異国の空に響く歌

作:ばてぃ@鬼

真冬のニューヨーク。
コンクリートとアスファルトに囲まれた無機質なその都市を吹き抜ける風は、
人々の頬を切り裂くように鋭く、冷たい。
地下鉄の換気口からは白い湯気が立ち上り、
路上では露天商がクリスマスを前に必死になってアクセサリーを売りさばいていた。
ここでは人間の命の鼓動が聞こえない。
ただ、俺の目の前にいる少女を除いては・・・。
俺と千早はアイドルを引退した後、本拠地をここアメリカへと移していた。
大通りに面する場所にある小さなビルの一角に新しい事務所はあった。
そう、それはまるで俺がプロデューサーとしての道を歩き始めた
あの最初の事務所にそっくりだった。
そのビルを見上げるたびに、アメリカで一からのスタートにふさわしい場所に思えてならない。
そんな小さな事務所の応接室に俺と千早はいた。
年代を感じさせる赤褐色のソファーに向かい合って座り、
来週から新曲のレコーディングに入るための話し合いをしていた。

「とりあえずお前は喉の管理を徹底的に。スケジュールの遅延は許されないからな。」

俺は強く千早をにらみつけた。
千早はそれに臆することなく堂々と答える。

「自己管理はプロとして当然です。
やっと掴んだチャンスを逃すつもりはありません、絶対に。」

その瞳には力強い光が宿り、その言葉は鳥肌が立つほど自信に満ち溢れていた。
俺は小さく頷くと開いていた企画書を閉じた。

「頼もしい限りだな。絶対にこの新曲は成功させよう。じゃあ俺は社長と話をしてくるよ。」

そう言って俺が席を立ったときだった。

「あの・・・プロデューサー・・・?」
「どうした?何か質問でもあるのか?」

千早は顔を赤くしてためらいがちに言った。

「その・・・頑張りますから・・・い、いつもの・・・。」

その言葉で俺は理解した。

「ん・・・?・・・あぁ、わかった。じゃあレッスン室においで。」
「は、はい。」

そう言うと俺は席を立ち、レッスン室へ向かった。
千早も少し恥ずかしそうに、顔をキョロキョロさせながらついてくる。
俺はレッスン室のドアを開けると千早に中に入るように促した。
千早は小さく会釈すると部屋の中に入った。
続けて俺も入り、ドアの鍵をしっかりと閉める。

「プロデューサー・・・。」

そう言いながら千早は俺の体に抱きついてきた。
いつもの千早では想像もつかない姿だが、千早は俺だけにはこんな風に甘えてくる。
そして俺はいつものように優しく抱きしめると、右手で頭をゆっくりと撫でてやった。
いつからだろうか、俺たちはこんな風な関係になったのは・・・。
気が付けば・・・という言葉が一番適切なのかもしれない。
ただ、付き合っているというわけでもなく曖昧な関係がずっと続いていた。
それでも千早は何一つ不満や要求をつきつけてくるわけでもないし、
俺もお互いをあまり縛られないこの関係は負担に感じていな

かったが・・・。

「プロデューサーに頭を撫でられると・・・すごく落ち着きます・・・。」

千早は瞳を閉じて、俺の胸の中でその幸せを噛み締めるようにつぶやいた。
そんな姿を見ていると正直胸の鼓動が止まらない。
毎回千早にこんなことをして・・・妙な罪悪感と緊張感に包まれる。
俺の胸の高鳴りを一番近い場所で聞いているはずなのに千早は何も言ってこない。
「いつもの・・・。」という言葉で通じ合い、当たり前のように繰り返される抱擁。
だが・・・プロデューサーと歌手、その垣根を越えることはできない。
そう俺は思っていた。 









まだ陽がかろうじて西の空に浮かんでいる中、
私はタクシーに揺られて家路へとついていた。
まぶしいほどのオレンジ色の光が街中に溢れている。
ドアによりかかるようにしてその風景を見ていた私は小さくため息を漏らした。

「また・・・抑え切れなかった・・・。」

プロデューサーに励まされるたびに、褒めてもらうたびに胸がどうしようもなく苦しくなる。
あの優しい瞳が辛いことをすべて忘れさせてくれる。
頭を撫でられるたびに心が楽になって・・・自分が自分じゃないように感じる。

「プロデューサーは私のこと・・・どう思っているのかな?」

引退コンサートの後で伝えた私の正直な気持ち。
プロデューサーと一緒に世界を目指したかったから、
一緒に来てくれるって言ってくれたときは本当に嬉しかった。
あの日の夜は興奮して眠れなかったことを覚えている。
だけどプロデューサーは私を世界トップレベルの歌手にするためだけに来てくれたのだろうか?
約束したから義理を果たすためだけなんて・・・私は嫌だ。
プロデューサーを信じているから本当の気持ちが知りたい。
だけど、聞いてしまったら全てが崩れてしまいそうで怖かった。
もし私の想いとプロデューサーの想いが食い違っていたら・・・。

「・・・切ない・・・。」

私はそうつぶやくと胸の上で手をぎゅっと握り締めた。
今まで生きてきた中で初めて生まれてきた感情に戸惑っている自分がいる。
気が付けば一筋の涙が頬を伝っていた。





私は晩飯を食べることもせず、家に帰ってからずっとベッドの上で横になっていた。
ふと机の上の時計に目を向ける。
まだ11時を回ったくらいの時間だった。
私は上半身だけ起き上がり、小さくため息をつく。
そして自分の背中越しに後ろの壁をじっと見つめる。
この壁一枚を隔てた向こうに・・・同じマンションにプロデューサーは住んでいる。
こっちに来る時に女の子の一人暮らしは危ないからと、
わざわざ部屋が隣り合うようにしてくれたのだ。
私はそっと壁に耳を当ててみる。
壁の中を通る水道管を流れる水の音に混じって、
時々椅子のきしみやプロデューサーの足音が聞こえる。
私は壁を二回コンコンと叩いた。
いつもプロデューサーと話がしたい時私は壁を叩いている。
そして窓から身を乗り出せば・・・。
私は部屋の窓を開けた。
ほんの少し潮の香りが混じった、
肌を引き締めるように冷たい空気が部屋の中へと流れ込んでくる。
私は身を乗り出してプロデューサーの部屋の窓を見つめた。
ほんの少し間隔が空いてプロデューサーは窓を開けて身を乗り出してきた。
お互い顔を見合わせるとにこっと笑ってみせた。

「どうした?眠れないのか?」
「はい、なぜだかわからないんですけど・・。」
「まだ11時回ったくらいだからな。」

プロデューサーはそう言うと夜空を見上げた。
私はそんなプロデューサーの横顔をじっと見つめていた。
そうしているだけで徐々に胸の鼓動は高まっていく。

(今なら・・・プロデューサーの本当の気持ち聞けるかな・・・?)

私の視線に気づいたのか、プロデューサーは不思議そうな顔でこちらを向いた。

「どうした?顔に何かついてるか?」

その優しい瞳に思わず視線をそらしてしまう。
自分でも呼吸が乱れていくのがわかる。
胸の苦しさに思わず胸の上で拳を握り締めた。
私は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて、思い切ってプロデューサーに質問してみた。 



「あの・・・プロデューサー?」
「ん?」
「・・・プロデューサーはどうして一緒に来てくれたんですか?
あのまま日本に残ることもできたと思うのですが。
 あの・・・それはやっぱり・・・!」

プロデューサーは私の言葉をさえぎるように答えた。

「千早の夢、叶えるために俺は一緒に来たんだよ。それだけかな。」

その瞬間、私は一気に体中の体温が奪われていくように感じた。
夢から現実へと一気に引き戻された気がして、プロデューサーの言葉を信じることができなかった。
心の中に「やっぱり」という気持ちと「嘘だ」という気持ちが入り混じり、私の視線は宙を泳いだ。
胸の鼓動もいつの間にかおさまっている。

「そうですか・・・。」

私はそう言うと窓を閉めて部屋の中へと引っ込んだ。
その時プロデューサーはまだ何か言っていたが、もうどうでも良かった。
ふらふらおぼつかない足でベッドに力なく倒れこむ。
私は声も上げず、ベッドに突っ伏して泣いた。
歌手とプロデューサーの関係なら歌に、夢に期待して支えてくれるのは明白だ。
ただ、それでも心のどこか片隅に期待するものが残っていた。
歌なんか愛してくれなくて良い。
夢なんか捨て去っても良い。
だから、本当にほしかった言葉、想いがあったはずなのに・・・。
なのに・・・なのに・・・。
いつもプロデューサーが私に向けてくれた笑顔は偽善なの?
あの暖かい手の温もりは仕方なく差し出されたものなの?
悔しくて悔しくてシーツを力の限り握り締めた。
涙は次々と溢れて止まらなかった。





あの日の夜から千早の様子がおかしい。
仕事上には何の影響もないのだが・・・どこか態度がよそよそしいというか、冷たくなった。
一時的に不機嫌になるのならわかるがすでに二週間が経過していた。
もちろん彼女を抱きしめたり頭を撫でたりなんてできるわけもなく、
仕事が終わればすぐに席を立ちその場からすぐいなくなる。
あの冷たい態度と凍えるような視線。
まるで千早を初めてプロデュースした時にタイムスリップしたように感じる。
事務所の他のスタッフとは普通に話しているのを見ていると、どこか寂しくてイラついた。

「はぁ〜・・・。」

ソファーにもたれかかって俺は大きくため息をついた。
見上げた天井で使い古された蛍光灯が弱弱しく光っている。

『どうしたんだ?』

その声の方を向くとそこには事務所の社長、レオン・グッドスピードが立っていた。
彼は元々アメリカでそこそこの成功を収めた歌手だった。
今は歌手を引退して事務所を設立し、才能溢れる歌手の育成に励んでいる。
レオンは向かいのソファーに浅く腰掛け腕を組んだ。
そして俺の目を覗き込むようにじっと見つめてくる。

『なんでもないですよ。』

俺はそう言うと視線を逸らした。
だが、レオンは俺の言葉を見透かしたように言ってくる。

『君は嘘が下手だな。千早と何かあったんだろ?』

どうやら彼には隠しきれないようだ。
俺は観念して話すことにした。

『実は・・・千早が二週間前からずっと不機嫌らしくて。
ただ、冷たい態度を取るのも俺だけなんです。』
『ふーむ、それは初耳だ。彼女は私にはいつもと変わらず接してくれているからな。』

レオンは両手を組んで肘を膝の上に乗せ、考え込むようなポーズを取った。

『何が原因なのかは・・・わからないんだよな?』

その言葉を聞いて俺の脳裏によぎったのはあの夜の出来事だった。
夜景を眺めながら何気ない会話を交わした。
俺にとっては・・・だが、千早にとって何か気に入らない言葉でもあったのだろうか?

『原因というか・・・実は二週間前彼女と少し話をしたのですが、
多分その時からじゃないかと思います。』
『彼女と何を話したのか思い出せるかい?』

俺は多少薄れてしまった記憶を必死に思い出した。

『確か・・・眠れないという話をしていて、それから・・・。』
『それから?』
『彼女に質問されたんです。どうして一緒に来てくれたのかと。』
『それで君はなんて答えたんだ?』
『夢を叶えさせるためにって・・・。』

そこまで聞くとレオンは大きく息を吐いてソファーによりかかった。

『聞いている限りでは彼女が怒る原因はなさそうだな。あえて考えるとしたら最後の答えだな』
『本心を言ったのに何が駄目なんでしょうか?』
『それは彼女に直接聞いてみるしかないだろう。・・・まぁ俺からもそれとなく聞いてみるよ。』
『いえ、そんな迷惑をかけるわけには。』 



だが、レオンは笑って答えた。

『千早も君も今や私の大事な友人だ。このくらいさせてくれてもばちは当たらないだろう?』

確かに今の状況じゃ俺と千早が話し合いしても何かと理由をつけて逃げられるか、
無視を決め込まれるだろう。
そういうことを考えるとレオンに頼るしかないのかもしれない。
俺は深々と頭を下げた。

『本当に感謝します。』
『良いってことさ。しばらくは辛いだろうが辛抱してくれ。』
『はい。』
『じゃあ俺は予定があるからこれで失礼するよ。・・・上手くいくといいな。』

レオンはそう言い終えると応接室を後にした。
一人残された俺は席を立つと自分の机へと向かった。
応接室から続く薄暗い廊下を歩いていると正面に人影が見えた。
千早だった。
彼女の姿を確認した瞬間、俺の心臓はまるで締め付けられるような痛みを感じた。
平静を装いやや早足でそのまま歩き続ける。
千早も俺の姿に気づいたらしく、視線を逸らしてややうつむくように歩いてくる。
廊下の中ほどで二人はすれ違った。
その瞬間ほのかに香る彼女の香りがあの日のことを・・・
千早を抱きしめたことを無理やり思い出させる。
気が付けば振り向き、千早に向かって叫んでいた。

「千早!・・・話がある。」

その言葉を聞いて千早も立ち止まる。
だが、振り向こうとはせずその場に立ったまま俺の言葉に答えた。

「なんでしょうか?私には何も話すことなんてありませんが?」
「俺にはあるんだ。」

千早のついたため息が離れた俺にまで聞こえてきた。

「手短にお願いします。」
「うん。あのさ、どうして俺を避けるように冷たい態度を取るんだ?
もし俺が何か悪いことをしたなら謝りたいんだ。」
「・・・謝る?」

背中を向けていた千早はゆっくりと振り返り、その冷たい視線を俺に浴びせかけた。
俺をまるで人としてみていないようなその瞳に俺はぞっとした。

「謝る必要なんてないですよ。全部私の勘違いなんですから。」
「勘違い?」
「そうです、勘違いです。・・・思い出すのも嫌なのでもう良いですか?」
「待てよ。勘違いって何だ?俺はお前に誤解をまねくようなことをしてきたのか?」

その言葉を聞いた瞬間、千早の顔は怒りの表情に変化した。

「『してきたのか?』ですって・・・?じゃあなぜ、なぜ私を抱きしめたんですか?!
 アメリカに来たのも夢を叶えさせたいから!抱きしめたのも全て同情からなんですか?!」

突然大声で怒鳴り散らし始めた千早の声を聞きつけて数人のスタッフが各々の机を離れ、
廊下までその様子を見に来た。

「同情なんて私はいらない!!
私がほしいのは、ほしかったのはそんな傷の舐めあいみたいな感情じゃない!!
なのに、わかってくれると思った人にわかってもらえなかった苦しみがわかるんですか!!?」
「待ってくれ。それには俺なりの理由が・・・!」
「そんなの聞きたくないっ!!!」

いつしか千早の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
彼女はそれを拭うこともせず、拳を握り締め、ただただ怒りに肩を震わせていた。
そしてぽつりと言い放った。
俺たちの関係を終わらせる言葉を。

「私にはもうあなたみたいなプロデューサーは必要ありません。・・・さようなら。」

千早は再び俺に背を向けるとロッカールームへと入っていった。
俺は言い返す言葉も見つからずその後姿をただ見送るしかなかった。 






一週間後、俺はJ.F.K空港にいた。
肩にはリュックを背負い、左手には大きなスポーツバッグ、
右手には日本行きの航空券とパスポートを持っている。
空港に設置されたベンチシートに座りながら忘れ物がないかどうか確かめる。
一通り確認が終わると俺は腕時計を見て時間を確かめた。
時計の針は午後一時五分を指している。
出発時刻まであと四十分。
ふとどこからか聞き覚えのある曲が流れてきた。
その歌声に耳を澄ませる。

「そうか・・・今日は千早の新曲の発売日だったっけか。」

この曲は千早がアメリカに渡って来て事務所が決まるまでの間、
部屋に閉じこもって考えだしたものだ。
以前から彼女は自分で作詞作曲することにのめりこんでいた。
それは日本にいたときからずっと今まで変わらず、
ただひたすらに千早は千早の歌を作り出していた。
アメリカに移り住んで最初の作品であり、
新天地での活躍する姿を夢見て書いたその歌が俺は気に入っていた。
千早は曲を考えだす度に俺の部屋のドアをノックしては嬉しそうに見せに来ていたのを思い出す。
二人で笑い合い、悩み、時には涙したその瞬間は色濃く俺の記憶に刻み込まれている。
記念すべき千早のアメリカデビューのはずだった。
ただ・・・今となってはもう全て水泡に帰したわけだが。

「千早なら大丈夫だ。」

俺は無理やり自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
そう言わなければ彼女を忘れることなんてできないと思ったから。

『自分の大事な歌手を捨てて日本に帰ろうとしているのは君かな?』

聞き覚えのある声のほうに振り向くとそこにはレオンがいた。
彼はにこっと笑うと俺の隣へ座った。

『見送りならいらないのに・・・。』
『言っただろ?君は大切な友人だと。辞表を受け取ったよ。・・・今回のことは力になれなくてすまない。
 彼女とは何度か話し合ったんだが・・・。』
『いや、全て自分の責任ですから。千早をよろしくお願いします。』

俺は深々と頭を下げた。
レオンは俺の肩をぽんぽんと軽く叩くとこう言った。

『頭を上げてくれ。なぁ、今ならまだやり直せるんじゃないか?もう一度彼女と話し合ってみてはどうだ?』

俺は首を横に振った。

『あいつは頑固だから。それに千早の一番側にいたのに何もわかっていなかった俺が悪いんです・・・。』

気が付くと視界がぼやけていた。
「千早」と口にするたびに二人で歩んできた思い出が頭の中を埋め尽くし、胸をいっぱいにさせる。
言葉を続けることができなかった。
レオンは優しく俺の肩を抱いてこう言った。

『人間は完璧にわかりあうことが不可能な動物だ。
 たとえ産まれてから死ぬまで語り合ってもお互いをわかりあうなんて無理だろう。
 彼女は確かに頑固で不器用かもしれない。だが、彼女が唯一本心を表現できるものって何かな?』

その言葉を聞いて俺ははっとした。
俺の頭には一つの単語が浮かび上がっていた。

『歌・・・ですね。千早は何よりも歌を愛している。』
『うむ、そうだな。その歌を世の中に広めることはできる。
 百人中一人でもその歌を好きになってもらえれば良いだろう。
 だが、本当に伝えたい人が好きになってくれなければその歌は存在価値を無くしてしまう。
 君は・・・千早の歌が好きかい?』

俺はシャツの袖で涙を拭った。
そしてレオンの問いかけに力強く答えた。

『誰よりも好きです。』
『うん。たとえ今は無理だとしても、
彼女の気持ちに答えるのが君の役目だと思うのだが・・・どうかな?』

その言葉が大きく俺の心を揺さぶっていた。 






私は朝からずっとベッドを離れず、ただぼんやりと横になっていた。
新曲の発売日だというのにチャートに対する興味は皆無に等しかった。
発売したばかりだというのにすでにあの曲への愛情は失われつつあった。
今はもう私には意味の無い曲だから。
ふいに空腹感に襲われた私は重い体を無理やり動かして着替えを済ませた。
財布をポケットに入れて部屋の玄関を出る。
鍵をかけて共同廊下を歩き出したその時、とある部屋の前で自然と足が止まった。
その部屋はかつて私が想いをよせていた人が住んでいた部屋。
あの決別した日からちょうど一週間が経っていた。
そういえば昨日慌しく引越しをしていたのを思い出す。
私はその部屋のドアを開けてみたくなった。

「期待なんか・・・してない。」

自分にそう言い聞かせるようにつぶやくとゆっくりとドアノブを回す。
ガチャリと音がしてドアがゆっくりと開いていく。
思っていたとおり部屋の中はからっぽで全ての荷物は無くなっていた。
私は部屋の中に入ると一番奥の窓へと足を進めた。
木製の床がギシギシと音を立てる。
窓の近くまで来るとその枠をつかみ内側にゆっくりと開く。
目の前には夜とは違った色を見せるマンハッタンのビル郡が広がっている。
私は思わず身を乗り出し、自分の部屋の窓を見つめた。
あの人はここからどんな思いで私を見ていたのだろうか・・・?
冷たい空気を受けて私は窓を閉めた。
そして部屋の中を振り返る。
何一つ残されていない部屋。
無機質なその空間は今までのこと全てが夢であったかのように思わせる。

「・・・馬鹿ね、私って。」

私はそうつぶやくと自虐的に笑ってみせた。
そして次の瞬間には失いかけていたあの想いが溢れかえっていた。
初めてあの人を見た時、本当に頼りなく感じた。
初めてオーディションに合格した時、あの人は子供のようにはしゃぎまわっていた。
初めて水着を着て人前に立った時、あの人はわざとプールに落ちてリラックスさせてくれた。
初めてオーディションに落選した時、あの人は何も言わず震える肩を抱きしめてくれた。
初めてオリコン一位を獲得した時、あの人は夜通しパーティを開いてくれた。
初めて・・・初めて・・・。
涙なんてもう見せないと決めていたはずなのに、気持ちを無視するかのように涙は頬を伝った。
私はその場に座り込むと嗚咽を漏らした。
いなくなって初めて気づくその存在の大きさを私は甘く見ていた。
こんなにも私の心はあの人で染まっていた。

「やっと・・・初めて好きになれた人・・・だったのに・・・っ・・・。」

私は自分の犯した罪の大きさを改めて実感した。
たとえこの声を失ったとしても、この瞳が光を失ってもあの人だけは失ってはいけなかったのに。
私はふらふらと立ち上がるとおぼつかない足取りで歩き出した。
向かう先は空港、そこしかなかった。

(まだ間に合うかもしれない・・・!)

マンションを出て表の通りに出るとタクシーを探した。
ちょうど運良く市営タクシーが通りがかり、私は手を上げて車を止めた。
後ろのドアが開き急いで乗り込む。
やや小太りで髭を蓄えた運転手は半身振り返りこう言った。

『どこまで?』
『J.F.K空港まで!』
『了解。』

運転手はぶっきらぼうに言い放つとアクセルを踏み込んだ。
どこか落ち着かない私を見て運転手はバックミラー越しに話しかけてきた。 



『空港に何のようだい、お嬢さん?』
『大事な人が日本に帰ってしまうの。私のせいで。
だから今すぐ空港に行って引き止めなきゃいけない。』
『こんなにも美しい君をそうさせるなんて・・・よほど素敵な人なんだね?』

私は小さく頷いた。

『出発までどのくらい?』

運転手は腕時計を見て時間を確認した。
私も腕時計を見る。
時間は午後一時半を回っていた。

『わからないの。』
『ちょっと待ってくれ。』

そういうと彼は無線で他のタクシーに連絡を取り始めた。

『765番より他のタクシーへ。
誰か日本行きの飛行機が何時に飛び立つか知っている奴はいないか?どうぞ。』

しばらく間が空いて一人だけ返事があった。

『902番より765番へ。
今空港にいるんだが、次の日本行きの便は一時四十五分発になっている。どうぞ。』
『了解、感謝する。』

運転手は無線を元の位置に戻すと一度車を止めてこちらに振り返った。

『ここから空港まで二十分かかる。』

今一時半だから空港に到着した時にはすでに飛行機は飛び立った後になってしまう。
私はうなだれて涙ぐんだ。
いつも幸せは私から逃げていく。
目の前にそれはあったはずなのに私の手をすりぬけて二度と届かない場所へと行ってしまう。
弟を失い、両親を失った。
今度は・・・。
しかし、運転手はさらに言葉を続けた。

『ただ、それは制限速度を守って走った場合だ。』
『・・・え?』
『もっとスピードを出せば間に合う可能性も出てくるだろ。』

そう言うと彼は思いっきりアクセルを踏み込んだ。
私はGを受けて後部座席に思いっきり押し付けられる。

「きゃっ!」
『何があっても間に合わせて見せるさ。それに君を泣かせる男を一発殴ってみたいからな。』

私を乗せたタクシーは粉塵を巻き上げ空港への道を一直線に向かった。



俺はスポーツバッグを預け終わると手荷物検査場の入り口で待つレオンのところへと歩み寄った。
そしてまた深々と頭を下げた。

『短い間でしたがお世話になりました。』

彼は俺の肩を優しく何度も叩いた。
そして寂しそうな顔で言った。

『例え自分の気持ちに正直になっても、帰ってしまうのかい?』
『はい。・・・もう手遅れでしょうから。』
『そうか・・・本当に残念だ。またいつでも遊びに来てくれ。そして・・・』

レオンは目頭を押さえて顔を逸らした。
言葉を続けることができなくて一言『すまない。』と言うのが精一杯のようだ。
俺は黙ってレオンと力強く握手をすると別れを告げた。
手荷物検査場を通る時にふと後ろを振り返る。
レオンはただ寂しげな顔で手を振っていた。
俺も右手を上げてそれに答える。
・・・ただ、俺の視線はもっと別の何かを見ていた。
もしかしたら千早が空港に来てくれるのではないかとほんの少しだけ期待していた。
しかし、彼女の姿は無かった。

『チケットを拝見します。』

身体検査で俺の順番が回ってきた。
あの金属探知機のゲートを一度潜ってしまえば、もう戻ることはできない。
俺は係員にチケットを渡し、ゆっくりとゲートへ向かう。 





幸いにしてこの暴走タクシーはパトカーに追いかけられてはいないようだ。
私は高速でカーブを繰り返すタクシーの中で必死に踏ん張っていた。
途中幾度と無くドアに叩きつけられそうになったが、かろうじてぎりぎりで耐えることが出来た。

『もうすぐ空港だ。降りる準備して。』

運転手は普通に言ってのける。
ただ、予測のつかない揺れの中何をどう準備すれば良いのか皆目検討もつかない。
と、次の瞬間車は急停車し私は前後の座席をしきるプラスチックのボードに思いっきり頭をぶつけた。

「・・・〜っ。」

一瞬視界が真っ白になり続けて真っ暗に暗転した。
ほんの一瞬何も見えなくなったが、そのうち徐々に光を取り戻し、はっきりと物が見えるようになった。
私は頭を抑えつつ上体をゆっくりと起こした。
運転手は振り返って何事もなかったかのような表情をしている。

『さ、空港に着いたぞ。運賃は特別にまけてやるから行ってきな。』
『え・・・あ、ありがとう。』

私は慌ててタクシーのドアを開けて空港内へと向かった。
二重の自動ドアをくぐりぬけ発着ロビーへと急ぐ。

(お願い、間に合って!)

そう祈らずにはいられなかった。
走りながらちらっと時計を確認する。
時間は一時四十四分を指していた。
走り続ける私の目の前に手荷物検査場が見えてきた。
その向こうには搭乗口へ続く長いフロアが広がっている。
私は必死になって背伸びをし、プロデューサーの姿を探した。
しかし、幾重にも重なる人の波で見つけるのは容易ではなかった。
それでも諦めきれなかった私は無我夢中で叫んでいた。

「プロデューサー・・・プロデューサー!!!」

その声に数人の人が振り返ったが、その中にプロデューサーの姿は無かった。
そして飛行機の案内板に視線を移した瞬間、無常にも一時四十五分発の飛行機の情報が消えた。
無情にもそれはその便が離陸したことを意味していた。

「うそ・・・。」

私はぺたんとその場に座り込んでしまった。
立ち上がろうにも体に力が入らない。

(間に合わなかった・・・。)

泣くことはできなかった。
泣いてしまえば現実を認めてしまうことになるからだ。
しかしその思いとは逆に体は正直に気持ちを表していた。
私は拳をわなわなと震わせてこの運命を、そして何より自分自身を呪った。
何をやっても結局一人ぼっち。
それならばいっそ死んでしまったほうが良いとも考えた。
その時だった。

「何やってるんだ、こんなところで?」

その声は聞き覚えのある、だけど久しく聞いていなかった声だった。
記憶をたどりその人の顔を思い出す。
ゆっくりと顔を上げたそこには何度も夢に出てくるほどに想いを馳せたあの人の顔があった。
プロデューサーは不思議そうな顔で私の前にしゃがみこんだ。

「歌のレッスンは?次の新曲決まったのか?」

彼はそう言うと私の顔を覗き込んできた。
そしていつしか溢れた想いは凍える私の心を溶かしていく。
私は人目もはばからずプロデューサーに抱きついた。
今まで心の奥底に閉じ込めていた想いを解放させるように、強く強く彼を抱きしめた。
彼は何が起きたのか理解できず、驚いた顔できょろきょろ頭を動かしている。 



「え?ちょ・・・千早?」
「なんで・・・。」
「え?」
「なんでこんなところにいるんですか?」

プロデューサーは頭をぽりぽり掻き、困った表情で答えた。

「いや、それがさ・・・。
 手荷物検査場のゲートをくぐろうとしたんだけど、
もう千早に会えなくなると思ったら前に進めなくて。」
「馬鹿ですよ・・・。本当に・・・馬鹿。」

(だから大好きなんですよ・・・。)

彼のその一見愚かな行動が私にとっては限りなく嬉しかった。
私は抱きしめていた腕をゆっくりとほどき、プロデューサーと見詰め合った。

「あの・・・ごめんなさい。あんなひどいことを・・・私・・・。」

プロデューサーはくすっと笑うと私の頭をくしゃくしゃに撫で回した。

「あれはさすがにパンチの効いたセリフだったな。しばらく立ち直れなかったよ。」
「ごめんなさい・・・。」
「俺も・・・千早の気持ちに気づいてやれなかったからな。
・・・いや、本当は気づいていたのかもしれない。
いつもお前を抱きしめるたびに、その回数を重ねるたびにお前の俺へ対する想いは膨らんでいった。
でも俺はプロデューサーでお前は歌手。その立場が俺の想いをせき止めてた。
だから変なことでお前の才能をつぶしたくなかったから『夢のために』としか言えなかったんだ。」
「変なこと・・・って、ひどいですプロデューサー。」

私はむっとした。
私だって立派に女の子なんだけど・・・。
そんな表情を見てプロデューサーは慌てて取り繕うように言った。

「いや、その・・・ほらゴシップとかつくと面倒じゃないか?」
「それはそうですけど、でももっと別の言葉があると思うんですけど。」

そう言うと私はプロデューサーの両頬をつねった。
なんとなくむかついたから思いっきり。

「ひひゃや、いひゃいひょ。」
「何言ってるのかわかりません。言うべき言葉をもっとちゃんと言ってください。」
「んー・・・。ひひゃや、ひゅひひゃひょ。」
「はい?」

プロデューサーはつねっている両手をつかんで離すともう一度、今度はきちんと聞こえる声で言った。

「千早、好きだよ。」

その言葉をどれだけ待ち望んだだろうか。
愛する人に生まれて初めて言われたその言葉は体中をかけめぐり、私の体は一気に火照っていく。
顔から火が出るとはこのことをいうのだろうか。
恥ずかしいのと嬉しい気持ちが入り混じって不思議な気分に満たされた。

「千早大好き。愛してる。」
「そ・・・そんなに連呼しないでください!は、恥ずかしいじゃないですか・・・もう・・・。」
「今まで言えなかったから・・・良いだろ?」

プロデューサーは照れくさそうに笑ってみせた。

「もう知りません。さっさと日本に帰ってください。」
「千早がそう言うなら帰るけど・・・まだ千早の気持ち、聞いてないから帰れないよ。」
「い、言わなきゃいけませんか・・・?」

私は自分でも顔が真っ赤になっているのがわかった。
上目遣いにプロデューサーを見つめる。
プロデューサーは優しい微笑みを浮かべてじっと私の顔を見つめている。
私は思わず目を逸らした。
そして・・・生まれて初めての告白をした。

「す・・・好きです、プロデューサーのこと。ずっと側にいてください・・・。」
「はい、俺でよければ。」 



そう言うとプロデューサーは私の頬にそっと手を添えて、優しく唇を重ねた。
今までの全ての苦労がこの時のためにあったように思えて自然と涙が零れ落ちた。
もう何も悩むことも不安になることもない。
私には世界で一番大事な人が側にいてくれるのだから。
私の涙が止まる頃、プロデューサーはゆっくりと唇を離した。

パチパチパチパチ!!

その瞬間いつの間にか二人の周りにできあがったギャラリーから拍手が沸き起こった。
中には「Wonderful!」とか「Congratulations!!」と叫ぶ人もいたのがとても恥ずかしい。
二人は何が起こったのか理解できず、驚いてキョロキョロ周囲を見回した。
そして自分達の置かれている状況を理解すると顔を真っ赤にしてお互い顔を見合わせた。

「い、行こうか。」
「はい、そうですね。」

プロデューサーは私の手を握り、まるで逃げるように空港を後にした。



帰りのタクシーの中で俺はずっと千早と手を繋いでいた。
この手を離したくなかった。
もし離してしまえばまた彼女はいなくなってしまいそうで怖かった。
ただ、そんな俺の気持ちを察してか千早は強くしっかりと手を握ってくれていた。

「あの、プロデューサー、荷物とかどうするんですか?もう日本に送り返しちゃったんですよね?」
「あ・・・そういやそうだな。手荷物も預けたままだし・・・チケットもキャンセルか。」

実家に送り返した家財道具、持ち主を置いて飛び立ったスポーツバッグ、返金の面倒なチケット。
それを思い出した俺は自然とため息がもれた。
千早は心配そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。

「あの・・・今日はうちに泊まりますか?その、変な意味じゃなくて。」
「でも・・・。そっか、もう断る理由なんて無いもんな。
じゃあお言葉に甘えてお邪魔させていただきます。」

そう言うと俺は軽く頭を下げた。
そして顔を上げると思い出したように言った。

「今回はレオンに思いっきり助けられた気がする。千早の歌の本当の意味、教えてもらったよ。
 千早が歌詞を担当し始めた頃の曲からずっと俺へのメッセージだったんだよな。
 最初の『もう一度あなたと・・・』から始まって・・・
『天使の片翼』や『聖なる時を越えて』もそうだよな?」
「はい。でも結局その三枚に新曲の『come again』を含めた四曲しか書けてませんけどね。
 でも、人に言われて気づくようじゃプロデューサー失格ですよ?」

千早は微笑みを浮かべた。

「無理言うなよ・・・。」

俺は自分でも顔が引きつるのがわかった。
ただ、失っていた千早の笑顔を取り戻すことができてどこか嬉しかった。

「でも、これからは千早が直接言ってくれるよな?」

千早は目を丸くして、頬を赤らめて照れくさそうに言った。

「言ってほしいときは・・・それなりに優しくしてくれないと絶対に言いませんからね・・・?」
「わかってる。毎日でも言ってあげるから。」
「ま、ま、毎日・・・?!・・・頑張ります・・・。」

そんな風に照れて小さくなる千早がすごくかわいくて、思わず肩を抱き寄せていた。
千早も俺のぬくもりを噛み締めるようにその体を預けてくる。
二人を乗せたタクシーはゆっくりと、そして確実に真冬の陽光の中を駆け抜けていく。
その光はまぶしすぎるほどに輝いていた。



想いは言葉に、言葉は歌に姿を変え人々の心を紡いでいく。
その何気ない歌詞の節々に込められた歌い手の想い。
あの時あなたの心を揺さぶったあの歌の・・・本当の意味を、あなたは知っていますか?





完 

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