スキャンダル

作:缶珈琲

「なっ……」
 ボク――菊地真は声をわななかせながら、手にしていた新聞紙を机にたたき
つけた。
「なんなんですか、これっ!」
「なんなんですかも何も、そりゃこっちが聞きたいよ、真」
 プロデューサーは頭をかきながら、しかめっつらでボクが投げつけた新聞紙を
にらんでいる。
 ――人気アイドル菊地真、深夜の乱闘――
 そんな見出しが、新聞紙の一面におどっていた。よく見ると、その後ろに小さな
字で「か!?」とくっついている。それといっしょに大きく載せられた――大きすぎて
ピンボケ具合がひどかったけど――には、ボクと、ボクから逃げていく男三人組の
写真が、たしかに写っていた。
 夏休みも終わりに近づいたこの日。表では、セミが毎日うるさいほど鳴いていた
けど、今日はそれをかき消すぐらい、事務所の玄関に押し寄せた報道陣が大騒ぎ
している。ボクは携帯のメールで「裏口から来い」と教えてもらって難を逃れたけど、
知らずに正面から来てしまったあずささんなんかは、そうとうもみくちゃにされた
みたいで、今、一生懸命乱れた髪を直している。
 電話は朝から鳴りっぱなしだ。社長が長期出張中という事もあって、小鳥さんが
一人で応対してるけど、そろそろ声が枯れてしまいそうだ。
 765プロは、すっかり大混乱の最中だった。
「なあ、真、いったい何があったんだ? 正直なところを話してくれないか」
 その言い方に、ボクはついカチンときてしまった。
「……プロデューサー、ボクを信じてくれないんですか!?」
「ちょっと落ち着きなさいよ、真」と、律子が――ボクとデュオユニットを組んでいる
パートナーだ――横から口を挟んだ。「プロデューサーが私たちを信頼してない
わけないでしょ? だからこそ、こんな三流ゴシップ誌じゃなくて、あんた本人の
口から真相を聞きたいんじゃない」
 律子にそう言われて、ボクは冷や水をぶっ掛けられたような気分になった。
まったく、ボクはいつもそうだ。つい熱くなると、視界が狭くなるというか、前の
ことしか見えなくなっちゃう。そうだ、この写真の時だって……。
 しょうがない、全部正直に話すことにしよう。そう決めて、ボクは話を切り出した。
「昨日、オーディションを受けて、その帰りのことなんですけど……子猫がいじめ
られてたんですよ」
「子猫?」
「はい。大の男が3人がかりでした。それで、つい許せないと思っちゃって……」
「なるほどね、ついカッとなってやった、と」律子がちゃちゃを入れる。
「んなワケないだろ! 猫だけ抱き上げて逃げるつもりだったよ。ただ……」実は
これが、あまり二人には話したくない原因なんだけど、こうなっちゃった以上、ここで
口ごもっていてもしかたない。「にらみながら走っていって、『やめろー!』って言っ
たんだ。そうしたら、相手の方が、その、勝手に逃げちゃって……」 


 ボクが打ち明けると、案の定というか、プロデューサーと律子は同時に吹きだした。
「あはは、よっぽど怖そうに見えたのねぇ」
「プロのボイストレーニング受けてるしな。大声出されたら、こいつタダモンじゃ
ない! と思うかもなぁ」
「あと、なんかオーラとかも出てたかも。ほら、空手有段者だし」
「初段どまりだよ!」顔が少し赤くなっているのが自分でも分かった。「もう、これだ
から言いたくなかったんだ。まったく、プロデューサーまでひどいですよぉ」
「いや、すまん、すまん」プロデューサーが頭をかく。「しかし、軽率には違いなかっ
たな。相手が逃げてくれてよかったが、そうでなければ無事じゃすまなかったかも
知れないぞ」
 プロデューサーの言う通りだったので、ボクは申し訳ない気持ちでうつむいた。
「冷静に考えるとそうですよね。そうなったら、ユニットの活動にも支障が出ちゃう
し……」
「ん、まぁ、それもそうなんだが、それよりさ」プロデューサーは、ボクの肩をポンと
叩いた。「こういう時は、まず、真自身の体のことを第一に考えてくれ。芸能活動の
心配は、そのおまけでいいさ」
 優しい口調だった。プロデューサーとはときどき意見が合わないこともあるけど、
こういう風に僕のことを考えてくれるとき、ああ、この人がプロデューサーでよかった、
って思う。
「……はい。すいませんでした」
「さて、それじゃ」少し照れくさそうに、プロデューサーは言う。「今日の予定だが……
この分じゃ止むを得ない、キャンセルだな」
「う、やっぱり……」
 ボクは悔しさにうつむいた。今日は、きのう受けたばかりのオーディションで勝ち
取った、テレビ番組の本放送日だったんだ。
 だいぶ暗い顔になっていたのだと思う。そんなボクに、プロデューサーは微笑みを
見せてくれた。
「残念にはちがいないが、まだまだチャンスはあるさ。さてと、まずは玄関前の好奇心
旺盛すぎる連中をなんとかしちまおう。律子、マスコミ向けの公式発表文を考えるから、
手伝ってくれるか」
「はいはい。正直にみんなばらしちゃう方向で?」
「ヘタに取り繕うより、それがいちばんだろうな。あ、小鳥さん、会見しますから場所を
押さえてくれますか? 時刻は11時くらいで」
 みんながてきぱきと動き出す。そんな中で、騒ぎの張本人であるボクだけが、
どうしていいか分からずにいた。
「心配するな、真。今はたまたま大きなニュースがないから、みんな飛びついてる
だけさ。2、3日もすりゃすっかり元通りだって」
 そんなプロデューサーの言葉に、ボクは少しなぐさめられた気がしたのだった。 


 その日の夜、ボクは自分の家でテレビを見ていた。
 画面の中では、ボクと同じくらいの女の子が、司会者の質問に答えている。でも、ほん
とうなら、今ごろこれに出演していたのはボクと律子のはずだったんだ。
 ボクたちの代わりに急遽出演になったのは、きのうのオーディションで僕たちときわどい
勝負をした女の子だった。たしか、うちとは比べ物にならないような大手事務所に所属
していたはずだ。そんな相手から出演を勝ち取って、ボクは本当に嬉しかったんだ。
 なのに、まさかこんなトラブルでふいにしてしまうなんて……。
『それでは、柊みらんちゃんの新曲、聴いていただきま……』
 なんだかやりきれない気持ちになって、結局ボクは、司会者が言い終えるのを待たずに
チャンネルを変えてしまった。
 変えた先は天気予報だった。さっきの華やかな舞台とは対照的に、いかにもマジメ
そうなアナウンサーが、事務的な口調で予報を読み上げている。明日からもこの暑さは
続くだろう事と、台風が沖縄のあたりに接近していて、もうすぐこっちに上陸するだろうと
いう事を言っていた。
「真、そろそろお風呂入りなさいよ」
「はーい!」
 母さんに呼ばれたので、ボクはテレビを消した。ただでさえ蒸し暑いのに、こんな風に
気持ちまでじめじめする日は、熱いシャワーでも浴びて寝ちゃうに限る。クローゼットから
着替えを出して、ボクは下の階のバスルームに向かったのだった。

 このとき、ボクたちはまだ知らなかったんだ。
 台風なんかよりもっと大きな嵐が、ボクたちのすぐ目の前まで迫っていることを。 


 大きな病院の角を曲がると、細い路地がある。ほとんど地元の人しか使わない、
ちょっとした裏道だった。
(なぁんか、こそこそしてるみたいで、カッコ悪いよなぁ)
 ボクはそう思うけど、まだ正面玄関から765プロに入るのはよした方がいいって
プロデューサーに言われちゃった以上、しょうがない。
 ほんとうは、プロデューサーは車で送り迎えしようかと言ってくれたんだけど、
そんな事をしたら親にバレちゃうからって、ボクの方から断ってしまった。最初の日の
ような大騒ぎは収まったから、その必要はないと思ったんだ。
 あれから2日が経っていた。会見の効果は、有ったのか無かったのか、正直よく
分からない。なにせ、みんなボクたちの言った事をあからさまに信じてないような
雰囲気だったから。とはいえ、これ以上新しいネタが出てこなさそうだと分かると、
テレビのワイドショーは、おとなりの国の人気俳優の話題とかにさっさと話題を
切り替えてしまった。おかげでボクは、親にばれちゃう心配をしなくてすんだのだけど。
 そんな考え事をしていたら、何かにつまずきそうになった。
「うわっ!?」
 なんとか転ばずにはすんで、足元を見下ろすと、ハンマーが落ちていた。すぐ横に
建ててる途中の一戸建てがあって、どうやらこれを建ててる大工さんが落としていった
ものらしい。よくよく見てみると、他にもちゃんと片付けてない工具とか、なんだか不安
定な感じで立てかけてある木材とかがあった。
「……ルーズな大工さんだなぁ」
 とりあえず、つまずきかけたハンマーだけでも脇によけておこうと、ボクがしゃがんだ
時だった。
 何かが、光った。
「ふむ。スカートでもはいてりゃ、ちょっとしたセクシーショットだったんだがな」
 光の方向を見ると、カメラを構えた男が立っていた。歳は40くらいで、ニヤけた感じ
のイヤそうな奴、というのが第一印象だった。さっきの光は、このカメラのフラッシュ
だったらしい。
「なっ……なんなんですか、あんたは!」
「初対面の年上をあんた呼ばわりか。教育がなってないねぇ」
「断りもなく人の写真を撮る人間なんて、あんたでじゅうぶんですっ」
 言いながら、ボクはきびすを返した。
「すいませんけど、ゴシップ系の記者には関わるな、って、プロデューサーから堅く
言われてるんです。失礼します」
「おやおや、つれないねえ。もうちょっと遊んでくれてもいいじゃねえか。おとついの
ミケ猫ちゃんみたいにさ」
 ボクの足が止まった。 


「……まさか、アンタか? 例の写真は」
「ふん、ご名答。なかなか美人に撮れてただろう?」
 ボクは心の中で訂正した。イヤそうな奴じゃない。イヤな奴、だ。
「お前のせいでっ!!」
 男に食って掛かろうとしたとき、後ろから肩をつかまれた。
「よせっ、真!」
 振り向くと、プロデューサーがそこにいて、厳しい顔でボクをにらんでいる。
「離してください! あいつのせいなんです! あいつのっ……!!」
 プロデューサーは、ボクにだけ聞こえるくらいの声で、鋭く言った。
「落ち着け! あの態度は明らかに挑発だ! どういうつもりか分からんが、相手の
思惑に乗るな!」
「……!!」
 くそ、まただ。ボクはどうしてこうカッとなると、後先考えられないんだ。
「ふん、保護者どののご登場か。いや、お姫様をエスコートする白馬の騎士殿と
でも? やけに跳ねっ返りのプリンセスだがな」
「どう呼んで下さっても結構ですが、菊地にはちょっかいを出さないでいただき
ましょうか。この子を守るのが、私の仕事ですのでね」
 答えるプロデューサーの声は冷静で、かろうじて礼儀正しいと言える口調だった
けど、ボクの肩をつかんだままの指に力がこもって、痛いくらいにくい込んでいた。
それで分かった。プロデューサーも怒ってるんだ――たぶん、ボク以上に。
「こういう商売ですから、ある程度のゴシップ記事は止むを得ないものと考えさせて
もらっていますが、明らかに取材が行き過ぎだと判断した場合は、法的措置も考慮に
入れさせてもらいます。それでもよろしいですか?」
 その言葉を、男は鼻で笑った。
「法的措置ときたか。覚えたばかりの言葉を使ってみたくて仕方ねえってか、若造」
「解釈はご自由に。手段を選んでいられるほどの余裕はないんですよ、うちみたいな
弱小プロはね」
「弱小、ふん、弱小か。そう思っていられるうちが華かもな」
 いやに含みを持たせるような、男の言い方だった。
「まぁ、今日のところはこの辺で引き上げてやろう。せいぜい気をつけるこった」
 不気味に言い残して、男はその場を立ち去り、後にはボクとプロデューサーが残さ
れた。
「まったく……なんてヤな奴だ! いったいどういうつもりなんでしょうね」
「さぁ、な。ああいう手合いの考えることはわからん」
 言いながらもプロデューサーは、眉間にしわを寄せながら、何かを考え込むみたいに
している。ボクの方はと言えば、まだむしゃくしゃが収まらずにいた。
「ああ気分悪い。プロデューサー、こんな日はレッスンしましょうレッスン! ダンスで
おもいっきり汗かきたいです!」
「お前、なんだかんだで元気だなぁ」プロデューサーは、ちょっとだけあきれた様子
だった。「OK、律子も待ってることだし、とりあえず事務所に行こうか」
「はい!」 


「うーん……」
 ボクとプロデューサーが事務所に入ったとき、律子は、事務所のパソコン――あまり
使いこなせる人間がいないので、ほとんど律子の私物みたいになっている――の
画面と、小難しい顔でにらめっこしていた。
「おはよう。どうしたんだ? 律子」
 プロデューサーがきくと、律子は画面を指差した。
 どうやら、インターネットの掲示板のようだった。いちばん最初の書き込みはこんなのだ。
   
名前:名無しさん  投稿日:2005/08/27 09:35:13 ID:oYh7rfuW
  可愛こぶってオーディションを受けた帰りに、善良な市民を鉄拳制裁!
  暴力DQNアイドル、菊地真について語り合おう! 

「……ひどいな」
 プロデューサーが顔を歪め、ボクもつい目を背けそうになる。
 この書き込みの後に続いているのは、ボクたちに対する悪口の数々だった。
 いや、ただの悪口ならまだマシだった。『ファンだったのに、裏切られた、くやしい』
みたいな書き込みがいちばん胸に痛かった。
「ざっと7対3ってところですね。7が批判や中傷、3が擁護。でも、徐々に擁護側が
押されてきてます。このままじゃ悪化する一方でしょうね。うちらのファン層から考えると、
ネットでの評判の影響はバカにできません。ボディブローみたいに、じわじわと効いて
きますよ、これから」
 イヤな例えをするなぁ。
「何か手は打てないか?」
「公式発表が効果ないみたいですからね。これ以上ヘタに手を出すと、よけい燃え
上がっちゃいます。現状、放置するしか手はないですね……」
「そうか……」さすがに、プロデューサーの表情も暗い。「まぁ、律子も情報収集して
くれるのはありがたいけど、あまり気にしすぎるんじゃないぞ?」
「私なら大丈夫ですよ、意外と繊細な誰かさんと違ってね」
 意外とって言うな。
「それにしても、ねぇ……」律子は画面に向き直った。「なぁんか、引っかかるのよねぇ、
これ」
「ああっ、もう、そんなつまんない事は忘れてさ。律子もレッスンで発散しようよ! ほら
ほらさぁ」
「わっ、こら、ひっぱるな!」
 ちょっと強引に、ボクは律子の手をとって部屋の出口へと向かう。プロデューサーは
社用車のキーをちゃらちゃらと弄びながら、窓の外の空模様を眺めていた。
「風が出てきたな」
 プロデューサーの言うとおり、朝より少し風が強くなってきたのを感じる。台風が近
づいてきたんだ。この分だと、明日ぐらいにはこの辺りも暴風圏内に入っているかも
しれない。
 西の方の空には、暗い雲が立ち込めている。なぜかそれが、不吉なことの前触れの
ように思えて、真夏だというのに、ボクは少し身震いしたのだった。 


 その日は、朝からものすごい風だった。
「ああっ、もう髪も服もぐちゃぐちゃだよぉ……」
 グチりながら事務所に入ると、プロデューサーはあっけにとられた顔でボクを迎えた。
「真、おまえこの嵐の中を来たのか!? 今日は自宅待機で構わなかったのに……」
「こんな暑くてイヤな天気の日に、家でジメジメしてたら、腐ってどろどろに溶けちゃいます
よ。それに、プロデューサーも律子も来てるじゃないですか」
「私は泊り込み」と、今日も朝からパソコンに向かったまま、律子が訂正する。「どうも、
何か見落としてる気がするのよねぇ……」
「まったく、真も律子も、無理しすぎだぞ。外じゃ、さっきから救急車がサイレン鳴らして
走りっぱなしだ。なんかあったらどうするんだ……って、まぁ来ちゃったものは仕方ない
けどな」と、何かをあきらめたようにため息をつくプロデューサーだった。「そうそう、
せっかくだし、次のシングルのジャケ写でも見ていくか?」
「お、上がってきたんですか?」
「ああ、なかなかいい感じに取れてるぞ。ほら」
 そう言って、プロデューサーが見せてくれた写真は……
「あのぉ、プロデューサー、やっぱこれっておかしくないですか?」
 フレームの中で、ボクと律子が顔を寄せ合っている。仲がいい……というより、まるで、
その、ええと……恋人同士みたいな、妖しい雰囲気の写真だった。
 撮ってるときにも疑問だったんだけど――だって、身長差をつけるために、わざわざ
ボクは踏み段にまで乗ったのだ!――やっぱり上がってきた物をこうやって見ると、
心の中ではてなマークが大きくなっていく。
「ん、まぁ、アレだ。今度の新曲は、そんなミステリアスな雰囲気をイメージしてるってのも
あるし。それにやっぱり、こういう路線がいちばんウケが取れそうなんだよなぁ」プロデュー
サーの口調は、なんだか歯切れが悪い。「まぁ、より多くの人に歌を聴いてもらうためと
思って、ガマンしてくれ」
「むー……」ボクは矛先を変えた。「ねぇ、律子は恥ずかしくない? これ」
「私は、仕事と割り切るようにしてるからね。実際、マーケティングとしては、いろんな
統計材料が出てるんだけど、やっぱりこの路線がセールス的に有利なのよねぇ」
「ううう。律子までそう言うなら、納得できないけど納得しますよ」しぶしぶ、ボクは認めた。
「それにしても、ファンのみんなは、律子がこんな風にセールスのことまで計算してる
なんて、思わないだろうなぁ……」
「ああ。うちのユニットの知恵袋。日向と影、両方の功労者だな」
「ボクたちしか知らない真実、ですよね」
 そういった瞬間、律子の表情が変わった。
「真! 今、何て言った!?」
 そのキツすぎる口調に、ボクは思わずたじろいでしまった。
「えっ!? な、何か気に障った!? なら謝るよ、ごめ……」
「そうじゃない! そうよ、『私たちしか知らない』はずなんだわ! ああっ、私とした事が、
こんなことを見落としてるなんて!」
 しばらく話しかけないで、と言い放って、律子はパソコンをものすごい速さで操作し
始めた。ボクとプロデューサーは、あっけにとられたまま何も言えず、しばらくぼうっと
その光景を眺めていた。
 やがて、キーボードを打つ手を止めて、律子はふぅっと大きなため息を一つ吐き出した。
 ボクたちに向きなおったとき、彼女の顔は妙に蒼ざめていた。
「……プロデューサー。大変な事になったかもしれません」
 すぅっと一つ深呼吸をして、律子は宣告した。
「今回のスキャンダル騒動……裏で糸を引いている者がいる可能性があります」 


「まず、これをもう一度見てください」
 律子が指し示したのは、例の匿名掲示板への書き込みだった。
「書き込み時刻は9時半ですよね」
「そうだな。あの新聞のゴシップ記事や、ワイドショーでの報道を見てから書き込ま
れたんだろう」
「ところが、ですね。『オーディションを受けた帰りに……』って書いてあるでしょう? 
例の記事に、その日私たちがオーディションを受けたなんて事は書いてないんです、
どこにもね」
「……! そうか、その事実が公になったのは、俺たちの記者会見……あれは確か
11時ごろだったはずだ!」
「その通りです。とすると、この書き込みは誰なんでしょう? この事実を知っていた
者は……?」
 クーラーなどロクに効かないこの部屋で、背筋が冷えていくのを、ボクは感じた。
「ボクたち以外には、同じオーディションを受けていた関係者だ……!!」
「そこで、もう一度さっきの書き込みなんですけど、この『oYh7rfuW』という文字列。
これは発言者固有のIDなんですが、このIDで検索をかけてみたんです。そうした
ら……」
 律子の操作でウィンドウが切り替わった。そこには、「柊みらんの新曲サイコー!」
とか、「やっぱ柊みらんだよな」とか、そんなメッセージが並んでいた。
「この名前、覚えがないですか?」
 しばらく考え込んで、ボクは思い当たった。
「ボクたちの代わりにテレビ出演した、オーディション2位の子だ!」
「彼女の所属事務所は、確か、エルパームズだったな」と、プロデューサー。
「そう、『あの』エルパームズ・エンタープライズです。業界でも一、ニを争う大手で、
彼女はそこの期待の新人です。たぶん、彼女一人のプロモ費、うちの年間予算に
匹敵しますよ」
「とすれば、うちに勝ちをかっさらわれるのは、さぞかし不本意だっただろう。ましてや、
あの番組は長寿番組で固定ファンも多い。出演を果たせば、10万オーダーのファン
増もありうるんだ」
「ええ。欲しかったでしょうね。たとえ、不正な手段を使ってさえも……」 


 二人の会話は、まるでどこか遠い世界のできごとのように、現実感がなかった。
「しかもエルパームズといえば、何かと黒い噂が絶えないところだ。楽曲盗作疑惑、
強引な引き抜き、そして……」おもいっきり苦い口調で、プロデューサーは言った。
「……他社への妨害工作」
「それじゃ、全部仕組まれてたって言うんですか……!?」
 おそるおそる訊いたボクに、プロデューサーはうなずく。
「ああ。猫がいじめられてた、っていうのは偶然だろうけど、その場にカメラがあった
のは偶然じゃないだろうな。猫の一件がなければ、むこうから因縁つけてくるとか、
何かしら絡んでくるつもりだったんだろう。そこをパシャリ、だ。あとは既成事実化
さえしてしまえば、どうにでもなるからな」
 その言葉に、ボクは思い当たるものがあった。
「……昨日のあのゴシップ記者! 確か、何か言ってましたよね!」
「ああ。『弱小だと思っていられるうちが華』だったか。あいつにもエルパームズの
息がかかっているとすれば、全ての糸が一本につながる。あちらさんは、俺たち
のことを、叩くべき“出る杭”だと認識し始めたのかも知れん。昨日もああやって
狙われたって事は、今後も叩けるネタを探してるって事だろう」
「ボクたちが、あのオーディションに勝っちゃったから……?」
「そういう事に、なるな」
 背筋に感じていた寒気は、いつの間にかどこかに消えていた。その代わりにボクが
感じていたのは、熱い感情……腹の辺りでかっかと燃える何かだった。
「……ボク、行ってきます!」
「って、どこへだ!?」
「エルパームズに決まってるでしょ!? こんなやり方、許せません! ボク、直談判
してきます!」
 プロデューサーは、やれやれという風に首を振った。
「いいか、落ち着け真。今までのは全部俺たちの推測だ。この程度じゃ、状況証拠
にもなりはしない」
「だからって、だまってされるがままにしてろ、って言うんですか!?」
「そうじゃない。だが、軽はずみに動くべきじゃないのは分かるだろ? とにかく、打つ
手は俺が考える。真はそんな事より、歌やダンスの質を上げることに専念するんだ」
 激しくはないけど、反論は許さない。そんなプロデューサーの口調だった。
 ボクは奥歯を噛み締めた。くやしいけど、プロデューサーの言う通りだった。今、ボク
は何もできない。何もしちゃいけない……。
「……すみませんでした。気持ちを、落ち着かせてきます」
「おい、真、どこに行く気だ!? 外は嵐だぞ!!」
 プロデューサーの声を背中に聞きながら、ボクはプロダクションのドアを開ける。
とたんにびゅうびゅうと激しい風が吹き込んでくる。でも、雨はまだ降り出していな
かった。
「少し……少しだけ、ひとりにさせてください。すぐに戻りますから」
 それだけ言い残して、ボクはドアを閉めた。
「気をつけろよ!」という、プロデューサーの声を背中で聞いて。 


 外は暴風が荒れ狂っていた。
 街路樹が今にも折れちぎれそうなほど大きく揺れている。びゅうびゅうと吹きつ
ける風が、ボクのほほを痛いほどに叩く。
 その真っ只中にたたずみながら、ボクは精神を集中した。心臓の鼓動を感じる。
ボクはそれを、ダンスステップのリズムへと変えていく。
(たん、たん、たたたん、たん……)
 足を上げる。踏みおろす。交互に。大きく。しなやかに。激しく。
(たたん、たたん、たん、たたたん……)
 腕をふる。突き上げる。上体をそらし、半回転して元へ。
 ボクは踊った。空が悲鳴をあげているかのようなその中で、突き上げるような
感情の高まりを、ボクはダンスにぶつけていた。
 大きく足を上げたとき、突風が吹きつけた。
(……っ!)
 立て直せなかった。そのままバランスを崩して、ボクはみっともなく尻餅をついた。
(……負けるもんか)
 ボクは立ち上がった。心の中に流れていたバックミュージックを、イントロまで巻き
戻す。もう一度、最初から。
(負けたりするもんかっ!!)
 叩きつける風はさらに激しく、ボクを打ちのめそうかとするかのように襲いかかって
くる。それは、今のボクを取り巻く逆境に似ている気がした。
 その時、何かが光った。稲妻かと思ったが、 雷鳴の轟きはいつまで経っても聞こ
えてこなかった。聞こえたのは、別のものだ。
「汚名の歌姫、嵐に踊る、か。いやぁ、絵になるねぇ」
 ぱちぱちと拍手をしながら、そいつは近寄ってきた。
「世間様に自分の不幸っぷりをアピールする手としちゃ、悪くねえパフォーマンスだ。
だが、そういうのはもっと大勢のギャラリーの前でやるもんだぜ」
「……そんなふうにしか受け取れないのかよ」
 その男――昨日会ったばかりのゴシップ記者を、ボクはにらみつけた。 


「ああ、受け取れんとも。この業界、そんなヤツらばかりだからなあ。カメラの前じゃ
揃いも揃って、虫も殺しません、キスの経験もありませんって顔をしてやがる。だが、
その裏じゃ互いに罵り合いの叩き合い、あげくの果てにゃ、仕事ほしさにお偉いさん
の寝床で股を開くのさ。俺が見てきたのは、そんな連中ばっかりだ。飽き飽きなんだよ、
正直な」
 手のひらに感じた痛みは、ボク自身の爪だった。知らず知らず、ボクはこぶしを
握り締めていた。
 風は男のいる方向から吹いてくる。ボクにとっては向かい風、男にとっては追い風だ。
目を開けるのも難しい暴風の中で、それでもボクはまっすぐにその男を見据えた。
「……あんたはそうかも知れない」必死に自分を押さえつける。「大手の事務所
から大金もらって、ライバルのスキャンダルを嗅ぎまわるようなあんたなら」
 ほう、という形に男の口が動く。感心したような表情だったが、驚きやあせりの
色はなかった。
「でもボクは違う! 正々堂々と、トップアイドルを目指してみせる!」
「どうかね。俺には、お前さんも所詮ご同類にしか見えんぜ。イメージ戦略って名の厚
化粧で素顔を隠した、な」
「そんな事ないっ! ボクは、いつだって、ありのままのボクを……」
 男は、何気ない口調で、言葉の矢を放った。
「なら、相方と抱き合ってる写真も、お前さんのありのままか?」
「っ!!」
 その矢はボクの胸に、意外なほど深く突き刺さって、ボクは思わず低くうめいた。目に
見えない傷口から、何かが流れ出してきそうになるのを、必死で押しとどめる。かろう
じて呟いた言葉はこうだった。
「……なんでお前が知ってるんだ」
「蛇の道はヘビ、さ。その気になりゃ、どうとでも覗き見の方法はあるもんだ。そんな
事よか、さっさと質問に答えたらどうだい? ま、お前さんにそのケがあるってんなら
別だがな」
「ち、ちがうっ!! あれは、プロデューサーの指示で……」
「人のせいにしなさんな、と言いたい所だが、ま、そんなとこだろうさ」男が勝ち誇った
ような表情をボクに向ける。「その方がウケるからな。お前さんも今のうちに覚えとけ、
プロデューサーだのなんだのって人種は、女を二種類にしか分類しねぇ。――金に
なるか、ならんかさ」
 その瞬間。
 ボクの中で、何かが、切れた。
「プロデューサーの……」
 足が勝手に動いた。あいつの方向へ、全力で。なのに、男の顔が大きくなっていく
のが、やけにスローモーションのように見えた。
「プロデューサーの悪口を言うなぁぁぁっ!!」
 ボクは、男の挑発に乗ってしまったことを知った。そうと自覚しながら、なのに自分を
止めることができなかった。
 男の手にしたカメラのレンズが、ボクの方を向いた。
 男の顔が近づく。手を伸ばせば触れるくらいの距離に。その顔が、にやりと笑った
気がした。
 がつん。
 鈍い音がして、何か赤黒いものが宙に舞った。 



 男の体が、ゆっくりと倒れていく様を、ボクは茫然と見ていた。やがて男はアスファ
ルトの上に倒れ伏す。その頭の辺りから、真っ赤なものがどくどくと流れて、路上に
染みを作っていく。
(……違う、ボクじゃない……!!)
 ぎりぎりのところで、ボクは自制した。振り上げかけたこぶしを、途中で止めたんだ。
本当の原因は、すぐに分かった。ボクのすぐ足元に、砕けた屋根瓦が落ちていたからだ。
あの時、風は男の背中側から吹いていた。近くの家から吹き飛ばされた瓦が、たぶん、
男の後頭部を直撃したんだ。
 だけど、これじゃ、まるで……まるでボクが殴ったみたいじゃないか!!
(落ち着け、落ち着くんだ、真)
 今の一瞬に起こったことを振り返ってみる。何か光ったか? いや、光らなかった。
こいつの持つカメラも、それ以外も。同業者がどこかに隠れていたらまずかったけど、
その様子もないようだ。決定的瞬間はカメラに撮られていない。
 じゃあ、どうする?
 決まってる。逃げるんだ。もう、こんな連中と係わり合いになっちゃいけない。さっき
撮られなかったからといって安心なんかできない。いつ、この様子を写真に収め
られるか、分かったもんじゃないんだ。
 赤い染みはどんどんと大きくなっていく。もしこのまま放っておいたら、こいつは…。
 知ったことか。ボクたちに手を出してきたのはあっちなんだ。これは天罰みたいな
ものじゃないか。助かりたかったら、自分で救急車でも呼べばいいんだ。携帯ぐらい
持ってるだろう。
 ……自力で携帯をかけられるように見えるか? それに、今日は救急車もあっち
こっちに呼ばれて忙しいはずだ。呼べたとしても、ここに来るのはいつの事か……。
 そんなのボクの責任じゃない。こいつだって大人なんだから、自分のやった事に
責任をとらなくちゃいけないはずだろ。さあ、逃げるんだ。いつまた瓦やら何やらが
飛んでこないとも限らないんだぞ。さあ、逃げろ、逃げろ、逃げろ……。
「……っちっくしょおおおおおっ!!」
 ボクは男に歩み寄って、力任せに一気に背負い上げた。 


 体力には自信があるつもりだったけど、大人一人分の体重はさすがに重い。風に
あおられるのとあいまって、よろよろと男もろとも倒れ込みそうになる。だけど、ボクは
必死で踏ん張った。
「裏道を知ってるんだ」
 ボクは意識があるのかどうなのかも分からない男に話しかけた。
「そこを通れば、病院までスグだ。救急車を呼ぶより早い」
 聞こえているのかいないのか、男は、うう、と声にならないうめき声を上げる。なのに
それは、まるで、ボクをあざ笑っているかのように聞こえた。
 構わずにボクは一歩目を踏み出した。二歩、三歩……強風の中、転ばないように
ゆっくりと、確実に。
 実際、笑われたって仕方ないと思う。こんなところを写真に撮られたら、なんて書か
れるか分からない。キャプションのつけ方で、どんなシーンにでもでっち上げられるん
だから。
 だけど。
「写すなら写せっ!」
 いるかどうかも分からないカメラマンに向かって、ボクは叫ぶ。
「これがボクだっ! 嘘偽りのない、ボク自身だっ!!」
 背中の男が、低くうめいた気がした。
 悪戦苦闘しながら、どうにか体の動かし方のこつが分かってきたころ、風に雨粒が
混じり始めた。急がなくちゃいけない。この間通り過ぎた時の何倍もの時間をかけて、
ボクは狭い裏道を進んでいく。さあ、もうちょっとだ、もう少しで病院だ……。
「危ない、真っ!」
 その声が聞こえてからほんの一拍。ばらばらと何かが崩れる音がした。何かが、
ボクの頭上に降ってくる!?
 とっさに身をかがめ、体を硬くする。だけどそれは、結局ボクの体に当たることは
なかった。
「……だから、気をつけろっていっただろ?」
 ボクをかばうように、その人は……プロデューサーは立っていた。
 そうだ、ここはあの新築中の家があったところだ。いいかげんに置かれた木材が、
風に煽られて倒れてきたらしかった。ボクは、目の前の足元だけを気にしてたから
分からなかった……。
「プ、プロデューサー、大丈夫ですか!?」
「ん、まぁ、なんとか……」かろうじて笑った顔が、すぐに痛みに歪む。「……でも
ないか。打ち身だらけみたいだ。そのお荷物を――」ボクの背中の男を指差す。
「――代わってやりたかったが、そうもいかないな、こりゃ」
「プロデューサー、ボクは……」
「ん、まあ、大体のところは見れば分かるさ」ボクが言いかけた言葉を、プロデュー
サーはさえぎった。「いいから、お前は自分が正しいと思ったことをやるんだ。
さあ、病院までもう少しだぞ。俺も後で行く。だから……がんばれ」
「はい!」
 プロデューサーに背中を向けて、ボクはもう一度歩き出す。風と雨はますます
ひどくなってくる。だけど、もうボクには何も怖くなかった。
 プロデューサーが、ボクの背中を見ていてくれている。それだけで、いくらでも
勇気がわいてくる、そんな気がしたんだ。
 ……やがて、赤い光が、ボクの視界のすみっこを走った。
 赤色灯だった。ボクは、病院にたどり着いたんだ。 


 病院の出口ではプロデューサーが待っていた。
「プロデューサー、ケガは大丈夫なんですか?」
「ああ、少しアザにはなってるけど、大した事はないってさ。それより、真の方は
どうだったんだ」
「はい、あの記者なら……」
 ボクがお医者さんに聞いたところでは、傷口は大きくて、見た目は派手だったん
だけど、骨や頭の中はどうって事もなくて、すぐに意識も戻って傷もふさがるだろう
って事らしい。その事を、ボクはこうなるまでの経緯と一緒に、簡単にプロデュー
サーに説明した。
「……それにしても、プロデューサー、よくボクがいるところ分かりましたね?」
「ん、帰りが遅いもんだから心配して見に行ったんだが、そうしたら赤い跡が点々と
できてたからな。びっくりして追いかけたってワケだ。もう少し雨が降り出すのが
早かったらやばかったかもな……おっと、それで思い出した」
 プロデューサーはこぶしを握り、ボクの頭をコツン、と軽く叩いた。
「あまり、心配かけるんじゃない」
「……ごめんなさい」
 プロデューサーの厳しい顔は、すぐに笑顔に変わった。
「それにしてもひどい格好だな。とてもアイドルには見えないぞ」
 その通りだった。服は雨にぬれてぐしゃぐしゃだし、けが人を背負ったから、自分じゃ
見えないけど、背中はすごい事になってるはずだった。
「その格好で家に帰っても、親御さんに心配かけるだけだろう。確か、事務所に予備の
着替えがあったはずだよな……よし」
 次にプロデューサーが言った言葉が、一瞬理解できなかった。
「事務所で着替えを取って来たら、今日は俺の家に泊まるといい」 


 熱いシャワーが、いろいろなものを洗い流していく。かいた汗、雨のしずく、それから
今日あったいろいろなイヤなこと。
「んー、気持ちいいですっ。どうですか、プロデューサーも一緒に?」
「……大人をからかうもんじゃない」
 あまり動揺もしてないような声が返ってくる。ちぇっ。
 そりゃあ、プロデューサーは大人だ。ボクの知らないこと、していないこと、そんな
経験がいっぱいあるんだろう。多分、女の人と付き合ったことも。それに比べたら、
ボクはまだまだコドモなわけで……
「ねぇ、プロデューサー」
 バスルームのドア越しに、ボクは問いかける。
「やっぱり、ボクって……女の子らしくない、ですか?」
 しばらく待ってみたけど、答えはなかった。
「そう……ですよね。普通の女の子だったら、今日みたいな事、するはずがなくて……。
キャーって悲鳴上げて、逃げちゃうとかが当たり前ですよね。なのに、ボクときたら……」
「……真は、そんな自分が嫌いか?」
 え、とボクは顔を上げる。
 すりガラスの向うに、ぼんやりとしたプロデューサーの影が見えた。
「……いいえ。嫌いじゃ、ないです」
「なら、それでいいじゃないか。『女らしい』とか『男らしい』とか、そんなちっぽけな枠に
自分を当てはめちまおうとするな。真は、『真らしい』のさ。俺は、そんな真を誇りに思う」
 シャワーの熱いしずくが体を伝っていく。
 でも、それより暖かい何かが、ボクを内側から満たしていく。そんな風に思えた。
「さ、シャワー浴びたら寝ろよ。俺は床にクッション引いて寝るから、真はベッドを使って
くれ」
「なんなら、二人でベッドでもボクは構いませんよ?」
「だから大人をからかうなってのに。おやすみ、真」
 って、ほんとうにもう寝ちゃうの?
 体を拭いて、着替えをすませてバスルームを出ると、あきれた事に、本当にプロデュー
サーは寝てしまっていた。しょうがないから、ボクもごろんとベッドに横になる。
「おやすみなさい、プロデューサー……」
 ベッドのクッションは少し固くて、たぶんあまり洗ったりしてないんだろう、ちょっとだけ
ホコリの匂いがした。
 ボクにはそれが、大きな手のひらで、不器用だけどしっかりとにボクを守ってくれる、
プロデューサーに似ているように思えて。
 だからボクは、そのまま心地よい眠りに落ちて行ったのだった。 


「プロデューサー! 起きてくださいってば! プロデューサー!」
「ん……」寝ぼけ眼をこすりながら、プロデューサーが言う。「もうちょっと寝かせてくれ、
昨日は寝不足……」
「ボクより先に寝たのに何言ってんですか! ほら、見てくださいよ、テレビ!」
 プロデューサーは、まだ何か口の中でもごもご文句を言っていたが、テレビに視線を
移すと、いっぺんに目が覚めた様子だった。
 画面の中では、レポーターの人が深刻そうに眉をしかめている。
『……業界最大手の芸能事務所、エルパームズ・エンタープライズ。しかし、その
躍進の裏には、知られざる暗闇があったのです。CMの後で徹底検証……』
 プロデューサーがチャンネルを変える。
『……によって、芸能界全体を揺るがすスキャンダルに発展を……』
『……以前からその強引なやり方は、業界の内外で噂……』
『……新人アイドルに対する、スキャンダル捏造疑惑。この悪質な業務妨害は……』
「プロデューサー、ストップ! 今のって!?」
「ああ。俺たちのことだ……ろうな。待ってろ、今事務所に確認する」
 枕元に置きっ放しだった携帯を手に取って、事務所の誰かと――たぶん小鳥さん――
話しはじめる。その間、ボクはテレビの続きを見ていた。
『さて、今回の事件ですが、明るみに出たのは、内部告発と思われる一本の電話が
きっかけでした。その内容は……』
「内部告発ぅ!?」
 ピ、と音をさせて、プロデューサーが携帯を切る。「どうやら事務所の方でもちゃんと
把握できてないようだ。今てんやわんやらしい。ただ――」
「ただ、何ですか?」
「匿名で、俺と真あてに伝言があったそうだ。男の声で、『借りは返した』と、そう伝えて
くれ、と」
 ボクとプロデューサーは顔を見合わせた。にらめっこに似た、静かな時間が少しだけ
流れる。それから、どちらともなく、ボクたちは二人で笑い出した。笑って、笑って、
ひとしきり笑いきった後、プロデューサーが口を開いた。
「さて、またマスコミの群れが押し掛けてきてるぞ。今度は俺たちが被害者として、
だけどな。小鳥さんや律子にだけ応対を押し付けるのもかわいそうだ。――行くか」
「はい!」
 ボクは窓のカーテンを開ける。朝のさわやかな光が差し込んできて、ボクは目を
細めた。
「……あ、それと、プロデューサー」
「ん?」と、歯みがき途中のプロデューサーが答える。
「例のジャケ写、やっぱ撮りなおしましょう」
 ぶっ、っとプロデューサーは口に含んだ歯みがき粉を吹きだした。
「わ、きたないなぁ」
「す、すまん……ってそうじゃなくて! なんでいきなりそんな話になるんだ!」
「だって、昨日言ったじゃないですか。『ボクらしいボクを誇りに思う』って。
本当はイヤなのをガマンしてるなんて、ボクらしくないでしょ?」
 プロデューサーは、ぽかん、と口をあけたまましばらく硬直していたが、やがて
頭をかきむしりながら、少しやけ気味の口調で答えた。
「分かった、分かったよ、俺の負けだ。ただし、律子はお前が説得しろよ?」
「はいっ! へへっ、やーりぃ!」
 プロデューサーはまだ何か「カメラマンの拘束費が……」とか「確か郊外に安い
スタジオが……」とかぶつぶつ呟いている。
 窓の台風の過ぎ去った空は、気持ちよく青く澄み渡っていた。そんな空を、二つの
雲が、普段より少しだけ速いスピードで流れていく。
 それはやがてくっつきあって、一つの大きな雲になる。ボクはその様子を、ちょっと
だけぼんやり眺めていた。
「さ、それじゃ、プロデューサー!」
 朝の太陽に負けないように、大きな声で、ボクは言った。
「今日も、レッスンよろしくお願いしまーす!!」
                         (Fin) 



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