二人三脚

作:ハイタカ

「とうとう、あと少しか……」
事務所の前のカレンダーを見ながら、その男は一人つぶやいた。
「61週目……あと4週……それが終わるとあいつとも……」
そこまで言うと、
彼はそれを振り切るように持っていたコップの中の茶を飲み干し、
事務所から出て行った。

彼は765プロの新米プロデューサー。
現在プロデュースしているユニットは自身3組目となる。
それまではそれなりの人気を得るまでアイドルを育てることは出来ても、
なかなかその壁を乗り越えることが出来なかった。
アイドルの頂点、Aランク。ここに到達するのにどうしても後一歩及ばなかった。

しかし、現在プロデュースしている娘は違った。
オーディションは連戦連勝、人気があって難しいと言われる
特別オーディションも次々と蹴落とし、
その飛ぶ鳥落とす勢いに何時の間にか「無敗のアイドル」と他から恐れられる
存在になっていた。

そして、結果として世の中のアイドルの100組に1〜2組しかなることが出来ないといわれる
伝説のランク、Sへ到達することに成功。
思わず自分に「おめでとう」を言ってしまったほどであった。

しかし、いくら最高ランクに到達しようがランクアップリミットが変わることは無い。
765プロの社長、高木の方針により、どれほどランクが上がろうとも、
ソロユニットは61週で活動停止となることを義務付けられているのであった。
765プロに所属するアイドル候補生達もそのことは良く知っていた。
ただ、61週活動出来る事の方が稀であるため、
あまりその事が話題になることも無い様であった。

事務所から出たプロデューサーが辿り着いたのは歌詞レッスン場。
既にプロデュースしている娘は先にレッスン場に着いており、自主トレを行っていた。
「よ、やってるな?」
声をかけると、その娘――萩原雪歩ははにかんだような笑みを浮かべた。
「えへへ、やっぱり好きな曲だと、歌詞の内容も頭に良く入りますぅ」
そう言って雪歩は持っている歌詞の紙
――もうボロボロに使い古されたものだったが――に再び目を落とした。
活動を始めて28週目に発表したシングル、First Stage。
既に30週以上も使われているが、未だに根強い人気を
誇り、この曲をテレビで歌うたび視聴率が上がるとの評判であった。
その日の歌詞レッスンも無事終了すると、
着替えに行こうとする雪歩をプロデューサーは呼び止めた。
「雪歩、着替えたらどこかメシ食いに行かないか?」
「え?あ、はい、行きますぅ」
雪歩は嬉しそうな顔でプロデューサーの誘いに応じた。 


数時間後。レッスン場の近くのファミレスに二人はいた。
他愛の無いおしゃべりをしている時、不意にプロデューサーが聞いた。
「雪歩。一つ聞いていいか?」
「え、何ですか?」
プロデューサーが真剣な表情をしているのに驚いたのだろう、ビックリした表情で聞き返した。
「お前、大手芸能事務所からの勧誘、何で断ったんだ?」
「え?え?」
予想外の質問が来たのか、雪歩は目を白黒させる。
「確か数週間前、そういう誘いがあるって俺に話したよな?」
「あ、はい。話しました。でも、もう断りましたよ?」
「うん、それは知ってる。だが、何で断ったのか知りたくてな」
ファン数が100万人を越えた頃のこと、
雪歩は765プロの数倍の規模を持つ芸能プロダクションから移籍の誘い
を受けたのだ。あまりに熱心な勧誘に戸惑った雪歩だったが、
結局その話は雪歩がきっぱり断ったことにより破談と
なっていた。
突然その話を蒸し返したプロデューサーに雪歩は戸惑いながら聞いた。
「どうしたんですか?急に」
「どうしたんですかとは?」
「だって今まで何もその事に触れてなかったのに、いきなりそんな話をするなんて……」
雪歩は不安げにプロデューサーを見返した。
「もしかして、あの時移籍してたら良かったのになあ、とか思ってるんですか?」
「え?いやいや!そんなことは全然思ってない!」
いつものネガティブ思考に陥りそうになっていた雪歩に彼は直ぐにストップをかける。
「だったらどうして?」
「雪歩……、765プロの活動規則、知ってるよな?」
「え?は、はい」
「じゃあ分かるだろ?俺たち、あと4週間で解散だってこと」
そう言うと、雪歩は俯いた。
「知ってます……。ソロユニットは61週までしか活動出来ない……。そうですよね?」
「そうだ。だから、もうやるべき事も限られている」
プロデューサーは頷くと話を続けた。
「だが、あそこの事務所なら61週どころか、100週以上継続しているアイドルもいる。
100万人以上のファンを集めてリミットなしで伸び伸びとやっている。俺はそんな印象を受ける」
プロデューサーの話を雪歩は黙って聞いている。
「だから、お前もそういう所に行った方が、
俺の元にいるよりもっといい芸能活動を送れるような気がして、な」
そう言うと雪歩は頭を上げた。
「つまり、今からでも移籍しろってことですか?」
「強制するつもりはないよ。
だけど、どのみちこの事務所じゃあと4週しかいられないんだ。
それだったら俺のことなんか気にしないで、
もっと楽しく続けられるところに行った方がいいんじゃ」

パシーン! 


一瞬、プロデューサーは何が起こっているか見当がつかなかった。
ただ、甲高い音が響いた後、自分の左頬が熱を持ち始めたのだけは理解出来た。
正面を向くと、雪歩は右手を払った態勢のまま、彼を見つめていた。
目に大粒の涙を溜めながら。
「どうして……どうしてそんな事言うんですか?」

目と同時に声も泣き声になった雪歩は目からこぼれる涙を拭うことなく続けた。
「私がここまで来れたのは、私一人の力じゃありません!
ずっと、ずっとプロデューサーがいてくれたから、だから私はここまで来れたんです!
なのに、そんな事言うなんて、あんまりです!」
普段の雪歩からは想像もつかない行動に、
プロデューサーは頬の熱が上がるのを忘れて雪歩を見つめていた。
雪歩は更に続ける。
「私、私、いつもオーディションの前は不安だらけでした。
いくら1位通過を連発しても、
世間から『無敗のアイドル』って呼ばれても、
それが夢なんじゃないかって。
1回でも失敗したら、そこから崖を落ちるみたいに負けて行くんじゃないかって……。

それでも、いつもプロデューサーが、私に励ましの言葉をかけてくれたから、
私今まで頑張って来れたんです。
プロデューサーから『絶対勝てるぞ!』って言われたから、
本当に勝てるような気がして、本当に連戦連勝していって……。
プロデューサーと一緒だから私アイドルやってるのに、
今プロデューサーの元を離れろなんて、酷すぎます!」

それだけ一気に言うと、今度は顔を手で覆って泣き出した。
そこでプロデューサーは、初めて自分の考えが間違いであったことを知る。

――そうか、こいつは、気が弱い所を見せても、内に秘めてる思いはとても強いヤツだったな……。
――だから、ここまで勝つのが厳しい芸能界を勝ち抜いて来れたんだ。
彼は泣き出した雪歩の隣に座ると、そっと肩を抱き、頭をなでた。
「ごめんな、雪歩」
「えぐっ、えぐっ、プロデューサー、酷いですよぉ……」
雪歩はプロデューサーの胸に抱きつき、そのまま彼の胸で泣き続けた。
こうなったら泣き止むのを待つしかない。そう判断したプロデューサーはしばらくそっとしていた。 


数十分後、落ち着いた雪歩と共にプロデューサーはファミレスを後にした。
帰りの車でもスネたようにプロデューサーに愚痴る雪歩。
「プロデューサー、ホントに酷いですぅ……」
「だからごめんって。ホント悪かったよ」
「全然誠意がこもってないんですけどぉ……」
恨みがましい目線にプロデューサーは降参とばかりに両手を上げて見せた。
「だけど、どの道あと4週で俺との活動は終わりだぞ?本当にいいのか?」
「いいって言ってるじゃないですかぁ。
私は、他の事務所で過ごす100週より、プロデューサーと過ごす61週の方が
何倍も充実してるんですから……」
「そういわれると、プロデューサー冥利に尽きるなあ」
本心だった。こんなことを言われたのは雪歩が初めてであった。
「それだけですか?」
「?それだけって?」
頭の中も?マークに支配されていそうなプロデューサーを見て雪歩はつぶやく。
「プロデューサーって、意外に鈍感なんですねぇ……」
「何か言ったか?」
「いえ!何でもないですぅ!」
慌てて取り繕う雪歩。それを見たプロデューサーは?マークを浮かべつつも特に深い詮索はしなかった。
「まあ、あと4週間で終わりと言っても、まだお別れコンサートもあるしな。楽はさせないぞ」
「はい!頑張りますぅ!」
再び元の鞘に戻った二人。あと4週間で、二人の二人三脚の活動はピリオドを迎える。 



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