weiss ach

作:名無し

1

今年も、残すところ後2週間となった。

そんな日に首都圏に訪れた純白の珍客。

「プロデューサーさん、この大雪で電車が動きません・・・
 出来るだけ早く事務所に行くようにします。済みません・・・」
いちばんの犠牲者は、春香。

自宅から連絡が入ったのが今から3時間前。
場所が場所だけに、まったく身動きが取れない。
仕方のないことではあるが・・・
軽く、低くプロデューサーは唸った。
(俺の地元じゃ、たかだか3センチの積雪で電車は止まらんがなぁ・・・)
恨めしそうに窓越しの空を見上げる。

そこには、ただ
しんしんと、音もなく

何分この調子なので、傍目には仕事にならないように見えるが
実際のところ、765プロ在籍のアイドル達のほとんどは首都圏にはいないし
残った面々も、年末年始のイベントに備えて各々が自主的に活動している。
だから、プロデューサーとしてはさほど困っているわけではないのだが。
(真とあずささんはフィンランド、亜美と真美は九州でそれぞれロケ・・・)
目の前にあるホワイトボードの文字を拾って読む。
(やよいと伊織は昨日から関西でインストアライブだし・・・)
今日になってから何回口をつけたか分からない空のマグカップを持って
キッチンまでさまよい歩く。
(雪歩に至っては「試験の成績が悪いとお父様が・・・うぅ・・・」って言ってたから、律子が・・・)
途方に暮れていたプロデューサーを見かねて、律子は雪歩の家庭教師役を買って出てくれたのだが
今頃「あの」萩原邸で・・・
(済まない律子、これも君たちのためだ・・・)
ふたりはプロデューサーの地元でもある冬の都でクリスマスコンサートに臨む。
恋人達の煌めく3日間を、華やかに彩ることができるかどうか・・・
行く末は、華奢な律子の双肩にに掛かっているといっても過言ではない。

とぽとぽ・・・
香味豊かに、陶を満たす静かな熱。

自分のデスクに戻ってきたプロデューサー。
年の瀬も押し詰まる今、もう一度スケジュールの確認をしようと
モニターとにらめっこをしている数少ない事務員の音無に話し掛けようとしたその時。

音の少ない事務所というちいさな世界に

蒼い鳥が、凛と響いて舞い降りた・・・ 


2

「おはようございます、プロデューサー」
ターコイズブルーのロングコートを纏った彼女の頬は
外気に晒されて朱に染まっていた。
蒼と紅。その対なる色。
嬉々とした、波のようなものが辺りを漂う。

「おはよう千早。何だかご機嫌だな?」
見慣れないものを見ました。
そんなニュアンスで、プロデューサーは訊いたが。
「今日で試験が終わりましたから。しばらくは仕事やレッスンに打ち込めます」
意に介さず心底楽しそうに千早は返事をして、コートをクローゼットに掛けた。
「それは結構。それはそうと千早、留年なんてしてくれるなよ?」
からかい半分でそう言いつつ、プロデューサーはキッチンに引っ込んだ。
すると
「・・・プロデューサー、わたしはそんな無様な真似はしませんよ」
苦笑したのだろう。それでも彼女は、穏やかな響きをプロデューサーに投げた。

とぽとぽ・・・

ふと彼は考える。
そんな千早を、微笑ましく思うようになったのは・・・いつからだろう?
(以前の千早だったら、間違いなく不機嫌になったろうな・・・)

彼女とふたりで昇り詰めたこの軌跡。
名実共に、トップアイドル・・・
いや、この呼び方を好まない彼女に配慮するなら
この国を代表するシンガーにまでなった、如月千早。
そんな彼女が時折見せる、素の感情。
その、心地よさ・・・

「からかったりして悪かったよ」
プロデューサーが差し出したのは、琥珀で満たされたロイヤルブルーのティーカップとソーサー。

それは千早専用のテーブルウェア。
知り合って間もない頃「コーヒーは体に合わないんです」と
勧めたコーヒーを、踊り狂う吹雪のような冷たさで拒絶した彼女。
それが何故か印象に残って
オーディション初合格の記念に、プロデューサーが彼女にプレゼントしたものだ。
「紅茶だったら、構わないだろう?」と。

「ありがとうございますプロデューサー。外は寒くて・・・」
両手を差し出し、それを受け取る千早。 


3

ふぅ・・・っ

何の変哲もない吐息。
酸素と二酸化炭素を交換した結果。
幾度も繰り返してきたであろう、無機質に感じられる営み。
だが。

「あたたかい・・・」
彼女の唇から放たれるだけで、それはたちまち鮮やかな色を帯びる。
喜びという名の色を。

「プロデューサーには今まで何度も紅茶を淹れてもらいましたが・・・
 わたしはこの茶葉がいちばん好きですね・・・」
ティーカップに添えた手のひらから熱を受け取りつつ、千早は微笑んだ。

プロデューサーの視線は、柔らかい。
「そうか・・・気に入ってもらえて良かったよ。いろいろ試した甲斐があったかな?」
彼女の嗜好を掴めるようになるまで
彼が淹れた紅茶の数は、おおよそ、数えられるものではない。
「ふふ、そんなこともありましたね・・・」
千早は、器の中で漂う波を、懐かしげに見ていた。

今思えば、彼の昼下がりの茶会に他のアイドル達もよく付き合ってくれた。
いつもお茶請けを用意してくれる春香。
お茶請けが楽しみで仕方がないやよい。
流石に伊織は礼儀作法には煩く、真は「いい経験になりました」と苦笑い。
その様子を傍から見て楽しんでいた亜美と真美。
穏やかな時の流れるアフタヌーン・ティー。
更に穏やかなあずさにかかれば、心地よいまどろみを誘い
雪歩はいつも夢の世界に旅立ってしまう。
そんな雪歩にストールを掛けるのは、決まって律子の役目で・・・

そしてその中心には
いつも、千早がいた。
ある時は、満足できる歌だったと喜びを隠さず
またある時は、零れ落ちる涙を隠せずに。
テレビの画面には出てこない、等身大の千早がいたのだ・・・・・・

「思えば、わたしが今こうして歌と共に在れるのは・・・」
ぽつりと放たれた響きがふたりを今という時間に引き戻す。
彼は、強い意志の力と光り輝く希望を覗かせる彼女の瞳を見やる。
「わたしを必要としてくれるひとたちと、同じ夢を追いかける仲間と・・・」
そういって千早は瞳を閉じる。
まるで、想いを凝縮するように。 


4

「・・・・・・・・・が、いてくださったから、です」

暗闇の中、歌に縋る少女。
怒りにも似た猜疑の視線。

「そうか・・・」
何故かはじめて彼女に接したあの日のことを思い出して
感慨深くプロデューサーは呟いた。

第一印象はお互いに良くはなかっただろう。
彼が穏当な言葉を選んでも、千早のこころはざわついて
良かれと思い勧めた歌以外の仕事は、彼女の存在理由を脅かす。
当然彼女は、そんな彼に協調性も理解も示さない。
重苦しい関係が続くのだと思えば、気が滅入る。
誰でも、そうだ。

なのに。
そんな彼女と日々を共有するようになって。

彼女のひととなりに接し、彼女の生の感情に触れるたび
いつのまにかプロデューサーとしてではなく
一個人として、彼は彼女の幸せを願うようになっていた。
待ち望んでいた。
彼女が自分の幸せを追い求めることを。
翼を広げ、自由に空を翔けるその日を・・・

「感謝しています・・・プロデューサー・・・」

自由と孤独の翼を、頑なに抱きつづけた千早。
今、幸せを拒んでいた蒼い鳥が紡いだ、その言の葉。
美しく響くさえずりの意味。

それを誰よりも深く理解しているが故に
千早のその言葉は、彼には強く、強く高鳴る。

「こちらこそ。千早と出逢えて、俺も嬉しいよ・・・」

こころ、震わせて。
自身が彼女の幸せの一端になれた喜び。
プロデューサーは、感じるままにそう伝えたが。

それは
千早が求めて止まない旋律そのもの・・・
諦念の海に沈みながらも、捨てきれなかった焦がれる思いを解き放つ鍵・・・

ああ
時は満ちた。
幸せの地平に羽ばたく時は、今。

意を決し、千早は己を奏でる。
「・・・プロデューサー。わたしに、翼をください・・・」

翼無くして、生きてはいられない。
いつも高らかにそう歌い上げる彼女の指し示すものは。

「わたしがずっと、飛びつづけられるように・・・」 


5
 
降り続ける雪。静けさが辺りを占める。
冬独特の音の世界。
都会の片隅にある事務所の一室も、今はそれに似ていた。

「わたしは、プロデューサーが・・・プロデューサーと・・・くっ」
どうしてもその先がいえない。
頬は鮮やかに上気し、胸の鼓動は高鳴る。
それでも千早は、彼に向けた視線を逸らしたりはしなかった。

訝しんだり、笑ったりはしない。
彼女が伝えたいものの大きさを、感じるから。
彼女がその新しい翼を広げるために、がんばっているのが彼には解るから。

ならばプロデューサーとして、今まで彼女に接してきたように
きっかけを作り、後押しをする・・・
それくらいは許してくれてもいいだろう、そうプロデューサーは思った。
きっと、自分も彼女と同じ名前の翼を持っているはずだから・・・

「千早・・・」
彼女に差し出された、右のてのひら。

「プロデューサー・・・」
それを見つめる千早の胸に去来したのは、何であったろう。

自分とは異なる、大人の男性の、彼のてのひら。
ああ、そのてのひらは。

頭を叩き、鼻を小突き
頬に触れ、髪を撫で、涙をぬぐい
歌しか信じるもののなかった自分を
強く、優しく
いまに導いてくれた、てのひら・・・

とても、ことばにはできない・・・

だから千早は、行動でそれを示した。
その手を、取る。
千早にとってそれは、正しくすべてだった。
彼女の、すべてだった・・・

そして温もりは、ひとつに重なる。

「すき・・・です・・・」
彼の胸に頬をうずめ
ひとことだけ、伝えたかった想いが
辺りに、舞った。 


6

バタン!

「プロデューサーさーん、大遅刻で済みませんっ!
 天海春香、ただいま到着・・・って・・・?」
時が凍った。春香の動きも凍りついた。
「ああっ春香さんタイミング悪っ・・・」
思わず音無小鳥は頭を抱えた。
そうなのだ・・・

ふたりだけの世界では、なかったのだ・・・

今度はプロデューサーと千早が、凍りついた。
抱擁したままで。

それから、気まずい時間が何とか収束に向かったが。

春香は、どうやらショックが大きいようで静かにしている。
千早は、いまだに彫刻のように固まっている。
そしてプロデューサーは、明らかにうろたえている・・・

「ある意味ひどいですよっ。
 声は掛けられないし、逃げようにも逃げられないし
 一部始終見せつけられたんですからっ!」
赤面の小鳥は一息でいってのけた。

「済みませんでした・・・」
千早とプロデューサーの一糸乱れぬユニゾン。
「まぁ、何となくそうなのかなって思ってましたけど・・・
 これからは公私の別だけはしっかりしてくださいね」
小鳥は苦笑いしながら、その場を後にした。



見渡す限りの銀世界。
先程春香が付けて来たであろう足跡は、もううっすらと隠れている。

プロデューサーと千早の刻んできた足跡、これからの路・・・
小鳥は笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
(いいなぁ、見ているこっちが暖かくなる関係って・・・)
雪原に彼女は新しい足跡を付ける。
その時、雲の切れ間から柔らかな光が差した。
(さて、恋愛はおふたりのお陰でおなかいっぱいだから・・・)
小鳥は、光に向かって小走りに進む。
(おふたりのお陰で食べ損ねたお昼ごはんでも買って来ますかね・・・)
天気は悪くても、こんなに幸せが満ちる日もある。
そう思うと、小鳥もまた、幸福に包まれた気がした・・・ 



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