お姫様の計画

作:名無し

 昔々ある所に、王子様として育てられたお姫様がいました−

「ほーんとに今日は、真様とご一緒できて光栄でしたぁ」
 もう落ちかけた太陽の光が、赤く差し込む喫茶店。
 真は向かいの席で、うっとりとした表情を浮かべる少女に気づかれぬよう、
ちょっとだけ唇をゆがめた。
(さ・・・様ってのはやめてもらえないかな、クラスメートなんだし)
 そう思ってから、真は少々の後ろめたさを感じる。
 アイドルとして事務所に籍を置いてからというもの、
自分の日常は、あきらかに仕事中心で回っているからだ。
デビューを果たして、忙しくなってきた今では、ますますその傾向が強くなり、
正直、学校というものを意識すること自体、少なくなりつつあった。
 だから、彼女から”突然”メールが来たときは、驚きよりも嬉しさが先に立った。
自分がクラスの一員として認知されている、そう思えたからだ。
「だけど、最近お忙しいんですよね、ご迷惑じゃなかったですかぁ?」
「そ、そんな事ないよ、久しぶりに映画とか観られて、楽しかったし」
 慣れというのは怖いもので、本音よりも先に営業スマイルが出る。
 遅れてやってきた本心は、おそらく悟られる事はないだろう。
(よくそんな事言えるよなあ・・・あれだけしつこく誘っておいて)
 自分のメールアドレスが、学校内で売り買いされていると聞いた時は、正直ショックだった。
だから、それとおぼしきメールに対しては、決まり文句で固めた注意のメールを返して、
以降は相手にしない様にしている。
 しかし、残念な事に、
その事実を知ったのは、いま向かいに座る彼女−川村綾子に返事を返した後であった。
 結果、同じクラス−しかも自分の前の席の−ということもあって、
改めて注意するのも気まずく、都合51通目の「この映画が面白いんですよぉ」メールに従い、
二人で映画に行く事になったわけである。
(ううっ・・・最悪の一日だった・・・今日は・・・)
 午後の2時に駅前で待ち合わせ、余裕をみて10分前に行くと、
もう既に待ち合わせ場所で立っている綾子。
「ごめん、待った?」「ううん、今来た所」と、紋切型の挨拶に始まって、二人一緒に映画館へ。
映画が始まるまでの時間をウィンドウショッピングでつぶして、
映画はもちろん、お約束のラブロマンス。
 虫歯になるほど甘ったるいストーリーに涙する彼女にハンカチを貸し、
夕日でオレンジ色に染まった喫茶店で、二人だけのティータイム−
 今日一日が、デートそのもの−それも自分がちょっとだけ理想としてる−であったことに、
真は大事なものを無くしてしまった気がして、青ざめた。
(で、でも、得るものは・・・うん、多かった・・・)
 そんな自分を納得させるよう、ポケットに忍ばせたメモ帳を押さえ、真は心の中でつぶやいた。
 メモ帳の中には今日、綾子を見て、可愛いと思った仕草が書き留めてある。
 綾子は、真が、クラスの中で一番女の子らしいと思っている少女であった。
 見た目も、そして身にまとう雰囲気も、まるで綿菓子のように、甘くてフワフワしていて、
男らしく育てられてしまった真の目に、彼女はとても眩しく映るのである。
 そしてある日、ふと思ったのだ−この娘の真似をすれば、
自分も可愛い女の子に見えるのではないか、と。
 無視しようと思えば出来た筈の、綾子の誘いに敢えて乗ったのは、
彼女から女の子らしさを盗むため。
 その成果は十二分にあった、びっしりと書き留められたメモは、既に101項目。
 ノーマルな女の子としては、あまりにも屈辱的な一日も、明日の幸せの為だと思えば耐えられた。
 真は綾子の存在をついつい忘れ、窓の外の夕日に向かって、熱く拳を握った。
(ふふふ・・・待っててくださいよプロデューサー、
 明日こそ、僕の可愛さに気づいてもらいますからねっ) 


 他愛のないお喋りをし−メモには7項目追加された−店を出た時は、もうすっかりと日が落ちていた。
「本当に今日は、ありがとうございましたぁ」
「お、お礼なんていいよ、僕も楽しかったから」
 恭しくお辞儀をする綾子に、真は慌ててそう答えた。
「ほ、ほんとですかぁ」
「う、うん・・・本当」
 作り笑いをうかべて、真は頷いた。
あきらかに気のない返事だったのだが、それでも、綾子の顔はぱっと明るくなる。
 その屈託のない喜びように、隠していた後ろめたさが、
急に心の中に沸き上がり、真は口早に別れの言葉を告げた。
「そ、それじゃ・・・僕の家、歩いた方が近いんで」
「あ・・・はい・・・」
 綾子が寂しげな表情を浮かべた事には、もちろん気付いていた。
しかし、真は敢えて何も言わなかった。
 彼女は、上目遣いにちらと真を見て、何か言葉を探すようにわずかに唇を動かす。
そして、少しの沈黙の後、精一杯の笑顔で言うのであった。
「それでは、また学校で、真様」
「ああ・・・またね川村さん」
 真が手を振ると、綾子はぺこりと頭を下げた。そして、寂しげに肩を落とし、ゆっくりと歩き始める。
その背中を見ながら、真は頭をかいた。
(ま、まったく・・・狡いよなあ、女の子って・・・)
 綾子が自分に寄せる好意は、単なる麻疹のようなものだろうし、それに答えるつもりも毛頭無い。
 それでも、綾子の行動の一つ一つから、
彼女が、今のこの時間を終わらせたくないという気持ちが、嫌なくらいに伝わってきて、胸が痛んだ。
 少し前の自分なら、その気持ちを察する事は出来なかっただろう。
 でも、今なら判るのだ、自分の中に大切な人が出来てしまった今では−
(まあ・・・いいか、少しくらいはサービスしても・・・)
 溜息を一つつき、真は嫉妬するほどに女の子らしい背中を追いかけ、そして、ぽんと肩を軽く叩く。
 そして驚いて振り向いた綾子に、真は言うのだ。やさしい王子様の笑顔で。
「やっぱり送っていくよ、駅まで」 


 そして翌日−
 事務所のドアをそっと開け、真はこっそり中を除いた。
「・・・よし、誰もいないな」
 本日の仕事は、地方のテレビに生出演。
移動があるので朝の8時に事務所に来るよう言われているが、今はまだ7時を少し回った所である。
 案の定、日曜の朝という事もあり、まだ誰も来ていない。
(明日の為にその1、待ち合わせの場所には先に・・・だ)
 過去、女の子らしく振る舞おうとして、何度も失敗している。
 だから今回は徹夜で、綿密に計画をたててきた。
綾子から盗んだ可愛い仕草を、自分流にアレンジしてまとめ、
そして、それを朝まで徹底的に練習してきたのだ。
 複雑な家庭の事情で、着飾る事が許されない自分の、今できる精一杯の努力である。
(今日こそ・・・今日こそ僕の事・・・可愛いって思ってもらうんだ)
 馬鹿な事にこだわっていると、自分でもそう思う。
 それでも、どうしても体験しておきたいのだ、自分がお姫様になった一瞬を。
 王子様に恋をしていると知った日から、同時に心の中に芽生えた不安があった。
 男っぽい−ともすれば男の子にしか見えない自分の外見。
 王子様は、自分がお姫様である事に気づいてくれていないのではないか、と。
 だから、ほんとに一度だけでいい、大事な人を自分の魅力でときめかせておきたい。
 - 昔々ある所に、王子様として育てられたお姫様がいました−
あまりにも不本意な書き出しで始まる自分の物語に、使い古された一節を書き加えて、安心したいのだ。
 お姫様の姿を見た王子様は、そのあまりの美しさに−そんなありきたりの一節を。 


(・・・では、部屋に侵入して待ち伏せだ・・・そして、えーっと・・・)
「なあ、真・・・さっきから何やってんの?」
「う、うわぁっ!?」
 復習の為にと、ポケットからメモを取り出しかけたところで、突然後ろから声をかけられ、
真は反射的に飛び退った。
「プ、プロデューサーじゃないですか、どっ、どこに居たんですかっ!?」
「何処って・・・仮眠室だけど、泊まりだったから」
「そ、そうなんですか、お疲れ様です」
「どうも・・・っていうか、その格好で言われると、ねぎらわれてる気がしないな」
「え?・・・あ、ああっ!?」
 空手をやっていたせいか、驚いたりすると、反射的に身構える癖がついている。
 一分の隙無く防御を固めている自分に気づき、真は慌てて居住まいを正した。
(さ、サイアク・・・何やってんだ僕・・・)
 棒立ちの王子様に対して、頭部への蹴りを警戒し、やや高めに両腕を構えたお姫様は
−理想とあまりにもかけ離れた一節が頭をよぎり、真は思わずその場にへたり込みそうになる。
 しかし、昨日の特訓を思い出し、なんとか心を奮い立たせた。
(いや、まだまだ・・・チャンスはいくらだってあるさ・・・)
 今日の仕事、目的地までの距離を考えると、移動は新幹線だろう。
そして過去、新幹線に乗ったときは、いつも二人掛けの席で隣に座っている。
 そうなれば事実上の二人きり、計画を実行に移す機会はいくらでもある筈だ。
「だけど、ずいぶん早く来たんだな・・・まだ8時じゃないぞ」
「へへ・・・いい心がけでしょ」
 とりあえずその場を取り繕うために、真はニコニコ笑ってそう答える。
しかし、続く一言を聞いて愕然となった。
「まあ、丁度よかったよ、今電話があって、バスが早く着くらしいから・・・」
「・・・え?」
「今日の仕事、ほら地方のテレビ・・・バスで移動って言っただろ」
「え、ええっ、新幹線じゃないんですか!?」
「あれ、言ってなかったっけ?・・・メイクさんとかも一緒だから、バスだよ」
「そ、そんな、それは予定外ですよっ!?」
「いや、予定通りだって・・・それより早く支度しろ、支度」
 バスといえばいつものロケバスだ。
運転席との仕切りはカーテンだけだし、おまけにスタッフも一緒であれば、
とても二人きりとはいえない状態である。
(そ、そんなあ・・・じゃあ、二人きりなのは今だけじゃないか・・・)
 さすがに関係者の前で計画を実行に移す度胸は無い。真は慌ててメモを取り出し、ページを捲った。
(こ、こうなったら・・・一気に飛ばして、明日のために48っ!)
 今が一番のチャンス、そう判断した真は、胸に手を当て練習した内容を思い出す。
そして、意を決すると、無精髭を撫でながら、眠たそうな目でメールをチェックしている王子様に近づいた。
 そして、精一杯のしなを作り、無言でその横顔を見つめる。
(これはとっておき『乙女の可愛い本心』・・・さあ、僕の視線に気づいてください)
 表情もばっちり、昨日鏡の前で練習した、恥じらう乙女の表情。
(そして、「どうした?」って訊いて下さい、思わずときめく一言をお見舞いしますよっ!)
 無言で見つめること十と数秒、流石に気づかれない筈はない。
王子様は顔を上げると、赤い顔をして、もじもじしているお姫様を見て、言った。
「ああ、トイレは行っておけよ、渋滞するかもしれないから」
「ち、違いますよっ、そうじゃないんですっ!!」 


 白と黒、どちらかと言えば間違いなく黒。
最高と最悪、どちらかと言えば、間違いなく最悪の一日だった。
 仕事はつつがなく終了、現場の評価も上々と、
売り出し中のアイドルとしては、なかなかの一日であったに違いない。
 しかし、恋する少女の一日としては、散々なものであった。
 結局、狂った歯車が再びかみ合う事はなく、
特訓の成果を一度も発揮できないまま一日は終わってしまった。
 しかも、それだけならよかったのだが、朝の王子様の心ない一言に対し、
せめてもの反抗のつもりで、トイレに行かずにバスに乗り込んだものの、
高速道路に乗ったところで、結局我慢できなくなり、泣き言をもらすという、
お姫様にあるまじき失態を演じてしまったのだ。
(こ、子供じゃあるまいし・・・最悪だよ・・・もう・・・)
 真は事務所の隅で鞄に荷物をつめながら、それを思い出し、顔を真っ赤にした。
 今思うと、チャンスは何回もあった筈だ。
行きも帰りも席は隣だったし、現に、今も事務所には二人きりである。
 今日こそはと気合いを入れて臨んでいただけに、このまま帰れば相当に落ち込むことも判っている。
それでも、そのショックから、流石に可愛い少女を演じるテンションにはなれないのだ。
真はため息をついて立ち上がった。
「あ、あの・・・プロデューサー・・・」
「ん?・・・あれ、帰るのか」
 机の上の書類と格闘中だった王子様は、真の姿を見て、そう尋ねた。
 目と目が合うだけで、気恥ずかしさで一杯になる。真は慌てて視線を逸らした。
「は、はい・・・もう遅いですし」
「だな・・・ああ、今日の仕事、上の方でもウケがよかったって、また仕事くるかもな」
「そ、そうですか・・・がんばった甲斐がありました」
 精一杯の作り笑いを浮かべ、ガッツポーズなどしてみせる。
ちょっとわざとらしすぎたかなと、横目で様子をうかがってみると、
王子様はまた、書類と闘い始めた所だった。
気づかれなかった−ほっとした反面、なぜか無性に寂しさがこみ上げた。
 気を引く言葉を、真は必死に探してみる。
しかし、もどかしく唇が震うだけで、どれも言葉にはならない。
そうしているうちに、なんだか鼻の奥がツンと痛くなってきて、涙が溢れそうになる。
「そ、それじゃあ・・・お疲れ様です」
 真は慌てて頭を下げると、踵を返した。そして、逃げるように扉に向かう。
(もう、泣くことないだろ・・・次に頑張ればいいんだから・・・) 


 と、その瞬間−
 不意に、ぽんと肩を叩かれた。予想外の出来事に、真は、驚いて後ろを振り返る。
「・・・駅まで送って行くよ、もう遅いからな」
 かけられたのは、他愛のない言葉だった。でも、そこにあったのは−
「あっ・・・えっ・・・!?」
 昨日の夜の光景がオーバーラップして、胸が途端に、激しく高鳴り始める。
 そう、そこにあったのは、王子様の笑顔−
 我儘なお姫様を優しく見つめる、王子様の笑顔だ。
 あまりにも突然に訪れた、お姫様の時間の中で、真はただ呆然と立ちつくした。
「何ぼーっと突っ立ってんの、帰るんだろ」
「あっ・・・は、はい!」
 驚いて、一粒だけこぼしてしまった涙を、真は慌てて拭った。
そして、王子様の背中を追って駆けだす。
でも、まるで雲の上でも歩いている様に、足下がおぼつかない。
(え・・・ちょっと待って、これって・・・)
 胸の高鳴りを押さえようと、必死に気持ちを落ち着かせてみる。
 でも、落ち着けば落ち着く程に、激しく胸が高鳴るのだ。
 そう、胸がこんなにも高鳴るのは、欲しかった一節を、ついに手に入れたから−
 違う、そうではない。
自分が想像もしていなかった物語が、そこにあった事に気付いたからだ。
「あ、あの・・・プロデューサー?」
「ん・・・どうした?」
「い、いえ、何でも・・・ないです」
 初めてのお姫様の瞬間、そこで初めて見た筈の王子様の笑顔−
それは、いつも見ているプロデューサーの笑顔だった。
 仕事中、自分が馬鹿をやって失敗したときに、よく見せる優しい笑顔だ。
 そういえば、そういえば−真は、慌てて記憶をたどる。
 そして、思い出す全ての光景の中で、自分はいつでもお姫様であった事に、今ようやく気づいた。
(ね、ねえ・・・いつから・・・)
 試しに、お姫様は、王子様のスーツの袖を、軽くつまんでみる。
 王子様はお姫様をちらりと見て−
でも、決してその指を振りほどこうとはせず、ただ黙って視線を逸らした。
 お姫様は、それを見て嬉しそうに微笑むと、心なしか恥ずかしげなその横顔に、
心の中でこう問いかけるのだった。
(・・・いつから、僕のことを見ててくれたんですか・・・王子様?)

 結局、その物語は、お姫様の想像よりも遙かに凡庸で
 使い古された、ありきたりの書き出しで始まっているのでした

 昔々ある所に、とても美しいお姫様がいました
 お姫様の姿を見た王子様は、そのあまりの美しさに、たちどころに恋に落ち− 



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