アイドルがブリを食べたら

作:某215

1.
がちゃり。
またしても、社長室の向かいの扉が開かれた。
音無小鳥は表向き顔は正面のディスプレイに向きながら、
視線だけを上向きにし、扉を開けた人物の行動を追った。
視線の先は、痩身にロングの髪も美しい、新進アイドル如月千早を捉える。
千早は落ち着かない顔であたりを見渡した後、
気落ちしたような、苛立ちのような表情を見せて、また社長室の向かいの部屋に戻った。

千早は先日、真のトップアイドルになるための登竜門であるオーディション、
TOP×TOPに合格したばかりだった。
アイドルランクもDに昇格し、全国的にも名前がちらほらと出てきている。
まさに新進気鋭。
その千早、さきほどから様子が変である。
いつもクラシックを聴く部屋として占領している社長室向かいの音響ルームから20分おきに出てきては、
オフィスフロアをのぞきにきて、また部屋に戻る。
これをもう5回も繰り返している。
…以前なら、平気で5時間6時間部屋にこもっていたこともあったのに。
部屋中に散りばめられたスコアとそれに記入されたコメントを見たとき、
さしもの小鳥も一瞬狂気にとらわれたような錯覚に
陥ったものだ。

とはいえ、小鳥も理由については想像がつく。
(今日の予定はっ…と)
グループウェアのスケジューラーを確認する。
(ふうん、16時までクライアント訪問…あれ、一昨日から営業ばっかりだ)
なるほど。想像が確信に変わった。
メーラーを起動し、テキストを打ち始める。


暗いのには慣れている。
この部屋の空気にも慣れている。
だが、何か落ちつかない。
新譜が出たから聴き込みをするためにこの部屋に入ったのに。
音楽を聴く、という気分になってくれない。
こんなことは初めてだ…。
原因は、やはり、そうなのだろうか。

プロデューサーの不在。

この2週間、音沙汰がない。
なんでも、ランクDになったアイドルにふさわしい仕事を取ってくるとかで、
首都圏のイベント会場から地方のTV局にまでかけあっているらしい。
…そこまでして、仕事を取ってくるべきものなのだろうか。
私にはわからない。
確かに私はまだ未熟だ。けれども、私には歌しかない。
そして、その歌で特別オーディションとして難関と目されるTOP×TOPも合格した。
こうやって、歌で結果を積み重ねていけば、成果は自ずと後からついてくるのではないか?
ついそう考えてしまう。

そういう話をするならするで、プロデューサーと顔をあわせる必要があるのに、
肝心の本人と話すことができていない。
なにより、プロデューサーとレッスンができないのが不満だ。
焦りもある。
ライバルたちは日々トレーニング、レッスンに励んでいるのに、自分はただまんじりとしている。
いや、それは理由にならない。
今までも自主的にレッスンを重ね、必要とあれば個別にトレーナーに指導をお願いしてきた。

しかし、今のプロデューサーは、今までのトレーナーとは違う。
何かと私に干渉してくる。
握手会、写真撮影…そんな、今までやってきたことのないような仕事を持ってくる。
私が、変わっていく…。そんなことすら考えてしまう。
歌だけに。
歌だけに、自分のすべてをかけて。
己のすべてを歌に注ぎ込んで。それだけを研ぎ澄まして。
そうやっていこうと決めたのに。
その目的を果たすために、私は心を硬くしようと決めた。
強く強く、壊れないように、ばらばらに散らないように、かたく心を縛る。
目的までの道はただ一つ。そうはっきりと見定めた。 



2.

なのに。
プロデューサー出会い、仕事をし、レッスンを重ねてオーディションを受けた。
まだほんの2ヶ月程度。
なのに、もう私は最初の目標であったTOP×TOPに受かってしまった。
思ったよりも、あっけなく。
受賞後、思いもがけないコメントをくれた人たちがいた。
ダンス審査員と、ビジュアル審査員だった。
ここしばらくの流行はヴォーカルでもあったし、
そもそも私はダンスやビジュアルにはあまり重きを置いていなかった。
その、二人の審査員が口々に私を褒めていただいたのだ。
不思議な感覚だった。

なのに。
オーディションが終わり、ランクアップの報告をしてからというもの、
プロデューサーは私を放ってどこかに行ってしまっている。
心がざわつく。
いやな気持ちだ。
これでは…まるで、家にいるみたいだ…。
千早はズボンのポケットから携帯をとりあげた。
電源を入れる。
暗闇の部屋に、ディスプレイの光がぼうっと浮かび上がる。
なぜか、この電子の光が微妙に懐かしい。
かち、かち、とボタンを押して、メールを確認する。
…。
…。
新規メッセージは届いていません。

「……」
毎回そうだ。プロデューサーは忙しいのかなにか知らないけれど、メールを返信してくれない。
事務所で会ったとき、思い出したかのように「メール見たよ」などと言うだけだ。
どうせ、返信もしてくれないのなら…。
私のメールを読んだか読んでいないのかもわからないのなら…。
ボタンを押す。
メール、新規作成…。
「千、早、で、す、まる…」
最初は2000文字書いた。
現在置かれている状況。自分の焦りの気持ち。プロデューサーへの不満。全部書いた。
全削除。違う。愚痴を言いたいのではない。

ついで「待ってます」と5文字。
全削除。違う。別に待っているわけじゃない。

その後、およそ100文字くらい入力。
「……」
改めて読み返してみる。…私は、いったい何を伝えたいのだろうか。
……くっ。それでもいい。何か、私は…私は…プロデューサーに…。
勢いで、送信ボタンを押す。
と。同時に勢いよく扉が開かれた。
「ただいま〜。帰ったよ、千早。ヴィタメールのケーキお土産に買ってきたぞ」
外の蛍光灯の明かりがぱあっと飛び込んできた。
明かりに慣れない千早は手をかざして扉の先の人影を見る。
逆光で顔は見えない。
いや、主はその声でわかる。
「やっといい仕事が取れたんだ。地方だけれども、テレビ出演だぞ!さっそくロケバスの手配を…あれ」
プロデューサーの胸ポケの携帯が鳴動している。
「なんだ?メール…?」
「……!」
千早が固まる。
プロデューサーはメールを読み上げる。
「えー、題名、『千早です。』
『【アイドルがハムを食べたら、ある動物になりました。どんな動物でしょう】
こんななぞなぞを見つけました。プロデューサー、わかりますか?
ちなみに答えは【ハムスター】だそうです。簡単すぎましたね』…なんだこれ?」
「…………………くっ」 



3.
音無小鳥はプロデューサーが入っていった音響室から、
涙目の千早が顔を真っ赤にして飛び出していくのを見て目を丸くした。
ついで、ケーキの包みを揺さぶりながら追いかけていくプロデューサー。
「…………」
小鳥には初めての光景だった。
(あの千早さんが顔を赤くして怒るなんて…)
冷ややかな瞳に、怒りを宿すときはあった。
不満を、無表情の仮面に包み隠すことはあった。
だが、顔を赤くして大またにずんずんと歩き去る千早を見ることになるとは…。
「まて、まて千早。どこに行くんだ」
「給湯室です。ケーキ、お土産にいただいたのですよね。ならばお茶にしようかと思いまして」
ぷんぷんしながら千早が部屋を出て、プロデューサーもそれに付いていく。
あっけにとられていた小鳥は、
数分後またしても大騒ぎをしながら戻ってくる二人を目の当たりにしてさらに目が点になった。
「あんなに振り回したらケーキなんて崩れます。当然です。信じられません」
「いやだからアレは千早に驚いてだな…」
「驚いたといえば、プロデューサーの、それです。なんですか?
そのコーヒー。あそこにあるのはエスプレッソメーカのはずです。
それをそんなマグカップに入れて、お湯で足して飲むなんて、信じられません」
「いや、これはこれでなかなかおいしいんだって、千早も飲んでみればわかる」
「結構です。私はコーヒーは胃腸に来るので、紅茶をいただきます」
「そ、そうか…まあ、じゃあ、席につこう。じゃあ、千早はどのケーキにする?」
「どの“くずれた”ケーキにします?の間違いではないですか?」
「…………」

驚いた。
あんなに、千早がまくしたてる子だとは、ついぞ小鳥は思わなかった。
結局千早はヴィタメール、店の名前を冠したチョコレートケーキを取っていた。
プロデューサーはストロベリーの乗ったケーキ。フレーズ・ド・ヴィタメール。
そして、ご相伴にあずかった小鳥は自席でこっそりサンバをぱくついている。
そもそも今回のお土産の指令を出したのは小鳥である。
(職場の女性を差別すると後が怖いですよ)

プロデューサーは自分がフォークを刺そうとした
“ストロベリーが崩れている”ケーキをじっと見つめる千早の視線に気づいた。
「食べな、千早」
「……あ、いえ、そんなつもりでは」
「いいよ。じゃあ、俺もそっち一口もらうから」
言うなり、すばやくフォークで一切れ、チョコレート部分を掻っ攫って口に運ぶ。
「……」
それを見て、千早もフォークでおずおずといちごを避けてケーキを取る。
「イチゴもどうぞ」
「……」
素直に千早はいちごにフォークを指した。
「おいしいな」
「…はい」
「これ食べたら、さっきの仕事の企画書、一緒に見てもらうよ」
「…はい」
「それと、レッスン場もおさえたから、明日からポーズレッスンやるぞ」
「…ポーズレッスンって、意味あるんでしょうか」
「ある」
「…はい」
小鳥は塹壕から顔をのぞかせる通信兵のような面持ちで
PCディスプレイから二人の様子をうかがい、そして一人でくすりと笑った。

間違いない。
この二人はきっと大丈夫。
これからも、きっとたくさん大変なことが起きるかもしれないけれど。
多分、こんな感じで二人で乗り越えていくに違いない。
それを日々見守っていけること。
それが音無小鳥がこの仕事を続けている理由である。


終 

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