深淵の果てに

作:426

「おーい雪歩、そろそろ出てきてくれないかなぁ…」
彼は765プロダクションの一室、衣装置き場にあるロッカーに声を掛ける。
「本当にごめん!今回は俺の指示ミスなんだから、お前が気にする事は無いって。な?」

「うぅ…そんなことありません、
私の実力がもっと上なら、プロデューサーの指示が生きたはずです。
肝心な最後のアピールで躓いてしまったのも、私のせいですよぅ…」
そう言って、雪歩は掃除用具入れのロッカーから出ようとしない。
さすがに事務所内に穴を掘るわけにはいかないので、雪歩なりの譲歩案といったところか。

「そんなところにいつまでも入っていると、おなかが空くだろー」
「気にしないで下さい……ダイエットだと思えば辛くありませんから」
「立ちっぱなしは辛いだろ?トイレにも行けないし」
「ご心配なく!中にバケツもありますから」

おいおい、それはさすがにどうかと思うぞ…と言いかけたが、
それだけ雪歩は精神的に参っているのだ。
ここは一旦距離を置いたほうがいいかも知れない。
「気が済んだら、出て来てくれよ…お願いだから」
そう言い残して、去るしかなかった。

「今回ばかりは引っ張りあげてやろうにもなぁ……」
事務所の応接室にあるソファーにもたれかかって天を仰ぐ。
さすがに3度のオーディション失敗は痛すぎた。
一刻も早く勝とうと思って、無理なスケジュールを組んでしまった事。
雪歩に自信をつけさせるため…と思っていたが、
結局は自分が早く結果を欲しかっただけなのだ。
正直、レッスンでも仕事でも自信のなさすぎる雪歩にイラついていた。
プロデューサーとして、雪歩のレベルが低いままなのは困る。
オーディションに受かれば、自分の評価と雪歩の自信、
二つを同時に手に入れられると思ったのだ。

だが、そんな都合のいい話が通るはずも無かった。
結果は惨敗。ダンス審査員には「やる気あるの?」とまで言われる始末だ。
無名すぎるので悪徳記者が付かなかったのが不幸中の幸いだったが…

「雪歩が出てくるまで、スケジュールを組もうにも仕事を探すにも予定の立てようがないし…」
彼はチラリと応接室のTVを見てみる。そこにゲーム機があった。
最新鋭のゲーム機ではない。高木社長お気に入りの古いものだ。
かっては彼も子供時代に熱くなったもので、
幸いにも社長のソフトコレクションはかなり充実していた。
「……暇つぶしにはちょうどいいかもな」
彼は慣れた手つきで端子をつなぎ、ACアダプタをコンセントに挿してみる。
雪歩が出てくるまで、ちょっとだけ遊んでみよう。
自分自身の思い出を探してみるのもいいかもしれない、と思いながら…
電源のスイッチを入れた。 


「おはようございます〜プロデューサーさん」
「あ、あずささん、おはようございます……っと、うわっ!?」
「あら〜、死んじゃいましたね……ごめんなさい〜いきなり声を掛けてしまいましたから」

画面からはFM音源の古い効果音。
いかにも「失敗しました」感がある情けない音が部屋に響いた。

「あ、いえ…気にしないで下さい、
これ凄く難しいゲームなんで。あずささんのせいじゃないですよ」
「フロア53は辛いですよねー…宝箱を取るまでに青ウィスプを避けるのって難しくて…」
「そうそう、俺もついやりこんじゃってここまで……って、
何で知ってるんですかそんなディープな事!」

このゲームは彼がまだ子供の頃、大人気だったものだ。
いくらなんでもあずさがこんな古いゲームを知っているはずはない。

「うふふふ〜、実はこのゲームお父さんが好きだったらしくて、小さい頃ずっと見てたんですよ〜」
「それで…あずささんもやってみたわけ?」
「ええ〜。囚われの恋人を助けるために、
単身魔物の住み着いた塔に乗り込む騎士のお話なんて、素敵じゃありませんか〜」
「ああ…それで好きになったんだ。確かに、あずささん好みのストーリーかもなぁ」
「そうなんですよ〜…
しかも私の苦手っぽいアクションゲームなんですけど、恋人を助けるんだ!…って思ったら、
頑張って何とかなりましたよ〜」
「うわ、凄いなぁ…解いちゃったんだ」
「ええ〜、他にもお父さんの持っているゲームは色々やりましたね〜
ねずみのおまわりさんのゲームとか」
「まさか…餌を食べながら進む黄色いやつのゲームとかもやりました?」
「あら…よく分かりましたねー、他にもアゴの出たジャージの人が走るゲームとか、
自由の女神さんのスカートをめくっちゃうゲームとか」
「……あずささんのお父さんの趣味が大体分かりました。ちょっと偏っている気もしますけど」
「私もレッスンまで少し時間があるんですけど〜、良かったら一緒に遊んでみませんか?」
「ええ…いいですよ。何のゲームをやりましょうかね…」
「対戦形式のものにしましょう〜。出来るだけ楽しく、隣に聞こえるように行きましょうねー」
「え……!?」

一瞬、彼はあずさが何を言ってるのか分からなかった。

「予定表を見れば、今日何があったかは分かりますよ…
しかも、この狭い事務所で玄関、オフィス両方に雪歩ちゃんがいないとすれば、
大体は予想できますでしょう〜」

天然でマイペースなあずさ。だがマイペースと言っても周りはしっかりと見えている。
彼女は瞬時に何が起きたかを察し、
彼と雪歩、二人のために自分は何が出来るかを考えていたのだった。

「ありがとう…あずささん」
「はて〜?私はただ、一緒にゲームをやりましょうと言っただけですよ〜」
「じゃ、そういうことにしておくかな…
俺はただ、雪歩が出てくるまでの暇つぶしとしか思ってなかったけど、
俺が立ち直るためにも手加減無しで行くからね!」
「うふふ〜、どうぞ。天岩戸作戦の開始です〜♪」

かくして、奇妙な宴が始まった…… 


あれから何時間経っただろう?
人間、暗いところに一人でいるというのは時間感覚が麻痺しやすい。
数時間篭っているつもりが、
実際には30分と経っていなかった……という経験をした人も多いだろう。
しかし、経験と言おうか、慣れと言おうか、雪歩は既に2時間篭っている。
時間を置くことによって、閉ざしていた彼女の思考がゆっくりと回り始める。

「このままここにいたって、何も解決しないよね…
それに、私が今日オーディション受けていることは皆知ってるんだから、
社長や皆にまで心配かけちゃうし……」

かすかに隣の部屋で話し声が聞こえる。
律子と伊織がお昼の情報番組収録を終えて戻ってきているようだ。
雪歩はさっきまでいた自分の世界から、ふと意識を隣の部屋に集中させてみた。
すると…

「きぃぃぃっ!何なのよこれ、クソゲーよクソゲー!!」
「コントローラーに当たるなよー、社長の私物なんだから…
でも伊織、お前ゲーム下手だったんだな」
「こ・の・ゲ・ェ・ム・が・おかしすぎるのよっ!
何この主人公、膝の高さから落ちて死ぬなんてキモすぎっ!」
「甘いな、伊織…この主人公は、コウモリの糞に当たっても死ぬんだぞ」
「そうそう、不思議と幽霊をマシンガンで倒せたりするところは
普通の人間以上だとおもうけどね」
「そんな虚弱体質で探検なんかするなー!
こんなのゲームとは認めないっ!カセットの赤ランプもキモッ!」
「でも〜、さっきのゲームは丈夫な主人公だったけど駄目でしたよねー」
「あんなオーバーオールのヒゲ親父なんて操りたくないー!
何よ、花を食って火を吐くって!?めっちゃキモッ!!」
「ちょっと伊織ちゃん……国民的ゲームキャラにそれは言っちゃ駄目だと思うんだけど」
「知らないー!大体キノコの国を救うのに、
どうしてキノコ食ってでかくなるのよっ!共食いじゃないのっ!?」
「あら〜、そういえばそんな気もしますよね〜」

言葉だけならいつもの風景。
だが、いつもと違う妙な盛り上がりがある。
少なくとも、隣のロッカーの中にいる雪歩には、そう感じられた。

「たっだいまー、今日のレッスンもフルスイングでバッチリでしたよー」

レッスンを終えた帰ってきたやよいは応接室へ入り、皆とTVを交互に見るなり、
パッと顔を輝かせてTVの前へやってきた。

「あ♪これ、うちにもあるよー。
ゲーム機だよね!不思議と友達の家では見ないんだけど…」
「あら?やよいちゃん、このゲーム機持ってたんだ。意外と言うからしいと言うか…」
「うん!実は、お父さんが友達から貰ってきたんだって。
日曜日には1時間だけ、家族みんなで野球ゲームやってるんだー」
「ゲームでも野球か……
やっぱりソフトは「ぱっく」や「くろまて」とかの選手がいるやつか?」
「そうだよー、今度プロデューサーも一緒にやろうよ!
私、家族の中では一番強いんだよー♪『ぴの』の盗塁も刺した事あるし」
「そりゃ凄いな……多分、俺か社長以外は聞いても分からんと思うけど」
「あとね、やよいのお小遣いで安いのをもう一本買ったんだー、えーと、あれ……?」
「どうしたの…やよいちゃん。タイトル忘れちゃった?」
「うー………ごめんなさい。忘れちゃった…
バントしたのにホームランになっちゃうゲームなんだけど…」
「もういい。それで分かったから」
「よく見つけたわね、やよいちゃん。
今はコレクターの人が買い漁っていて出回りにくいのよ、それ」
「人を無視して話を進めるなー!あったまきたから全員で勝負よ勝負!
何か全員で遊べるヤツって無いの!?」
「そうだなぁ……確かアレがあったはずだ」

「………っ」
伊織の奇声が丁度良いきっかけとなった。
恐る恐るロッカーから出てみる。
もう夕方とはいえ、急に明るい場所へ出たのだから眩しくてしかたがない。

時折聞こえる大爆笑や歓声。一体何がそんなに楽しいのだろうか?
プロデューサーの笑い声も入っているのが、正直ちょっと悔しかった。
頑なな姿勢を見せたのは確かに自分だが、もうちょっと構ってくれても……
様々な感情のもやもやをそのままに、
雪歩の足は自然と応接室へと向かっていた…… 


ドア一枚の向こうに、皆がいる。
どんな顔で出ようか?まずはプロデューサーに謝って、
皆にも……と、これからの行動をリハーサルしてみる。

「落ち着いて…大丈夫。うん、いかなきゃ」

意を決して雪歩はドアを開けた。その正面に見えたものは……白いヘルメット?
いや、時代劇などで見る殿様が頭につけるアレだ。
ちょっと下に目線をやると、事務所の蛍光灯をほんのり反射するおでこがあった。

「え……え?えーと…その……」

場は静まり返って、皆の視線は雪歩に集中していく。
そして、最後に殿様ヅラをつけた伊織と目が合った。

「ぷ………っあははははっ!あははははっはははぁっはぁっ…伊織さん、何それ…あはははっ」

雪歩を皮切りに、全員で事務所が揺れるほどの大爆笑。
何がどうなって今に至るのか……全くわけが分からない。

「ぶははは…助かったよ雪歩、ナイスタイミングだ」
「え?……あの…プロデューサー?」
「笑っちゃ悪いんだけど、駄目ー、おなか痛い!あははは…」
「はははっ…はっ……あのね雪歩ちゃん。
実はさっき罰ゲームを賭けて勝負してたんだけど…あーはははっ」
「最下位の人が〜くすくす…その殿様かつらをかぶって
下のコンビニへ行くって言うルールで〜うふふふ」
「ついさっき、律子の5倍買いで決着がついてさ。
罰ゲームをやってみたまでは良かったんだけど、
伊織が爆発寸前の状態で、皆笑うに笑えなかったんだよな…そこで雪歩が出てきたって訳さ」

雪歩は2,3歩横にふらつき、そのままそばにあったソファーに倒れこむ。
さっきまでの緊張は何だったのだろう?部屋に入るまで、
ずっと考えていたリハーサルなんてまるで意味を成さなかった。

「きぃぃぃぃっ!卑怯よ大人ってー!?
人の物件次々と5倍買いして思いっきり潰しに来たでしょ律子さんっ!」
「まぁねー。伊織ちゃんの言葉を借りて言うなら『貧乏人は黙ってなさい』ってとこかしらー」
「むぎぎぎぎ……」

伊織の頭上で殿様のちょんまげが揺れる。
てっぺん部分がバネ仕様になっているので、伊織が騒ぐたびに動いて、それがまた笑いを誘う。

「もう一回勝負よっ!今度はもっと恥ずかしい罰ゲームにするからねっ!」
「あ〜、わたしそろそろ夕方のレッスンに行かないと〜」
「おっと、そうでした。じゃ、俺が車で送りますから…雪歩、代わりに入ってくれ」
「え……えぇえぇえっ!?」
「俺とあずささんが抜けると、3人になっちゃうだろ。雪歩が入ってくれたら万事解決だから、さ」
「わ?私がやるんですか?その………すごろくみたいなゲームを?」
「ルールは律子に教えてもらうといいよ。
雪歩なら頭いいからすぐに理解できると思うし。じゃ、行ってくるから」
「あ、あの…プロデューサー?私、その……」
「あー、そうだった。腹減ってるよな……そこに開けてあるおやつを適当につまんでくれ。
全部手を汚さないで食えるやつだから」

それだけ言うと、彼は急いで行ってしまった。
…なし崩しに穴から出てくることは出来た。
久しぶりに大笑いして、暗い気持ちも吹き飛ばす事も出来た。
全ては元に戻ったように見えた。すぐそこにあるリセットボタンを押したかのように…… 


『関東地方は、所により激しい雷雨となるでしょう。お出かけの際には……』
カーラジオからの天気予報を聞きながら、車はレッスンスタジオへ向かっている。
あずさはレッスンの後直帰の予定。彼はそのままとんぼ返りの後、また仕事となる。

「まずは一安心ですね〜。雪歩ちゃん出てきてくれましたし」
「ええ…おかげさまで。
今頃慣れないゲームなんてやらされて『はぅあぁ〜』なんて言ってるかもしれませんけど」
「ふふ……律子ちゃんがいるから心配することはありませんよ〜。むしろ……」
「はぁ…あずささんには隠せないなぁ。分かってます、
この後ちゃんと雪歩と話をしないとね……危機は回避したけど、問題の根本は未解決だから」
「わたしの時も、言ってくださいましたよね…
のんびりしすぎのわたしに対して『そのままでいいですよ。
むしろ癒し系アイドルとして頑張って売って行きましょう!』って。
あの時はボーっときいてましたけど、後になって凄く嬉しい気持ちになれたんですよ〜」
「そんな事言いましたね……今思い出すとけっこう恥ずかしいかも」
「雪歩ちゃんには……やはり同じように?」
「言ってるんですけどね……どうやら、認めているというより、
諦められていると思われているみたいで…
何かこう、雪歩にはそのまま言葉で説明するより、
他のやり方がいいのか……っと、ここですね。着きましたよ」
「ありがとうございます〜。では、この後も頑張って下さいね〜」
「あずささんもね…今日はありがとう。じゃ、俺は事務所に戻りますね」

彼が事務所に戻ってきた頃には、すでに雨が降っていた。
今日、高木社長は事務所にいないため、彼が戸締りを任されている。
律子とやよい、伊織を帰らせたら雪歩用のスケジュールを組まなくてはいけない。
勿論本人と話し合った上で。
雪歩はどうしているだろうか?
まぁ…罰ゲームを受けていても俺だけは笑うまいと決心して、
彼は応接室のドアを開けた。

「おかえりー、プロデューサー。あのね、雪歩ちゃん凄いんだよー!」
「あ、ご苦労様ですプロデューサー。いやー盛り上がりましたよさっきの勝負」
「っ……もう少し遅く帰ってきなさいよねっ!気の利かないイヌねぇ………にょ」
「……………にょ!?」

彼が聞き返すと同時に真っ赤になる伊織。

「多分………あれだ。今度負けたヤツは
一日語尾に『にょ』を付けて喋るとかいう罰ゲームにしたんだな」
「あったりー♪でもね。そんなことより雪歩ちゃんがすごかったんだよー!
いきなり律子ちゃんと接戦してたんだから」
「ちょっと!『そんな事』とはなによ!………こほん、なににょ!」
「ぷぷ…まぁ、あっちはいいとして、
雪歩ちゃんTVゲームはじめてとは思えないくらい凄かったのよ。
ターン毎に強くなって行くような…」
「律子ちゃん、最後は本気で勝ちに行ってたのー。
でも、株の買い方とか物件の買い方とかが全部ヒットして…」
「経験の差にモノを言わせて結果的に勝ったけど……今回の主役は雪歩ちゃんだったわ。
誰かさんが喧嘩売ったけどあっさり返り討ちだったし」
「はぅ……その、ごめんなさい……あのエリアを押さえないとダメだと思ったから」
「お、覚えてなさいよっ!
来週春香や千早を交えて大勝負するからねっ!
今日のはきっと何かの間違いなにょよー!?」
「さて、と……律子とやよいはもうこれで上がりかな?伊織も途中まで一緒に帰るよな」
「そうですねー。じゃ、戸締りはお願いしますね。明日はレッスンスタートでしたっけ?私達」
「ああ…そうだな。雨降ってるから気をつけてな。やよいは雨の日割引狙いでスーパー行くから特に」
「うん!今日はお客さんも少なくて半額モノが多いから大量ゲットのチャンスだよー」
「人を無視するなー!今度は負けたら脱衣ルールにしてやるからねっ!
私以外みんなお嫁に行けない格好になっちゃえー!……にょ!!」

女3人寄ればかしましい、と言うが…
特にこの事務所で活気のある3人が出て行くと、途端に静かになる。
雨音で車のエンジン音などもかき消され、応接室には2人が残された。 


「知らなかったな…雪歩がゲーム得意だったなんて」
「あ…いえ、さっきはただ夢中でやってただけですから…あの、その…はぅぅ……」
「とりあえず、次のオーディションに向けての活動なんだけど……
まず、どれに応募するか決まってないんだ」
「ええ……あの、やっぱり………もうあまり残ってないですか?出られるオーディションって……」
「正直、少ないけど大丈夫!雪歩の夢も実力も、俺は信じているから」
「プロデューサー……」
「1時間ほど待っててくれないか?今から探してみるから。
……その後家まで送るから、ゲームでもして待っててくれ」
「あ、はい…面白いですね、これ……TVゲームなんてやったこと無かったから怖かったんですけど」
「その歳でゲームに触れたこと無かったのか…
ある意味貴重な子だな…さて、何か適当なソフトは…」

その時、かしゃん、と1本のソフトが落ちた。
黒いプラスチックのROMカセット。いかにも古そうなデザインで、
白いぴったりとした宇宙服らしきものを着た人間と、赤と緑の奇妙な動物が印刷されている。

「お。これ……雪歩にピッタリかも」
「これは……何て読むのでしょう……でぃ、でぃぐ…?」
「まぁ…タイトルは置いといて、もう20年以上前の穴を掘るゲームさ。俺も昔はまった事があってな」
「へぇ……穴を掘るんですか?変なゲームですねぇ」
「雪歩ー、穴を掘るアイドルが穴を掘るゲームを『変』とか言っちゃいかんぞ。
まぁ…とにかくやってみたらどうだ?」
「はい……では、ちょっとだけ」

はじめはほんの冗談のつもりだった。
穴掘りという共通点をきっかけに、会話をつなげようと思っていたのだが………
雪歩は、実にあざやかに敵を蹴散らしていった。
最初こそミスする事が多かったが、一度失敗すると、即座に原因を分析し違う方向からリトライする。
『ここだ』というプレイのツボみたいなものを掴んだら、あとは絶対にミスしない。
15分もしたら、5匹まとめて岩石落としを決めるという離れ業をやってのけた。

「なるほどな……こりゃ、あの律子が驚くわけだ」

おたく層にアピールを狙っている律子は、ゲームの研究にも余念が無い。
最新の話題作から、昔ブレイクした名作まで一通りはプレイできるし、
普通に解けるくらいの腕前を持っている。
そんな律子に引けを取らないプレイを今、見せられているのだから……驚き以外の何者でもない。

「凄いな…雪歩。ワンコインで3桁ステージ行くんじゃないか?このペースだと」
「…………」
「雪歩?……雪歩さーん。」
「…………」
「あ。シベリアンハスキーと土佐犬とチャウチャウが入ってきた!」
「…………」
「集中しまくってるな…ごめん、じゃ、俺は仕事探してみるから……」

そういって、彼は静かに『休憩を適度に挟んでおけよ』とメモを残して応接室を出た。 


雪歩の意識はずっと画面に集中したままだ。

「………どこまでいったのかな?掘って、掘って、堀りぬいて……」

指を的確に動かしながら、この白いキャラクターのことを考えてみる。

「あなたはどうしてここまで穴を掘るの?……やっぱり……埋まりたいの?」

岩を落とし、敵を倒し、野菜を取る。
プレイしながら意識はどんどん奥へ奥へ、………深淵へと辿り着いた。
いつもの穴の中とは違う……光のまったく届かない場所。
雪歩以外、誰も入って来れない聖域……多分、ずっとここにいれば本当に消えてしまう。

「不思議……わたしが見える」

深淵の果てに、自分が…いや、すべてが見えた。見えたような気がした。
今朝、オーディションに落ちた自分と、必死で励まそうとしているプロデューサーが見えた。
昼間、真剣に反省するプロデューサーと、一緒に自分のことを心配してくれるあずさが見えた。
夕方、一緒にゲームをしながらも、
自分を元気付けようと明るく振舞っているやよいと伊織、律子が見えた。
そして……本当は穴から出たい自分が見えた。

まばゆいばかりの地上を歩きたい。皆を楽しませる太陽のような存在になりたい。
そう考えたのは、いつの事だっただろう?
漠然とした憧れが、現実になりかけたのはいつの事だっただろう?
誰かが光の中から手を差し伸べていた。『一緒に行こう』と。その手は誰の手だったか……
それが知りたい。確かめたい。
雪歩の意識が、深淵を突き抜けた。掘って掘って掘りぬいて…地球の反対側へと突き抜けた。

「?」
「!?」

近くに落雷があり、停電がおきたのだが…極限まで集中してた雪歩が気付くはずもなかった。
目を開けると、まだ真っ暗な世界だった。
いつもなら、また慌て始める雪歩だったが…

「えーと…コントローラーの感触…うん、ここは応接室。雨の音が聞こえる…」

軽く意識を外にやってみる。不思議と感覚が残っている。

「さっきの光は雷だったのかな…だとすると停電。
うん…エアコンの音も止まってるし。
プロデューサーはどうするかな…
まず、一瞬止まって停電と知ったらパソコンのデータが消えたことに頭をかかえる。
で、切り替えの早い人だから、私の無事を確認しに急いでやってくる…
途中で椅子か積み上げた書類辺りに躓いて、
ふらつきながらドアを開けようとして、頭をぶつけたりして…」

ごつん、と外で音が聞こえた。

「頭をさすることもそこそこに、ドアノブをあけて『大丈夫か雪歩!』とか言いながら入ってくる…」

がちゃり、とやや乱暴にドアが開いて、誰かが入ってきた。
雪歩は、それがさっき光の中から差し伸べられた手だと確信できた。

「いてて…だ、大丈夫か雪歩!?」
「プロデューサー!」

雪歩が彼に抱きつくのと、事務所の電源が回復するのはほぼ同時だった。

「お。電気、ついたな……良かった」
「プロデューサー…ありがとう……ありがとうございます……」
「お、おい……雪歩、泣いてるのか?そんなに怖かった!?」
「違いますよぅ……穴の話です。何か…掘って掘って掘りまくったら、突き抜けちゃったんです」
「?」
「やりたい事を決めたなら、どんなに失敗しようと関係ないですよね…
成功するまで突き進む以外に無いんです」
「雪歩……」
「みんなとゲームに、教えてもらっちゃいました。
もう…今、凄く良い気持ちなんですよ。今すぐオーディションでも行けちゃうくらい!」
「そっか……うん、本当に良い顔してるな。
でも、今日はもうおしまいだ。今から車出すから家まで送るよ。」
「オーディション……見つからなかったんですか?」
「いや…いくつか候補を見つけたけど、停電でデータが消えちゃったんだ……
明日までには探しておくさ」
「お願いします!では…着替えてきますね」
「ああ」

雪歩が着替えに隣の部屋へ入った後、
彼は一呼吸置いて雪歩のいる部屋に向かってつぶやいた。

「ありがとう…雪歩。キミがいてくれなかったら俺は…
能力やランクに支配される外道Pになるところだったかもしれない」 


雪歩を送り届けた後…彼はまだ事務所に残っていた。毛布を用意して、止まり込み準備も万端だ。

「凄かったなぁ…雪歩の集中力は。もう少し鍛え上げれば、凄い事になるぞ。
あの強さを生かせるオーディションといったら……」

コンピューターからあらゆる番組のアイドル枠をチェックしてみる。
どのオーディションも参加資格はある。しかし、できることなら今の雪歩の魅力をを100%活かしたかった。

「それにしても人間って分からないよな…あんなおどおどした女の子が、
超絶プレイで他のプレイヤーを唸らせるのは爽快ったら…」

一瞬、彼の中で何かが光った。

「唸らせる…アイドル。ゲーム…そうだ!」

彼はすばやく懐から携帯電話を取り出した。短縮ダイヤルでかける時間すらもどかしいと思える。

「あ、夜分遅くすみません、俺です……ええ、高木社長、
確かゲーム通信の浜町編集長と、赤井カンパニーの狭井社長、お知り合いでしたよね?
……ええ、そうです。ええ、はい」

何事かね、と訪ねる高木社長に彼は自信に満ち溢れた様子でこう答えた。

「秘密兵器の誕生ですよ」 


あれから2週間が過ぎた。

「はうぅ……プロデューサー……どうして私、こんな格好でこんな所にいるんですかぁ…」

ここはいつものオーディション会場。だが、今回控え室にいるライバル達はちょっと毛色が違う。
トレーニングウェアではなく、大胆な水着……身体つきも、あずさに近い人ばかりが揃っていた。

「おお…白のワンピ水着も似合うな。ビジュアル面でも決して負けない戦いが出来るぞ」
「プロデューサーぁ……質問に答えてくださいよぅ」

ちらりと雪歩が横を見ると、審査スタッフ達もいつもと違う。
ボーカルおよびダンス審査員がいない代わりに、見慣れない人がいる。
その奥には、髭と眼鏡がよく似合うおじさんと、身体の大きな太った人がいる。

「今受けるオーディションは深夜放映のゲーム番組なんだ。
よってビジュアル審査は水着でという決まりらしい。
あと、そこにいるのが実技審査員で、ゲームの腕前を見る人さ」
「ちょっと待ってください!
そんな審査基準だったら、私なんて胸ちっちゃいし、最初から勝負になりませんよぅ…」
「それは大丈夫。説明すると長いから今は教えられないが…ビジュアルについては俺を信じてくれ」
「う……わかりました。ビジュアルについてはお任せしますけど…」
「あとは、奥にいる人たちも審査に加わるから。
手前にいるのが『ゲーム通信』の編集長で、後ろにいる太ったのが番組の司会タレントだから」
「あ……あのおっきな人、見たことあります…教育番組で歴史を教えていた人ですよね。
あんな真面目な人がゲーム番組?」
「あー、その認識は著しく間違っているぞ雪歩。
後でゆっくり教えてやるから、あれを『良い人』とは思わないほうがいい」
「そ……そうなんですか…」
「実技審査も練習しただろ?プロダクションの皆も協力してくれたし」
「ええ……皆さん、レッスンの合間を縫って付き合ってくれました」 


彼が動き始めてからの2週間、雪歩担当レッスンの半分はプロダクションの皆とのゲームだった。
『どんな才能も、努力なくして開花しない』という社の精神にのっとって、
雪歩はまじめに、しかし楽しそうに取り組んだ。

春香と一緒にADVゲームをプレイして、共に泣いたり笑ったりしながら、
物語とキャラクターの魅力を知った。

千早と一緒に音ゲーをプレイして、
より確かなリズム感とパフォーマンスを教わった。

やよいと一緒にスポーツゲームをプレイして、
全力勝負の迫力と美しさを知った。

律子と一緒に経営や戦略SLGをプレイして、
システムを解析する面白さを知った。

伊織と一緒に格闘アクションゲームをプレイして、
華麗さと爽快感を教わった。

真と一緒に恋愛ゲームをプレイして、
『萌え』を教わった。
……ついでに、美形の男同士が愛し合う、ちょっと変わった趣味も少々。

あずさと一緒にパズルゲームをプレイして、
根気と落ち着きを身に着けた。

亜美、真美と一緒にプリクラやプライズを周って、
大型機器の操作を覚えた。

社長と一緒に昔のゲームをプレイして、
歴史とゲームに対する情熱を教わった。

様々なゲーム機やソフトは、小鳥さんとプロデューサーが用意してくれた。

2週間という短い期間だったが、雪歩の心には数え切れない思い出が刻まれていた。
その経験が、確かな自身となる。たとえ失敗しても全力を出し切る決意が出来た。

「最初から飛ばしていい。俺達の思い出を、ここで全て撃ちつくすつもりで行ってこい!」
「……はい、プロデューサー。行ってきます!」

「えー、では3番の方、プレイスタートです」

審査は着々と進んでいく。
ひとまわり小さいビキニを付けて、
胸を揺らしながらグラビアアイドルがコントローラーをばしばし叩いている。
可愛らしい仕草で泣き言を漏らしながら胸を寄せ、腰をくねらせ…
おそらく担当プロデューサーの指示だろう。
彼の中で、それは違和感でしかなかった。

確かに深夜番組である以上、色気は必須である。
それは否定しない。しかし……
視聴者は、ゲーム番組が見たいということを忘れはいけないのだ。
色気のみを求めるなら、他の番組か大人向け作品を見ればいい。
グラビアアイドル風の女性からは、感じない。……ゲーム好きの持つ、オーラのようなものが。

「急造かもしれないが、雪歩は本物のオーラを持っている……それに…」

ゲーム番組のアシスタントの女性に対して、彼自身不満があった。
番組が終わって数年経った時……何人の女性が収録時と変わらず、ゲーム好きであるか?
ゲームを愛し、ゲームとずっと付き合っているような人なのか?
確かに雪歩は仕事というスタンスでゲームはプレイした。だが……その楽しみ方は本物だった。
事務所の皆と、笑い、泣き……家族のように友達のように付き合ったと確信している。

「はい、では6番の方、準備お願いしまーす」

雪歩の出番は最後。
課題のゲームは20年程前、日本中の子供達を沸かせたシューティングゲームだ。
3分間で得点が一番高い人が☆を獲得できるらしい。

「6番、765プロダクション所属、萩原雪歩です……参ります」 


ゲームが始まった直後、雪歩の意識は深淵にあった。
周りのプレッシャーやライバル達の好奇な視線などをカットする。
静に意識を外に向けて……光輝く地上へと瞬時に浮かび上がった。

「お……おいおい。連射装置付きのコントローラー出したの誰だよ?審査にならないだろ」

自機から発射されたショットの凄まじさに、審査員は勘違いしていた。
雪歩は習い事の一環としてピアノを習っていたので、
掌にはたおやかな外見ながらしっかりと筋肉が付いている。
かつての名人も使っていた『ピアノ撃ち』だ。
持ち前の姿勢のよさもあって、リズムが途切れることなく雪歩の連射は続く。

「いいぞ……雪歩。審査員の興味を引き付けることには成功した」

雪歩のプレイには『華』があった。
ただ効率、高得点を叩き出すだけのものではない。
適度に敵を引きつけ、弾を避けながら一気に殲滅していく。
時にはピンチに陥りながらも、ミスすることなく進んでいく。

「プロデューサーの思い出が、ゲーム画面と重なっていくみたい……もっと……いける!」

審査員やスタッフ達……ライバルの女性達までをも巻き込んで、雪歩の思い出が炸裂する。
誰もが、雪歩のプレイするゲーム画面に意識を吸い込まれ……20年の時を駆け抜けた。

たかだか数十キロバイトにも満たないROMデータ。
そんなものに寝食を忘れて夢中になった時期があった。
名人と呼ばれた人たちに憧れて、『秒間16連射』を合言葉にひたすらにコントローラーを叩いた。
ビー球やコイン、定規を使うというアイデアを、ネットも何も無い時代に編み出した。
母親に怒られ、ACアダプタを隠されても……ゲームから離れる事など無かった。
友達とソフトを貸し借りし……トラブルになったり、引越しで返ってこなかったソフトがあった。
復活の呪文を書き間違え、TVの前で本気で泣いたことがあった。
審査員達の間に、熱いものがこみ上げた。
雪歩のプレイが、まさにゲーマーの心を揺さぶった瞬間だった。

合体する顔を破壊し、『z』の文字全てを撃ち、左右対称の目玉を同時に撃破し……
5方向に星型のショットを撃つ雪歩の自機は、ステージ1のボスキャラへと向かっていく。
この時点でもはやダントツの一位なのだが、審査員全てがゲームに魅入っていた。
結局、雪歩のプレイを審査員が止めたのは、ステージ4の巨大要塞を倒した後だった。

「半分以上分かっていたんだけどね……俺まで感動しちまったよ」

彼は、度肝を抜かれている審査員を見て、このオーディションの勝利を確信した。
それと同時に、一つだけ……どうでもいい事を心配し始めた。

「雪歩のダミー携帯作っておかないとなぁ……この番組スタッフに爆破される前に」 


「もね……もねもね?」
「そう、不思議な感じで。もう少しやさしく」
「もね〜もね、もねもねー」
「いいぞ!次はせつなく、せつなく行ってみてくれ」
「もね……もねねぇ…もね、もね」
「ラストだ。めいっぱい愛情を込めて!」
「もーね……もね!」

765プロダクションの一室、といっても用具室兼物置きだが……
そこで一風変わった表現力レッスンをする二人の姿があった。

「はーい、そこの私の市場を掻っ攫って行った憎きプロデューサー。FAXが来てますよ」
「あの…律子さーん、そろそろ機嫌を直してくださいませんか?
俺も意図的に君の仕事を妨害してるわけじゃないんだからさぁ」
「分かってます!こういう嫌味くらいはさらっと受け流してよね……
雪歩ちゃんの事は、私も凄く嬉しいんだし」
「努力します……ところでFAXの内容って…また声の仕事?」
「そうみたいよ。年末のビッグタイトルRPGのヒロインの声をあててくれだってさ……
ここんとこ凄いわね。雪歩ちゃんの仕事依頼」

ゲーム番組のアシスタントオーディションに合格してからというもの、
雪歩の仕事は爆発するように増えていった。
ゲームが本当に好きになった彼女は、ゲーマーの心をガッチリと掴むことが出来た。
もともと前面に出るような性格ではない彼女は、アシストという仕事に向いていた。
突撃レポートも懸命にこなし、司会のでぶタレントが無茶な要求をしても、着実に応えてくる。
一人のゲーマーとして、AMショーなどのインタビューでも、
ユーザーが一番知りたいことをちゃんと質問する。
ゲームの腕前もますます磨きがかかり、今は司会のでぶタレントをはるかに凌いでしまっていた。
時折困った時の『はぅあぁ〜』や『はわわ〜』も、
普通のアイドルがやれば妙なつくりもの感が出るのに対して、
雪歩の場合、まったく嫌味なところが出ない。
これが地なのだから、ある意味当然だ。
適度に育った外見も、『守ってあげたい』『妹にしたい』感を存分にアピールしていた。

「もはやゲーム業界に欠かせないアイドルになっちゃったわねぇ…
で、その変なレッスンは一体なんなの?」
「おお…これか?社長の友達が今度新作ゲームを作るらしくてね…
ヒロイン役のオーディションに向けての特訓さ」
「えーと…これが資料兼台本ね。どれどれ……
へぇぇ、3Dでここまで綺麗なキャラモデルができる時代になったのね」
「凄いだろ?会社でも異例の3D美少女ADVらしいぞ。
渾身の作にしたいから、ヒロイン役は絶対に外したくないんだってさ」
「なるほどね……で、このヒロイン『もね』しか喋らないわけ?」
「最後まで見ないと分からんが……
いずれにせよ、『もね』の台詞だけであらゆる表現をしなくちゃいけないわけだ。
特訓の甲斐あって、今は8割くらいの確率で雪歩の表現がわかるぞ」
「傍から見れば怪しい特訓にしかみえないけどね……
でも、私の見たところでも取れそうじゃない?ヒロインの役」
「おう!今年一番のでかい仕事になるぞ。名作になりそうだし、全力で取りに行くさ」
「もね…もね!」
「頑張ります、って言ってるのね……
なるほど、私にも少しは分かるなぁ…表現力上がったね、雪歩ちゃん」
「もねー♪」

嬉しそうに頭を撫でられている雪歩。
以前の彼女なら、ここでも戸惑うばかりだったのだが…

「さて…私はふたたび事務作業に戻りますか。
今度は私のほうにも声の仕事とか取ってよね」
「そうだな……年末に『もみじ大戦』シリーズの最新作が出るよな。
あれの新キャラ『発明好きの眼鏡っ子』役でも受けるか?」
「そのまんますぎて嫌味だわ……他に無いの?もっと私に似合うやつ!」
「うーん…旅ゲーで『南へ。』っていうのが出るんだけど、おたくの眼鏡っ子役があったような……」
「もういいわ。何かわたしのイメージって、そこから動かないような気がしてきたから」
「悪いな……この仕事取れたら、好きなものおごるからそれで許してくれ」
「はいはい…じゃ、しっかりね。雪歩ちゃんも頑張って」

律子が出て行くと、再び用具室に2人きりとなった。
もうレッスンも終わりだし、ミーティングでもするかな……と思って、彼は雪歩に声を掛けようとした。
が……… 


「プロデューサー……」

西日をバックに、雪歩が彼をまっすぐ見つめた。いつもと雰囲気が違うように見える。
何だか、妙に艶めかしいというか…大人っぽい。

「ゆ、雪歩……」
「もね……もねもね、もね?」
「えぇ…!?このあと?まぁ、ミーティングで今日はおしまいだけど」
「もーねー……もねもね…もね」
「まぁ、それくらいの時間はあるけど……俺でいいのか?
他にも予定が空いている娘がいたら一緒に…」
「もね!」
「そ、そうか…いや、決して嫌じゃないぞ。ただ、あそこのプリンは大人6人分あるからなぁ」
「もねー、もねねー」
「それはいいけどさ。雪歩が腹壊したりしたら困るだろ?」
「もね……」
「ああ、分かったって。…それじゃ、ディナータイム始まる前に行くか。込んできたら厄介だし」
「もね……もね♪」
「じゃ、着替えて来い。……それと、この部屋を出たら、役に入るのはもういいからな」
「もね……ぷろでゅーさー……もね!」

雪歩が出て行った後、大きく息を吐いて、彼は壁にもたれかかった。

「やばかった……本気でドキッとしたぞ…今」

まさか雪歩から、あそこまで大胆にデートに誘ってくるとは。
しかも甘える際に、ちょっと胸が腕に当たったのは……偶然なのだろうか?
ヒロインの女の子役は、もはや完璧と言っていい出来だ。
別人格を演じたせいなのか、それともあんな子悪魔的な可愛らしさも、
雪歩の一側面なのか。
あれほどの表現力を誇るなら……声優を本業としても問題ないと思う。

「……王道を行くアイドルにはしてあげられなかったけど………」

事務所での雪歩は仕事の数こそトップだが、
アイドルらしいのはどう見ても伊織や春香だろう。

『人を喜ばせたり、元気付ける仕事がしたいです!』
彼に向かってはっきりとそう言った女の子は、
今、確かに多くの人に元気を与え、彼女自身も輝いている。

「俺は、後悔していない……もっと上手くやれたかもしれないし、
王道アイドルにしてあげることも出来たかもしれないけど」

今、多忙ながらも心底楽しそうな雪歩を見ていると……そんなことはどうでも良いと思えてきた。
彼の夢はただ一つ。事務所の門を叩いた女の子を、星となって輝くまで磨く事だ。
そして…多分、星は必ずしもアイドルの世界だけでは無い。

穴掘りの末、深淵の果てから生まれた星。
それは純粋なアイドルの世界ではなく、ちょっと近くの業界へと降り立った。

「プロデューサー……もうとっくに着替えちゃいましたよぅ、まだですか〜はぅぅ…」
「……おう、今行くさー、予定表には『屋外ミーティング』って書いておいてくれー」

やっぱり、いつもの雪歩だ。彼は残念に思いながらも、少しだけ安心した。
これから対するであろう巨大プリン対策に、胃薬の瓶をつかむとドアを開けた。

廊下から差し込む光の中で、彼を待っていた雪歩がゆっくりと手を差し伸べた。

「一緒に、行きましょう……プロデューサー」


了 

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