彼のいないドーム

作:ドタキャンSS書き

今日は千早のドームでのライブの日である。
そのドームは引退などでよく使われるドームで、かなりの大きさである。
ランクBになった千早は、このドームを使ってライブすることになったのだ。
流石の千早も、この日は緊張を隠すことが出来なかった。
(今日は緊張して早く事務所に来てしまいました…)
事務所のドアを叩き、中に入る。
「おはようございます」
事務所の受付にいる小鳥さんに挨拶を交わし、さらに奥に進む。
すると立派な椅子にどすん、と座っている社長が見えた。
「おはようございます」
「やぁ、千早君。おはよう!今日はいつもより早いね」
千早は笑顔を浮かべ、会釈をして仕切りの奥のプロデューサーの席へと進む。
そこで、ある異変に気づいた。
(…あれ?プロデューサーがいない…) 


いつもここで座って待っていて、そして私に挨拶をしてくれる。
だが、今日はそこにその彼の姿を見ることが出来なかった。
(…ふふっ。今日は私がいつもより一時間も速く来てしまったから、
 先に着いてしまったみたいですね…)
千早が先に事務所に着くということは、今までになかった。
彼はよく徹夜をしているらしく、事務所の机で眠っていることも多々あったし、
「朝はミーティングを絶対するんだ」といつも意気込んでいたので、
朝寝坊するということもなかった。
(…プロデューサーもいないし、この椅子…座ってもいいですよね…)
千早はどこか嬉しそうに彼の椅子に座った。
(…きっと私を見たらプロデューサー驚くでしょうね…。
 そしたら私から挨拶を…。どんな挨拶がいいでしょうか…?
 いつも元気に「おっはよっ」って言ってくれるから…それを真似してみるのも…。
 あ、でもこんばんわ、とかジョークを言ってくるときもありました…)
千早はそんなことを考えながら彼を待った。 

九時。ミーティングが始まる時間だ。
いつもなら、この時間から仕事が始まる。
そこで、今日の日程を決めるのである。
今日はドームでライブと決まっているので、衣装や曲などを変えるだけであろう。
…だが、いつもなら始まる筈のミーティングは、まだ始まらない。
そこに「彼」の姿が無かったからである。
(…プロデューサー。遅刻です…)
千早はいつもより速く事務所に来ていたため、約一時間半程、彼を待っていた。
(…確かに、私も遅刻はしたこともありますが…)
千早も昔はたまには遅刻を、ごく稀にはドタキャンをしたこともあったが、
今はそんなことはする訳が無かった。
事務所に来ることが、千早にとって何よりの楽しみ。
彼に逢うことが喜びとなっていた千早には。
(来たら怒ってあげます、プロデューサー) 


椅子で座って待っていると、足音が近づいてくるのが分かった。
「…プロデューサー!遅いです……よ?」
そこに有った人影は、いつもの彼ではなかった。
「…おお、千早君。びっくりしたなぁ。…どうしたんだね?」
社長は千早の大きな声に驚きつつも、すぐに事態を把握した。
「…珍しいな、彼がまだ来ていないなんて…」
社長も驚いていた。いつもこの時間帯には
『社長の今日の流行情報♪』のコーナーを設けていたからである。
「千早君、彼から何か連絡は来ていないのか?」
千早はハッとして、自分の携帯を見る。
…だが携帯にも、彼からの連絡は何も無かった。
「うーん…彼も困ったものだな。仕方ない、電話で呼び出してくれないか?」
「…はい、わかりました」
千早は彼の携帯に電話をかける。
……………
「おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が…」
そこまで聞いて、千早は携帯を切った。
「社長…プロデューサーに、何かあったのでしょうか?」
千早は心配そうに社長に聞いた。
「うーむ…昨日は元気そうだったよ?千早君のライブがあるからと言って、
 夜遅くまでライブの準備をしていたみたいだったが…」
「…そうですか」
千早は悩みこむように顎に手をあてて、俯く。
すると、彼の机に置いてある電話がなった。 


彼の机で鳴っている電話。どうやら内線通信らしい。
千早は嫌な予感を感じながらも受話器を取った。
「はい、如月です」
「千早さんですか?音無ですが…
 警察の方から電話があったので、お繋ぎしますね…」
「警察の方…?…何の御用ですか?」
「…如月様にお話が、というだけで詳しくは…すいません」
小鳥が申し訳なさそうに話す。
「…いえ、すみません。…すぐに繋いでください」
「はい、わかりました…」
千早の緊迫した声を聞いて、小鳥はすぐに回線を繋いだ。
保留の音がしばらくした後、受話器から男の声が聞こえた。
「あのー、あんた、如月さん?」
「…はい、如月ですが、何か御用ですか?」
「そうか。なら伝えるぞ。…あんたんとこのプロデューサーらしき男が今朝、
 車に跳ねられた。それで身元確認したいんだが…名前は…」

ガタッ!

千早は顔面蒼白になって、受話器を落とした。
「ちょ…おい、聞いてるのか?如月千早さん…!」
足元の受話器からは何か音が聞こえるが、分からない。
(プロデューサーが車に…そんな…!)
社長はそんな千早の状態をみて、大体の予想がついたらしく、
受話器を拾い冷静に話を進めた。
千早はまるで時が止まったように、その場に立ち尽くしている。
社長の電話が終わったことすら気づかなかった。 

しばらくして、千早はようやく意識がしっかりしてきたらしく、
社長に向かって問いただした。
「…社長!プロデューサーは、プロデューサーはどうなったんですか…!?」
怒涛の勢いで、千早は社長に迫る。
「おいおい、千早君。落ち着いてくれたまえ」
「これが落ち着いてなどいられますか!」
今までにないほど、千早は興奮していた。
だが、社長はそれを優しくそれを宥める。
「千早君がそんな状態では、ちゃんと話を聞き取れるか分からないだろう?
 まずは落ち着きたまえ。深呼吸でもしなさい」
「あっ…」
千早は少し落ち着きを取り戻し、深呼吸を二、三度した。
先程までの混乱から、少し落ち着いたのが自分でも分かる。
「…取り乱してすいませんでした、社長。
 落ち着いているので、プロデューサーのこと聞かせてください…!」
それでも千早は少し興奮しているようだったが、社長は話を始める。
「…いいか、千早君。落ち着いて聞くんだ。
 君のプロデューサーなんだが…、車に跳ねられて、病院に運ばれたようだ」
「…それで、様態はどうなんですか?プロデューサーは大丈夫なんですかっ!?」
「だから落ち着きたまえ。様態なんだが…別に問題はないようだ。
 意識もはっきりしていて、怪我もたいしたことはない。
 すぐに治る、とのことだったよ」 


「…」
千早はそれを信じることができなかった。
「…私のプロデューサーは、そんな軽い怪我だったら
 病院に無茶を言ってでも、すぐに私に連絡してくると思います…!
 だから、社長!…本当のことを言ってください!」
千早は真っ直ぐ社長を見て、言った。
社長はその真っ直ぐな瞳からは逃れることを出来ず、
嘘を貫き通すことができなかった。
「…分かったよ、千早君。本当のことを言うから…覚悟して聞きなさい」
千早は息を呑んだ。
「…君のプロデューサーは意識不明の重体だ。
 …今手術を受けている。命の保証は…できないそうだ」
「…!!!」
聞く覚悟は出来ていた筈だった。
しかし、真実を聞いたらちっぽけな覚悟なんてものは…関係なかった。
(…そんな、プロデューサー…!)
千早はただ、泣くことしかできなかった。
(…私、プロデューサーがいなかったら…
 …プロデューサーがいないなんて、耐えられない…!)
こうなることを見越していたから、社長は嘘をついたのだ。
社長の目から見ても、この二人はもはや普通の関係ではない。
アイドルとプロデューサーの枠を越えている、
そんな関係であるということを知っていたのだ。
(…プロデューサー!…私、プロデューサーに逢いたい…!)
千早は泣き顔を上げた。何かを決心したようだ。
「…社長。私、今からそこの病院に行ってきます」
社長が恐れていた事態が起こった。
「おいおい、千早君!ライブはどうするのだね!」
「ライブなんて…キャンセルします!
 プロデューサーの様態の方が…大事です!」 

千早は事務所を出ようと、鞄を持って走り出す。
病院まで走って行ってしまいそうな勢いだった。
だが、社長の一声で千早は止まった。
「待ちたまえ!!」
社長はいつにもない剣幕をしていた。先程までとは別人だ。
だが、千早も引く訳にはいかない。
「待ちませんっ!…私はいきます!」
その場を走り去ろうとしたとき、社長の声が響く。
「君は彼のことを考えたことがあるのか!」
千早はその言葉を聞いてカチンときた。
その場に止まって社長に向かって言い返す。
「…だから!こうやって行こうとしてるんじゃないですか!
 彼のことが大事だから!何よりも!」
「だから分かっていないのだよ!」
千早は驚き、目が点になる。
「彼はそんなことを望んでいると思うのか?ライブをすっぽかして、
 自分のところに向かう君を見て…彼は喜ぶと思うのか!」
社長の言葉に何も言い返せない。
「彼はいつも君のことを考えて行動していた!なのに君はなんだ!」
社長の言うことは全て、正論だった。
(…そう、プロデューサーはいつも私のことを考えてくれていた。
 …私がアイドルとしてどうやれば成功できるのか。
 …私のことをしっかり受け止めてくれた)
「君は彼のことを理解している筈だろう!ならば何をすればいいか分かる筈だ」
千早はその場に崩れ去り、声を上げて泣き出した。 


千早が泣き崩れているところに、社長が近づく。
「…泣いている暇は無いぞ、千早君。
 何をすればいいか、君にはよーく分かっている筈だ」
千早は顔を上げ、涙を拭いた。
「…はい、すいませんでした、社長。
 私が今すべきこと…。ちゃんと理解しました。
 …ライブは昼からなので、すぐに移動しなければ…!」
千早は立ち上がり、彼の席へと歩く。
その机の上には、彼が昨日書いたライブについての紙が置いてあった。
(…プロデューサー、私、絶対ライブ成功させますから…!
 無事でいてください…!)
「準備は出来たかね、千早君」
「…はい、もう大丈夫です!」
千早の目から涙は消えていた。
「では、今日は私がついていくから、頑張ってくれたまえ!」
「社長が…?…はい、よろしくお願いします!」
彼がいない状態での仕事。
それは千早にとって初めてのことだった。
だが、絶対に成功させなければならない。
(…このライブはプロデューサーの為のもの…。
 絶対に成功させなければいけない…!)
千早はライブ会場へと向かった。 

ライブ会場。
会場はもうすでに満員状態だった。
舞台裏で彼の書いた紙に目を通す。
歌う曲の順番、演出、トークの内容…。
千早は段取りを素早く覚えて、用意してあった衣装に着替える。
刻々と近づいてくるライブの時間に、緊張を隠せない。
(…せっかくプロデューサーが用意してくれた舞台…
 絶対失敗はできない…!)
そんな気負いが千早を、窮地へと追い込んでいく。
気負うばかりで、緊張がどんどんたまっていく。
手には汗がたまり、心臓がどんどん高鳴っていくのが分かる。
(こんなとき、どうやって落ち着いていたの、私…?
 …あっ、プロデューサーが元気づけてくれていたんだ…。
 オーディションのときとか、いつも作戦もなしに「絶対勝てるぞ!」とかそんなこと言って…。
 それが私を信じてくれてるから言ってる、って分かったら…すごい安心したっけ…)
彼のことを思い出し、千早は少し落ちついた。
もう、開幕の時間だ。
覚悟を決めて、千早はステージに向かって歩く。
だが、ステージへと向かう途中に気づいてしまった。
…今日、彼はいないのだ。 

とうとうライブが始まった。
千早はステージに立ち、マイクを持つ。
「皆さん、今日は私のライブに来てくれて、本当にありがとうございます!
 一生懸命歌うので、聞いてください!」
彼の書いたトークの内容を、そのまま言葉に出した。
彼は、千早がトークが苦手なのを考慮して、大体のあらすじを考えているのだ。
千早の出だしは、好調に見えた。
…最初に歌うのはポジティブ。
BGMと共に千早はダンスを始める。
千早は極度の緊張の中でも、歌うことができる資質を持っている。
ライブの中でも、微妙な声質を変える努力をできるくらいだ。
…しかし、今日はそこまで頭を回すことが出来なかった。
それどころか、ダンスに力が入っていないらしく、
ところどころステップがおかしい。
観客はまだ気づいていないようだが、ステージの脇で見ている社長は気づいていた。
「このままではまずいな…」
社長の思惑は当たっていた。
『悩んでも仕方ない♪ まぁそんな時もあるさ、明日は違うさ♪
 ぐぐっても仕方ない♪ 迷わずに進めよ… きゃっ!』
千早は歌いながら、こけてしまう。
観客が笑う中、千早はすぐに起き上がり歌を続けた。
「…失礼しました!続きを歌いますっ!」
…すぐに歌を再開するが、その後も千早は何度も何度もこけてしまう。
最初は観客も、千早の珍しい姿がみれて満足していた。
だが、こうも何度も何度も倒れていると、流石におかしく感じてくるだろう。
歌も途中で途切れるし、見ていて面白くなくなってくる。
歌が始まって四曲目で、異変が起こった。 


千早がまたしてもこけると、観客から野次が飛んできた。
「ちゃんと踊れよー!こけてばっかで、歌ってないじゃねーか!」
千早にはその声は聞こえなかったが、物が飛んできた。
カンなどがステージ前に飛んできて、その場を跳ねる。
「…え?」
千早は驚いて歌うのを中断してしまう。
すると更に物が飛んできて、千早にもそれが見える。
狂信的な観客が、カンなどを投げていたのだ。
そんな一部の観客の行為だったのだが、千早にはそれがとてもこたえた。
千早は今までそんな行為を受けたことがなかったし…
自分のライブは、観客をちゃんと満足させれていると、思っていたからである。
「あ…あ…」
千早は頭の中が真っ白になっていた。
歌うことも、踊ることもできない状態。
そんな状態の中、BGMも止まり、さらに一部の観客の罵声が聞こえてくる。
「おい、なんで歌わねーんだよ!」
「これじゃ、期待して損だったわ…」
「おまえ等が煩いから、千早ちゃんが歌ってくれないんだよ!」
観客たちがざわめきだした。
沸き起こるブーイングと騒動。
それを見て千早は我に返り、なんとか止めようとする。
「…すいません…!止めてください…!」
千早が大きな声を上げてそれをとめようとするが、騒動は止まらない。
「…私、歌いますから…!精一杯…歌いますから…!
 ちゃんと、聞いてください…!」
千早の精一杯の声も、観客のざわめきにかき消された。
もう千早には、観客を止めることも、静めることもできかった。
社長の指示で、スタッフが大慌てで観客を静める作業に当たっている。
が、一向にざわめきが収まることはなかった。
…千早は自分を無力と感じ、泣き崩れそうになった。
(…私、駄目だった…。頑張ったのに…駄目だった…。
 プロデューサー…ごめんなさい…。私、わたし…
 プロデューサーがいないと…駄目…だったんです…) 


千早がステージの上で立ち尽くしていると、どこからか声が聞こえた。
…それはとても小さい、小さい声だった。
観客のざわめきよりも小さい、微かな声。
だが千早はその声を、聞き取った。
「…ちはや…」
それは何度も、聞いた声だった。
「…千早…負けるな…!」
聞き覚えのある、暖かい声。その声は、だんだん大きくなっていく。
「…千早…!…最後まで…諦めるな…!」
心まで響く声。その声に驚き、周りを見渡す。
すると遥か遠く離れたところに、全身が包帯の人影が見えた。
その人影が誰か、どんなに遠くても、はっきり分かった。
間違える筈がない。
彼の姿が、そこにあった。
(…プロデューサー…!!!)
千早はステージの上で、思いっきり泣いた。
ただ、何も考えず、思いっきり、泣いた。
…観客たちは依然ざわめいて、静まろうとはしない。
そんな中、彼の声だけが、千早に聞こえる。
「…千早…蒼い鳥を…!」
何故か聞こえるはずのない、彼の声が千早に伝わった。
「…蒼い、鳥…」
「…ああ…そうだ…煩い観客たちを…歌で…静まり返してやるんだ…!」
「…はい!…プロデューサー!」
千早はマイクを持ち直し、涙を拭い、歌い始めた。
プロデューサーの期待に、答える為に。 


『泣くことなら、容易いけれど 悲しみには流されない』
千早が歌い始めると、観客のざわめきが収り始めた。
さっきまで罵声を上げていた観客も、千早の歌に気づき、止まる。
『恋したこと この別れさえ 選んだのは 自分だから』
千早は無心で歌った。…青い鳥、これは自分の一番大好きな曲。
何度も、何度も。歌い続けてきた。
ダンスも、歌も、歌詞も、全てを、体が覚えている。
体には、さっき何度もこけて出来た痣が、いくつもある。
だが、その痛みを全く感じさせない、ダンスと歌だった。
『群れを離れた鳥のように 明日の行き先などしらない』
さっきまでの観客のざわめきが嘘のようで、千早の歌だけが、ドームに響いていた。
千早のアカペラは、人々の心に響くものがあった。
『だけど傷ついて血を流したって いつも心のままただ羽ばたくよ』
力強く、体全体に響く歌。
それは、聞いている人々を涙させるほどのものだった。
先程までいびりあっていた観客も、手を取りあって泣いている。
それほどに力がある歌を、千早は歌っていた。
ステージの上で力強く歌う千早の姿は、「蒼い鳥」そのものだった。 


包帯だらけの彼は、がむしゃらに走っていた。
医師の拘束を振り切って、千早のためだけに、ただ走った。
(…千早のためにできることは、まだある…!)
『蒼い鳥 もし幸せ 近くにあっても』
どんどん千早の歌は進んでいく。
(…くっ!間にあうのか…っ!)
体中が痛い。だが、そんなことに構っていられない。
ステージの裏に向かって、走る。
『あの天空へ 私は飛ぶ 未来を信じて』
ようやく辿り着いたところにいたのは、大粒の涙を流している社長だった。
「千早君…君なら出来るって信じていたよ…」
号泣している社長を、彼は最後の力で呼ぶ。
「…社長!…お願いがあります!」
「…おおっ!君か!…体は大丈夫なのかね!?」
「…そんなことはどうでもいいです…!さぁ、速く…!
 蒼い鳥のBGMを…流してください…!演出も…全部、再開してください…!」
彼はもう、歩くこともままならなく、その場に座り込んだ。
「おおっ、分かった。すぐにスタッフを戻そう!」
社長は走ってスタッフのところまで向かう。
『あなたを 忘れない でも昨日には帰れない』
この間奏の間に、スタッフは大慌てで準備に取り掛かった。
間奏と言っても、千早のアカペラなので、沈黙、と言ったほうが正しい。
千早は完璧に歌を歌いこなすので、間奏の時間も歌わずに待っている。
(…サビまで後少し。…間にあうか…?)
千早はステージの上で手を広げて、サビに入ろうとする。
その瞬間。ライトがパッと着き、千早を照らした。
BGMも流れて…そして千早が歌う。
『蒼い鳥 自由と孤独 二つの翼で
 あの天空へ 私は舞う 遥かな夢へと
 この翼 もがれては 生きてゆけない私だから』
千早の歌が終わり、BGMが止まった瞬間。
観客の大声援が会場全体を埋め尽くした。
(…よかった…。千早…大成功だ…)
…彼の意識はそこで、途切れた。 


観客の大声援の中、千早は手を広げてそれに応える。
…しばらくして千早がマイクを持ち話し始めると、観客が一気に静まり返った。
「私の歌、聞いてくれてありがとうございます…。
 私、今更になって気がつきました…。歌の、本当の意味を…。
 先ほどの歌、とても気持ちよく歌えました…。
 それも全て…皆さんのおかげです。本当にありがとうございました!」
それは千早の本音だった。
普段トークが苦手な千早から自然にでた、偽りの無い言葉。
それは観客の心に、響いた。
会場から拍手が一つ、二つ鳴り始めた。
それは大きな波となり、会場全体を拍手の音が包んだ。
「ありがとうございます…!…本当にありがとうございます…!」
千早はそれに、一番の笑顔で応える。…そして、ある決心をする。
「今日のライブですが、始めからやり直したいと思います…!
 よろしければ…私の歌を全部、聞いていってください!」
観客は大喜びで、またも大歓声を上げる。
スタッフは大慌てだったが、千早の言う通りにしたいと、誰もがそう思っていた。
千早とスタッフと観客。全てが一つになったライブが、始まった。
(…プロデューサー、見ていてください…。
 私…、自分の全てを出して、歌います…!)
そこで千早は、彼の声が聞こえような気がした。
「…千早…頑張れ…!」
「…はいっ!」
千早は、ライブ終了まで歌いつづけた。
彼を思って、観客を思って、スタッフを思って、千早は歌いつづけた。 


アンコールを何度受けただろうか。
千早はそれを全て歌いきった。…そしてついに、最後の曲も終わる。
千早は堂々とステージに立ち、最後のトークを始めた。
「…みなさん、本当にありがとうございました!
 今日のライブのこと、ずっと…ずっと、忘れません!」
「ライブ最高だったよ!」
「来て正解だったわ!」
「ううっ…。感動した…俺も忘れないよ!」
観客の大声援を聞きながら、千早はステージを下りた。
千早は今までにない充実感を、得ることができていた。
とてつもなく溜まった疲労すらも、心地よく感じていた。
「…プロデューサー!見ていてくれましたか?」
千早は控え室に入るなり、すぐさま彼を探した。
…だが、そこに彼の姿はなかった。
いるのは、残念そうな顔をした社長だけだった。
「…あ、すみません…。社長、お疲れ様でした」
「…いやいや、気にしないでいいよ千早くん。
 それより、お疲れ様!ライブは大成功だったよ!」
一番その言葉を言って欲しかった彼は、どこにもいなかった。
「…あ、はい。ありがとうございます…。
 …あの、プロデューサーはどこにいるか…分かりますか?」
彼はこの会場に来ていた。それだけははっきりしているのだが…。
途中で見失ってしまった後は、どこにいるのか分からなかった。
「非常に残念だが…彼はここにはいないのだよ。
 病院に運ばれて、今再手術をしているそうだ…」
「……!!…そこの病院はどこなんですか?」
「ここからすぐの病院だが…行くかね?辛いかもしれないが…」
「…はい。…すぐに行きましょう!」
千早はその話を聞いても、やけに落ち着いていた。
千早には確信めいたものがあったのだ。
彼は絶対に無事だ、という確信が。 


病院に着いて、千早は彼の元へと早足で向かう。
(…プロデューサー…。無事…ですよね…)
どうやら彼の手術はもう既に、終わっていたようだった。
医師に聞いたところ、面会はできるとのことだったので、
千早は彼がいる暗い部屋に入った。
そこには、包帯だらけでぴくりとも動かない、彼の姿があった。
「…プロデューサー…」
確かに彼は無事だった。…が、返事をしてくれることはなかった。
…千早の後に続いて、社長と担当医師が入ってきた。
「先生…。プロデューサーは…大丈夫、ですよね?
 すぐに目を覚まします…よね?」
千早が必死に医師になって聞くと、医師は顔を暗くして答える。
「手は尽くしました。…後は、彼次第です」
「…では、助かるのですか…!?」
「…彼の体力次第です。…彼を信じてあげてください…
 あなたのためにここまで無茶をした、彼を…」
医師の言葉を、千早は理解できない。
「…え?…どういう…ことですか…?」
「…彼は病院で意識を取り戻したあと、ライブにそのまま行こうとしたんです。
 もちろん、危険ですから止めましたが…彼は言うことを聞かなくて。
 『行けないくらいなら、死んだほうがマシだ!』とまで、言うので
 仕方なくライブまでつれて行ったのですよ…」
医師が呆れながら言う。それに続いて社長も話を続ける。
「彼はステージの裏までこの大怪我で走ってきたそうだ。
 彼の指示がなければ…あそこまでの成功はなかったかもしれないが…。
 まったく、大した者だよ、彼は」
「…プロデューサーが…私のために…?」
千早はそのことを知って、泣きそうになる。
(…私のために…医師の説得を振り切って…
 …私のために…痛い思いをしながら走って…)
千早はついに泣き出してしまった。
(…私はプロデューサーに、何もしてあげれないの…?) 


千早はぽろぽろと涙を流している。
…しばらくして千早は、あることに気づいた。
(…これでは…さっきのライブと…何も変わらない…)
千早が無力と感じたとき、千早は何もできなかった。
何もしてないから、何も変わらなかった。
(…このままじゃ…駄目…。私は…プロデューサーの…力になりたい…!)
千早は何度も何度も涙を拭って、涙を止めた。
そして、何かを思いつき、医師に詰め寄る。
「…先生。…プロデューサーにずっと…付いてもいいでしょうか?」
医師は困った顔をしていた。今日彼が目覚めるという保証などない。
「…彼は今日目覚めないかもしれないんだよ?…それでもいいのかい?」
千早は迷いもなく、はっきりと医師の目を見て言った。
「はい。プロデューサーが起きるまで…。ずっと、付いています」
あいにく、明日からはレッスンの予定だったので、仕事もない。
「…そこまで言うのならば、止めはしないよ」
医師の許しを得て、千早はほっとする。
「ただし、君も疲れているだろう。後でちゃんと休むんだ」
「…はい。分かりました」
「では、私はこれで失礼します」
医師は病室を後にした。
「…千早君。彼のことは君に、任せたよ。私も失礼するよ」
社長もそう言って、病室を出た。
こうして、千早と彼は二人きりとなった。
(…プロデューサー。…あのとき、プロデューサーの声が聞こえました…。
 私の声も…プロデューサーに、届きますよね…?)
千早は言葉を返さない彼に、話を始めた。 


「プロデューサー。今日のライブの報告ですが…。
 プロデューサーのおかげで、大成功でしたよ。
 …プロデューサーが来るまでは、私も集中できていなくって。
 ダンスで何度もこけてしまって、ブーイングを受けてしまいました。
 それで戸惑っていたら、プロデューサーが…助けてくれましたよね。
 …本当にありがとうございます」
千早はライブの報告を始める。まるで彼が全て聞いているかのように。
…彼はぴくりとも動いていないのに。
「あのときの蒼い鳥…。プロデューサーのために歌いました。
 プロデューサーのために…私の気持ちを精一杯乗せて。
 そうしたら、ファンの皆のざわめきも消えて…。
 私の声だけが、ドームに響いて…。私の気持ちが響いてるみたいで…。
 本当に、気持ちよかったんです…」
千早は時より、彼に笑いかける。
笑顔が返ってくるわけでもないのに、笑顔を彼に見せる。
「そうしたら…ファンの皆が泣いてて…大歓声がおきて…。
 嬉しかったです。歌って、こんなに力があるんだなって。
 その後は、ファンの皆のため、スタッフのため。
 私の歌を聞いている全ての人のために…歌を歌いました。
 …私、今までよりもずっと、歌を好きになった気がするんです」
千早の目に涙が浮かぶ。
「私…頑張りましたよね?…プロデューサー、褒めてくれますか?
 いつもみたいに…頭を…くっ。撫でて…くれませんか…?」
…どれだけ言っても彼の手は、動かない。
涙が溢れて止まらなくなる。
…だが、泣いてばかりではいられない。
「…プロデューサー。先日のレッスンですが…まだまだ甘かった…ですよ。
 カメラ振りの練習なのに…プロデューサーが間違えては、困ります…」
千早はずっと、ずっと話を続けた。
…だがその日、彼が起きることは、なかった。 

(…声が聞こえる。…誰の声だ…?泣いてる…?いや、笑ってるのか…?
 歌…?…綺麗な歌だ…。…千早もこんな声で歌ってたっけ。
 …千早?…千早、どこにいるんだ?千早…千早っ!)
次の日の朝。
彼は目を覚ました。
見慣れない天井、動かない体。体中が痛い。
彼はそんなことを思いながらも、腹のあたりに暖かみを感じていた。
「…千早…?」
千早が俺の腹に手を乗せて、椅子に座ったまま寝ていた。
(…そうか、ずっと看病していてくれてたのか…)
俺は痛い手をなんとか動かして、千早の頭を撫でてやった。
「千早…ありがとな…」
綺麗な黒い髪を何度も何度も撫でる。
「ん、んんっ…」
すると、千早が小さい声をあげた。
(…しまった、起こしてしまったか…?)
千早は頭を上げて、目を擦っている。どうやら起きてしまったようだ。
「…おはよう、千早。…起こしてしまって、ごめんな…」
「…はい?おはよう…ございますぅ…、プロデューサー…」
千早は一瞬止まって、自分で言った事を確認した。
「…プロデューサー…?…プロデューサー!!」
千早はいきなり彼に抱きついた。
「よかった…本当に、よかった…!」
千早はあまりの喜びのせいで、彼が怪我人ということを忘れていた。
「っぅ…!千早…痛い…!」
「…あっ!」
千早は急いで彼から離れると、すぐに謝る。
「ごめんなさい…プロデューサー…!…大丈夫ですか…?」
「…ああ、大丈夫…。嬉しいのに…痛いのって…辛いな」
彼は痛みを堪えて、何とか笑顔を作って言った。 


「私…プロデューサーが…もう起きないのではないかって…。
 すごい心配してて…。そしたら…プロデューサーが起きているので…つい…」
「気にしなくて…いいよ。ほら、俺って…体だけは頑丈だから…」
彼は無理をして、力こぶを作って見せた。
「…あいて!」
だが、体中が痛い彼にとっては、それすらも出来なかった。
「…ふふっ。プロデューサーったら…。無茶は…駄目ですよ…?」
千早は彼のそんな姿を見て、涙を流した。
もう何度流したか分からない涙が、溢れる。
「プロデューサー…。本当に…起きてくれて…よかったです…」
「千早…心配かけて、本当にごめん…」
彼は千早の頭を再度、撫でてやった。
「…ふふっ、プロデューサー…。なんでプロデューサーは
 私がして欲しいことが…分かるんですか?」
「なんでってそれは…プロデューサーだからさ」
千早がクスクスと笑っているのを見て、彼も笑った。
「それに、言ってなかったっけ?撫でて欲しいって…」
「…え?…まさか、昨日の夜…起きていたのですか?」
「…いや、昨日は起きてなかったよ。聞いたのは…夢の中で、かな?
 夢の中で聞こえたんだ、誰かの声が。ずっと俺に向かって話してる。
 それが千早だと分かって、千早を探して…。
 やっと千早を見つけた!と思ったら朝になってて…。
 変かな…夢のようで夢じゃないような…」
「…!」
千早の昨日の声、それはしっかり彼に響いていたのだ。
「…私の声…届いていたんですね…嬉しいです…!」
千早は頭の上にある彼の手を、握り返した。 

「…?どういうことだ、千早?」
彼は千早が喜んでいる理由が分からなかった。
「昨日の夜からずっと…寝ているプロデューサーに、話していたんです。
 私の声が…プロデューサーに届けばいいなって…」
「…なるほどな…」
彼は千早のしたことが分かった。千早が一日中彼に話をしていてくれたことを。
そのおかげで、彼が目覚めることができたということを。
「…千早のおかげで、俺は目覚めることができたのかもしれない…。
 本当にありがとう、千早」
彼が千早の目を真っ直ぐに捕らえると、千早は顔を赤くして目を逸らした。
「そんな…。大袈裟ですよ、プロデューサー…
 …助けられたのは私のほうです。あのときのドームで、
 プロデューサーの声が聞こえたから、私…頑張れたんです…」
千早も、彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「千早…」
「プロデューサー…」
見つめ合った二人は、そのままだんだん顔を近づけていった。

ガチャッ…バタン。

いきなりドアが開く音がする。
「おはよう千早君。彼の調子は…って、おおっ!」
社長は彼が起きているのをみて驚いた。
千早は椅子に背筋を伸ばして座っている。顔は真っ赤だ。
「…っはは。社長、おはようございます」
彼は苦笑いをした。 


「…いやいや、邪魔をしてしまったようだね…」 
社長は二人の雰囲気に気づき、気まずそうにしている。
「いいえ、そんなことはないですよ。…社長、ご迷惑をおかけしました…」 
彼は社長に出来る限り、深く頭を下げた。 
「…いや、気にしなくて結構。それより君の体調が良くなったみたいで、めでたいよ。 
 …これも千早くんの手厚い看病のおかげかな?」 
わざとらしく社長が言うと、二人はそろって顔を赤くした。 
「…では、二人の時間を邪魔しては悪いから、用件だけを手短に伝えよう」 
社長は書類を取り出して、俺の前に広げた。 
「…前回のライブが大反響でな。千早君にはまたライブを行ってもらうことになった。 
 しかも今回は前よりも大きいドームで、何箇所もだ」 
千早と彼は目を合わせた。 
「それで早速だが、君たち二人には計画を建ててもらいたい。 
 残り時間は二週間しかないが、頼めるかね?」 
彼は体が動かないにも関わらず、とても乗り気のようだった。
「…はい、任せてください。このチャンスを逃す手はありませんから。
 この二週間で体も動かせるようにしますよ!」 
「…プロデューサー?無茶は駄目ですよ。
 …ですが、気持ちは同じです。ライブ、したいです…!」 
千早も力強く頷いた。
「君たちならそう言ってくれると信じていたよ!
 …では、詳細はこの書類に書いてあるから、目を通しておいてくれたまえ。
 私は帰らせてもらうよ。…仲良きことは、素晴らしきこと、かな?」 
社長は俺たちに気を使ってくれたらしく、そそくさと帰っていった。
「…社長に気を使わせてしまったな…」
彼は思わず笑ってしまった。
「それよりプロデューサー…。二週間でこれだけの計画…。
 結構骨が折れませんか?」
確かに、かなりの量の書類が、目の前に積んである。だが。
「…もうたくさん折れてるから平気さ」
彼らは二人で笑いあった。 

それから二週間。あっという間だった。
彼は病院でリハビリをしつつ、書類をまとめる。
千早はレッスンをして、終わったら病院で彼とミーティング。
彼は松葉杖を使って歩けるほどまで回復していた。
「まったく…とんでもない体力だよ」
担当医師は笑いながら言った。
「ええ、体力勝負ですから。この仕事は」
…今日は連続ライブの初日。
千早と彼は会場に到着する。
「ここが今回の会場…。前より一回り大きいですね…」
「ああ。だが、俺達の目指すところはここじゃあないぞ?」
千早はふふっ、と笑う。
「そうですね…。トップアイドルの道は、まだまだこれからですから…」
千早はステージに立ち、観客席を見る。
「プロデューサー。…この前みたいなことがあったら、
 また、私を助けてくださいね…」
「…ん?ああ、任せとけ。じゃあ千早もこの前みたいなことがあったら頼む」
「…そんな簡単に事故を起こされたら困ります」
千早に彼は冷たくあしらわれた。
「…でも、何であのとき声が聞こえたんでしょうか?
 プロデューサーは、あんなに遠くにいたのに…」
「それは俺がとてつもない大声を出したから、だよ」
「…プロデューサーって、浪漫の欠片もないんですね…」
「冗談だって!…あのときは必死だったし、よく覚えてないんだ。
 もしかしたら俺達、何かが繋がってるのかも…しれないな…」
「…そうですね。私達を結ぶ何か…があるのかもしれません…。
 ですが…そういうことは最初に言ってくれないと…
 せっかくのいい台詞が台無しかと…」
「…やっぱりか」
二人はまた笑いあった。

今回のライブも必ず成功するであろう、二人の力があれば。 


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