泣き虫

作:名無し

 春香は自分の目の前にいるプロデューサーの話を聞きながら、
ぼんやりと違和感の元を探していた。
(私の想像してたプロデューサーさんは・・・)
(優しくて・・・)
(頼りがいがあって・・・)
(それで・・・)
「聞いてるか?」
「はっ、はいっ」
 聞いていないのが思いっきりばれるような返事だ。
「・・・疲れてるのか?」
「あ・・・い、いいえ。そういうわけじゃ・・・」
「そうか。うーん・・・あと一時間もすれば事務所を出るから
もうちょっと詰めておきたかったんだが・・・。ひとまず休憩にしよう」
「あ、わ、私なら大丈夫です!」
「気分転換は大事だぞ?」
「は、はいぃ・・・」
 プロデューサーは席を立つと、コーヒーサーバーへと向かった。
(いつからだろう・・・)
 春香は、自分の記憶を辿ってみることにした。

 初めてのオーディションは普通に接してくれてたはず・・・。
 私は大喜びだったけど、プロデューサーさんはそうでもなかったかな?
 なんだか結構冷静で・・・拍子抜けだったかも。
 勝てて当たり前って思ってたのかもしれないけど、私は本当に嬉しかったなぁ。
 その次のオーディションは・・・ああ、せっかく合格したのに。
 プロデューサーさんに真っ先に会いたかったのに。
 全然見つからなかったなぁ。
 結局、合格したのが分かってから20分くらい経ったころだったかな。
 何か言いたそうに、むずむずした感じだったけど。
 とりあえず、『おめでとう』って声をかけてもらって・・・。
 でも、もっと喜んで欲しかったなぁ。
 『ルーキーズ』って言えば、結構有名なオーディションらしいのに・・・。
 その次は、確か・・・。

 春香の記憶の中のプロデューサーは、いつもどこか冷静で。
 真っ先に会いたいときには決まっていなくて。
 春香には、それが少し寂しかった。
(私のこと、ちゃんと見てくれてるのかな・・・)
(レッスンも、きちんとやってるよね・・・)
 頭の中で、ぐるぐると不安が渦巻いてなんだか泣きそうになってしまう。
(これからオーディションなのに・・・)
「はいよ」
「わっ!」
「おおっと」
 紅茶を持ってやってきたプロデューサーに思考を遮られた春香は派手に驚いてしまった。
「お。こぼれずに済んだか・・・大丈夫か?」
 春香の顔を覗き込んで、そんな事を聞いてくる。
「え?あ、はい・・・えーっと、何が・・・でしょう?」
「ああ・・・いや。なんか、気分でも悪いのかと思って」
「だ、大丈夫ですよー。オーディションに合わせて、体調はバッチリです!」
(カラ元気も元気のうち、だよね)
 春香は必死で自分を奮い立たせようとしていた。 


 オーディション控え室。自分以外の全員が、なんだか自信たっぷりに見えてくる。
普段は意識しないのだが、こういう時はデュオやトリオなら良かったのにと思えてしまう。
 春香のエントリーナンバーは1番。オーディションまで、あまり時間はない。
「で、この小節からここまでのステップが危なくなりがちだから気をつけて」
「はい」
「ここの部分は、ある程度歌が犠牲になっても仕方ないかな・・・
1節目は様子見も兼ねて、無難な方向にしよう」
「はい」
「ま、曲に入れば気分も乗るだろうから臨機応変にというか・・・『太陽のジェラシー』、歌えるよな?」
「え?あ、はい・・・歌えますけど・・・」
「ああ、気分の問題で。ちょっと塞いでたかなと思ったからさ」
「ご、ごめんなさい・・・心配かけちゃって・・・」
「いいよ、俺は春香のプロデューサーなんだし」
 そう言って、彼は微笑んだ。
(あれ・・・?)
 春香は確かに、その笑顔に見覚えがあった。当たり前と言えば当たり前なのだが・・・。
 自分の心の引き出しから、その笑顔を探し出そうとした瞬間、
「エントリーナンバー1番の方、オーディション会場へどうぞ」
ドアの所からスタッフが呼び出しをかけた。
「お。出番だな。んじゃ、行って来い!俺も見てるから」
「あ、は、はい。行って来ます!」
(も、もうちょっとで思い出せたのに・・・)
 複雑な表情のまま、春香は会場へと向かって行った。
 ステージ上の春香は、今ひとつ硬さが抜けきっていなかった。
オーディション自体は何度かこなしているし、結果も残している。なのに、今回は特別精彩を欠いていた。
「どうしたんだ、春香・・・」
 プロデューサーが思わずそんな言葉を漏らしてしまうほどに。
 『太陽のジェラシー』は恋の歌。しかも、真夏の。思いっきり弾けて歌うくらいでもいいのに、
そして、いつもの春香なら持ち前の快活さでそれが表現できるのに。
まるで、想うべき相手を見失ったような・・・
誰に向かって歌えばいいのかが分からなくなったような、そんな印象だった。
「す、すいませんでした、プロデューサーさん・・・」
 別に大失敗をした訳でもないのに、春香は派手に落ち込んでいる。
 プロデューサーは少し考えるような仕草をして、
「ちょっと表の空気でも吸いに行くか」
と切り出した。
 そこはテレビ局の裏庭・・・と言っても、屋外の駐車場に隣接した休憩所と言ったほうが正しいだろう。
一応、自販機も備え付けてあり、一服するには丁度いいかもしれない。
 プロデューサーと春香は、灰皿から一番遠いベンチを選んで腰を下ろした。
「プ、プロデューサーさん・・・私、次はどうすれば・・・」
「んー、そうだなぁ・・・」
 言いながら、プロデューサーは空を見ていた。風は穏やかで、雲はゆっくりと形を変えている。
「あ」
「?」
プロデューサーは、何かに気づいたように立ち上がった。
「さすがに、もう寒いよな。何か買ってくるけど・・・何がいい?」
「え?えーっと・・・それじゃ、ミルクティーを・・・」
「ん、了解」
プロデューサーは足早に自販機へ向かうと、手早く2本、ミルクティーを買った。
(今日の私、あんまり調子よくないから・・・なんて言えばいいか分からないのかな・・・)
 そして春香は、自分自身を抱くように腕を組む。
「やっぱり、ちと寒いか」
 ミルクティーを渡しながら、帰ってきたプロデューサーはそう言葉を投げかける。
「あ、はい。ちょっと・・・」
「んじゃ、これでも」
プロデューサーは、自分の着ていたジャケットを脱ぐと春香の肩に掛けた。
「え!わ、悪いですよぉ。プロデューサーさんが寒く・・・」
「俺は別に、歌うわけでもないし。踊るのにも、体が冷えるとまずいだろ?
まぁ・・・それならこんなところに連れてくるな、って話だけど」
そして、プロデューサーは苦笑して見せた。 


(あ・・・)
(やっぱり、見覚えがある)
(どこで・・・)
「で、オーディションの話だけど」
(どこだったかなぁ・・・)
「とりあえず、歌をきっちり歌おう。何だか今日は・・・上手く言えないけど、
歌を聴かせたい相手が見えない感じだから」
(そうだ!)
(初めて会った時・・・)
(その後のミーティングでも・・・)
(買出しの時も・・・)
(初めてのライブの時だって・・・)
 春香は、自分の中に思い出が蘇るのを感じていた。
 いつだってプロデューサーは、自分を見ている。
 そして、微笑みを投げかけてくれる。
(それじゃ、何でオーディションの後は・・・)
 春香はぶんぶんと音が鳴るほど頭を振る。
「春香?」
「は、はいっ!?」
 驚いてプロデューサーの顔を見上げた春香の視界に入ってきたのは、ちょっと困ったような微笑み。
「聞いて・・・なかったね」
「す、すいません・・・もう一度、お願いします!」
(今は・・・思い出の中のプロデューサーさんを信じるの!)
 春香は、ぐっと拳を握った。思い出が、零れ落ちてしまわないように・・・。

 再びステージ上に立つ春香は、さっきまでとは違っていた。
 何か、やるべき事を思い出したように。
 迷いが、消えたように。
(歌を・・・聴かせたい相手。今は・・・)
 イントロが流れ始めた。
(届いて・・・私の、歌!)
「あら・・・」
 ついさっきまで、審査への興味を失っていた歌田は思わず声を漏らした。
 出てくる誰もが歌うのは、モノクロームの味気ない歌。
つまらないテクニックはいらない。ただ、色彩すら見えるような歌が聴きたい・・・。
そんな彼女の願いを叶えたのが、まさか今、目の前で歌う少女だったとは。
 明らかに精彩を欠いていた、一番手のアイドル。
一体何があったのか、今はその歌声から心の内が見えるようだった。
そして、その心は波紋のように広がり、彼女の琴線を震わせていた。 


 遠い過去に経験した、甘酸っぱい記憶。
 初恋とか、片想いとか、呼び名は数あれど。
 思い出すたびに、頬を赤らめてしまいそうな・・・そして、切なくなるような、恋の記憶。
「もう少し、楽しい恋の歌だと思っていたけれど」
 それは、ただ。
 純粋に。
 多分、恋の始まりを予感させる。
(私を、見てください!プロデューサーさん!)
(聴こえてますか!)
 とても切実な、少女の願い。
 感情は色となり、記憶は風景となり、会場を満たす。
「でも・・・こういう解釈も素敵なものね」
 歌田は微笑みながら、星を連ねていく。
ふと見れば、隣にいる審査員たちも一様に歌に惹きこまれていた。
 その一つ一つの仕草が、恐らく意識などしていないであろう表情の変化が、彼らを捕らえて離さない。
「参ったねえ・・・ダンスは、テクニックだけじゃないのは分かってたけど」
「見た!?あの表情!そこらの女優顔負けよ!」
「もしかしたら私たちは・・・とても貴重な瞬間に立ち会えたのかもしれないわね」
 歌田はもう、ペンを置いていた。この歌を、しっかり聴いておきたい。
その思いを抑えることなどできなかった。

(プロデューサーさん・・・プロデューサーさん!)
 春香は、テレビ局の中を走っていた。
 オーディションは合格。ダントツの1位だった。
 この喜びを誰よりも早く・・・そして、誰よりも強く分かち合いたい・・・。
 だが、春香のプロデューサーはいつの間にか会場から姿を消していた。
(どこ・・・どこに・・・)
 控え室にも、休憩所にも。
(どこに・・・いるんですか・・・)
 プロデューサーの姿は見えない。
 ぶつかりそうになった人に頭を下げ、謝りながら走り続けた。
まるで迷路のようなテレビ局は、二人の距離を近づけまいとするかのようだった。
(あれ・・・ここ、さっきも。もぅ、私、方向音痴じゃないはずなのに・・・)
 思わず目の奥が熱くなる。すぐにでも会えないと、もう涙が零れてしまいそうなほどに。
 何度目かの曲がり角の向こうから、人の話し声がした。
(!・・・危ない、危ない・・・)
 キキッ、っと音がしそうなほどの急ブレーキで春香は立ち止まる。
そして、そのまま進もうとして・・・立ち竦んだ。
(プロデューサー・・・さん?)
 曲がり角の向こうでは、春香に背を向ける形でプロデューサーが立っていた。
話し相手は歌田のようだ。 


「本当、驚きました。こういう言い方は失礼かもしれないけれど、
まさかあの子がこれほどの歌を歌えるなんて・・・」
「ありがとう・・・ございます・・・」
(えっ!)
「でも、あの子・・・春香ちゃんといったかしら?・・・春香ちゃんも幸せね。
プロデューサーに、こんなに想って貰えるなんて」
「は、はは・・・春香には、言わないでくださいよ?
こんな顔見せたくなくて・・・逃げ出してきたんですから」
(泣いて・・・るんですか・・・?)
「そういう顔も、見せたほうがいいんじゃない?
自分の事で嬉し泣きしてくれる誰かなんて、滅多にいないんだから。
いい思い出になるわよ、彼女の」
「や、やめてくださいよ・・・」
 そう言って、洟をすすり上げる。
(プロデューサーさん・・・)
「いい子ね、あの子。春香ちゃんは、きっと・・・もっと多くの人を感動させられるわ。
お世辞じゃないのよ?確信に近いかしら」
「はい・・・ありがとうございます・・・。
俺は、春香に出会えて・・・
春香をプロデュースできて・・・良かったです・・・。
あいつは・・・宝物です・・・」
(プロデューサーさん・・・私・・・)
 いつの間にか、春香の目からも涙が溢れていた。
「ふふっ、真っ直ぐなのね。この業界には珍しいけれど。でも、大切にしてね、その感性を」
「はい・・・」
「それじゃ、私はこれで。打ち合わせ関係の連絡は後で行くはずだから・・・。
春香ちゃん、あんまり一人きりにしておいたら可哀想よ?」
「はい、顔を洗ってすぐ迎えに行きます」
(良かった・・・)
(ちゃんと、見てくれてた・・・)
(プロデューサーさん・・・)
 歌田は軽く手を振りながらその場を去っていった。
プロデューサーは大振りのハンカチを取り出すと、顔をごしごしと拭いている。
 そして、春香のほうへと振り返った。
(!ど、どうしよう!)
 春香のいる場所は、丁度男子トイレの前。顔を洗うなら、ここに来るはず・・・。
(え、えっと・・・えーっと)
 とりあえず顔を手で拭いながら、逃げ場を探す。
いくらなんでも、あんなシーンを目撃した後では顔を合わせづらい。
(女子トイレ!)
「あ・・・春香・・・」
 その思いつきは間に合わなかった。
「プロデューサー・・・さん・・・」
「・・・いつから、ここに・・・?」
 かなりばつの悪そうな顔をしながら、プロデューサーは問いかけてくる。
「えっと・・・つ、つい、今さっきです!」
「・・・そっか・・・。とりあえず、顔を洗ってくるよ。春香も、そうした方がいい」
 いつものような微笑み――今はもちろん苦笑なわけだが――を浮かべながら
プロデューサーはトイレへと入っていった。
(え、えへへ・・・)
 春香はその胸に広がる暖かさを噛み締めていた。
そして、春香の瞳からはまた一粒・・・とても柔らかな涙が落ちた。

「それじゃ、最初のオーディションからですか?」
「えーっと・・・2度目かな?」
 帰りの車中、プロデューサーは春香からの質問責めにあっていた。
「だから、急に姿を消しちゃったりしたんですね・・・」
「あー・・・すまん。なんだか、涙もろくなったかなぁ」
「ふふっ」
「・・・笑わないでくれよ。いい年こいた大人がする告白としては、かなり恥ずかしい部類だぞ」
「あっ、でも・・・私は、嬉しいですよ?」
「そう言われてもなぁ・・・10代の子にする告白じゃないよなぁ・・・」
「ふふっ」
「と、とりあえず、事務所の他の面子には黙っててくれよ?特に・・・」
「亜美ちゃんとか、真美ちゃんとか?」
「あと、伊織も。絶対、一生からかわれる・・・」
「ふふっ。分かってます!私と・・・プロデューサーさんだけの秘密です!」
「頼むよ・・・」
 春香は、何だか嬉しかった。きっと今日のことは忘れられない思い出になるのだろう。
(プロデューサーさんが私を、『宝物』だって言ってくれた日・・・)
 その胸の中で、暖かさは今も息づいていた。 


 パジャマ姿の春香は、鍵の付いた引き出しから一冊のノートを取り出した。
 シールや、イラストで飾られた可愛らしい・・・日記帳。
 少し微笑みながら、昨日のページを繰る。
 今日の不調の原因とも言えるそのページには、オーディションへの不安が書き連ねられていた。
いつの間にかそれは、自分自身の能力への評価に移り・・・
そしてプロデューサーに対する不満へと変わっていた。
(ふふっ。馬鹿だなぁ、私。)
 ――ちゃんと私を見てくれてるのか、不安になってきちゃった・・・。
(ちゃんと見てくれてるよ)
 ――私が受かったら・・・喜んでくれるのかなぁ。
(喜んでくれるよ)
 ――明日なんて・・・来なくても・・・。
(ダメ、ダメ!今日が来ないと、こんなに幸せな気分になれないよ?)
 ――今日はもう、書くのやめよう・・・。うん、寝ちゃおう!
(そうそう。明日が来れば・・・今日になれば、とっても良いことが起きるんだから!)
 春香は、今日のページに新たな出来事を書き記していく。
(ふふっ)
 とても、幸せそうな顔で。
(きっと、明日もいい日だよね!)
 充足感に満たされた春香に眠気が訪れ始めた。
(うぅ・・・でも、これだけは書いておかないと・・・)
(私のプロデューサーさんは・・・)
(優しくて・・・)
(頼りがいがあって・・・)
(それで・・・)
(ちょっと涙もろいけど・・・)
 その日のページ、最後の行には。
 ――ありがとうございます、プロデューサーさん。これからも、よろしくお願いします。 

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