コーダ

名無し

場内のライトが落ちた。
次の瞬間、満天の星を思わせるサイリウムやペンライトの光と、豪雨の様な声援の渦。
足踏みの音と振動で会場が揺れているのが判る。
ドラマーが、スティックでカウントを4つ刻む。
ステージがまばゆい光に包まれ、光の中心に彼女がいた。

   ラストコンサートが幕を開けた。

彼女は、俺がプロデューサーとなって始めて手がけた子だった。
何も知らないままこの業界に飛び込んだ俺にとって、何物にも代え難い大切な、大切な存在。
あせりと、挫折と、焦燥感に挫けそうになる俺に、

こんなダメなプロデューサーに、最後まで付いてきてくれた子だった。

彼女との日々を思い出す。
朝の挨拶で調子に乗り彼女を怒らせた。
レッスンの指示を間違え、ろくな成果が上げられなかった。
双方の理解が得られないままコミニュケーションは上手くいかず、オーデションは惨敗。

彼女との日々を思い出す。
朝の挨拶での笑顔。
驚くほど成果の上がったレッスン。
お互いの事が少しだけ判ったような気がしたコミニュケーシヨン。
オーデション合格のスポットライトと、TVのオンエア。
だが、その日々も今日でおしまい。
もう俺に出来ることは、何もなかった…

いつしか、コンサートは最後の曲を迎えようとしていた。
ファンもそれが判っているのだろう、彼女のMCを一言でも聞き漏らすまいとしながら、

皆泣いていた。
彼女のMCを邪魔しない様、声をたてずに、泣いていた。
俺は高木社長を尊敬する。
あの人は、何度この場面に立ち会ってきたのか? その度に、こんな思いをしてきたのか?


ファンの目が、言っている。
「お前のせいだ!」、と。
「お前がプロデューサーでなければ、もっと彼女の歌声を聞けたのに!」、と。
逃げ出したかった。
このまま会場を飛び出し、タクシーを捕まえて誰もいない所に行きたいと、半ば本気で思う。

でもなければ、このままコンサートを中断させたかった。
ステージに乱入して、機材を破壊すれば良い。
しかし、俺にはそのどちらもする資格はない。
俺は、彼女のプロデューサーなのだから。
彼女と言う曲の最終楽章を聞き届ける義務が、俺にはあるのだから。
俺にはまだ、出来ることがあるのだから。
俺にはまだ、やらねばならない事があるのだから。 


彼女との日々を思い出す。
朝の挨拶で調子に乗り彼女を怒らせた。
<思い出が消えていく…>
レッスンの指示を間違え、ろくな成果が上げられなかった。
<思い出が消えていく…>
双方の理解が得られないままコミニュケーションは上手くいかず、オーデションは惨敗。
<思い出が消えていく…>

声援を、思い出を力に変え彼女に届きますようにと祈りながら、声援を送る。

彼女との日々を思い出す。
朝の挨拶での笑顔。
<思い出が消えていく…>
驚くほど成果の上がったレッスン。
<思い出が消えていく…>
お互いの事が少しだけ判ったような気がしたコミニュケーシヨン。
<思い出が消えていく…>
オーデション合格のスポットライトと、TVのオンエア。
<思い出が消えていく…>

神様、彼女との思い出を全て無くしてもかまいません。
だから、今は彼女に力を! 皆の心に届く歌声を!

思い出が消えていく…
思い出が消えてい…
思い出が消えて…
思い出が消え…
思い出が消…
思い出が…
思い出…
思い…
思…
…

ステージのライトが消え、コンサートが終わった。

俺は無人になった会場を眺めると、最前列の椅子に腰を下ろした。
ほんの少し前までの熱が、まだそこにはあった。
その熱が俺に言う。
「ありがとう」、と。
俺はいつの間にか泣いていた。
理由はわからない、だが泣いていた。
背後に人が来た。誰かは振り返らずとも判る。
「お疲れ様」
肩を叩く手が、この上もなく優しい。
「それで、どうするかね?」
辞めるのか、続けるのか。
続けるならば、またこの思いをする覚悟はあるのか、と問うている。

もちろん答は、1つしかない。
「辞めませんよ。ええ、辞めるわけないじゃないですか、社長」
「ここで俺が辞めてしまったら、彼女に申し訳が立たないですよ。
いつか彼女にこう言ってもらいたいんです。
私は、あの人にプロデュースしてもったのよ、って」
「そうか。ならば明日の朝、事務所で会おう。駆け出し君」

駆け出し。
そう、俺はたった今、「見習い」から「駆け出し」になったのだ。
さらにその上の「敏腕」、「売れっ子」、「アイドルマスター」を目指すと決めたのだ。

走る。

疲れて立ち止まる事があっても。

走る。

全てを投げ出したくなっても。

走る。

いつか彼女から、言葉を聞くために。
俺は立ち上がり、歩みを進めた。
「見習い」としての最後の仕事をするために。
彼女と最後を会話を。
言うべき言葉は、もう、決めてある。


END 

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