を過ごす。

震える足に活を入れ、改札を抜ける。気付かない内に雨は小降りになっており、駅前に咲いていた傘の花たちは、
次々と閉じられている。
「…………春香ちゃん」
囁く様に雪歩。その目線の先に紺色の花。……いた。間違える筈がない、あの人だ。まだこちらを見つけて
いないのか、きょろきょろと見当違いな場所を探している。ゆっくりと近付くが、話が出来るぎりぎりの距離で
足が止まった。2人とも、何故かこれ以上進めない。
「プロデューサーさん」
仕方なくその場から呼びかける。傘をたたみながら振り向いた顔は、半年間恋焦がれたものだった。
「久しぶり、かな。悪かったな、突然呼び出して」
ほんの少し眉を顰め、すまなそうに言う。
「……いえ」
嬉しさで言葉に詰まる。泣くのを堪えるだけで精一杯だ。伝えたい事が山ほどあるというのに、会えただけで
その全てが吹き飛んでしまった。
続く言葉が来たのは、しばらくしてからだった。空いた間を誤魔化す様に、大き目の調子のいい声。
「半年間の休みじゃ短すぎたかな?」
知らず知らずの内に俯いていた顔を上げると、優しい微笑が見えた。
「周りを説得するのに手間取ってね。時間が掛かったけど、また一緒にやれる。……2人がよければだけど」
今度は涙を我慢できなかった。それが落ちるよりも早く、プロデューサーさんの下へと駆ける。体当たりする
かのようにしがみつき、叫ぶ。
「ホントッ、ホントなんですか!?」
「嘘じゃないんですよね!?」
遅れて雪歩。
「ああ、嘘じゃない。兼任になるから、付きっ切りっていうわけにはいかないけどね」
力一杯首を振る私の代わりに、雪歩が答えた。
「構わ、ない、ですぅ」
「あー、忙しくなるぞ。大丈夫か?」
質問と言うよりは確認。周囲の視線が恥ずかしいのか、あさっての方を向いているのが、少し可笑しい。
雪歩を見ると笑っていた。私もそうなんだろう。頷き、合わせる。
「「はいっ!!」」
晴れた春の空に、声は高く響いた。

――冬は終わった。私達は花。美しく咲き誇り、再び3人の時が動き出す。 



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